夜長…深き淵見る
さすがに今の時期、残暑という言葉は誰も使わない。先週などは使っていた向きもあったような気がするが、喉もと過ぎればなのか、そんな酷暑の夏があったことも、遠い夢のようだ。
仕事柄、外を走り回っているので、時間の経過と共に渋滞する道路状況はもとより、空の様子、明るさ、暗くなっていく変化の様子をじっくり体験することが出来る。
←夜明け。9月上旬、都内某所にて。
午後の4時とは言わないが、5時を回ると、対抗する車のヘッドライトが眩しくなってくる。ウインカーも、先週などは日中の明るさに押され気味だったのが、まさに光がウインクしている。点滅している。明滅する光が宵闇に際立つのを目に鮮やかに感じてしまう。
秋の到来を、それとも夏の過ぎ去ってしまったことを実感するのは、小生などの場合、多くはこんな時なのである。
外にあっては街灯やネオン、室内にあっては蛍光灯、あるいはビルやマンションの窓から漏れ出す白々しいような光り。あるいは、休憩している最中に都心のビル街で宵闇に浮かぶ高層ビルの窓明かりを見ると、ああ、みんな未だ働いているんだな、頼もしいな、励まされるな、などと殊勝なことを思ったりもする。
非番の日、夕方など買い物に出かけ、住宅街を歩いていると、窓明かりは目に、心に眩しすぎる。終日、一人で過ごす日々。一言も言葉を誰とも交わさない日が続く。そんな身には、あの二階の明るい部屋には生活があるんだろうなと、訳もなく、意味もなく胸がつぶれるようでもあったり。
夜長。持て余す時間。実際には、やたらと勤務時間(拘束時間)の長い仕事なので、在宅し、のんびりする時間はそんなにないのだけど、非番の日は(外出しない限りは)日曜でもないのに終日、在宅しているので、夜が長く深いかのような錯覚を抱いてしまうのである。
「YS2001のホームページ」の「季語(よ)」の頁によると、「夜長(よなが:長さを感じる秋の夜) [秋-時候] 別名⇒長き夜(ながきよ)、夜長し(よながし)」と説明してある。
この説明にあるように、夜が長いというより、長く感じるという点にポイントがあるようだ。
これから秋が深まるごとにもっと夜は長くなっていく。が、夏の日中の長さ、夕方の6時を回っても明るく、7時頃になってようやく街灯などが灯る、そんな夏の日々との対比で長さを感じる、という意味では、やはり「夜長」というのは、秋口の季語として使われるのが相応しいのだろう。
ちなみに、春は「日永」、「短夜(みじかよ)」が夏、「夜長」は秋、「短日」は冬の季語の季語である。
「夜長」という季語の織り込まれた句をネット検索して探していたら、上位のほうに、またも黛まどかさんの句が浮かび上がってきた(「黛まどか「17文字の詩」2000年10月の句」より)。
「チケットの行き先違ふ夜長かな」である。その鑑賞は、「旅の思い出を語り合いながら、二人で過ごした日々を懐かしみながら、互いの愛を確かめ合いながら、最後の夜を惜しんでいる二人。秋の夜は長いといいますが、翌朝に別れを控えた二人にとって、これほど短く感じる夜はないことでしょう」というから、このー、このー、であり、妬けることこの上ない。
もち、妬いているのは彼女にではなく、彼女と共に夜を過ごす彼氏にである。
どうも、みっともないし、惨めである。
なので、さっさと別の句を探す。
ということで、見つかったのが、「前略につづく夜長のエトセトラ」である。
鑑賞は、「秋の一夜、恋人に宛てて手紙を書きました。前略から書き始め、あのことも、このことも……と、書きたいことが次々とあふれてきます。好きな人へと書く手紙は、おおかたが長くなるもの。そのうえ、時は、秋の長い長い夜。たっぷりの夜を使って書く手紙は、いつまでも終わりそうにありません」とある。
何のことはない、同じく、黛まどかさんの句。くくくー、である。小生は昔、ラブレターは何度となく出したことはあるが、誰にも貰ったことはない!なんて、自慢にもならないので、急いで次に移る。
「夜長」には、「長き夜」という類語・関連語があることは既に書いている。その「長き夜」を「長い夜」と書くと、松山千春さんの曲名になる。彼は実にいい曲をたくさん、作られる。「大空と大地の中で」「季節の中で」「恋」「君を忘れない」など、どれも好きだ。
歌というと、文部省唱歌に「秋の夜長を鳴き通す ああおもしろい虫の声♪」と歌う曲があったけど、題名を忘れてしまった。
「長き夜」が「長々し夜」となると、柿本人麻呂の有名な歌「足曳の山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜を獨りかもねむ」となる。
評釈などは今は略する。「【百人一首講座】あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ─柿本人麻呂─小倉山荘 WEB本店」を参照願いたい。
蕪村に「山鳥の枝踏みかゆる夜長哉」という句がある。小生などは、柿本人麻呂の「…ながながし夜…」の歌をこの句を詠む誰もが知っていることを前提の句のような気がする。
この句でネット検索したら、「辰見クリニック 最新医学情報 秋の夜長の睡眠の話」なるサイトをヒットした。
長月という言葉についての説明のあと、「"夜長"という言葉は長月の季語でもあり、蕪村の句に、「山鳥の 枝踏みかゆる 夜長哉」というものがあります。これは、秋の夜の長さを山鳥の姿を借りて表現した句です」などと書かれている。
が、小生には、以下の一文に続く不眠症や睡眠障害の話が個人的に気になる:
「秋の長い夜を風流に、また、豊かに過ごすことができれば良いのですが、そのような人ばかりではないようです。多くの人にとって、長い秋の夜は、眠れない長い夜でもあるようです。一般に秋は夏の暑さが和らぎ、眠りやすくなると思われがちですが、夏の疲れを貯めこんだ心身は、そう簡単には眠らしてくれないようです。実際、秋は心身の変調をきたす人が多く、そのため不眠を訴える人が多くなる季節でもあります」
さて、文学関連の話に戻そう。ネット検索したら、「秋夜長物語」なるものがあることを知った。
「鳩子の忘れな草紙」の「『秋夜長物語』(中世稚児の物語)1」以下に、この物語の内容などが3回に分けて、分かりやすく丁寧に書いてある。
ネットでは、「『太平記』の1巻(古本系巻32に相当)を書写した袋綴本の折目を切り開き、内側の白紙部分に『秋夜長物語』および各種の記事を書写した、特異な形の合写本」の画像なども見ることが出来る。
俳句の季語では、「夜長」(あるいは「長き夜」)という表現だが、「東京雑学大学HP」の「151回 何時頃から秋の夜は長くなったか? 10年11月1日 林 勉 帝京大学文学部教授」によると、「万葉集」には24例の「長夜」があるとか。
このサイトの御蔭で、大伴家持に「今よりは秋風寒く吹きなむを いかにか独り長き夜を寝む」なる歌のあることを改めて再認識させてもらった。
柿本人麻呂の歌「足曳の山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜を獨りかもねむ」には、「秋」と銘打ってはいないが、秋の歌なのは明白(?)なのだろう。一方、大伴家持の歌「今よりは秋風寒く吹きなむを いかにか独り長き夜を寝む」には、秋風なる言葉が織り込まれている。「何時頃から秋の夜は長くなったか?」にも指摘されているように、この辺りで、「長き夜」が冬ではなく、秋ということに定まっていったのだろうか。
「夜長」の句は、ほかに、「よそに鳴る夜長の時計数えけり 杉田久女」「長き夜の水流れたり大井川 河東碧梧桐」「夜業人に調帯〈ベルト〉たわたわたわたわす 阿波野青畝」などが目立った。まだまだ見つかりそうである。
読書の秋、食欲の秋、馬肥ゆる秋、スポーツの秋、芸術の秋、散歩の秋といろいろある。でも、長い夜は時に眠れないままに誰にも心の渇きを覗かせることのあることを思うと、飽き飽きの秋、渇望の秋でもあるような。
夜長とて時計の刻み変わらざる
行く川の変わらざりしを知る夜長
虫の音の途切れざるよな夜長かな
壁の穴覗き続ける夜長かも
求め合い焦がれ続ける長き夜
あくがれて深き淵見る夜長かな
病み伏して明けることなき夜長かな
眠れずに夜明け迎える夜長かな
真綿にて夜長の首を括りたし
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コメント
初めまして!
お邪魔させていただきました。
大変興味深く読ませていただきました。
黛まどかさんの句はなかなか☆
ほかの作品も観てみたくなりました^^
トラバありがとうございます。
わたしもお願いします☆
投稿: ある | 2005/09/26 21:02
あるさん、来訪、コメント、トラバ、ありがとうございます。
人気サイトなのですね。
黛まどかさんの句は人気があるようです。ネット検索すると、しばしば上位に顔を出します。
投稿: やいっち | 2005/09/27 01:04
初めまして♪
この記事でご紹介していただいた「鳩子の忘れな草紙」の
「『秋夜長物語』(中世稚児の物語)1」は、次のURLに変更になりました。
http://hatopia.blog10.fc2.com/blog-entry-172.html
こちらのブログも、けっこう面白いお話がたくさんあるんですね(*^o^*)/
投稿: 鳩子 | 2006/08/02 21:19
鳩子さん、わざわざご指摘、ありがとうございました。
早速、URL、変更させていただきました。
改めて、記事を参照させていただいたこと、お礼申し上げます。
投稿: やいっち | 2006/08/02 22:01