「桐一葉」と「一葉」と
台風一過の暑い日が二日ほど続いたところ、昨日などは一息ホッと吐(つ)けるようなやや涼しげな日だった。今、この一文を書いている未明も、ちょっと外に出てみたところ、一頃のようなこれが夏の朝とは思えないムンとする湿気の篭った熱気とは雲泥の差の、心地良い風がやんわりと吹き寄せてくる。
とはいえ、今日の日中には暑さがぶり返すというから、油断は禁物である。まだまだ暑さに対して臨戦体制で居ないと、いつ忘れた頃にやってくる夏風邪に悩まされるか知れない。
それでも、秋めいている感は否めない。
8月の季語例を眺めていても、「初秋(はつあき)、桐一葉、星月夜」などが目に付く。いずれも初秋の季語例である。
このうち、「桐一葉、星月夜」の両者は一度は玩味してみたいと思っていた季語。今回はまず、表題の如く、「桐一葉(きりひとは)」を採り上げてみる。
「珈琲とリスニングのバッハ」の中の、「季節のことのは・秋」によると、「桐の落葉を秋の象徴するものとして、和歌や連歌、俳諧で多く詠まれきました」という。
また、「「山茶花」今月の季語」の中の「<桐一葉>=8月7日 草笛句会兼題」なる項によると、「初秋、大きな桐の葉が風もないのにばさりと音
を立てて落ちることを「桐一葉」とい」うのだとか。
この項には、以下の句が紹介されている:
桐一葉心の隅にひるがへる 下村非文
桐一葉空をゆすぶり落ちにけり 羽根田博
一葉落ちゆるりと鯉の向き変へぬ 石川繁子
あるいは、「木に関する俳句 木と季語」を覗くと、次のような句のあることを教えてくれる:
我宿の淋しさおもへ桐一葉 芭蕉
夏痩の骨にひびくや桐一葉 正岡子規
桐一葉空みれば空はるかなり 久保田万太郎
が、「仮題 俳句のあらまし」などにも見られるように、「桐一葉」というと、先ずは、次の句ということのようである:
桐一葉日当たりながら落ちにけり 高浜虚子
このサイトでは、「掲句の「桐一葉」が秋の季語。一葉おちるのに秋の訪れを知るということで、衰亡のきざしの象徴とされている。それが日当たりながらであるから寂しさが一入感じられる」と鑑賞されている。
「水燿通信197号 『現代俳句 名句と秀句のすべて』 川名大著(筑摩書房刊)」なるサイトを覗き、書評を読んでいたら、上下二巻(ちくま学芸文庫)と大部の本のようだが、小生も本書を読みたくなった。
この書評の中に、〈桐一葉日当たりながら落ちにけり〉についての川名大氏の鑑賞が引用されている。なかなか見事な一文だ:
「桐一葉」という季語は、初秋に桐の葉が風もなくバサリと落ちることをいうのだが、この季語は中国の前漢時代の古典『淮南子(えなんじ)』の「桐一葉落ちて天下の秋を知る」に由来して、万象の秋を知らしめるものである。したがって、広大な天地間の一現象に焦点を当てたにとどまらず、その背後にある大自然の気息、衰微へと向かう自然の運行へと広がり、深まっている。そういう季語の持つ象徴性によって風景の象徴化が遂げられているのである。作品の中に詩的主体をうち出すことを捨象して、風景を見る眼となったその眼は、このように自然の奥行きにまで届いている。
桜吹雪という束の間の華やぐようであり何処か寂しげでもある束の間の時が過ぎると、葉桜の季節がやってくる。小生は、桜の花びらを愛でるのもいいけれど、葉桜の景色も好きである。
落ち着きがある。花の散るのを見ていると、ハラハラするというのも大袈裟だけれど、それでもどうしても心は穏やかではない。
それが、花びらの落ち尽くし、最初は小さかった桜の木々の葉っぱが、どんどん大きくなり立派になり、やがて、桜並木の道だったことをさえ、ともすると忘れさせてしまうようになる。
まるで花びらがなければ桜ではないかのように、葉桜の並木を通り過ぎていく。まあ、炎天下の都会にあって日陰を恵んでくれていることをたまに感謝する程度なのかもしれない。
そうした葉桜も秋の深まりと共に、葉っぱが枯れ風に吹かれるままに千切れ飛ばされ路上にカサッという音が鳴るような鳴らないような、かそけき曖昧な風情の中に踏みつけにされ、やがて掃き溜めに集まり、回収され、消え去っていく。
「葉に隠れがちの朝顔とはなりぬ」という句があるが(「狩行素描1209」より)、花の咲く時期というのは、どんな草木にあっても、時期こそ違っても、一年の中のほんの束の間の時を彩るだけである。やがて葉に埋もれ、さらには葉っぱだけとなり、ついにはその葉っぱさえ枝から呆気なく剥がれ落ちていく。
そんな季節の来る前に、「桐一葉(きりひとは)」の風景が秋口などに、まるで心象風景であるかのように繰り広げられるというのだ。
話は変わるが、「桐一葉」となると、どうしても、「一葉」のこと、つまり、樋口一葉のことを連想してしまう。ただの語呂つながり?
あるサイト(以前、「一葉忌」の項や「仮の宿」なる項の末尾で紹介したことのある「杉山武子の文学夢街道」)の掲示板を覗いたら、以下のような書き込みがあった(改行は小生が勝手に変更している)。
樋口一葉ですが、山梨県の古い樋口家の菩提寺に行くと樋口家だらけなのですが、その多くの家の家紋が桐一葉でした。樋口一葉はここから名をつけたのではないかと感じています。とすると、一葉はそのペンネームを本当は「ひとは」と読んで欲しかったのかも知れない
小生自身は、樋口家の菩提寺に行ったことがないし、樋口家だらけの「多くの家の家紋が桐一葉」だという点を確かめたことはない。
ただ、上に引用した説が正しいとすると、小生の単純素朴な連想も、まんざらではないということになる…のだが、さて。
「信濃毎日新聞 週刊ポプリの『webポプリ』:長野の女性向け情報 「一葉忌」 (文学研究者 堀井正子) 」を覗かせてもらう。ここには次のような説明が載っているが、小生には素直に受け入れられる説明だ:
一葉というペンネームが良いからのことだが、貧乏でお金がないから付けたのだという。「達磨(だるま)大師には足がない。私にもおあしがない。達磨さんは葦(あし)の一葉(ひとは)に乗って海を渡ったというでしょ。だから私も一葉(いちよう)よ」と冗談のように言う。けれども、「桐一葉」は没落の予兆。兄亡く、父亡く、財産無しという樋口家を背負って作家になろうとした時、心によぎった幻影ではないだろうか、「一葉」は。
桐一葉誰も看取らず消えてみよ
桐一葉日陰に散って音なかり
桐一葉日を浴びつつの末期かな
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