花野にて…言葉という頚木
「季題【季語】紹介 【9月の季題(季語)一例】」を眺めている。漫然と。どの季語・季題にも俳句に関わってきた人の重みや思い入れがあるのだろう。
ただ、そのことが本来は詠むだけではなく自作を試みるのも誰にも手出しが容易なはずが、下手に口出しや感想めいたことを書くのをためらわせてもいる。個々の季語に歴史的な背景があり、有名な句があって、知らないでは公の場では恥を掻く。
もっと気軽に俳句の世界に馴染み親しんでいっていいじゃないか。知識などなくたっていいじゃないか。口を突いて出てきた5・7・5の短詩をその表現のままに楽しんでいいじゃないか。その言葉が俳句に造詣の深い人なら、季語だよ、しかも、季節外れな使い方になってしまっているよ、あるいは複数の季語が重なって使われていて、詠むだに不自然極まりないよ…。
その意味で、「ひとりごとの夕べ.句日記」なるサイトの句の数々は、小生、好きである。俳句の専門家はどう思われ評価されるのか分からないけれど、「日常的風景から」「五・七・五のリズムでホロ。。と出てきた言葉」だという句の数々は、詠んで実に楽しい。
伝統があることが俳句の世界に飛び込むのをためらわせる。窮屈にさせてしまう。誰もが知っているべきことを自分は知らないのじゃないか。こうした表現の仕方は、間違っているんじゃないか…。
小生など、季語随筆と銘打って、こうして季語や俳句の周辺を勉強しているけれど、遅々たる歩みなのは最初から覚悟の上だけれど、もっと自由に奔放に表現したいという衝動に常に駆られてしまう。
変に知識ばかりが増えると、規律と規格と因習に雁字搦めになってしまって、そこそこに素養を貯えた頃には、もう自作を試みるなんて気力が萎えてしまっているかもしれない。
で、間違っても、他人様の目に触れる形では、句作を試みようなどとは思わなくなってしまうかもしれない。
その点、造詣があって、且つ、新鮮で独自な句作活動を展開できる方というのは、素朴に凄いと感じる。
まあ、自分がどのような境に至るかは、全く不明だ。適度に真面目に、適度に気楽に、俳句の道を、それこそ道草しつつ、時に迷子になりつつ、歩くこと自体を楽しみつつ歩いていければいいのだと思っている。
また、俳句や川柳について自作を試みようと思い始めて一年余りに過ぎないのだ。先は長い。無精庵を自称する小生らしく、のんびり行こう。
上掲の季語例の表を眺めていて、まさに脇道に逸れてしまった。今日は何故か、表題に掲げた「花野」に目が向かった。昨日は「虫」関連だったので、虫さんの好きなのは花(の蜜)ということで、なかなか自然な流れなのかな。
「花野(はなの)」とは、「秋草の花が咲き乱れた野、白や黄、紫など可憐な花が多い」ということで、類義語・関連語に「花野原 花野風 花野道 花野人」があるようだ。
無論、秋(旧暦の9月頃)の季語。
つらつら眺め渡してみると、「秋の野(あきのの)」という季語があることに気付く。「秋の野原、花野というほどには花は咲いていない」で、類義語に「秋郊 秋野 秋の原 野路の秋」などがある。
ということは、時期的にも、また、実際の風景からしても、「花野」よりも「秋の野」のほうが、感覚からして選ぶに相応しいのか…。
小生など、住宅街の一角に居住している。近くには児童公園があるくらいで、大人がのんびり出来る公園となると、ちょっと足を伸ばさないといけない。目にできる草花というと、従って、住宅の軒先や塀越しに垣間見られる、手塩に掛けら育てられた花々。
庭先の狭い一角を彩るに過ぎないので、咲き乱れるという表現を使うのは、大袈裟になってしまう。それでも、咲き揃う花々は、「白や黄、紫など可憐な花が多い」のも事実なのである。
住宅街の花の風景というのは、草花の占める面積という意味では、「秋の野原、花野というほどには花は咲いていない」のだが、花々の多彩さという観点からすると、色合い的にも原色の花も多く、何かしらの花が絶えることもないわけで、秋の野よりは咲き揃っているとも言える気がする。
結構、微妙だ。明治や大正や、昭和の半ばまでの風景を前提にしている多くの古来の名句(の詠まれた舞台背景)とは、そもそも眺めえる風景がまるで違う。山野や郊外に足を運べば、昔ながらの野原や秋の野にも出会えるのだろうが。
それにしても、「花」というと「桜」で、春のはずなのに、「花野」となると「秋」を意味するとは、不思議だ。どういった伝統や由来があるのだろうか。それが、「秋の野」だと、「秋の野原、花野というほどには花は咲いていない」光景を含意する。この知識を知らないでは、うっかりこれらの季語も使えない。使いこなすなど、論外なのだろう。
まあ、単純素朴な想像を巡らすと、「野」という言葉に秘密があるのだろう。野に咲く地味な、健気でもある草花というイメージが加わるのだろうとは思う。そう、花、それも可憐な野の花であり、決して華やかな花ではない、また、野の草にも眼差しが、心が向けられている。惹かれている。
あるいはまた、「花」に「野」が組み合わされることで、そこにまた微妙な言葉の綾が生まれ、また、新しい境位が、表現の新天地が生まれたのでもあろう。
特に、「野路の秋」といった、小生の大好きな言葉がある。季語でもあるようだけど、この言葉の連なり自体が、既にもう一個の詩を成している。茫漠たるような、懐旧の念に駆られてやまないような、切ない、懐かしい感覚が胸に湧き上がって来る。
この「野路の秋」については、稿を改めて取り組んでみたい。じっくり味わってみたい。
尤も、大急ぎで注釈しておくべきかもしれない。「「野」という言葉に秘密があるのだろう」というのは、小生の憶測に過ぎない。間違っても、小生の勝手な説明を援用しないように。
古典に詳しい方なら、「秋萩(はぎ)の花野」なる語句を脳裏に思い浮かべておられるに違いないのだし。
ここは例によって小生が頼りにしている贔屓のサイトに登場を願おう。「たのしい万葉集」の「(2285) 秋萩の花野のすすき穂には出でず」なる頁を見てみよう。次の歌が載っている:
秋萩の花野のすすき穂には出でず我が恋ひわたる隠り妻はも
もう既に「万葉集」の世界で、「花野」というと、「秋萩(はぎ)の花野」という連想が定着してしまっていたのかもしれない。
そもそも、「万葉集 萩(はぎ)を詠んだ歌」なる頁を覗けば分かるように、「万葉集」には、「萩」を詠んだ歌が実に多い。その「萩」と「花野」がタグを組んだのだ。その伝統の頚木(くびき)は確固たるモノなのだろう。
しかも、ここにさらに、「香川県のニュース:9月11日付・一日一言」によると(小生は未確認なのだが)、「鎌倉時代の玉葉集に「秋草の花野」と詠まれた例」があるというのだから、花野というと秋に決まり、なわけである。
ただ、それにしても、小生の勝手に思う、「野」という言葉の持つニュアンスや重みが秋のイメージに預かって大きいという考えも捨てきれない。未練がましいか…。
ああ、それにしても、厄介な話だ。先輩方の努力や体験や句作表現の苦労があるし、その労苦を偲ぶべきなのだろうけれど、そうした造詣を前提にしないと句作が公には出来ないというのは、どこか話が転倒しているような気もする。
花の頚木に苦しめられているような。けれど、これも日本語での表現を志す以上は致し方ない、耐えるべき重みということなのだろう、ね。
願わくば、頚木に窒息する前に、少しは自分なりの花の野を見出したいものである。
我が道の寂しき景色花野埋む
角々の鉢見目を閉じ花野かな
野路の秋人影追える我なるか
花野とは遠くにあって思うもの
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コメント
坪内稔典著『俳人漱石』(岩波新書)を読んでいたら、偶然、「花野」と「夕月夜」の二つの言葉(季語)の織り込まれた与謝野晶子の歌を発見。
何となく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな (『みだれ髪』より)
意味合い的には、季語としての「花野」でも、「夕月夜」でもないのだろうけれど。
(季語の「夕月夜」の意味は、「夕月夜…秋の月をめぐって」を読んでね。)
それにしても、漱石の俳句は味わいがあるし、視点が独自だ。しかも、漱石の俳句の上達の早いこと。さすがだ。
読んでると、劣等感と嫉妬心を覚えちゃうね。
投稿: やいっち | 2005/09/14 00:19
やいっちさん、はじめまして。「雪月花 季節を感じて」の雪月花です。当方へお越しいただきコメントまで頂戴してうれしかったです。
うれしかったことがもうひとつ。実は、こちらのサイトさまは、すでにわたしのお気に入りに入っていたのです。これは偶然でなく、必然でしょうか。わたしもいつかTBを打たせていただきたいと、願っておりました。それで、お先に打っちゃいました!(失礼しました) ぜひ当方にもTBで足跡を残してくださいませ。今後もよろしくお願いいたします。
花野‥この言葉が秋の季語であることを知ったとき、わたしも少なからず考えさせられました。与謝野晶子の「何となく‥」の歌はとても好きなのですが、やいっちさんのおっしゃるとおり、やはり「野」がキーワードでしょうね。「野分」、そして万葉人の「秋風は 涼しくなりぬ 馬並めて いざ野にゆかな 芽子(はぎ)が花見に」の「野」は、どうしても秋なんですもの。‥こんな、美しい言葉の思索はほんとうに楽しいですね。
徒然草は、わたしの座右の書です。十五夜には吉田兼好先生とちょっと戯れますので、よろしければまた遊びにいらしてください。お待ちしております。 ご挨拶まで‥
投稿: 雪月花 | 2005/09/15 22:31
雪月花さん、早速の来訪、コメント、TB打ち、ありがとうございます。
今は事情があって、帰省中なのです。帰京したら、早速、小生としてもTBさせていただきます。
「野」がキーワードだという見解、理解を頂いてうれしい。
覗くのが楽しみなサイトができて、これまた実にうれしいです。いろいろ勉強させてくださいね。
投稿: やいっち | 2005/09/15 23:39