浜野佐知って誰
過日、仕事中、お客さんを探しながらラジオを聴いていたら、女性の映画監督らしき方の話がポツポツと。話し手は女性で、映画監督で、しかも、聞き捨てならなかったのは、ピンク映画の監督だということ。
ピンク映画となると、嫌いではない小生、お世話になったこともある小生、聞き逃すわけにはいかない。
白川和子、宮下順子なんて懐かしい名前が次々、浮かんでくる。学生時代、随分とお世話になりました。宮下順子さんなどは、テレビドラマにも登場されるようになったっけ。
ここに、しかし、多少の誤解がある。小生が覚えているのは日活のロマンポルノ。彼女が作ったのはピンク映画だ。ロマンポルノとピンク映画と、何処が違うか。
百聞は一見に如かずだが、路線が違うのは間違いない。芸術性を標榜し、どこか政治的に鬱屈したものを情念として背中に背負っているのがロマンポルノ。
ピンクは、随分と毛色が違う。
(そういえば、大森の駅裏にもポルノ映画館があって、会社帰りになどに通ったものだったが、ついに閉鎖に。小生、週末の楽しみがなくなってガッカリしたものだった。それから早、十年余り。閉鎖された映画館で上映していたのはロマンポルノではなく、ピンク映画だったようだ。余談だった。)
あとで紹介するサイトにもあるが、白川和子さんや宮下順子さんは、浜野佐知監督の作ったピンク映画の仲間。が、日活に引き抜かれていったのだ。そしてロマンポルノが日活で作られ、学生だった小生を映画館へ誘い込んだわけだった。
さて、いかんせん、誰が話しているのか、さっぱり分からない。映画の題名を一つでも告げてくれるわけでもない。聴いていたのはNHKラジオなので、もしかしたら題名を挙げるのも憚れるのかもしれなかったけれど。
その日は、雨が降っていて、幸か不幸かやたらと忙しく、話はいつも以上に断片的にしか聴けない。もどかしい小生。
辛うじて、名前を最後に聞いたが、それも、苗字だけ。「はまの何がし」だとか。「はまのまさ」かなと思ってネット検索してみたら、どうやら違うみたい。それなりに有名な方なのに、ほとんどヒットしない。「浜の真砂」関連のサイトが幾つか浮かび上がってきただけ。
言うまでもなく、「砂浜の砂。数が多くて数え切れないところから、無数にあるもののこと。」といった意味合い。
(余談だが、「かすみたつ はまのまさごを ふみさくみ かゆきかくゆき おもひぞわがする」なる歌が引っ掛かり、それが會津八一の歌だと知った次第だった。この方については、後日、改めて調べてみることにする。)
よくよく思い返してみると、「はまのさち」だったような気がしてきた。
で、調べてみると、貧乏! じゃなくって、ビンゴ!
「浜野佐知(はまのさち)」だとようやく知れたのだった。
ネット検索してみると、浜野佐知著『女が映画を作るとき』(平凡社新書)が浮上してきたり(今年の刊行)、「浜野佐知・プロフィール」が見つかったりして、やはり、その筋の世界では有名なのだと分かってくる。
このプロフィールを覗くと、冒頭付近に、「1984年、映画製作会社旦々舎を設立。代表取締役。以後、監督・プロデユサーを兼任し、「性」を女性側からの視点で描くことをテーマに300本を越える作品を発表する」と書いてある。
が、「「性」を女性側からの視点で描くことをテーマに300本を越える作品を発表する」とあって、発表された作品群が世にピンク映画と呼称されていたことを(敢えて?)書いてないように感じられる。
実際、ピンク映画作品だけの監督だったら、世に喧伝されるようにはならなかったのかもしれない。
近年のAV映画より、古き良きロマンポルノやピンク映画好きの小生だって、不覚にも名前も知らなかった…。
彼女が脚光を浴びたのは、「1998年、忘れられた女性作家の生涯と作品を描いた『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』を自主製作」してからのことだ。
彼女自身、発奮するところがあって、こうした所謂、一般的な映画を制作したようである。
以下、彼女の経歴は、上掲のサイトを参照願いたい。
ただ、高齢女性の性愛を描いたという映画「百合祭」について、彼女自身の言葉があるので、それを転記しておきたい:
高齢者自身よりも高齢者を囲む今の日本の社会に問題点が多いと思う。老人を老人として隔離して差別している思いがする。老人であっても死ぬまで個人として男として女として、人間として生きる権利があると思うし、人間として生きる権利があるのなら死ぬまでエロスを楽しむ権利はあると思う。それを単に年老いたからという理由だけで、みっともないことだとか、嫌らしいことだとか、「色ぼけした」とくくってしまう見方そのものの方に問題あると思う・・・
さて、浜野佐知について何も知らない小生、ネット検索を通じて多少のことを調べたいと思っていたら、これ以上ないというサイトが見つかった。「Love Piece Club [INTERVIEW]」であり、「フェミドルに聞け! 映画監督浜野佐知さん 「私はひたすら、気持ちのいいセックスを女にしてもらいたいの」[2003/07/10]と、表題にある。
このサイトを覗いてもらえば、彼女がラジオで話していたことなども含め、相当程度のことが分かるようだ。前半の部分も面白いが、『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』を作るに至る経緯も興味深い。
「ガマンできなかった悔しさ」という項に、「1997年の東京国際女性映画祭、というのが毎年あるんですが、その記者会見でね、日本の長編劇映画の女性監督で、最多本数は、田中絹代の6本だって、そんな公式記録が出たの。それ聞いて、ブチ切れましたね。私の30年はどうなのよ! って。で、 その時に、あ、やっぱり差別されているんだ、と思った。」とある。
ピンク映画は全く評価の対象にならない。上掲のプロフィールにも、「「性」を女性側からの視点で描くことをテーマに300本を越える作品」といった表現に留められている…。
彼女は、以下のように語る:
「そういう発表があって、つくづくショックだったのと、やっぱり考えたの。 今まで楽しいからピンクの中でやってたけど、もしかしたらぬるま湯につかってただけじゃない? このまま終わったら、日本映画史に名前が残らない。名前を残したい というわけじゃないけど、日本に女性監督が存在したんだ、最初の女性監督になるんだ、大卒男子をはねかえして、最初の女性監督としてやってきた私の人生が消される、ということが私にとって、我慢できなかった。だったら、必ず、この人たちが言うと ころの、映画とやらを一本とって、この女性映画祭に出すぞ、と思ったのが最初ですね。」
そして、「何ををやるかを考えたときに、尾崎翠(注)の作品が好きだった。どうせやるんだったら、誰も知らない、だけれども、女性として自分たちの先輩として、人生を生ききった人に私は焦点を当てたい。で、尾崎をやろう、と思ったの」と、尾崎翠作品に至るわけである。
まぼろしの作家とも呼ばれる尾崎翠のことは、インタビューの中にも注記されているが、「尾崎翠フォーラム」が詳しい。
ここを参照するのもいい→「松岡正剛の千夜千冊『尾崎翠全集』」
こんな飛びぬけた作家が日本にはいたんだね。遅まきながら、是非、読んでみたい。
このインタビューの最後の言葉がいい(でも、インタビューの全文を読んでもらいたい):
私はひたすら、気持ちのいいセックスを女にしてもらいたいの。こういう現場にいるとさ、女の子は、絡みだけ、喘ぎ声だけは巧いよね。ふだんのセックスで演技してるからだよ。そういう芝居だけはできるんだよね。私はね、本当に気持ちのいいセックスをしようよって、女の子にいいたい。本当はさ「ね、本当に男でいいの?」 という基本的な疑問の投げかけも持ってるんだけどね。ふふ、だって、私自身は、本当に気持ちいいセックスは女としかできないと思ってるからね。ははは。
それにしても、気になるのは、浜野佐知監督が撮ったというピンク映画。ネット検索したら、「いじめる女たち 快感・絶頂・昇天(浜野佐知)エクセス」「いじめる人妻たち 淫乱天国(浜野佐知)エクセス」「ノーパン女医 吸い尽くして(浜野佐知)エクセス」などが見つかったが、どうも、小生は観ていないような気がする。
と、彼女の作ったピンク映画を知りたくてネット検索を重ねたら、「浜野佐知監督主宰の旦々舎ホームページ。一般作「百合祭」の情報がメイン」というサイトを発見!
それが、「旦々舎ホームページ」である。
驚いたのは、上掲のプロフィールは、このサイトの中の一頁だった。ということは、「「性」を女性側からの視点で描くことをテーマに300本を越える作品を発表する」と書いているとは、ピンク映画の本人主宰のサイトのプロフィールから、ピンク映画色を消したいと思っているということ?
勘ぐりすぎか。
ただ、このサイトで見つかった、「「ピンク映画の可能性を語る」(上)」や、「「ピンク映画の可能性を語る」(下)」は面白かったけど。
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