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2005/09/05

二百十日

季題【季語】紹介」を見ると、「葉月、仲秋、八朔、二百十日、颱風、野分…」と並んでいるのに、小生は、「葉月」の次は「野分」に走ってしまった。
「野分」というと、漱石。ということで、漱石に言及するはずだったのに、一番の眼目には触れずじまい。
 まあ、たださえ長くなったので、割愛せざるをえなかったのだけれど。
 ということで、本日は、表題にある如く、「二百十日」。「野分」とも関連するし、重なる要素も多そうなので、簡単に。
 昨日も参照させてもらった、「こよみのページ」の「二百十日(No.0770)」によると、台風の到来を恐れた昔、「こうして「嵐の来る日」として暦に載るようになったのが「二百十日」です。二百十日とは立春の日から数えて210日目の日だということから名付けられたもの」だとか。さらに、「同じような名前の暦日としては「八十八夜」や「二百二十日」があります」とのこと。
「二百十日は立春の日からの日数ですので、現在の暦であれば9/1(立春が2/4の場合)頃で変化しません。ただ旧暦の時代は毎年月日が変化してしまうため暦注として記載して注意をしていたもの」だという。
「二百十日」の関連で、「野分(のわき・のわけ)」や「風の盆」が扱われている。
 ここには、「越中八尾の風の盆、あるいは「おわら風の盆」として知られる風祭。風神を踊りにあわせて送り出してしまう祭りといわれ、300年以上の歴史があるそうです」と簡単な説明に留められているが、小生は、「おわら風の盆をめぐって」や「「おわら風の盆」余聞」などで若干のことは書いたので、ここでは敢えて触れない。

「風の盆」はまだ見たことがない…。ただ、ちょっと嬉しいことに、昨夜(四日)、NHKテレビにて、「NHKアーカイブス 中継ドラマ・越中おわら風の盆 富山市八尾町から(88年)」が放映された。小生のテレビは8年前だったかに買ったカーナビのモニターなので、アンテナ事情も悪く、画像は劣悪そのものだったが、それでも、雰囲気だけは楽しめた。
 この番組、「越中おわら風の盆 ~高橋治原作「風の盆恋歌」より~(60分)」であり、「1988年(昭和63年)9月4日放送」のもの。
 番組内容については、「「NHKアーカイブス」放送予定」が詳しい(踊りの画像も載っている)。
「初秋の風が吹き始める9月1日から3日間、富山市の八尾は「風の盆」一色に塗りつぶされます。「風の盆」では夜を徹して「越中おわら節」が歌われ、「おわら踊り」が踊られます。作家の高橋治さんは「風の盆」の世界に魅せられ、男女の愛の姿を「風の盆恋歌」という小説のなかに描きました。番組では「風の盆」最大のクライマックスを迎える9月3日の深夜から翌日の明け方まで「風の盆」を生中継し、現場の映像と男女二人が演じる「風の盆恋歌」の音声によるドラマ表現で、その艶っぽい魅力を伝えます」というもの。

 番組では、おわら風の盆の様子を中継(録画)すると同時に、その光景に重ねて、「男女二人が演じる「風の盆恋歌」の音声によるドラマ表現」が演じられていた。声の出演は、「佐藤 慶」と「加賀 まりこ」の二人。
 高橋治氏の小説『風の盆恋歌』は、どこか非現実的というか、浮世離れした感が漂っているが、このお二人は、映像を背景に、いい味を出していて、非日常の中でこそ燃える大人の不倫の世界に酔わしめてくれた。
「風の盆恋歌」がテレビドラマ化されたことも、今では記憶から薄れてきてしまったかもしれない。
 原作の小説・高橋治著の『風の盆恋歌』(新潮文庫)については、既に、「田舎で読んだ本」(August 18, 2005)の中で触れている。

「越中おわら風の盆」は富山市の八尾町で催される。が、開催の期間が9月1日から3日で、小生のお盆の帰省とは時期的に合わず、今日に至るまで一度として見物も参加もしたことがない。富山県人(富山市生まれ)としては、やや寂しい。
 それだけに映像で雰囲気だけでも味わえたのは嬉しかったのだ。
 せっかくなので、「風の盆」にちなむ句をネットから見つけてきた。「万灯に反る喉白し風の盆    高橋とも子」(「ikkubak」より)。
「万灯に反る喉白し」に着目した点が既に秀逸だ。

 映像というと、八月最終の土曜日に開催される浅草サンバカーニバルも、いつか、NHKさん辺りに特集をしてもらいたいと思っている。勿論、民放さんでも大歓迎。BSやケーブルテレビなどでの中継はあるが、総合放送枠の中で放映されるのがポイントなのだ。
 サンバ(パレード)は、そろそろNHKさんが本腰を入れて採り上げてもいい素材に育っていると思うし、音楽や踊りを一般の人も楽しむ土壌ができているのではと思う。それとも、正面切って採り上げるのは沽券に関わるとでも思っている?

 祭りというと、昨日の夜は志村銀座で行われた「志村銀座まつり~サンバinシムラ」に行って来た。出発間際まで、季語随筆「野分…野分立つ」を書いていて、時間的にギリギリとなり、慌てて会場に駆けつけたが、5分ほどスタート時間に遅れてしまった。サンバパレードは、最初のまさに出だしの部分が好きな場面なだけに、ちょっと残念。
 いつもながら込み合う中、観客の波を縫いながら、背伸びしながら、ダンサーらを追いかけながら、懸命にシャッターを切ってきた。この志村坂上の商店街でのパレードは、観客がサンバを見慣れていることもあってか、ノリが一番いいような気がする。バテリア陣も、ダンサー等も、観客のノリと相乗効果で乗っているのを感じる。
 このレポートは後日、機会を設けて書いてみたい。

 あれ、肝心のテーマからドンドン、離れて行く。「二百十日」「野分」というと、季語でもあるけれど、一般的には夏目漱石を思い浮かべるのが自然だろう。こうした季語を小説の題名に入れたのは、やはり、親友である俳人・正岡子規の影響なのだろうか。
 子規が亡くなったのは、1902年の9月19日(子規忌)である。その3年後の1905(明治38)年、「吾輩は猫である」を発表し、以下、「坊っちゃん」「草枕」「二百十日」「野分」「虞美人草」……と続くわけである。
 漱石は留学先のロンドンから子規の死から僅か数ヵ月後に帰国している。帰国後の慌しさはあったとして、なんとなくだが、「二百十日」「野分」などのタイトルには子規への鎮魂の意もあるのではないだろうか。
 ま、勝手な想像はこれくらいにしておこう。二百十日に当たる9月1日ではないが、大型の台風が近付いている。時期が何時であれ、被害のないよう祈るばかりである。

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コメント

別サイトで、4日のアーカイブスを見た、今度は高橋治氏の小説を読みたいというコメントを幾つかいただきました。
日本経済新聞朝刊で、渡辺淳一氏の「愛の流刑地」が連載されている(らしい。未確認)。これは、やはり風の盆が舞台背景になっている小説のようです:http://www.nikkei.co.jp/honshi/20041206ta7c6000_06.html
こちらは現在進行形の小説。小生は全く読んでいない。渡辺淳一氏らしく、精神と肉体の絡みの描かれている大人の小説らしいけど。

投稿: やいっち | 2005/09/08 15:38

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