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2005/08/03

地獄絵をよむ…美と苦と快と

 澁澤 龍彦/宮 次男著『図説 地獄絵をよむ』(ふくろうの本、河出書房新社)を読了した…というべきか、挿画を眺めた…というべきか、それともちょっとばかり回想に耽っていたというべきか。
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 ←健ちゃんさんからいただきました!

 こんな本を、今夕はサンバのパレードに行くというその日に図書館で借り出す自分って、変?
 澁澤 龍彦氏の諸著を学生時代などに何冊となく読んできたが、同じく学生時代に読んだ(眺めた)宮次男編著の『日本の地獄絵』(芳賀書店)一冊のインパクトには到底、叶わない。
 1973年刊のこの本は惜しくも絶版になっているようだが、小生には思い出深い本である。
 翌年だったかに刊行された源信の『往生要集』(石田瑞磨校注、日本の名著4、中央公論社)も単なる好奇心を超えて貪り読んだ。
 こうした一連の書籍の中で、何が自分を捉えて放さなかったのか。
 なんといっても、地獄絵に止まる。地獄草紙、餓鬼草紙、病草紙などの六道絵、北野天神縁起絵巻などに描かれる世界は、自分にはリアリティを以って迫ったきた。
 病草紙といえば、立川昭二の諸著も読み始めたのは学生時代だった。小生が六道絵の類いを最初に知ったのは、では、一体、いつ頃のことで、どのような形で、なのかは分からない。
 もしかしたら、小生にとって最初の梅原 猛の本である『地獄の思想―日本精神の一系譜』(中公新書。絶版?梅原猛全集でしか読めないのか)においてだったかもしれない。

 あるいは、その端緒は、富山生れで育ちの小生のこと、立山曼荼羅の絵図にあったのかもしれない。
 あるエッセイで、小生は、「このサイトに見られるような立山曼荼羅の絵図は、小生には何故か馴染み深い。ガキの頃に、何かの折に見せられ、初心な小生は、絵図さながらの世界に夢の中で幾度も<遭遇し体験>したものだった」と書いている。
 地獄絵と(時期的に関心の上でも)重なるように幽霊画の数々も折々眺め親しん(?)できた。
 もっとも、同時に、伊藤晴雨の責め絵の世界にもドップリと浸っていた。地獄。苦の極みであり、快の極地であり、美の極致でもある責め(絵)。

 さてここで、先に進む前に、本書『地獄絵をよむ』のレビューを紹介しておく。「魔的想像力が生んだ戦慄の世界。六道を流転する魂の行方は!?人生の苦悩と業を活写する中世仏教美術の極北。苛烈・残酷な異界への招待」とか、「六道を流転する魂の行方は? 地獄の経典、奈良時代の地獄観と地獄絵、平安時代の地獄絵、地獄草紙と餓鬼草紙、往生要集絵などに関する絵画作品と解説を収録するアンソロジー」とある。
 目次を羅列しておくと、「1 はじめに  2 地獄の経典  3 地獄の形相  4 奈良時代の地獄観と地獄絵  5 平安時代の地獄絵  6 地獄草紙と餓鬼草紙  7 中世の地獄絵  8 往生要集絵  9 地蔵の救済  10 "厭離乱世、欣求和平"―現世的地獄図  11 地獄図と現代」である。
 澁澤 龍彦氏はエッセイを寄稿されているが、実質的な編著者は宮 次男氏と思っていいだろう。

 日本において地獄という<存在>のビジョンを中世までは徹底してリアルに描く意志があったわけだ。少なくとも鎌倉時代までは。
 その後は日本的な土壌に根差した鎌倉仏教の力が地獄に落ちても救われることを説いて、地獄のリアリティが薄れてしまった。祈れば、懺悔すれば、経文を唱えれば、寺社に喜捨すれば、救われる。浄土真宗など、南無阿弥陀仏と一言、口ずさめば救われる、というのである。
 もう、地獄をリアルに脳裏に刻み込む必要がない。それは、日本の民衆の中に、従前の仏教で説かれた地獄像が定着していた…と同時に疎まれたり飽きられたりしたのかもしれない。
 まだ通して読んだことはないのだが、『太平記』など、戦(いくさ)がリアルに描かれていて、平家物語の悲劇ではあるが、無常観という基調に乗ることで戦の残虐さに思いが至らないのとは大違いだったりする。
 現実を直視する。人が人を無慙に殺し、しかも、死ぬ様をリアルに描き切る。餓え、嫉妬し、欲望し、情炎に滾り、他者を貶め自分だけが助かろうとする人間のえげつなさ。

 上で、「立山曼荼羅の絵図は、小生には何故か馴染み深い。ガキの頃に、何かの折に見せられ、初心な小生は、絵図さながらの世界に夢の中で幾度も<遭遇し体験>したものだった」という一文を引用している。何処で見たのだろう。近くのお寺での集まりでか。誰かに何かの絵を見せられた? 縁日か何かで、幽霊画などと共に立山の地獄絵を売られていた? それとも、こっそりと覗き見た図鑑で発見したのだったろうか。
 いずれにしても、小生は小学校にあがる前から、地獄の中に居る夢に魘されて目が覚める日々が続いた。毎日のように、紅蓮に燃え上がる焔の中を逃げ惑い、刃の林立する真っ赤に焼けた地を走り回り、そうして、夢の最後の場面に出てくるのは、いつも同じだった。
 顔見知りなのか、赤の他人なのか今となっては(夢に見ていた当時も定かでなかったような)分からない男が、地獄の谷山の何処かに蹲り、足元で何かやっている。
 恐る恐る覗いて見ると、男の脛(すね)だったか、脹脛(ふくらはぎ)だったかの一部の肉がごっそりと殺ぎ落とされている。
 驚いたことに、肉片は男の手にあり、男はその肉をなんとか脹脛(脛)に宛がっているではないか。そんなことしたって、無駄じゃんと思っていると、何故か、とりあえず肉片はもとあった場所に引っ付く。そして男はその場を立ち去って…。
 夢はその場面で終わる。地獄の世界とはおよそ異質な、どこか滑稽な、しかし本人は必死なような、それでいてさも手馴れたような手当て振り…。
 小生自身は、そんな大怪我を足に負ったことはなかったと思うのだが。


[ 書き忘れていた! 地獄といえば、「三途の川」ということで、以下の記事を読んでみていいかも:
三途の川のこと
三途の川と賽の河原と
                               (05/08/05 追記)]

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