蚯蚓(ミミズ)鳴く…はずないけど
「季題【季語】紹介 【9月の季題(季語)一例】」を覗くと、「くつわむし、蚯蚓鳴く、螻蛄鳴く、地虫鳴く、蓑虫、芋虫」といった季語が並んでいることに気付く。啓蟄でもないのに、どうして9月の今頃、虫に関連する季語が多いのか。
「蚯蚓鳴く(みみずなく)」は、不思議な季語だ。ミミズが鳴かないのは誰だって知っている。あるいは高周波とかで人間の耳には聞えない音が鳴らされているのかもしれないが、聞えないことに変わりはない。
「インターネット俳句大賞・八木健選・9月の結果」を覗くと、「地に這ひて蚯蚓の声に耳澄ます 峯松實」なる句に寄せて、「「蚯蚓」は夏の季語 「蚯蚓鳴く」は秋の季語である。この句は、秋になりかけている頃だろう。季節の境界は厳密なものではない境目だってあるのだ。そろそろ秋だ。蚯蚓が鳴きはじめる。ということだろうが現実には蚯蚓は鳴かぬ。想像の世界である。それを承知の上の洒落た作品である」といった鑑賞が載っている。
蚯蚓は鳴かないと分かっている…想像の世界と分かってもいる…「でも、それを承知の上の洒落た作品」を生み為す。それが俳句の醍醐味の一つなのか。
上掲の虫に関する季語例で、「蚯蚓鳴く」に続き、「螻蛄鳴く」が掲げられている。どうやら、この季語に秘密があるような。
「螻蛄鳴く」は「(けら)なく」と読む。こちらは正真正銘、鳴く。最近は耳にしているのかどうか分からないが(耳にしていても、それが「ケラ」だとは気付いていないかもしれない)、結構、大きな鳴き声。
昔は、この螻蛄(けら)の鳴き声を蚯蚓(みみず)の鳴き声だと思われていたらしい。
が、一旦、「蚯蚓鳴く」が季語として自立すると、そこに想像力が作用し、上掲の「地に這ひて蚯蚓の声に耳澄ます」のような遊び心タップリの句が生まれてくるわけだ。
子規は写生を唱えた。それも一つの方図なのだろうけど、想像の余地、遊び心がなくて、何の俳句かとも小生は思う。芭蕉だって、「荒海や佐渡に横たう天の川」などのように、かなり大胆に想像の翼を羽ばたかせていたじゃないか…。
それでも、個々の事象や日々の生活から離れてなど、俳句が成立しないのも事実。最後の最後に句が句として認められ感じられ、何かの折につい口を突いて出てくるような人口に膾炙する作品となるかどうかの決め手は、事実の観察であれ想像の翼があってこそ届きえる月の裏側の世界であれ、表現する句に何かしらの(生活実感か、好奇心の賜物か、己を圧倒する自然の驚異の念か、人間の業に左右されてしまう己の愚かしさの自覚と、それでも我が身・我が心を睥睨し、あるいは哄笑する余裕の感じ)リアルなものが示されているかに掛かっているような気がする。
尚、「蚯蚓出(きゅういんいず)」だと、「蚯蚓(みみず)が地上に這い出しはじめる季節」ということで、夏の季語(初夏)のようだ。
さて、以下、先月、メルマガにて配信した記事を掲げる。題材は、「ミミズ」に関することもあって、ちょうどいい機会かな、と。
皆さん、こんにちは。残暑、厳しいですね。猛暑が…もうしょっと続きそうです。
秋めくもその先長い残暑かな(「秋めいてからが長ーい残暑かな」改め)
★動物生態学者の中村方子氏とミミズの研究
金曜日はタクシーの営業の日。まだお盆気分が抜けないのか、仕事のほうは今一つ、パッとしない。となると、楽しみなのはラジオと読書である。
車中に持ち込む本は、読みやすい本、活字の大き目の本、本としては嵩張らないものという選択基準があって、金曜日は前日に図書館で借りてきた、池田 晶子著の『オン!―埴谷雄高との形而上対話』(講談社刊)である:
念のため、出版社側のレビューだけ転記しておくと、「埴谷を興奮させた50歳下の若き女性哲学者ハニヤユタカ、イケダアキコ、それぞれの固有名で扮装した「よく似た意識」が遭遇して9年。思想史上のエポックともいうべき86年と92年の対話、流浪の処女論考「埴谷論」の決定稿、ほか、この1冊が、埴谷雄高を「難解」から解き放つ。いざ、スイッチ・オン!」だとか。
本書については後日、採り上げることがあるかもしれない。
[ 実際、「池田晶子と埴谷雄高にオン!?」(August 26, 2005)にて採り上げました。 (05/09/11 注記)]
ラジオでは音楽とニュース番組を主に聴いている(勿論、お客様が乗られている間は、ボリュームを下げるかオフにする)。
金曜日もあれこれ音楽を聴いたり、話を聴くことができたが、そんな中、小生には初耳の名前だが、動物生態学者である中村方子氏の話を聴けたので、せっかくなのでメモ書きしておきたい。
話は、NHK関西発ラジオ深夜便[インタビューシリーズ「私の戦後60年」アンコール(5)]でのこと。アンコール(5)とあるが、小生が聞いたのは、昨夜が最初で今のところ最後である。
何故、敢えてメモする気になったかというと、枯葉剤(ダイオキシン)を是認する研究を拒否したため、研究室の教授によって干され、全く研究できないまま15年、耐え続けたという根性に感動したからである。
企業や社会の要請があってこその研究であり、研究費の助成がある。少々の社会への負の影響があっても目を瞑ってこそ、研究が続けられるという現実がある。
そんな中にあって、信念とはいえ、是は是、否は否としていたら、学者などやっていられない…。でも、彼女は、教授の指導する枯葉剤(ダイオキシン)を是認する研究に対し、否という姿勢を貫いてしまった。15年も。
ダイオキシンもそうだが、水俣病でも、一部の研究者には早くから当該企業の垂れ流す有機水銀の環境や魚介類、人体への悪影響は認識されていたが、国や自治体、企業、一部の住民の利益や利害を優先したために、十年以上も対策が遅れてしまったという現実がある。
悲しい現実である。あるいはアスベストの被害も、行政側や企業側(産業界)などの都合が優先された結果、一部の研究者が仮に認識していても、早い段階の対策に繋がらなかったのかもしれない。
ラジオで聞きかじった話によると、研究室で久しく燻っていて、後に続く若手から、彼女が研究室から去ることを期待されながらも(彼女がいなくなることで助手のポストが空く!)頑張ってきた彼女を救ったのは、海外の大学(研究機関)だったという。
新天地で彼女は研究する喜びに出会ったのだし、今日の彼女(の研究)に繋がるわけである。
全く、日本という国の内向きなこと!
さて、中村方子氏のことは初耳である。また、彼女の著書は全く未知であり、当然ながら未読である。
ただ、今後のため、どんな本があるか、調べておくことにする。機会があれば、読むこともあるだろう。
まずは、『ミミズに魅せられて半世紀』(新日本出版社)で、出版社側のレビューによると、「荒れ地を変え、土壌をつくるミミズの役割を論じたダーウィンの著書にふれて、ミミズ博士になった女性科学者の半生。枯葉剤を是認する研究を拒否し、女性差別に屈せず、ガラパゴスやギアナ高地などを駆けめぐる博士の奮戦記。」とか:
順番が違うかもしれないが、このサイトには著者略歴が載っているので、転載しておくと、「1930年東京都生まれ。お茶の水女子大学理学部動物学科卒。理学博士。東京都立大学理学部助手を経て、現・中央大学経済学部名誉教授(生命科学担当) 」とか。
ほかに、『ヒトとミミズの生活誌』(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー)があり、同じくレビューによると、「四億年以上地球上に生きつづけてきたミミズとヒトは、どんな係わりをもってきたのだろうか。その考察のうえにミミズが生態系にいかに重要な生物であるかを示し、今日の環境破壊に警鐘を鳴らす。」とある:
さらに、『ミミズのいる地球 大陸移動の生き証人』(中公新書)があって、レビューでは、「地球上に登場して四億年の歴史を有するミミズは、その分布から大陸移動の根拠を与えてくれる。また、ダーウィンの晩年の書物『ミミズと土』にあるように、ミミズは生態系の一端を担っている。著者はポーランドでの生態学調査を皮切りに、ケニア、ハワイ、モンゴル、ガラパゴス等々へ、シャベル持参で採集調査に出かけて、思いがけぬ発見をする。オーストラリアへは巨大ミミズの見学に訪れる。小さなミミズが大きく見える異色の本。」となっている:
最後の『ミミズのいる地球』へのレビューにもあるように、中村方子氏は、ダーウィンによるミミズの研究を(気持ちの上で)受け継ぐ形で研究している。
このことは、「ダーウィンが始めたミミズ研究」という対談などでも、彼女の話として伺うことが出来る:
彼女の動物への興味は、「生き物に対してはっきりとした興味を持つようになったのは、4歳の夏です。小さい頃は、夏になると毎日セミを追いかけていましたが、ある朝、真っ白なアブラゼミを見つけたんです。いつも見ているセミと違うなと不思議に思ってじっと見ていると、その真っ白な羽の中にスッ、スッと体液が流れていく、そしてだんだん見慣れているセミの姿に変わっていったんです。それはすごく感動的でした。」とあるように、筋金入りである。
偏見かもしれないが、今はともかく(恐らく今でも)彼女がお子さんの頃は、女の子のくせになどと言われたのではないかと思ったが、さにあらず、「私は小さい頃から「女の子だからそんなことをしてはいけません」とか「女の子だからこうしなさい」といったようなことは一度も言われずに育ちましたので、そのまんま、動物学科に進んでしまったんです」だって。
彼女がミミズ(の研究)に関心を抱いたのは、「大学3年生の夏休みに、チャールズ・ダーウィンの晩年の著書「ミミズと土」(1881年)を読んだんです。それがたいへん面白くて、そこからミミズに対する興味が湧いたんです」という。
進化論で有名なダーウィンだが、彼は終生、ミミズの研究に関心を抱き続けていたことは知られている。
小生も、デヴィッド・W・ウォルフ著『地中生命の驚異』(長野敬+赤松眞紀訳、青土社刊)の感想文の中で、この件について多少、触れている:
なんたって、「本書の帯には、大きな文字で、「ダーウィンはなぜ、ミミズに熱中したのか?」」とあったりするのだ!
とにかく、対談の中にあるように、ゴキブリと比べてもミミズは地味な存在である。目立たない。だから日本でも研究が遅れて来たのだと中村氏は語っている。「だけど、恐いのは、ミミズが住めなくなった土地というのは、結構大きな問題だということに、あまり皆さん気づいていないということです」という中村氏の指摘は、以って銘すべきだろうし、近年は、ミミズの住めない土壌(土地)は危ないのだということなどは、少しずつ理解されつつあるのではなかろうか。
(メールマガジン:05/08/21号より)
蚯蚓鳴くオイラにもっと光をと
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