嶋岡 晨著『現代詩の魅力』抜粋(8)
今朝だったか、車中でラジオを聴いていたら、シブカワハルミが何とか、天文方が何とか、改暦した日だとか、例によって一応は仕事中ということもあり、話というより言葉が断片的に耳に入ってくる。
調べてみたら、渋川春海(シブカワハルミ)というその筋には有名な人物が関わっているらしい。
「暦と天文のページ」の中の、「渋川家」によると、「渋川春海は、日本における近代天文学の扉を開いた天文学者と評されてい」るという。
「それまで800年もの間ずっと使われつづけてきた暦に、実際の天体の動きとズレが生じていましたので、渋川春海は貞享元年に、”元”の暦を日本でも使えるように経度の補正を行い、改暦を行いました。これが貞享の改暦」だとのこと(「”改暦”(かいれき)とは、それまで使われてきた暦の計算方法を一新して新しい暦を作ること」)。
それまは中国からの暦をそのまま使っていたわけで、渋川春海の貞享暦が初の国産の暦ということになる。
「暦の歴史」を覗くと、「862(貞観4)年 宣明暦に改暦」とある。以後、「1685(貞享2)年 貞享暦に改暦」まで、天象と2日もズレが生じていたにも関わらず、基本的に「暦」は手付かずのまま使われていたわけだ。
渋川春海は、改暦を請うこと三度、ようやく容れられて1684年(貞享1)10月29日大和歴が採用され、貞享暦という名を賜り、翌1685(貞享2)年10月6日、つまり、今日から施行されたのである。
彼は功により碁所をやめて幕府初めての天文方に任じられた。
(「(2)江戸の天文学者たち・渋川春海とその後」によると、「渋川春海は、幕府碁師安井算哲の子として京都で生まれました。元禄15年(1702)に本姓である渋川姓に改め、14歳で碁所勤めをはじめました。碁格は7段」だとか。幼い頃から優れた才を示していたという。この頁には、渋川春海作の「天文分野之図」が載っている。彼が作った天球儀も現存しているとか。)
彼は仙台の人だが、江戸に居を移し駿河台に天文台を設けた。「渋川家」にも見られるように、「仙台藩では天文暦学への感心が高く、藩士 遠藤盛俊(1669~1734)は春海に直接師事し」たというほど。
あるいは小生の勝手な憶測だが、伊達正宗の世界への視野の伝統が背景にあるのだろうか。この辺り、調べてみたら面白そう。
昨日は秋の雨がほぼ終日、降り続いていたこともあり、珍しく夜半までは忙しかった。営業の回数も今年、最高を記録した。が、それも夜半過ぎまで。夜中の2時を回ると、あとは涙雨。
よって何処の小さな駅に付けて客待ちをしつつ、居眠りしたり読書したり。車中に持ち込んだのは、『挿絵画家・中一弥 ―日本の時代小説を描いた男』(集英社新書)である。
こういったタイトルだから、伝記か評論かと思いきや、自伝だった。
小生は自分に絵の才能がほんの僅かでもあったら、漫画家に、画家に、版画家に、映画館の看板描きに…、とにかく絵を描く仕事に携わりたかった。けれど、小学校の高学年の頃、毎日、漫画の本を読んでは、気に入った絵(漫画のキャラクター)を描いていくなかで、真似はそれなりに自信がつくようになったけど、いざ、自分の創意で描くとなると、どんな絵も、どんな線にも、まるで味を感じられなかった。自分の人間性の薄さがモロに絵に、線描に表れるようで、自分に落胆してしまった。呆気なく、絵は自分で描くという点では諦めてしまったものだ。
一方、漫画の本ばかりを読んでいたので、活字ばかりの本は縁遠い。それでも、図鑑や写真、挿絵の多い本を徐々に選ぶようにはなっていた。SFの本も、表紙や扉絵、そしてなんといっても挿絵の魅力に引き摺られるようにして読んでいたような気がする。
中学の頃は、科学の啓蒙書か人物伝が多かったが、やがて父_の影響もあってか、時代物にも手を出し始めた。無論というべきか、挿絵が楽しみだった。
「挿絵画家・中一弥 ―日本の時代小説を描いた男」なる頁を覗く。中一弥の作風・画風が知れよう。ああ、この絵、見たことがあると気付かれる方も多いのでは。
なんて、話がまた長くなりそうなので、余談は切り上げて、早速、本筋の作業に入る。
とはいっても、雑談が長すぎて疲れたので、採り上げる詩(詩人)は僅かとなった。すみません。
城戸朱理「生体」
豁然(かつぜん)として開ける視野
に存する
<山河>
だが地球を遠くから眺めると
湿って薄汚い蛋白質の生命体が集う
微小なポイントが点在する
すなわち、それが<都市>
こうした”天文学的思考”のうちには
何者かのための救済が潜んでいる
人は線、
人は点?
木坂涼「みみず」(『小さな表札』(思潮社)より)
拾い手のない
どろんこの
目盛りを付けた
体温計。
(註:体温計…「みみず」の隠喩)
二沓ようこ「朝市……」(『火曜サスペンス劇場』より)
天然かしら養殖かしら
隣の女が聞いている
魚のはなしでよかった
まったく
へんなかたちの電球に照らされているものだ
くらくらするね
ちかごろの子宮は
よしかわつねこ「白猫と天井」
天井が降りてくる
天井が部屋いっぱいにゆっくり降りてくる
ずうっいっと降りてきて
わたしの上にかぶさってしまう
わたしは暗やみの中で
つぶされ
一枚の天井になってしまう
……
(註:著作もあるようだが、ネット上では情報が少ない)
清岡卓行「氷った焔とは?」(『蝶と海』から)
文梨政幸「夜の樹」(『宿題』より)
夜の中に そびえている一本の
垂直な樹
星への旅を噂しながら
陶器になろうとしている
鳥たちと 語りたくて
耳を塞いでいる
神の声を聞くために
夜の形をしている空にむけて
身投げを 繰り返している
ちょうど 寒い北で
生涯を終える
私のように
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