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2005/08/08

太陽・ゲノム・インターネット

 野口聡一さんらを乗せたスペースシャトルの地球大気圏内への帰還の時が迫っている。(参議院での郵政法案の行方、さらには国政の行方も気になるのだが)、小生にはシャトルの無事の帰還が願われてならないのである。
 これまた偶然なのだろうか、フリーマン・J. ダイソン著『ダイソン博士の太陽・ゲノム・インターネット―未来社会と科学技術大予測』(中村 春木/伊藤 暢聡訳、共立出版)を読んでいたら、奇しくもまた、その中で、スペースシャトルに触れる記述に出逢った。
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 彼がスペースシャトル(計画)に批判的だったということを、恥ずかしながら小生は本書を読んで初めて知った。
←紫苑さんにいただきました!
 恥ずかしながらというのは、小生、これでも、『宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝』(鎮目恭夫訳、ダイヤモンド社刊)などを読んできたし、彼に関心を払ってきた経緯があるからである。
 ほんの3年前には、『宇宙をかき乱すべきか』を再読し、書評エッセイも試みている。本書は、ダイソンの人となりを知るには最適の本である。

 さて、ネットを通じてあれこれ調べてみた。
MSN-Mainichi INTERACTIVE 科学 余録:スペースシャトル」によると、「ダイソン教授が「ターキー」、つまり飛べない鳥と評したのがスペースシャトルである。教授は88年のエッセーで、シャトルは技術開発の典型的失敗例と書いている(「ガイアの素顔」工作舎刊)」らしい。
「低価格で操作は簡単、頻繁な飛行に耐え、しかも安全というのがシャトルの売り物だった。だが、実際にはどれ一つとして満たしていなかったというのが教授の診断だ」というのだ。

 学者としての発言や執筆だけではなく、議会の場でも証言している。
UNIVERSE>最新宇宙ニュース:2003年>JAXA誕生再論 宇宙科学研究所 的川泰宣」によると、「あのチャレンジャー事故の頃、著名な物理学者フリーマン・ダイソン博士が、アメリカ議会においてNASAの大艦巨砲主義を批判し、日本の「小さくても機動的に着実に衛星を打ち上げて成果をあげる」方式を"Small but quick is beautiful."と表現して絶賛し「日本に学べ」と演説したことは有名」なのだとか。

 大艦巨砲主義について卑近な(?)それとも考えようによっては当然至極な事例を挙げると、巨額な費用と歳月をかけて、火星にまで行って、火星の石を持ち帰るまでもなく、火星の石など地球上、それも南極に見つかった例などがある。火星が形成される過程で、火星から千切られた断片が宇宙に(太陽系内に)飛び散り、そのうちの相当数が地球にも飛び込んできていたわけである。

 本書『ダイソン博士の太陽・ゲノム・インターネット―未来社会と科学技術大予測』についてのレビューとしては、「ダイソン博士の太陽・ゲノム・インターネット―未来社会と科学技術大予測本 - 通販|ニッセン」で見つけたものが簡潔だし的確だと思われる。
 このレビューにもあるが、遺伝子操作というと、ついヒステリックな議論に走りがちだが(小生自身がその筆頭かも)、その可能性は専門家でも予測できない広がりの可能性があるとダイソンは言う。
 本書を読んで驚いたのは、宇宙ロケットについても、現在の燃料噴射というやり方のほかに、レーザー推進技術や、ラム加速器、スリンガトロンなどがあるという。「これらのうちの一つでも実用化されれば、打ち上げコストの大幅な削減が可能」だとダイソンは書いている。
 スペースシャトル計画の問題は、有人と貨物の輸送を一つの方式で一挙にやろうとした点にあるという。
 貨物なら貨物だけの無人飛行なら、衛星打ち上げ用の乗員の居住区画を取り払ってしまうことができるわけであり、有人打ち上げの場合のシャトルのみ、そうした居住区画を設けておく、そうした二つのタイプのシャトルを作れば、随分安く付き、合理的だと博士は言う。
 シャトルの打ち上げも軌道上の飛行は早くから既に地上からの遠隔操作で行っていた。着陸も遠隔操作を用いるのは簡単だから、そうした有人・無人のシャトルの区別を博士は主張するわけである。

 さて、以下、シャトルの帰還も迫っていることだし、本書から博士によるスペースシャトル計画への批判の部分を転記してみたい:

 スペースシャトル計画は、チャレンジャー号の事故の前においても、その目的が混乱していたために、深刻な問題を抱えていました。学術用、商業用、そして軍事用の人工衛星の実務的な打ち上げシステムとして運用しようとしていたのと同時に、人類の宇宙進出への道を開こうとしていたのです。ヒューストンに展示されたシャトルに乗り込めばわかりますが、この二つの目的は決して相容れないものです。シャトルは、宇宙への信頼性の高い運送手段を欲した人々と、月へ到達した有人アポロ計画の伝統をなくしたくなかった人々との、政治的妥協の産物でした。この二つの仕事を同時にこなせる乗物などありません。シャトルはこの双方をやろうとしましたが、まず、第一にコストが高すぎ、第二に性能に限界がありすぎました。シャトルの欠陥をその設計者のせいにするのは、間違えです。シャトルをさいなんだ目的の混迷は、政策決定者たちが設計者に課したものです。シャトルにおける目的の混迷は、アメリカの宇宙計画全体の目的が、より深刻に混乱していた結果にすぎません。

 アメリカの宇宙計画には、それが始まった一九五〇年代から、二つの明確な目的がありました。軍事的そして学術的な目的のために宇宙を実用的に利用することと、人類の進出を地球の外に広げるという理想主義的なビジョンです。ソビエト連邦も、この二つの目的を掲げ、声高に宣伝しました。このソビエト連邦との競争が、アメリカを十五年に渡り、両方の目的を必死に追求させた原動力でした。第一の目的は、一九六〇年代に、打ち上げロケットのアトラス、スパイ衛星のコロナ、そしてマリナーによる惑星探査などの、数多くの無人飛行によって具体化されました。第二の目的は、国際スポーツ大会におけるファンファーレのような扱いで世界中にテレビで届けられた、あのアポロの月着陸で具体化されました。アポロでの勝利の後、ソビエト連邦との競争によってもたらされていた動機は、色褪せていきます。アメリカが、二つの目的を独立に追求する二つの大規模プロジェクトを、もうこれ以上支援しないことがはっきりしたのです。もし、二つの目的を両方とも残すとすれば、一つの大きな計画が両方を担わなければなりません。アポロ計画を中止し、実用的な貨物輸送を行う折衷計画がその後を継ぐという決断が下されました。この折衷計画がスペースシャトルで、その誕生から、アトラスとアポロから受け継がれた相容れない二つの目的という二足のわらじを履かされていたのです。

 以下、「アメリカの宇宙計画を最初から苦しめて来たこの目的の混迷は、本質的には計画の時限の混乱による問題でした」と、続いていくが、略させてもらう。
 スペースシャトル計画が二つの目的の折衷ということで、最初から股裂き状態だった…。なんだか、怖いような悲しいような。
 政策決定者には、もっと透徹した科学技術への理解とビジョンを持つ能力が必要なのだろう。
 日本(のマスコミ)においても、日本人宇宙飛行士が新たに誕生したとかで騒ぐのではなく、スペースシャトル計画について、冷静な立場で検証してみるできではないのか、などと素人ながらに思う。
 
 最後に、表題を「太陽・ゲノム・インターネット」としたのは、読んだ本の題名だからだが、同時にダイソン博士が21世紀の中心的な技術だと考えているから、でもある。
 機会があったら、再度、違う形で調べてみたい。
 尚、本書「ダイソン博士の太陽・ゲノム・インターネット」(共立出版)の脚注(注釈)の付し方は変わっている。「『ダイソン博士の太陽・ゲノム・インターネット』 URLリスト」を示す形で付されているのだ。


 尚、季語随筆「雲の峰(入道雲)…スペースシャトル」(July 27, 2005)でも、スペースシャトルの話題を採り上げている。
[スペースシャトルの帰還は本日は気象条件が好ましくないため、一日順延となった。(当日、補記)]

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