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2005/09/29

鶏頭…無常か永遠か

 テレビでだったろうか、「草紅葉」という言葉を聞いた。知る人は知っているのだろうけど、小生には初耳。聴いた途端、いい言葉だと感じた。……書いていて思い出したが、そうだテレビで「草紅葉」という言葉を聴いたのだ。
 それで、思わず画面に見入ったら、記憶が曖昧だが、尾瀬だったかの風景が目に飛び込んできた。
 ネット検索すると、「尾瀬に「草紅葉」の季節が到来 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)」という記事が現れてくる。
 詳しくはリンク先の頁を覗いて欲しいが、「群馬、福島、新潟3県にまたがる日光国立公園・尾瀬で、草や低木が美しく色づく「草紅葉(くさもみじ)」の季節が始まった」という。
「草紅葉は、例年よりやや早く10月初旬に最盛期となり、湿原を囲む2000メートル級の山々の紅葉は、1週間ほど遅れて見ごろを迎えそうだ」とか。
「草紅葉」なる言葉、いかにも歳時記か季語にありそうな言葉である。調べてみたら、案の定だった。「季題【季語】紹介 【10月の季題(季語)一例】」に載っている。早速にも採り上げたいが、来月まで取っておくことにする。「10月は季題が一年の中で一番少ないよう」だというから、尚更、せっかちな性分の小生も、自制するに越したことはないのだ。
 そこで、「季題【季語】紹介 【9月の季題(季語)一例】」を眺めてみると、今日は何故か、「鶏頭」に目が合った。
 正直なところ、幾度となくこの季語には目が向いているのだが、子規の有名な句のこともあり、やや食傷気味。今更、書き足すことがあるだろうかと、手が出しにくかったのだ。
 でも、9月も終わりに近付いている。明日29日は仕事で何も出来ない。仕事が明けた30日になったら、他に何か書いてみたいこと、触れてみたい季語に出会うかもしれない。
 こうなったら、最低限のことだけでも、「鶏頭」について書き綴っておこう。

 鶏頭や鳫(かり)の来る時なをあかし   芭蕉

 恥を晒すが、前にも書いたように、小生、「鶏頭」を文字通り、鶏(とり)の頭だと思っていた。子規の有名な句、「鶏頭の十四五本もありぬべし」に出てくる「鶏頭」も、病床に臥す子規が寝床からガラス窓越しに見た庭に、恐らくは子規の体に栄養になるようにと、鶏(ニワトリ)小屋があり、毎日、出来てくる卵を子規が食べるのだと思っていた。
 卵を採るためのニワトリ。でも、寝そべる子規にはニワトリの姿の全貌など見えず、頭の辺りばかり、つまりはトサカばかりが目線の端っこに引っ掛かる。そのニワトリの十数個の頭が、頭というより窓ガラスの下側の桟(さん)から真っ赤な何かの植物のように風に揺れているように見えて、思わず、そんな句を捻ってしまった…。
 そんな解釈をずっと小生は後生大事に抱えていたのだった。その誤解が解けたのは、つい数年前のことだった。
 このことも、小生が「鶏頭」なる季語を採り上げるのが億劫となる原因の一つであることは否定できない。

 俳句を嗜む人でそんな小生と同じような迂闊な誤解をしている(いた)人は、世の中にそんなにはいないと思うけど(一人や二人はいると思いたい! 中には今、たった今、あら、そうっだったのかと気付いた人もいるのでは!)、念のため、「雄鳥の鶏冠(とさか)のようなので,この名前がつきました。小さな花の集合です」という鶏頭の画像を見ておこう:
ケイトウ(鶏頭)
鶏頭 (ケイトウ)

 鶏頭を切るにものうし初時雨    子規

 これも以前、書いたが、「子規に鶏頭の句が多いが、鴎外がその種持ち来た」のだった。


「鶏頭(けいとう)」には、「鶏頭花(けいとうか)」「槍鶏頭(やりげいとう)」といった別名がある。
「鶏頭」が秋の季語なのは、開花の時期の故なのだろう。
 漢名も「鶏冠花(けいかんか)」だと上掲のサイトに載っている。
 さらに、「わが屋戸に 韓藍蒔(ま)き生(おほ)し 枯れぬれど 懲りずてまたも 蒔かむとそ思ふ」(山部赤人 万葉集)や 「秋風の吹きのこしてや鶏頭花」(与謝蕪村)のあることも教えてくれた。
 後者の蕪村の句、一読して、「五月雨の降のこしてや光堂」(芭蕉)を連想するのは小生だけだろうか。句の形式というか構造、句作する発想法が似ている。

 ネット検索していたら、「鶏頭を育てて隠れ切支丹」(福島 勲)なる句を見つけた。何か謎めいているような、曰くありげな句である。今はメモだけしておく。

 メモついでに、ネット検索していたら、半世紀も昔、「俳壇では、昭和24年11月から翌年夏にかけて、志摩氏が子規のこの句を否定する一文を発表したことに端を発して<鶏頭論争>なる「事件」が起きた」という記述が見つかったので、これも転記しておきたい。
POETICA IPSENON [Library]+[CREEK]」の中の、「詩歌つれづれ(2)  橘 恭子」なる頁を覗く。その(9)「俳句をダメにした人たち 志摩芳次郎 桑原武夫 子規 鶏頭論争」が当該の項。
 要は、子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」は凡句か秀句かの論争である。
『俳句をダメにした俳人たち』(中央書院刊)という題名の本で、著者の志摩芳次郎は、子規のこの句は、「「鶏頭の鮮烈な色ほど秋を感じさせるものはないのに、子規のこの句は色彩感覚が欠如している」とし、凡句の扱い」しているとか。
 飯田蛇笏・角川源義・石田波郷らが志摩芳次郎の否定論の側に立ったとか。
 逆に、林火・不死男・三鬼・誓子・静塔らは子規のこの句を認めていたとか。

 この頁(項)には、「鶏頭」の織り込まれた句が多数、載っているので、それだけでも参考になる。
 また、続く、(10)の「虚子 鶏頭句 非在と実在」も一読。虚子の「柿売りしあと鶏頭の小家かな」という句を引き合いの小論が面白い。この句、子規の家(の庭)で作られたのだろうか。

 さて、小生の手に余るので、最後に取っておいたのだが、「俳句回廊」というサイトの、「季語1611」なる頁が面白い。
 鷹羽狩行の「鶏頭」という言葉の絡む句を一覧できる。
 数個だけ転記する:

 鶏頭の肉かたく汝も中年か
 首根つこ押へ鶏頭曳き倒す
 荒縄でぶらさげる鶏頭の束
 鶏頭の種しごかれてなほ立てる
 
 鶏頭の四五本の闇おそれけり

 どれも生々しい。小生が誤解していた鳥の頭(トサカ)の意の鶏頭が句に織り込まれているのではないかと、まさしく誤解しそうな句の林立が壮観である。
 この頁の句の行列のあとの冒頭の一文に、「壮観である。蔑み、侮り、虐げる。したい放題、言いたい放題。口も利けない抵抗もできない鶏頭に向かって思いつくかぎり矢継ぎ早に言葉を浴びせかける。鶏頭と見た瞬間、聞いたが最後、反射的・本能的に悪口雑言と乱暴な仕打ちが次から次に出てくる。まるで天敵への仕打ちである」とあるが、同感するしかない。
 以下に続く鑑賞文を是非、一読願いたい。
「これほど手荒になる理由は強靭な生命力への脅威があるからだ」という。また、「鶏頭虐待の理由は他にもある。日本人が美しいと感じる対象は雪月花に極まる。はかないもの、滅びゆくもの、移りゆくものであるが故に美しいとされる。ところが鶏頭の生命は、長く、太く、強い。これが日本人の美意識にはそぐわない」とも筆者は書いている。
 言うまでもなく、鷹羽狩行のこれらの句の背景(土台)には、子規の詠んだ「鶏頭の十四五本もありぬべし」がある。病に冒され死の床にある子規。一方、旺盛というか貪欲な生命力を示す鶏頭。鴎外のくれたという鶏頭は、子規の心を慰めたのか、それとも病む体に苦しむ子規をせせら笑ったのか、あるいは、己が死病に冒されているからこそ、生命力の象徴であり、間近な庭にあって天に向かって咲き誇る姿に望みのような、希求のような遥かな思いを寄せていたのか。
 贅言は止そう。この頁の論を一読してもらえば済むことだ。
 最後に、子規が鶏頭の花の咲き始める頃に亡くなったことは思い出しておいてもいいかもしれない。末期の時、子規が庭の様子を伺うことができたかどうか、小生は知らないのだが。

 最後に鷹羽狩行の句を一つ:

 血の匂ふもののごとくに枯鶏頭    狩行

 さて、小生も負けずに句の四五個の飛沫、飛ばしてみよう!

 
 鶏頭の血の滴るや窓の外
 鶏頭や血の雨の降る時至る
 鶏頭や血反吐も呑んで咲く花か
 鶏頭や六尺の庭に咲いてみよ
 あの世へと目を凝らせよと鶏頭の咲く
 ただ咲けるそれがあの世への道標(みちしるべ)
 鶏頭の咲いている間の短き世

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コメント

やいっちさん
ケイトウの花は「鶏頭の花」だったのですね。恥かしいけど、ケイトウの花を見て、子供の頃から毛糸みたいだからだ、、と勝手に思ったりしていました。
そういえば、ニワトリのトサカみたいですよね!
なるほど~、、と思いました。

ケイトウや 毛糸でなくて ああ鶏冠

投稿: さくらえび | 2005/09/30 11:56

そうそう、ネットで調べてみたら、ケイトウの耳で聴いた音から毛糸と思ってらした方も結構、多かったみたい。
小生は、本や雑誌でこの句を見たので、ケイトウはあくまで鶏頭という表記を思い浮かべていた。
が、そこまではよかったけれど、小生、鶏頭を鶏冠(トサカ)だと思い込んでいたわけです。植物の名に、そんな変な名前があるとは思いもよらず。
ホント、トサカに来ますよね。

> ケイトウや 毛糸でなくて ああ鶏冠   (さ)

    思い込み赤恥掻いてああ鶏冠   (や)

投稿: やいっち | 2005/09/30 13:35

こんにちは~
鶏頭は強いですよ!毎年ニョキニョキ出てきて、増えて行く。ついには抜かれてしまったのを、記憶してます。
ビロードのような手触りは好きですが、あの赤はキツイと思います。今は色んな品種が出まわって可愛いのもありますが。

投稿: ちゃり | 2005/09/30 16:51

ちゃりさん、こんにちは!
> 鶏頭は強いですよ!
 
そんな話を聞きますね。子規の庭に植えられたのは、そんな旺盛な生命力を子規に、という願いだったのだろうか。
疑問なのは、鶏頭でも、どんな種類の鶏頭なのか。調べきれなかった。

> ビロードのような手触りは…
 
 写真(画像)では手触りは分からない…。そういえば、触ってみたことがない。近所にないか、探してみよっと。

投稿: やいっち | 2005/09/30 19:31

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