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2005/08/05

平和のリアリズム…

 今、政治に関係する本を二冊、並行して読んでいる(ほかに、フリーマン・J. ダイソン著の『ダイソン博士の太陽・ゲノム・インターネット―未来社会と科学技術大予測』(中村 春木/伊藤 暢聡訳、共立出版)やジャン=クリストフ・リュファン著の『ブラジルの赤』(野口雄司訳、早川書房)も並行して読んでいる)。
 一冊は、徐 京植著の『ディアスポラ紀行 ―― 追放された者のまなざし ――』(岩波新書)でレビューによると、「生まれ育った土地から追い立てられ,離散を余儀なくされた人々とその末裔たち,ディアスポラ.自らもその一人である在日朝鮮人の著者が,韓国やヨーロッパへの旅の中で出会った出来事や芸術作品に,暴力と離散の痕跡を読み取ってゆく.ディアスポラを生み出した20世紀とは何であったのかを深く思索する紀行エッセイ」とある。
 もう一冊は、藤原 帰一著の『平和のリアリズム』(岩波書店)で、カバーの見返しには、「全面核戦争の脅威の終焉に安堵した世界は、いままた新しい戦争の時代に突入した。各地で火を噴く地域紛争、高揚するナショナリズム、民主化後の政治不安、そして、テロと帝国の暴力……。著者は、この不透明な世界に対してたえず冷徹な分析を行い、リアルな平和構想を打ち出してきた。冷戦の終焉からイラク戦争に至るまでの粘り強い思考の成果を初めて一冊に収めた待望の時論集」とある。

 奇しくもというべきか、昨夜、ラジオ深夜便で、音楽プロデューサーの中野 雄氏へのインタビューという形で「政治学者・丸山眞男から学んだこと」というテーマで話を聞くことが出来た。
 まあ、例によって仕事の最中だったこともあり、断片的に聞きかじっただけだが、政治関連の本を読んでいたこともあり、特に今、その書を手にしている藤原 帰一氏のことを思い浮かべながら、あれこれ思っていた。

 藤原 帰一氏は、東京学法学部卒の国際政治学者で、故・丸山眞男氏の専攻は政治思想史の、政治学者。
丸山眞男氏の「ゼミナールからは多くの政治学者を輩出した。特に藤田省三、橋川文三、神島二郎、藤原弘達などが挙げられる。彼らは「丸山学派」と言われ、マルクス主義の政治学に対する近代政治学として日本の政治学界において一大勢力をなした。また評論家の小室直樹なども丸山眞男を師と仰いでいる。政治学界や言論界にはなお崇拝者、信奉者が多く、対談、講義ノート、書簡など断簡零墨に至るまでが刊行されている」という(←「丸山眞男 - Wikipedia」より)。

 小生があれこれ思っていたというのは、学者が時の話題、特に政治問題などに関わること。学者として立派でも、いざ、世相などについて語りだすと、途端に、なんだ、当たり前のことしか言ってないじゃないかという落胆の気分に陥ることがしばしばある。
 語るのが難しいなら、時評として雑誌や新聞に論考を書くのなら、さぞかし…と思うが、やはり、今、現に起きつつある問題について書くとなると、学者であっても政治の中枢の情報、今、動いている情勢の裏側の事情、海千山千の政治家たちなどの思惑などの全貌を把握しきれるはずもなく、最後は、その学者の、というより、その人の判断、もっというとその人の常識や日頃の思考が試されてくる。

 誰とは書かないが、学生時代、ニーチェの訳書や研究書でそれなりに尊敬していた人が、何年か前から時代の潮流に哲学者として持論を表明すべきと思われたのか、学者としての薀蓄ではなく、まさに自らの言葉で政治を日本を語り始めた時、なんだ、この人の思考ってこの程度だったのと、ガッカリしてしまった。
 象牙の搭に閉じ篭っていたら、ずっと尊敬したままで思い出の中に静かに安置されていたはずなのに、ニーチェを学んだ結果の思想や思考がこんなんじゃ、やっぱり、学者って学問だけなら立派だけど、いざ、現実の問題にぶち当たると、所詮は人間の日頃の思考や、あるいは何処まで単なる素材として勉強していただけじゃなく、自分の問題として受け止めていたかが露呈されてくる。

 心理学者が心理についての学識を持っていても、一個の人間に対面した時、紋切り型の、今、最先端の理論という切り口で綺麗に腑分けしてくれはするが、その手際の良さには感心するものの、相手の心の闇には、結局、まるで踏み込んではいない、病的な殺人事件などが起きた時の心理学者のコメントの滑稽ぶり。
 でも、これは、学者がどうこうというのではなく、今、目の前にある、あるいは、自分もその真っ只中にある現実という巨大な混沌(なのか把握しきれない秩序なのか分からないが)の圧倒的存在感には、立ち尽くすしかないか、そうでなかったら、素人たる小生を呆気に取らせてしまうような高度なターム(専門用語、ジャーゴン)混じりの弁舌で糊塗してしまうしかないのだ。
 言葉の嵐で、圧し掛かってくる現実という洪水が自分に波飛沫を被せないよう、お呪いをしているようなものか。
 だからといって、敢えて象牙の塔を飛び出し、時勢に棹差さんと、敢えて今の現実について、自分はこう思うと、発言する姿勢は、小生は尊敬する。論文の類いを並べている限り、素人には遥か雲上の人なのに、テレビなどのコメンテーターとして、キャスターらに振られた質問に的確に簡潔に、しかも、すばやく答えるという至難の業に挑戦する。
 何を言ってんだか、もっと気の利いた話をしてみろよ、などと思うのは、見るほうの勝手だが、実際、どんな問題にも的を居た話をするなんて、相当な力量がないと無理な相談だろう。
 その意味でテレビ等のゲストやコメンテーターは、今の小生には尊敬の眼の対象である。
 しかし、それでも特に政治問題となると(さらに宗教となると尚更)問題の根が深かったり、広く根が張っていたり、とんでもないところまで根が繋がっていたりして、自分の見解を示すのは困難を極めると思う。
 マスコミで使われる用語の解説を求められているわけじゃないのだ(と、書いてみて、そもそも学問の用語だって学派などで定義が異なることがありえると気づかされる)。
 
 たとえば、藤原 帰一著の『平和のリアリズム』(岩波書店)は、「冷戦の終焉からイラク戦争に至るまでの粘り強い思考の成果を初めて一冊に収めた待望の時論集」ということだが、著者として冷戦の終焉当時の評論は、前のブッシュ大統領の時代の湾岸戦争の時代の論考などについて、自分ではどう感じているのだろうか。
 今から振り返っても、当時の全貌が見渡せる訳ではない。そんな筈など、ありえない。でも、多少は見えている部分もある。もっと、違う考察が可能だったのではないか。そんな思いに駆られてしまうのか。それとも、当時は当時として仕方なかったのだし、逆に当時、<渦中>にあったからこその熱気で書くことができたんだな、そんな感懐を持たれるのだろうか。

 ここで改めて、藤原 帰一著の『平和のリアリズム』(岩波書店)の性格について見てみる。
 著者からのメッセージとして(本書「序」より)、以下のように示されている:

 この本は,1991年の湾岸戦争と2003年のイラク戦争という2つの戦争に挟まれた十数年間に,私が新聞や総合雑誌に書いた文章を収めている.・・・・・・ここに集めた文章は,目の前に何があるのかもろくに見えないまま,それぞれの状況のなかで行きつ戻りつしながら書いたものばかりだ.首尾一貫した議論などあるはずもない.だが,いつも気になっていたことはある.それをひとくちでいえば,原理原則の適用ではなく,具体的な状況のなかから平和の条件を探ることだった.戦争はいけない,戦争はやむを得ない,戦争は戦うべきだなど,それぞれに話し手の価値判断ばかりが先走った議論が多いなかで,現実の世界における平和がどのように可能となるのかを考えてみたかった.「平和のリアリズム」という題名をつけた理由もそこにある.

 そう、「ここに集めた文章は,目の前に何があるのかもろくに見えないまま,それぞれの状況のなかで行きつ戻りつしながら書いたものばかりだ.首尾一貫した議論などあるはずもない.だが,いつも気になっていたことはある.それをひとくちでいえば,原理原則の適用ではなく,具体的な状況のなかから平和の条件を探ることだった」ということが大切なのだろう。その只中にある現実の全貌など、その都度の自分に見えるはずがない。では、後日、客観的に見渡すことが出来るか。
 恐らくはできるはずがないのだ。「それぞれに話し手の価値判断ばかりが先走った議論」よりも、手探りでもいい、自分の価値観をも客観視…他人視して、可能な限りの現実把握を試みる。他人視するとは、自分をさえ韜晦し、価値観を揺さぶり、価値観を晒し、その上で自分が見える限りのものを自分はこのように見えていると表明する。
 人間は誰しもが、自分だけの居場所を持っている。同じ場所に同じ時間二人の人が居ることはできない。つまり、今、そこに居る自分は、どんな場合にあってもユニークなのであり、その視座から得られた知見と観察と分析というのは唯一掛け替えのないものなのである。
 それにしても時事問題(風俗を含めて)について語るのは難しい。
 それでも、毀誉褒貶を覚悟の上で敢えてやる人は凄いと思う。

 徐 京植著の『ディアスポラ紀行 ―― 追放された者のまなざし ――』(岩波新書)のこと、昨夜聴いた故・丸山眞男氏のことは、また、機会を設けて書いてみたい。

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