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2005/08/07

落雷…盆踊り…石垣…人垣

 新聞を取っていないので、テレビ欄もネット上でニュース記事を読む機会が多い。
 ニュースの記事を漫然と眺め、クリックを続けていたら、小さなニュースが目に飛び込んできた。それは、「<落雷>盆踊り中の10人負傷 島根・邑南町 [ 08月06日 10時18分 ] Excite エキサイト ニュース」という見出しの記事。毎日新聞の情報らしいが、記事の全文を読んでも呆気ないほど簡単な内容:

 5日午後7時15分ごろ、島根県邑南(おなん)町上亀谷、特別養護老人ホーム「ゆめあいの丘」広場で地域住民ら約100人が盆踊り中に落雷があり、うち保育園児2人を含む10人が負傷した。いずれも軽傷という。  島根県警川本署の調べでは、同7時ごろから盆踊りが始まり、直後に雷雨が激しくなって踊りのやぐら付近に落雷があったという

 読むと、「5日午後7時15分ごろ」の落雷による被害らしい。そんな小さな事件が(被害に遭われた方たちには申し訳ないが)6日の午前になっても記事のメニューの中にあるというのは、ちょっと不思議。

 さて、どうしてこんな耳目を奪うわけでもなさそうな記事が小生の目を一瞬たりとはいえ、釘付け(大袈裟!)したのか。
 実は、島根県は松江市では盆踊りが行われない、という話を以前(数日前!)、ラジオか何かで聞いたことがあるからである。事件の現場は、島根県邑南(おなん)町とある。ここは、島根県邑智郡邑南町という住所だから、松江市というわけではない。
 だから、昔、松江市は盆踊りをしないという決め事があったとしても(今もあるのか、いや、その前に、昔、そんな決め事があったのかも詳しくは知っている訳ではない…)、邑南町には預かり知らぬことなのかもしれない。

 せっかくなので、松江市では盆踊りが行われない、という話、聞きかじりの話をネットを通じて、調べてみたい。
 早速、ネット検索結果の上位に「小泉八雲・Lafcadio Hearn(松江、明治の文豪、小泉セツ、怪談、アイルランド、ラフカディオハーン、松江の七不思議)」が現れてくれた。
 その検索の引用文には、「娘のたたりが伝えられる松江城の石垣, 築城中のある夏、松江でも盆踊りがあった 不幸 は、その娘が美人で 踊りの名手だったことから ... この人柱で石垣は無事、完成したが 松江では娘の盆踊りは禁止された 娘が踊ると、城が石垣から天守のてっぺんまで ...」とあるではないか。
 ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)というと、小生が学生時代から社会人になりかけの頃、傾倒していた作家だ。
 ハーン(現地では涸れの滞在当時、ヘルンと呼ばれて親しまれていたようだ)のことについては、ほかでも書いたし、ネットで情報を豊富に入手できるので、今回は立入ったりしない。
 今は松江市と盆踊りのことだけ。
 上掲サイトの「■■松江の七不思議■■<小泉八雲「松江の七不思議より」>」なる項の一つに、以下の一文がある:

④:松江城の人柱:  何度も崩れる石垣の下に、お祭りで踊っていたある美しい女性が人柱として生き埋めにされました。石垣は崩れなくなったものの、城が完成してから、盆踊り禁止令が出されました。それは、女性たちが盆踊りを踊るとお城全体が揺れ動くからだと言われています。

 この頁をさらに下までズラズラと読み下っていくと、「人柱にされた娘」という項があり、「娘のたたりが伝えられる松江城の石垣」の画像を付してあって、次のような一文が載っている(改行の一部を小生が都合上、勝手に変更):

築城中のある夏、松江でも盆踊りがあった 不幸は、その娘が美人で踊りの名手だったことから起きた よく目立ったために覆面の武士団にさらわれ どう積み上げても崩れる石垣の下に生き埋めにされたのである この人柱で石垣は無事、完成したが松江では娘の盆踊りは禁止された 娘が踊ると、城が石垣から天守のてっぺんまでぐらぐら揺れるからだという

松江市メールマガジン だんだん かわら版」をヒットした。「○ちょっといい話○●○ 八雲がたどった道 その二   先週に引き続き、八雲が訪れた地、山陰海岸です。」なる項に、「前回の関金町から山陰海岸に出て大栄町から中山町までを、旧道伝いに八雲が訪れた地を訪ね歩きました。 なかでも花見潟墓地は圧巻でした。海岸沿い何百もの墓石がびっしりと立ち並び、日本海からの風に吹き晒されていました。魂は海に帰っていく、そんな死出の旅の地にふさわしい光景でした。まさに八雲ワールドに入り込んでいくようなところです。」という一文がある。
 さらに、「中山町の妙元寺は、八雲が松江に来る途中見た盆踊りが行われたところで」以下の文などが続くが、ここで見た盆踊りが八雲に強い印象を与えたのだろうか。が、松江では盆踊りを見ることが出来なかった、何故、というとこで上記の怪談めいた不思議な話を聞いたのだろうか。

 盆踊りは八雲の興味を引いたことは間違いないようで、「徳島の盆踊り」なる著作も八雲にはある。
[ この記述は間違い。是非、コメント(August 16, 2005 10:54 PM)を読んでいただきたい。 (05/08/16 補記)]

2004.4.7除幕式の模様 八橋海岸に新名所誕生」という記事を読むと、「盆踊りに大変興味のあった八雲はセツと八橋の人たちと一緒に逢束の盆踊りを見に出かけました。逢束の人たちは、外国人が見物に来たというので、はしゃいで少しいたずらをしました。翌日陳謝されて「こちらが恥ずかしいほどであった」と記しています」という一文が目に付く。
 逢束の人たちが八雲(ら)にしたいたずらとは、どんなものだったのか。
 また、「八橋は静かできれいです。旅館もどこよりもよい宿です。不思議なことに海では誰も泳いではいません。それで私が水泳をすると町じゅうのひとが来て見物します。ここでも盆踊りがありません。私は八橋ではとても愉快でした。眠り、食べ、泳ぎ、まったく快適です。逢束では、特別な冒険をしました。~友人チェンバレン教授宛の手紙より~」というのも、「ここでも盆踊りがありません」などとあって、興味深い。
 但し、八橋など伯耆地方は鳥取県のようだが。

 さて、これまでの情報だと、松江などでは盆踊りが禁止されていたらしい、松江城の石垣と絡む怪談話がある、ということが分かっただけで、本当に八雲が居た当時も、江戸の頃も、さらに現在も盆踊りが禁止されているのかが分からない。
 ネット検索を繰り返すと、「出雲弁でしゃべらないと:よんべのラジオ深夜便」というサイトをヒット。
 八雲のこと、盆踊りと石垣のことなどが書いてあって、最後に、「ほんとかいな?  だもん、確かに旧市内で盆踊りは見た事ないんだよな~。」と締められている。
 やはり、現在も、(旧)市内では盆踊りは見たことがないようだ、という情報が得られた。

「千鳥城とも呼ばれる松江城」の築城(場所の選定も含め)に絡む話や度重なる石垣の崩落などについては、「松江城天守閣と怖いお話(人柱にされた娘)」が詳しい。
 その最後に、「人柱にされた女は、盆踊りの輪の中からいきなりさらわれて、石垣に埋められたのだと言う・・
女が埋められた後、松江城では娘の盆踊りは中止された・・、娘が踊ると松江城全体が大きく揺れるからと言う・・・」とあるが、となると、中止されたのは、松江城でのことであり、娘の盆踊りだということになる。
 男のみとか、小母さんとかの盆踊りは構わなかったのだろうか。尤も、娘の盆踊りはダメで、小母さんはOKとなると、小母さんたちも踊り辛いかもしれない?

 さて、松山市(松山城近辺)では昔も今も盆踊りがされていないのか、実態となると今一つ、ネットでは判然としなかった。もしかしたら、やってるよ、という地域もあるかもしれない。
 ただ、誤解のないように書いておくと、盆踊りはともかく、松江市に祭りや行事がないわけではないので、念のため。
 たとえば、「島根 ホーランエンヤ - 島根県の祭り・イベントに行こう! -iタウンページ」なるサイトによると、ホーランエンヤという松江の城山稲荷神社で12年毎に行われる式年行事があるとか。

 最後に季語随筆らしいことを少々。「落雷」は夏七月の季語である。 
 冬の雷については、「ブリ起こしと富山と」などで若干、触れている。夏の雷や雷鳴、落雷について触れたいけれど、東京都心については、最近、雷鳴を聞いていないし、稲光も見ていない。
 せいぜい、昨日、タクシーの中で、どうして雷が落ちないよう、「クワバラ、クワバラ」と云うのかなんて話題を聴いただけである(菅公(かんこう)の領地桑原と雷との話が後日、触れることがあるだろう)。
 なので、今一つ、書く気になれない。
 松江市は分からないが、少なくとも東京においては、盆踊りが特に週末などは各地で行われている。浴衣姿の若い男女を見かけたら、近くで盆踊りか何かのイベントが行われていると思っていいのだろう。雷様も、盆踊りの場に落ちる野暮だけは自制して欲しいものだが、そうもいかないのだろう。

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コメント

夏の夜の稲光りはすごくきれいです。そしてしばらくしてドトドトド、、、と魂に響くような轟きも嫌いではないですね。
だけど、それらが近づいてくると嫌ですね。ピカーッ!!バリバリッ!!「落ちた~~!!?」
直撃は受けてはないけど、近くの柿の木に落ちた!とか誰だれさんちのどこどこへ落ちた!
停電だ!!はよく聞く話です。幸い人への被害は近辺では聞かないです。
海水浴場で、、、。盆踊りで、、、。あ~いつか私も選ばれるかもしれないな。

投稿: さくらえび | 2005/08/08 13:25

さくらえびさん、こんにちは!
一昨年だったか(自信なし)、梅雨の終わりの頃、雷雨の日の連続でした。仕事中にも在宅の時も、しばしば雷様が怒っていらっしゃった。何が不満だったのか。
稲光は遠目に見ている限りは、とても美しい。花火など(花火を作っている職人さんたちには申し訳ないけど…富山には五代目となるらしいMさんという素敵な花火師がいる…画像、ネットで探そうかな)比較にならない凄みがある。
地震も嫌いじゃない小生ですが、でも、どんな天災も、我が身に降りかかるとなると論外。
嫌です。
そういえば、遠い昔、田舎にいた頃は、しばしば停電しましたね。昔は、停電に対する対策も未熟だったということなのか。
ただ、夜などに停電すると父や母が蝋燭を灯してくれて、それはそれでワクワクしたりして楽しかったような。


投稿: やいっち | 2005/08/08 19:59

「富山には五代目となるらしいMさんという素敵な花火師がいる…画像、ネットで探そうかな」
探したら、すぐに見つかりました:
 http://www2.knb.ne.jp/analist2/okamoto/okamoto_20050719.htm
「松田さんは、最近では、音楽と花火を組み合わせた演出などを手がけ」、実際、成功したとか。
1年間イギリスへ語学留学し、ミュージカルなども観てきたという。
ああん、一緒に花火、上げたい!!

投稿: やいっち | 2005/08/08 20:03

小生は文中で、「盆踊りは八雲の興味を引いたことは間違いないようで、「徳島の盆踊り」なる著作も八雲にはある」と書いているが、ある方から、「徳島の盆踊り」はモラエスの著作ではないかというご指摘を戴いた。
調べてみると、たしかにそうで、ほかに「おヨネとコハル」「日本精神」などの著作がある。
徳島の八雲とも呼ばれたとか。ほぼ同時代の二人だが、面識や交流はなかったらしい:
 http://ourtokushima.net/column/col37.php

 しかし、モラエスは八雲を範としていたようで、彼には「ラフカディオ・ハーンの死」と題された記事がある:
 http://www.bungaku.pref.hyogo.jp/kikaku/harn/moraes/moraes_t.html

投稿: やいっち | 2005/08/16 22:54

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