白いドレスの女
本日は、季語随筆ではなく、虚構作品です。
文中、膝栗毛の話題が出てきます。小生の好きな十返舎一九作「東海道中膝栗毛」の中の浜松宿での幽霊騒ぎ。
「夢出あい旅 サイバー五十三次」の中の「夢出あい旅 膝栗毛の街道」、その「浜松宿」を参照させていただきました。
この話を読むだけ、十分以上に楽しいかも。
ということで、別頁(窓)にて、タクシーに絡む怪談風の話を提供します。
明け方の六時前にはほぼ完成しかけたのですが、パソコンのトラブルで文章が消滅。ショックでした。でも、意地で再度、書き直し。同じものが書けるはずもなく、涙、涙でした。
小生にとっては、思いがけないときに文章が消えてしまうパソコンこそが怪談や幽霊より怖い!!
ああ、雲散霧消した我が幻の傑作よ、カムバック!!
白いドレスの女
あれはいつのことだったろう。忘れてしまった? それとも思い出したくない?
久しぶりの長距離のお客さんだった。常磐自動車道の谷田部ICで降り、さらに走ること十数分。田舎道をお客さんの指図に従って幾度となく曲がったが、とにかく目的地に到着。
しかも、支払いは現金だった。チケットだと、あとで不正のものだったりして、その負担が運転手に、というケースがありえるのだ。
タクシー稼業で、唯一、気の休まるのは、長距離のお客さんを下ろして、自分の縄張りまで走る数十分という時間。高速だし、お客さんを求めて神経を擦り減らす必要もない。
順調に走れば、3時前後には都内のICを降りることができる、はずだった。
どうしたものか、オレは道に迷ってしまったらしいのだ。どう走っても、谷田部ICに着かない。どうも風景が違う。田舎の道をグルグル回っているうちに、それでも、谷和原ICを示す標識に遭遇した。
よかった。このまま、真っ直ぐだ。谷和原ICは東京から見ると、谷田部ICの一つ手前だが、そんなことはどうでもいい。
が、何故か、どれほど走っても谷和原ICどころか、高速道路にぶつかる気配がない。それどころか、段々、道が細くなる。細くなるどころか、いつしか舗装さえされていない道に突入してしまった。
さすがに変だと感じたオレは、林道との分かれ道で方向転換して、さっきの標識のあるところまでもどることにした。土地感のない場所で迷ったら、下手に走り回らないで、少々走っても、分かるところまで戻ることが大切なのだ。
が、Uターンしたはずなのに、尚更、細い曲がりくねった道になっていくのだった。しかも、雨。
天気予報では空模様が怪しいとはいっていたが、こんな時に限って当たるのだ。降り出したら、あっという間に土砂降りになってしまった。しかも、音は聞えないが、稲光で空が一瞬、眩しく輝く。
雨粒がフロントガラスを叩く。ワイパーも利かないほどの雨だ。ワイパーに弾かれた雨水がフロントを滝のように流れ飛ぶ。
篠突く雨の闇の中ではヘッドライトも、墨を流した闇夜の行燈ほども役に立たない。しょぼくれたような光が申し訳程度に躊躇っているだけ。
と、突然、何か白いものが驟雨の中に浮かんだような気がした。が、注視しても何も見えない。気のせいか…。
道は蛇のように曲がりくねっていた。雨、闇、林、しかも、蛇崩れの道。
路肩も定かでない道だったので、アクセルを吹かせるわけにもいかなかった。焦ってはいけない。どんな道も必ず終わりがある。何処かに繋がっている。いつかは広い道に行き当たる。それなりの経験を積んできたオレだもの、焦ることは何もないのだ。
が、オレの神経を逆撫でするかのように、また、白いものが豪雨の闇夜の中に一瞬、浮かんでは消えていった。
なんとなく、同じ場所をグルグル回っているような気もする…。
だから、何度も白いものを見る羽目になってしまうのかもしれない。
オレは、膝栗毛の浜松宿の話を無理にも思い出そうとしていた。宿に泊まると、亭主が女の幽霊が出るという話をする。それが気になって眠れないままに夜中になる。尿意に我慢がならず、恐々弥次と喜多の二人連れ立って厠(かわや)へ。障子を開け、雨戸を開けると、なにか庭のすみに白いものが、空中にふわふわ。しかも、腰から下が見えない。腰を抜かす二人。そこへ宿の亭主が駆けつける。亭主が調べてみたら、その白いものとは取り込み忘れた洗濯物の白い襦袢だった。道理でふわふわするし、足だってないわけだ…。
白いものを雨の闇夜に見たからって幽霊のはずがない。幽霊の正体見たり枯れ尾花だ。
そう言い聞かせてソロソロと走り続けた。
が、また、白いものがふわーと浮かび上がってくる。今度は間違いない!
よせばいいのに、車を路肩に止めてしまった。雨が車の屋根を煩いほどに叩く。稲光が次第に頻発する。雷鳴も聞こえてくるようになっていた。
オレは魅入られたように、藪の中から現れ出でる白い何かを見つめていた。
それは女だった。白いドレスを着た女だった。長い髪が腰まで垂れている。文字通り濡れ羽色の髪が顔にも垂れている。街灯などあるはずもないし、髪で顔が隠れている、ヘッドライトの向きだって藪を向いているわけじゃない。なのに、女の顔が幽かに光っている!
オレの勘違いじゃなければ、女は必死の形相に見えた。しかも、足はあるけど、裸足だった。
良く見ると、ドレスの裾も襟元も引き千切れたようにボロボロだった。自分で着たというより、誰かに頭から被せられたような、ちぐはぐした感じがあった。
女はオレの元へと走り寄ってきた。
女の手はドアの取っ手に届きそうだった。
オレは、背筋が凍り付いて、気が付くとアクセルを吹かしていた。
あの女に似ている!
いつだったか、捨てた女に。オレのものにしたつもりが、虜にされたのはオレの方だった。オレの手中にあるはずの女は、いつしか髪で体で汗で脂でオレを泥沼に引きずり込んでいった。都合のいい女だからと骨の髄までしゃぶるつもりが、骨抜きにされたのはオレの方だった。当時はオレも羽振りが良かったのだ。なのに、気が付くと、何もかも無くしてしまっていた。命さえも奪われそうだった。
オレは逃げた。そう、女を捨てたんじゃない、オレは逃げたのだ。
けれど、あの女は何処までも追いかけてくるのだった。女の執念をオレは思い知った。
その女が、まさか、こんなところで?!
分からなかった。
オレは逃げた。あの女から、やっとの思いで逃げ切ったのだ。今更、掴まってなるものか!
もう、プロのドライバーという意識など、すっ飛んでいた。滅茶苦茶に走った。そうして、逃げ惑っていたら、いきなり目前にインターチェンジが見えた。助かった。逃げ切れる。高速にさえ入ってしまえば、女だって、いや、幽霊だって、追いつけるはずもない。
雨だ。真夜中どころか、2時を回っているはずだ。雨と雷のせいか、車など、対抗車線にも見えないほど疎らだ。
オレはアクセルを親の仇とばかりに踏み込んだ。雨粒は癇癪玉のようにフロントガラスの上で弾け散った。雷鳴が天の怒号か女の金切り声のように轟いていた。雨は、オレの車を責め苛んでいた。車の中にさえ、吹き込んでくるようだった。
オレは、普段なら速度計を確かめ、燃料系をチェックし、時間を確認し、サイドミラー、バックミラーで後ろや周辺の状況をしつこいほどに把握しながら走る。
が、そのときばかりは、後ろを一切、見ないで走った。ただただ真っ直ぐ前を向いて、追うのはヘッドライトにやっと浮かぶ路面の白線のみ。耳にするのは、ゴーという耳を劈(つんざ)く轟音のみ。雨粒の屋根を叩く音なのか、車のエンジン音なのか、タイヤの悲鳴なのか、雷なのか、それとも、心臓の鼓動なのか、とにかく一切合切がごちゃ混ぜになっていた。
途中、路面が荒れていたのか、一瞬、車体が揺れたような気がした。
その後、さらに何かショックを後ろの方で感じたが、確かめるわけにもいかなかった。
それもこれも、気のせいなのだ。オレは、心の目と耳を塞いでいた。今はただ、魔の領域から逃れ去ることだけ。それで精一杯。
次第に雷鳴も遠ざかっていった。雨も気のせいか小降りになりつつあるようだった。ガタガタと車体が鳴るような音を覚えるが気のせいに決まっている。
料金所のオヤジの怪訝そうな、何か言いたそうな顔が不思議だったが、忖度するゆとりも何もなかった。
ようやく、首都高速の中央環状に達し、オレの好きなインターチェンジで降りた。
そして、お気に入りの公園の脇に車を止めた。
タコグラフの時計を見ると、3時過ぎ。なんだ、案外と早く帰れたじゃないか。
女の事は忘れるんだ。あれは夢だ。気のせいだ。悪夢だ。昔の女のことを気にしすぎているんだ。
雨だ。そうだ、雷の気紛れなのだ。
自動販売機が目に付いた。コーヒーを飲もう。一服しよう。一服ったって、煙草を燻らすわけじゃない。まあ、溜め息というか吐息というか、安堵の息を胸一杯、スーハー、してみるだけのこと。
と、その時になって初めて、半ドアのウォーニングランプが赤く点灯していることに気が付いた。見ると、後部のドアが半開きになっていて、しかも、後部座席がずぶ濡れになっている。
あの女だ。あの野郎、ドアを開けやがったんだな。御蔭でシーツが台無しじゃないか。これじゃ、もう、営業どころじゃない…。
その日の夕方、オレはやたらと長いような、それとも膠(にかわ)を無理にも引き伸ばされたような、ベタベタとした眠りから覚めた。脂汗でグッショリ濡れていた。
疲れは抜けきっていない。昼間の眠りは、たださえ浅い。まして、悪夢のあととあっては、夢の中でどんな目に遭っているか知れたものじゃない。
夢、そうだ、あれは夢だったのだ。
しばらくベッドで愚図っていたが、買い物にも行かなければと、起き上がることにした。そう、オレは独り者なのだ。とりあえず、夕刊を取ってきた。やはり、外出する気になれず、ベッドに倒れ込んで、仰向けになって新聞を読み始めた。
オレは頑固なほどに新聞を隅々まで読むのが習い性になっている。それも一面から最後のテレビ欄までを順序良く。
仕事柄、お客さんの話題に付いていく必要もあるからと始めた習慣だったが、今では癖になっていた。
最後の社会面を捲ったとき、オレの目は釘付けになった。
そこには小さく事故の記事が載っていた。
要約するまでもない短い記事。常磐自動車道で女性が轢死。年齢は25歳前後。車から落ち、後続の車に轢かれた模様。女性には強姦されたらしい痕跡がある。女性の身元は不明。警察は事件として立件の模様…。
あの女はレイプ犯から逃れてきたのか?! オレに助けを求めたのか?! オレは逃れたつもりだったが、女はオレのタクシーに乗ったのか?! 女を高速道路の何処かで振り落としてしまったのか?!
分からない。何もかも分からない。オレは眠ることにした。眠ることで忘れることにした。
あれから、何年、経ったのだろう。オレは警察からは逃げ切った。けれど、女からは…。
オレは、あれからずっと眠り続けているような気がする…。
| 固定リンク
「小説(幻想モノ) 」カテゴリの記事
- バッタや土との若手研究者らの苦闘(2023.09.21)
- ノミシラミオレの嫉妬する(2015.04.09)
- ハートの風船(2014.11.30)
- 自由を求めて(2014.09.27)
- 脂肪の塊(2014.09.07)
コメント
(○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・
これは・・こわい・・
そうもってきたか・・
続きは・・ないよねぇ。
料金所のおじさんは 何を見たのか?
何をおもったのか?
うずうず・・気になる・・
このtaxiの運転手は 昔のおんなから
どうやって逃げたのか?
その女はどんな女だったのか?
どんな仕打ちをうけたのか?
枝葉の話しもいろいろ広がりそうで
気になるよ。
あれこれ この小説の登場人物をからめながらの連作にしない?
人が書くと思って簡単に言うtanuであった。
ごめんね。
投稿: tanu | 2005/08/10 17:56
タクシーという狭い密室で、どんなお客さんを乗せるかもわからない不安。
深夜などは極限に達するのじゃないですか?
それだけでも怖いのに自分の過去にも繋がっていくなんて想像を絶するわ。
このお話は怖かった・・・
投稿: マコロン | 2005/08/10 21:45
ザンザン滝のように降る大雨
視界はゼロに等しい 見知らぬ真っ暗な山道
そこに佇む、白いドレスの女
ワクワク ドキドキ 怖いもの見たさで。。。
黙って乗り込む白いドレスの女は、遠い過去からの怖ろしい呼び声?
密室のタクシーの中での復讐?
結局 ずっと白いドレスの女に脅えて暮らすことに??
深夜 真っ暗な山道を一人、愛車のスバルに乗って走っているとき、私はルームミラーは怖くて見られませんでした。
見えないように 横に曲げていました。
あの暗いシートに、何かを見たらどうしようと考える事ってありません?
友人はまさしく真夜中に山道で白い物に遭遇したのです。
そりゃあ、驚いたといっていました。
それは、・・それは。。。所謂、「宿無しさん」が
流れ流れて 私たちの田舎にやってきていたのでした。・・・ホッ。
投稿: 蓮華草 | 2005/08/11 20:39
tanu さん、マコロン さん、蓮華草さん、今頃になってのレス、ごめんなさい。読んでくれて、嬉しいです。
tanu さん:「料金所のおじさんは 何を見たのか?」
そうなのです。もしかして真実を知るのは料金所のおじさんだけなのかも。
「このtaxiの運転手は 昔のおんなからどうやって逃げたのか?その女はどんな女だったのか?どんな仕打ちをうけたのか?」
運転手はひたすら臆病な奴なのです。格好良く言えば後ろを振り向かない、でも、振り向くのが怖いって奴なのです。
話に尾ひれなどは付けられるけど、これは真夏の夜の悪夢、ということで、お終いなのです。
マコロンさん:「タクシーという狭い密室で、どんなお客さんを乗せるかもわからない不安」
毎度のことなのです。背中を向けている…。人を信用することで成り立つ商売。信じるしかないのです。
それにしても、女の身元は新聞で分かるけど、正体までは誰にも分からないのです。
蓮華草さん:「結局 ずっと白いドレスの女に脅えて暮らすことに??」
そうでしょうね。真実に直面する勇気が運転手にない以上、女の影はずっと付き纏うのでしょう。
でも、もしかしてそれが無意識裡の男の狙いだったりして。エゴ?
バックミラー。真っ暗闇の中を走る時のバックミラーほど怖いものはない。何も写らないのですから。闇だけが自分を追っ駆けてくる!!
余談だけど、豪雨の高速道路を走行しているタクシーの後部座席から酔ったお客が暑苦しかったからか、窓を開けた…つもりがドアを開けてしまって、そのまま道路へ落ちてしまったという事故が昔あったとか。落ちたって、ドアが開いたって、豪雨だと運転手も夢中だから何も気づかない。
で、目的地に着いて後ろを振り返ったら、濡れたシートを目にするばかり…。
投稿: やいっち | 2005/08/16 20:42
今日はこの記事(小説)へのアクセスが多かった。どうしてだろう。映画の「白いドレスの女」が売れているから?
投稿: やいっち | 2007/06/14 23:44