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2005/08/09

闇に祈る

 別頁(窓)にて、創作を示します。「日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル」との連作です。カタカナ部分は、言うまでもなく、原民喜のもの。
 引用は、「原民喜 原爆小景」から引かせて頂きました。
 その頁の末尾にもあるように、「このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです」。
 改行は小生が勝手に手を加えました。
 別に原爆の爆風で詩の形が歪んだわけではありません。
 コラボレーションであるかのような形を選んだのは、とにかく、原民喜の世界を読んで欲しいから。
 あれから60年。何が変わり何が変わらないのか。受け継がれるべきは何か。実体験のないものの出来ることとは何か。何一つ、分からないでいる。
 分からない方がいいのかもしれない。
 永遠に考え求め続けることができるのだし。

[ 「原爆忌」あるいは「原爆の日」という季語がある。広島だと8月6日。長崎だと9日。ところで、立秋は今年は、7日だった。となると、広島の「原爆の日」は夏の季語であり、長崎の場合は、秋の季語ということになるのか。印象としては夏真っ盛りなのだけれど。季語では、「広島忌」とか「長崎忌」という表現で混乱を避けている?
季題【季語】紹介 【7月の季題(季語)一例】」では、「原爆忌」は広島・長崎の別なく、夏の季語扱いのようだが。

 ところで、上述の季語の件とは話が違うのだが、「清水哲男『増殖する俳句歳時記』」にて、興味深い記述を見つけた。
「舌やれば口辺鹹し原爆忌    伊丹三樹彦」の項のことである。
「ところで知らない人もいるようだが」と前ぶりがしてある。小生は知らなかった。続いて、「十余年前のアメリカの情報開示により、広島長崎以前に、既に原爆犠牲者と言うべき人々が存在していたことが判明した。すなわち、同型の模擬爆弾を使った本物投下の訓練が、事前に日本各地五十カ所余りで行われていたのだった」云々とあるのだ(以下、詳しくはリンク先をどうぞ。」2005年7月20日付「毎日新聞」に基づく情報らしい)。
 さらに、「これは最近の情報開示によるが,戦後歴代の首相のなかで、池田勇人と佐藤栄作が日本の核武装化を目指していたこともわかった」ともある。これは小生も新聞で読んだ。結局はアメリカの政権中枢に反対され、断念したとか。時の政権トップというのは冷徹にあらゆる可能性を模索するものだと改めて痛感。ノーベル平和賞どころの話じゃないのだね。 (05/08/10 追記)]

闇に祈る


 原民喜の言葉が耳に煩かった。

コレガ人間ナノデス 原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ 肉体ガ恐ロシク膨脹シ 男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ 爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ 「助ケテ下サイ」ト カ細イ 静カナ言葉 コレガ コレガ人間ナノデス 人間ノ顔ナノデス

 コレガ コレガ人間ナノデス 人間ノ顔ナノデス と頭の中でリフレインする。

ムクレアガツタ貌ニ 胸ノハウマデ焦ケタダレタ娘ニ 赤ト黄ノオモヒキリ派手ナ ボロキレヲスツポリカブセ ヨチヨチアルカセテユクト ソノ手首ハブランブラント揺レ 漫画ノ国ノ化ケモノノ ウラメシヤアノ恰好ダガ ハテシモナイ ハテシモナイ 苦患ノミチガヒカリカガヤク

 ソノ手首ハブランブラント揺レ という光景が目に焼き付いて離れない。

真夏ノ夜ノ 河原ノミヅガ 血ニ染メラレテ ミチアフレ 声ノカギリヲ チカラノアリツタケヲ オ母サン オカアサン 断末魔ノカミツク声 ソノ声ガ コチラノ堤ヲノボラウトシテ ムカフノ岸ニ ニゲウセテユキ

 真夏ノ夜ノ 河原ノミヅガ 血ニ染メラレテ 河原の水を血に染めたのは誰なのか。

火ノナカデ 電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ 蝋燭ノヤウニ モエアガリ トロケ 赤イ一ツノ蕊ノヤウニ ムカフ岸ノ火ノナカデ ケサカラ ツギツギニ ニンゲンノ目ノナカヲオドロキガ サケンデユク 火ノナカデ 電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ

 火ノナカデ 電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ 蝋燭ノヤウニ モエアガリ トロケ 蕩けたのは電柱。蝋燭のように。

日ノ暮レチカク 眼ノ細イ ニンゲンノカホ ズラリト河岸ニ ウヅクマリ 細イ細イ イキヲツキ ソノスグ足モトノ水ニハ コドモノ死ンダ頭ガノゾキ カハリハテタ スガタノ細イ眼ニ 翳ツテユク 陽ノイロ シヅカニ オソロシク トリツクスベモナク

 翳ツテユク 陽ノイロ シヅカニ オソロシク トリツクスベモナク そうなのだ、自然は地にある人間の呻きに頓着せず、時が至れば陽の色が静かに翳っていく。静かに、神経を甚振るほどに、静かに。

焼ケタ樹木ハ マダ マダ痙攣ノアトヲトドメ 空ヲ ヒツカカウトシテヰル アノ日 トツゼン 空ニ マヒアガツタ 竜巻ノナカノ火箭 ミドリイロノ空ニ樹ハトビチツタ ヨドホシ 街ハモエテヰタガ 河岸ノ樹モキラキラ 火ノ玉ヲカカゲテヰタ

 焼ケタ樹木ハ マダ マダ痙攣ノアトヲトドメ 空ヲ ヒツカカウトシテヰル そうだ、焼けたのは電柱、焼けたのは樹木、焼けたのは空。だから時が至れば空は茜に染まっていく。

水ヲ下サイ アア 水ヲ下サイ ノマシテ下サイ 死ンダハウガ マシデ 死ンダハウガ アア タスケテ タスケテ 水ヲ 水ヲ ドウカ ドナタカ オーオーオーオー オーオーオーオー

 水ヲ ドウカ ドナタカ 水などやるものか! 水はオレが飲む。ゴクゴクと、たっぷりと、口から溢れ、鼻の穴からも洩れ、溢れた水は喉を垂れ、余った水は地に撒き捨てるのさ。打ち水にちょうどいいだろうってね。ざまあみろ! と叫ぶオレ。

ギラギラノ破片ヤ 灰白色ノ燃エガラガ ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ テンプクシタ電車ノワキノ 馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ プスプストケムル電線ノニホヒ

 馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ プスプストケムル電線ノニホヒ 焼けたのは電柱、焼けたのは空、焼けたのは馬。人だけが焼けたわけじゃない。樹木だって焼けたのだ。焼いたのは自然? 違う、人間だ。人間のエゴだ。人間のエゴのとばっちりを、電柱も馬も樹木も水も受けている。
 だから、水など、やるものか。やるくらいなら、天にぶちまけてやる!

夜ガクル 夜ガクル ヒカラビタ眼ニ タダレタ唇ニ ヒリヒリ灼ケテ フラフラノ コノ メチヤクチヤノ 顔ノ ニンゲンノウメキ ニンゲンノ

 夜ガクル ヒカラビタ眼ニ タダレタ唇ニ 夜は来るのだ。朝の来ない夜のないように、夜の来ない昼間など、ない。夜は、焼けた電柱にも、空にも、馬にも、樹木にも、水にもやってくる。地上世界にもう一つの太陽が炸裂したように、天上世界にも月が煌煌と照っている。あの月は、昨日の月とは違うか。同じだ。誰も、お前には関心を抱かない。月影は、誰の背中も追って来る。地上世界を遍く照らし出す。闇に沈めて肉の傷、心の傷を癒してやろうなんて思いやりなど、あるはずもない。

ヒロシマのデルタに 若葉うづまけ 死と焔の記憶に よき祈よ こもれ とはのみどりを とはのみどりを ヒロシマのデルタに 青葉したたれ

 ヒロシマのデルタに 青葉したたれ…何故、唐突に襟を正す。祈りは祈りらしく、最後まで不毛な呟きで押し通したらどうなのだ。平仮名じゃなく、カタカナで貫き通せ。カタカナは頑な、カタカナは他人行儀、カタカナは優しい。カタカナは、骨のようにカタカタと鳴る。

 焼けたのは電柱、焼けたのは馬、焼けたのは樹木、焼けたのは人間。焼けたのは虫けら。焼けたのは雑草。焼けたのは花。焼けたのは心。
 焼いたのは人間。全て人間のせい。人間が人間の手でやられてしまうのなら、それは自業自得。天に唾したからに過ぎないのじゃないか!
 あの日、そう、閃光に世界が一色となったあの日の朝、お前はあの家の裏手の藪で、昆虫を掴まえ、蝶を追い、甲虫にピンを刺し、亀の甲の上で快哉を叫んでいた。
 あの日の朝、お前の母さんは、台所でゴキブリを踏み潰していた。
 アブラムシからはヒューという掠れた音が漏れ、青い汁が洩れ零れて、茶褐色の体はピクピクし、もげ落ちた肢の一本が、転がり飛んでいった。なのに、お前の母さんは何事もなかった顔で炊事を続けていた。
 アブラムシには、お前の母さんは原爆だ。何事が起きたかも分かりはしない。ヒューという悲鳴など何処吹く風だったじゃないか。
 羽根を毟り取られたトンボには、お前は悪魔だ。何事が起きたかも分からずに、ただ、野垂れ死にする。
 原民喜の言葉が耳に煩い! ああ、やっと煩い訳が分かった。オレは人間になりたいのだ。虫けらや蝶や花や樹木や電柱ではなく、人間になりたいのだ。
 誰とも同じように、原爆を、原爆を作ったやつ等を、原爆を実験だとばかりに投下したやつ等を指弾したいのだ。全面降伏の決定をズルズル引き延ばして、原爆の威力を試したくてならない連中に投下への猶予と口実を与えたやつ等を脳裏に改めて刻み付けてみたいのだ。

 でも、できない。あの日、目が眩み、神経がいかれ、肉体が焼け焦げ蕩け溶け去ったのは、人間だけじゃないことをオレは、どうしても思ってしまう。ヒューマニストになれないのだ。
 ああ、どうして人間のことだけ想っていられるのか。お前が人間だからか。その前に、お前は動物だったんじゃないか。その前に、お前は草木と同じ生き物だったのじゃないか。その前に、お前は森羅万象の一欠けらだったんじゃないのか。その前に、お前は物質の塊だったはずじゃないか。
 祈らなければいけない。犠牲となった人間の冥福を、だ。共に犠牲となった異国の人の冥福を祈らないように、犠牲者とは役所が決めた範囲内に限られる。
 人間になるとは、決め事を守ること。
 決め事を守れないオレは、だから、誰もいない六道の闇の中でこの世の一切へ向けて、冥福を祈る。地の呻きのような祈りを一人、捧げるのだ。


 祈りとは不毛を生きる意志ならん

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コメント

「連中に(投下への)猶予と口実を与え」無いのが、結構安全保障上の基本ポイントですね。

そして、口実を与えるとテロの危険性は増し、押さえ込む事も出来ないので、限が無いです。

投稿: pfaelzerwein | 2005/08/09 16:38

pfaelzerweinさん、こんにちは。
他国を勝手な理屈を付けて(これを難癖という)圧倒的な武力で叩きのめして、民主化だと称する横暴。この横暴を反省しない限り、弱者の武器であるテロが頻発することはあっても、なくなるはずがない。恨み骨髄なのだから。
武力を持つと、政治的交渉が面倒臭くなるのでしょうね。

投稿: やいっち | 2005/08/09 19:40

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