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2005/08/31

川路柳虹のことを少々

高橋哲哉著『靖国問題』」と題した拙稿を一昨日、書き下ろしている。
 高橋哲哉著『靖国問題』(ちくま新書 532)を扱った感想文である。
「石橋湛山   靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢て提言す」を転記したりして、たださえ長くなったので、触れて起きたいと思いつつも、割愛せざるをえなかった事柄がある。
 それは、川路柳虹のことであり、彼の詩のことである。

 本文の中では、占領軍によって施された検閲の例として、川路柳虹の詩「かへる靈」が挙げられている。
 本書、高橋哲哉著『靖国問題』の中でこの詩が扱われている文脈は、やや(相当に)違うのだが、この詩の全文を引用しているサイト(「堺教科書講演録③―日本政策研究センター」)があったので、そこを参照させていただく。

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2005/08/30

星月夜…星の見える森

 昨日の季語随筆に、「このうち、「桐一葉、星月夜」の両者は一度は玩味してみたいと思っていた季語。今回はまず、表題の如く、「桐一葉(きりひとは)」を採り上げてみる」と書いている。
 というわけだから、今日は「星月夜」を俎上に。
 が、調べてみて、ある意味、ガッカリした。
藤野 勲「かけだし俳句抄」(5)」を覗いてみると、「鞄提げバス降りたてば星月夜」なる句が掲げられ、「三句目の季語は「星月夜」。「ほしづきよ」とも「ほしづくよ」ともいう。「よく晴れた秋の夜は空が澄むので、満天に輝き満ちた星で月夜のように明るく美しい。その趣を星月夜という」と、前掲の歳時記にある」と自注している。
 引用文中の前掲の歳時記とは、「合本俳句歳時記・角川書店編」のこと。
 ガッカリしたとは、「よく晴れた秋の夜は空が澄むので、満天に輝き満ちた星で月夜のように明るく美しい。その趣を星月夜という」という説明にある。なんだ、秋の話か。だったら、空気だって澄んでくるし、夜空も星明りが凛冽としていて、星月夜と表現したくなるのも、分かる。
 分かりすぎて、つまらない。これでは当たり前すぎる。
 一応、「星月夜」は初秋の季語だとは知っていたけれど、それでも夏の終わりの時期と秋口とが重なっていて、秋めいてくるとはいえ、湿気もあって、夜空の星を眺めているうちに震撼たる思いに背筋がぞくっとくるような感覚を味わうには、程遠い時期のはずである。
 昨年から都内の風景などを、仕事のついでに撮ったりしてきたが、それも桜の花の散った頃からは、途絶えがちである。風景写真を撮っても、どうも透明感がなくて、今一つ納得できる写真が得られない。
 というか、目で見た風景を画像に収めたいという欲求自体が湧かないのである。

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2005/08/29

「桐一葉」と「一葉」と

 台風一過の暑い日が二日ほど続いたところ、昨日などは一息ホッと吐(つ)けるようなやや涼しげな日だった。今、この一文を書いている未明も、ちょっと外に出てみたところ、一頃のようなこれが夏の朝とは思えないムンとする湿気の篭った熱気とは雲泥の差の、心地良い風がやんわりと吹き寄せてくる。
 とはいえ、今日の日中には暑さがぶり返すというから、油断は禁物である。まだまだ暑さに対して臨戦体制で居ないと、いつ忘れた頃にやってくる夏風邪に悩まされるか知れない。
 それでも、秋めいている感は否めない。
 8月の季語例を眺めていても、「初秋(はつあき)、桐一葉、星月夜」などが目に付く。いずれも初秋の季語例である。
 このうち、「桐一葉、星月夜」の両者は一度は玩味してみたいと思っていた季語。今回はまず、表題の如く、「桐一葉(きりひとは)」を採り上げてみる。
珈琲とリスニングのバッハ」の中の、「季節のことのは・秋」によると、「桐の落葉を秋の象徴するものとして、和歌や連歌、俳諧で多く詠まれきました」という。
 また、「「山茶花」今月の季語」の中の「<桐一葉>=8月7日 草笛句会兼題」なる項によると、「初秋、大きな桐の葉が風もないのにばさりと音
を立てて落ちることを「桐一葉」とい」うのだとか。

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2005/08/28

蜩…夢と現実をつないで鳴く

 昨日、浅草サンバカーニバルがあり、応援しているチームのスタッフということで、ちょっとだけお手伝いさせてもらった。スタッフをやって楽しいし嬉しいのは、メンバーらと一緒にコースを歩けること。
 カーニバルでのパレードに付き物といっていいアレゴリア(山車)を押すというのが小生の仕事
 そうしたアレゴリアが浅草寺の境内(裏側)に集結している。ということで、浅草寺の境内の中をブラブラしてきた。昨年は、軽い食事を摂るため、植え込みを囲う柵の石縁に腰掛けた…、すると、ふと振り返った境内の中にある久保田万太郎の句碑を発見したものだった。
 今年はその近くで人垣が。覗いてみると、お猿さんの芸を若い女性の調教師の方の采配で見せていた。年毎に風景が多少、変わる。これもまた楽しい。

 さて、境内を歩いていると、鬱蒼と生い茂った木々の緑が目に嬉しい。台風一過の炎天が金曜日から続いていて、小生は日陰を探し求めながらの散歩。歩いていると、蝉の鳴き声が喧(かまびす)しい。
 そんな事情があったからだろうか、8月の季語例表を眺めていたら、表題にある「蜩(ひぐらし)」が目を惹いた。
俳句歳時記」の中の、「季語集・秋」によると、「日暮 かなかな 夕蜩 暁蜩」などの類義語・縁語があり、「暁にも鳴くが夕暮れにカナカナと鳴く、一種哀調の声は秋の到来」だとか。

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2005/08/27

浜野佐知って誰

 過日、仕事中、お客さんを探しながらラジオを聴いていたら、女性の映画監督らしき方の話がポツポツと。話し手は女性で、映画監督で、しかも、聞き捨てならなかったのは、ピンク映画の監督だということ。
 ピンク映画となると、嫌いではない小生、お世話になったこともある小生、聞き逃すわけにはいかない。
 白川和子、宮下順子なんて懐かしい名前が次々、浮かんでくる。学生時代、随分とお世話になりました。宮下順子さんなどは、テレビドラマにも登場されるようになったっけ。

 ここに、しかし、多少の誤解がある。小生が覚えているのは日活のロマンポルノ。彼女が作ったのはピンク映画だ。ロマンポルノとピンク映画と、何処が違うか。
 百聞は一見に如かずだが、路線が違うのは間違いない。芸術性を標榜し、どこか政治的に鬱屈したものを情念として背中に背負っているのがロマンポルノ。
 ピンクは、随分と毛色が違う。
(そういえば、大森の駅裏にもポルノ映画館があって、会社帰りになどに通ったものだったが、ついに閉鎖に。小生、週末の楽しみがなくなってガッカリしたものだった。それから早、十年余り。閉鎖された映画館で上映していたのはロマンポルノではなく、ピンク映画だったようだ。余談だった。)

 あとで紹介するサイトにもあるが、白川和子さんや宮下順子さんは、浜野佐知監督の作ったピンク映画の仲間。が、日活に引き抜かれていったのだ。そしてロマンポルノが日活で作られ、学生だった小生を映画館へ誘い込んだわけだった。

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2005/08/26

池田晶子と埴谷雄高にオン!?

 池田 晶子著の『オン!』(講談社)を車中で読んだ。タイトルの全体を示すと、『オン!―埴谷雄高との形而上対話』である。
 実際、池田晶子氏の「最後からひとりめの読者による「埴谷雄高」論」と題された「埴谷雄高」論や、「註解『不合理ゆえに吾信ず』(池田晶子)」なども載っているが、直接・間接に埴谷雄高との<対話>を意識している。
(本書の目次を見てみよう→「オン! 埴谷雄高との形而上対話 目次」。これは、「はやちゃんのホームページへようこそ」と銘打っているが、「埴谷雄高さんの書籍、書誌、文書名辞典、小説「死霊」キーワードを取りそろえました」という、「埴谷雄高のサイト」の一頁なのである。)

 先に進む前に、本書の内容を出版社側のレビューで示しておくと、「埴谷を興奮させた50歳下の若き女性哲学者   ハニヤユタカ、イケダアキコ、それぞれの固有名で扮装した「よく似た意識」が遭遇して9年。思想史上のエポックともいうべき86年と92年の対話、流浪の処女論考「埴谷論」の決定稿、ほか、この1冊が、埴谷雄高を「難解」から解き放つ。いざ、スイッチ・オン!」である。

 彼の常でサービス精神が旺盛なので、埴谷が興奮しているかどうか、よく分からない。けれど二人は<出会って>から、埴谷の死に至るまで十年ほど、二度の対話を含め、意識しあう部分があったのかもしれない。
 が、埴谷の本を、特に対談を読むと、彼にそもそも対話や対談が成り立つのか、成り立っているのか、次第に疑問に感じられてくる…終いには、対話を彼は地上の誰彼とはしていない、眼中になく、彼の抱え込んだ、それとも彼を捉え込んでしまった何物かと対峙しあっているのだと感じさせられてくる。

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2005/08/25

「走馬燈と影絵と」補遺

走馬燈と影絵と」(August 23, 2005)と題した記事について、ある方が情報を寄せてくれた。
 ネット上に、「走馬燈」の語源などについて、以下のような記述があるというのである:

走馬灯とは、明治時代初期に官吏が乗っていた、頭に赤い電灯を載せた馬のことだそうです。人斬り等重大犯罪があると、その場に凄い勢いで走馬灯を駆って官吏が現れたので、壮絶な勢いで記憶が流れていくことをこのように表現するようです。

 急遽、ネット検索をして調査してみた。すると、上掲のような、というより、全く同じ記述内容で「走馬灯」のことを説明しているサイトが幾つか見つかった。
 小生は、コメントへの返事として、とりあえず、以下のように書いた:

ネット検索したところ、全く同じ記述が複数サイトで見つかりました。ということは、同じ典拠に由来するものと思われます。が、どんな典拠なのかが全く示されていない(典拠が示されていないのも、どのサイトにも共通する特徴。記述が引用されているサイトが共に、あまり参照したくないような雰囲気が漂っている点も共通する…)。 よって、この記述については、真偽(信憑性)の点において、今のところ保留にさせてもらいますね。

 典拠が示されていない以上、正しいかどうかの判断もできない。けれど、上掲の説明は一読して不審に感じられてしまう。
「明治時代初期に官吏が乗っていた、頭に赤い電灯を載せた馬」とあるが、パトカーなどが緊急の際に点滅させる赤い電灯のようなものが、それに類似するものだとしても、明治時代初期にあったろうか。
 確かに官吏(の一部)は馬に乗って巡回などしたりもしていたようだが。

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2005/08/24

不知火…龍燈

 気が付けば8月も残すところ僅か数日数となってしまった。暑さにすっかり弱くなってしまった小生、暑い日々の過ぎ去るのを待ち望んでいたような…。
 でも、もっと単純にただただ暑さにめげていただけなのかもしれない。
 8月というのは季題が少ない月のようである。少ない月というと、2月や9月が少ない。一番、季語例の少ない月は、10月か11月のようだ。
 といいつつ、小生、まだ、季語と季題の区別もあやふやなのだと改めて痛感。「俳句ランド」の「編集後記」の中の、「イ 季題と季語の違いについて」なる項を参照させてもらう。
 そこには、「季題とは「春」「夏」「秋」「冬」(「新年」)のこと」、「季語とは「歳時記」や「季寄せ」に載っているもの」とあり、さらに説明が付されているが、小生には今一つ、ピンと来ない。

 季語や季題が少なくても、どの言葉も気になってならない。たとえば今日は、表題にある「不知火」が目に飛び込んできた。
 漁火による蜃気楼現象のようだが、詳しくは知らないし、まして見たことは、多分、ないはず。
(正体が分からないから、見たことがないと断定することもできない。)

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2005/08/23

走馬燈と影絵と

 8月の季語例を眺めていたら、表題の「走馬燈(そうまとう)」に焦点が合った。
 といって、小生に走馬燈についての格別な思い出や思い入れがあるわけではない(と思う)。
 あるいは「坂川清流 灯篭まつり」へ行ってきたから、灯篭絡みの言葉に因縁を感じたのか。

 子供の頃、走馬燈を作ったという幽かな記憶がある。けれど、学校の工作で作ったのか、それとも家での遊びとして作ったのか、あるいは、何かの雑誌の付録に簡単な走馬燈のキットがあって、試しに作ってみただけなのかもしれない。
 ただ、作った走馬燈は、子ども心に幻想味を覚えさせてくれたという朧な印象があるのだが、しかし、脳裏を探ってみても、記憶がまるで定かではない。
 今の時代、走馬燈を作るなんて酔狂なことをする家庭や学校など、あるのだろうか。

 ま、その前に、走馬燈とはどんなものなのか、説明する必要があるのかもしれない。もう、縁日でさえも、そうそう簡単には目にすることはないようだし。
夏の季語(行事・暮らし-50音順)」を覗かせてもらうと、「薄紙を貼った枠内の筒を回すと色々な影絵が見える灯籠」であり、類義語に「回り灯籠」があるとされている。
俳句歳時記」の中の「季語集・夏」だと、「軒先や窓に吊して影絵を楽しむ玩具で涼味豊かなものがある」といった説明が付されている。

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2005/08/22

ディアスポラ…書くことが生きる場所

 徐 京植著の『ディアスポラ紀行   ―― 追放された者のまなざし ―― 』(岩波新書)を読了した。
 図書館の新刊書のコーナーに展示されていて、まず、大方の方の目に止まることはないだろうと察せられる本。日本の生煮えな状況にあっては、想像を絶する世界が、世界各地に、どころかこの日本国内にも厳然たる現実としてあったし、あるということを教えてくれる著者であり本なのである。
 出版社側のレビューによると、「生まれ育った土地から追い立てられ,離散を余儀なくされた人々とその末裔たち,ディアスポラ.自らもその一人である在日朝鮮人の著者が,韓国やヨーロッパへの旅の中で出会った出来事や芸術作品に,暴力と離散の痕跡を読み取ってゆく.ディアスポラを生み出した20世紀とは何であったのかを深く思索する紀行エッセイ.」とか。

「ディアスポラ」という表記を見た瞬間、小生はキリスト教かユダヤ教の歴史紀行の本かと思った。レビューにもあるように、「ディアスポラ」とは、字義的には、「本来は,分散・離散を意味するギリシア語で,捕囚の後にイェルサレムに帰らない離散したユダヤ人をとくにさす」と理解するのが常識だと思っていたし。
 本書の中では著者は『世界大百科事典』(平凡社)での説明として、「大文字のディアスポラという語は本来、「<離散>を意味するギリシャ語」であり、「パレスチナを去って世界各地に居住する<離散ユダヤ人>とそのコミュニティを指す」を示している。
 が、直ちに以下の断りが付せられている:

「ディアスポラ」という言葉は今日では、ユダヤ人だけでなく、より一般的にアルメニア人、パレスチナ人など、さまざまな「離散の民」を言いあらわす小文字の普通名詞として用いることが多くなっている。

 小文字のディアスポラが普通名詞として用いられることが多くなっているのかどうか、小生には確かめようがない。

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2005/08/21

自然という書物

 季語随筆「田舎で読んだ本」(August 18, 2005)の末尾で、「この二冊を読み終えた後、三冊目に手をかけたが、思いの外の好著にめぐり合えた。その本のことは、後日、採り上げるかもしれない」などと、思わせぶりというか、半端な科白を吐いている。
 その本というのは、トマス・レヴェンソン著『錬金術とストラディヴァリ―歴史のなかの科学と音楽装置』(Thomas Levenson 原著、中島 伸子訳、白揚社)のことである。
 出版社側のレビューを示しておくと、「顕微鏡からコンピュータ、オルガンからシンセサイザーまで、科学と芸術はどのように補い合い、知的調和をもたらしてきたか。西洋の科学と音楽の歴史を独自の視点で見直した、ピュタゴラスから現代に至る科学的思考発展の物語」ということで、音楽史の本であり、科学史の本でもあるが、詰まるところ、哲学史というより哲学の本と思っていいだろう。
 といっても、堅苦しさは全くない。知見に富んでいて、西洋哲学を少しは齧った小生も水の哲学者タレスの「水」の意味するところ、ピタゴラスにとっても、それとも西欧における音と数の今日に至る洞察の意味合いの深さを改めて感じさせてくれた。
 最初は、表題の「錬金術とストラディヴァリ」という取り合わせに、奇矯な感じ、意表を突くだけの本だろうと図書館で本の背の題名を見たときは思ったが、パラパラ捲ってみて、しっかりした記述と内容を直感。
 長年、少しは本を齧ってきただけに、面白いかどうか、信頼できるかどうかの大雑把な判断は付く。また、一読してみて、見当に間違いがなかったことを確認した。

 この本を田舎で読み始めて、その続きを読みたくて、富山から東京への高速の道をもどかしい思いで走っていたのだった!

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2005/08/20

猫じゃらし…エノコロ

 猫じゃらしと呼ばれたりする草の一種エノコロ(グサ)については、この季語随筆でも、2月の季語である「猫柳(ねこやなぎ)」(February 07, 2005)の項で、若干、触れたことがある。s-DSC00989

「猫柳」を見ると、ありがちな連想で「エノコロ」にも一言したくなったのである。

           これってエノコロ? →

 その中で、「ネコジャラシと猫の胃」というからの引用の形で、以下のように書いている:

狗児(えのころ)とは、子犬のことのようだ。「「イヌのコ」が「エノコ」の発音され、エノコは仔犬を指しました。漢字では「狗」という字を当てます。羊頭狗肉(ようとうくにく)の狗」なのだとか。

 今、ネット検索していたら、「水曜通信(2003-09-28)」の中に、次のような説明を見つけた:

「犬ころ草」が転訛して「エノコログサ」となったという説もあるが、語源的には「ヰヌ(いぬ)」を「ヱヌ(えぬ)」と言ったことに由来すると考えられる。これはワンが、ヱン、ヱヌと転じたもので、サワサワがサヱサヱ、サヰサヰとなったのと同様に、ワはヱ、ヰと転じる傾向がある。

 「水曜通信(2003-09-28)」からは転記しないが、ここには、猫じゃらしやえのころなどの語の織り込まれた句が幾つか紹介されている。
 それにしても、エノコロにしても、語源については、調べる余地がまだまだありそうだ。

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2005/08/19

酔芙蓉…一夜の夢

 昨日、書いた「田舎で読んだ本」(August 18, 2005)で、高橋治著の『風の盆恋歌』(新潮社刊。新潮文庫)を採り上げた。
 その際、この小説や歌の中で「酔芙蓉」が重要な役回りを果たしていると書いている。
 せっかくなので、昨日は調べきれなかった「酔芙蓉」のことを若干でも、探っておきたい。
季節の花 300」というサイトを参照させていただく。

 まずは、「酔芙蓉」の様子を画像で見てみたい。
芙蓉 (ふよう)」によると、「開花時期は、8/1頃~10/5頃」であり、「朝のうちは白く、夕方になるにつれてだんだん赤くなるという珍しい花。 ”酔っぱらった”と見なした。ピンクの芙蓉を夕方に見ただけだと、ふつうの芙蓉と見分けがつかないけれど、朝、白かった花が夕方ピンクになってればこの「酔芙蓉」かもしれませんね」という。
「「昔から美しい人のたとえに用いられている花で、 美しくしとやかな顔立ちのことを「芙蓉の顔」という」…、だとしたら、そのように言われてみたい女性も多いのではなかろうか。

枯れ芙蓉」があって、「枯れたあとの姿も印象的」だとのこと。画像を見ることができるが、普通なら萎れ枯れた花に名前など付さないわけで、敢えてそうするほどに印象的なのは確か。

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2005/08/18

田舎で読んだ本

 一週間ほど田舎で過ごしてきた。学生時代はともかく、三日以上を郷里で過ごしたのは久しぶりである。
 何故、一週間も過ごすことになったのか、その事情は私的なもの(他人様に関わるという意味)なので書けない。が、家事などに勤しんでいたとは言える。それでも、日中や夜中などに暇な時に恵まれたりする。読めるかどうか分からなかったけれど、図書館で借りた本を四冊も持参して行った。
 田舎にはネット環境になく、季語随筆も綴れない。このこともあって、読みきれるはずもないのに四冊も抱えて帰帰郷した次第なのだった。

 案の定、読めたのは二冊だけ。
 一冊は、高橋治著の『風の盆恋歌』(新潮社刊。新潮文庫に入っているようだ)。
 出版社のレビューによると、「死んでもいい。不倫という名の本当の愛を知った今は―。ぼんぼりに灯がともり、胡弓の音が流れるとき、風の盆の夜がふける。越中おわらの祭の夜に、死の予感にふるえつつ忍び逢う一組の男女。互いに心を通わせながら、離ればなれに20年の歳月を生きた男と女がたどる、あやうい恋の旅路を、金沢、パリ、八尾、白峰を舞台に美しく描き出す、直木賞受賞作家の長編恋愛小説。」とのこと。
 察せられるように、小生は富山出身の人間。なのに、富山は八尾が舞台である風の盆を見たことがない。時期的に八月末から九月上旬は帰省が難しい。
 せめて、風の盆という祭りの独特の雰囲気や八尾が舞台の有名な小説くらいは読みたいと前々から思っていたのである。
 ドラマ化されたし、石川 さゆりが同名のタイトル(作詞:なかにし 礼、作曲:三木 たかし)の曲を歌いヒットしたこともあって、「風の盆恋歌」を知る人も少なからず居るのではなかろうか。曲の歌いだしには、「蚊帳の中から 花を見る 咲いてはかない 酔芙蓉 若い日の 美しい 私を抱いて ほしかった しのび逢う恋 風の盆」とあるが、実際、小説では、蚊帳の中の二人の暑い夜の描写が印象的だった。
 また、歌詞には酔芙蓉という花が折に触れて登場してくる。小説でも、この花が重要な役割を果たすのだ。

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2005/08/17

花炭…富山大空襲

 ある人のサイトの「投稿ポエムBBS」を覗いたら、「みそはぎ」や「花炭(はなすみ・はなずみ)」という言葉を見つけた。
 ブログの日記を読み返してみたら、「08月13日」に関連する記事が書いてある。小生、帰郷していて不在で、読み逃していたのだ。

 前者はネットでも調べたし、(BBSの)管理人さんも丁寧に説明してくれて意味合いや花の風情など、分かった。季節柄、飽きの季語である「みそはぎ」を季語随筆の俎上に載せるべきなのだろうけど、今日は、敢えて、「花炭」に拘ってみる。
 まず、「花炭」なるものを画像などで見てみたい。
七飯の花炭/七重野うふふ」というサイトを覗かせてもらう。
 表紙に「飾り炭は花炭(はなすみ・はなずみ)と呼ばれており、五百年来の歴史があるそうです。菊炭と共に、植物の根や実を炭化し、茶道の道具炭や飾り炭として珍重されていたと言われています」とある。
 さらに、「私共の飾り炭は、自然の野山の産物を主に素材にしています。立枯れしたり、地上に落下した植物を採集し、傷みのひどい箇所を最小限に取り除き、汚れを落とし炭化という変身をすると、美しい炭になります」とあって、興味深い。

花炭逍遥」というサイトにお邪魔させてもらう。「このページは週末に西多摩自然フォーラムの様々な活動に参加しながら、自然の中で楽しんでいる様子をまとめてみたもので」、 「主に、炭焼、竹切り、炭材作りなどの作業をしながらお花炭を楽しんでいます」とか。
 いきなり表紙に、「鷹の爪の花炭」なる画像が。おおっ、である。
 このサイトの「花炭」の頁を覗いてみる。
「お花炭とは、木の実、花、葉、果物、竹の根や枝などを炭化させて作る炭の一種です。素材をそのままの形で炭化させることが出来ます。素材としては、山にあるものでは松ぼっくり、栗のイガ、ヒョウタンなど、野菜ではれんこん、鷹のつめ、落花生などが面白いです」とある。
 また、「お花炭は、五百年もの昔から、茶の湯の世界や武将などの茶室などで菊炭と共に使用され、飾り物としても愛でられ、優雅で高尚なものとして扱われていたようです」とあって、茶の湯の世界に日頃、馴染まれている方には、あるいは当たり前の風物なのかもしれない。
(文中の「菊炭」は、たとえば、「菊炭とチレンジア」など参照。詳しくは、「能勢菊炭(池田炭)-インテリアやギフトに豊臣秀吉が茶会で用いた能勢菊炭 池田炭」がいいかも。)

「花炭」だけでネット検索したら132万件もヒットして驚いたが、どうやら「花」と「炭」とに分割して網に掛かるものも掬い上げているからのようだ。
 ブログの日記で、「先日、幼稚園の催しで、花炭のアレンジメントを作りました」という書き出しのものがあった。小生が無知なだけで、案外と身近な飾り物として親しまれているのかもしれない。

 発見はネットでは叶わなかったが、どうやら「花炭」は冬の季語としても使われるようである(残念ながら断言はできない)。「炭、消炭、炭団、 炭火、埋火、 炭斗、炭竈、炭焼、炭俵、炭売、焚火、榾、炉、囲炉裏、暖房、温突、ストーヴ、スチーム、炬燵、置炬燵、助炭、火鉢」とでは列挙されているのだが。

 さて、今日の季語随筆のテーマに「花炭」を選んだのは、以下、若干綴る野暮な話に持っていきたいからである。
 戦争と原爆のことは、若干、既に触れたので、以下は、富山大空襲の話題に移る。花炭と原爆や空襲と、どういう関係がある? 焼け焦げた死骸とあからさまに書いていいものか…。

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2005/08/15

お盆

 集まれる親族の隅蚊の飛べり   
 賑わいに居たたまれずにうろうろと  pic_0000_5 
 道行ける人皆番(つが)うはずもなき  
 いずこにも居場所なくて本を読む
 白き闇一陣の風吹くを待つ   
 暮れる空見つめつ行くも道はなし


[ 画像の奥に見える杉林の脇に墓地がある。昔はお招来(オショライー)をやったものだけど、近所迷惑ということもあって(?)、最近はしなくなったみたい。 (05/08/16 追記)]

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2005/08/10

白いドレスの女

 本日は、季語随筆ではなく、虚構作品です。
 文中、膝栗毛の話題が出てきます。小生の好きな十返舎一九作「東海道中膝栗毛」の中の浜松宿での幽霊騒ぎ。
夢出あい旅 サイバー五十三次」の中の「夢出あい旅 膝栗毛の街道」、その「浜松宿」を参照させていただきました。
 この話を読むだけ、十分以上に楽しいかも。

 ということで、別頁(窓)にて、タクシーに絡む怪談風の話を提供します。

 明け方の六時前にはほぼ完成しかけたのですが、パソコンのトラブルで文章が消滅。ショックでした。でも、意地で再度、書き直し。同じものが書けるはずもなく、涙、涙でした。
 小生にとっては、思いがけないときに文章が消えてしまうパソコンこそが怪談や幽霊より怖い!!
 ああ、雲散霧消した我が幻の傑作よ、カムバック!!

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2005/08/09

闇に祈る

 別頁(窓)にて、創作を示します。「日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル」との連作です。カタカナ部分は、言うまでもなく、原民喜のもの。
 引用は、「原民喜 原爆小景」から引かせて頂きました。
 その頁の末尾にもあるように、「このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです」。
 改行は小生が勝手に手を加えました。
 別に原爆の爆風で詩の形が歪んだわけではありません。
 コラボレーションであるかのような形を選んだのは、とにかく、原民喜の世界を読んで欲しいから。
 あれから60年。何が変わり何が変わらないのか。受け継がれるべきは何か。実体験のないものの出来ることとは何か。何一つ、分からないでいる。
 分からない方がいいのかもしれない。
 永遠に考え求め続けることができるのだし。

[ 「原爆忌」あるいは「原爆の日」という季語がある。広島だと8月6日。長崎だと9日。ところで、立秋は今年は、7日だった。となると、広島の「原爆の日」は夏の季語であり、長崎の場合は、秋の季語ということになるのか。印象としては夏真っ盛りなのだけれど。季語では、「広島忌」とか「長崎忌」という表現で混乱を避けている?
季題【季語】紹介 【7月の季題(季語)一例】」では、「原爆忌」は広島・長崎の別なく、夏の季語扱いのようだが。

 ところで、上述の季語の件とは話が違うのだが、「清水哲男『増殖する俳句歳時記』」にて、興味深い記述を見つけた。
「舌やれば口辺鹹し原爆忌    伊丹三樹彦」の項のことである。
「ところで知らない人もいるようだが」と前ぶりがしてある。小生は知らなかった。続いて、「十余年前のアメリカの情報開示により、広島長崎以前に、既に原爆犠牲者と言うべき人々が存在していたことが判明した。すなわち、同型の模擬爆弾を使った本物投下の訓練が、事前に日本各地五十カ所余りで行われていたのだった」云々とあるのだ(以下、詳しくはリンク先をどうぞ。」2005年7月20日付「毎日新聞」に基づく情報らしい)。
 さらに、「これは最近の情報開示によるが,戦後歴代の首相のなかで、池田勇人と佐藤栄作が日本の核武装化を目指していたこともわかった」ともある。これは小生も新聞で読んだ。結局はアメリカの政権中枢に反対され、断念したとか。時の政権トップというのは冷徹にあらゆる可能性を模索するものだと改めて痛感。ノーベル平和賞どころの話じゃないのだね。 (05/08/10 追記)]

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2005/08/08

太陽・ゲノム・インターネット

 野口聡一さんらを乗せたスペースシャトルの地球大気圏内への帰還の時が迫っている。(参議院での郵政法案の行方、さらには国政の行方も気になるのだが)、小生にはシャトルの無事の帰還が願われてならないのである。
 これまた偶然なのだろうか、フリーマン・J. ダイソン著『ダイソン博士の太陽・ゲノム・インターネット―未来社会と科学技術大予測』(中村 春木/伊藤 暢聡訳、共立出版)を読んでいたら、奇しくもまた、その中で、スペースシャトルに触れる記述に出逢った。
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 彼がスペースシャトル(計画)に批判的だったということを、恥ずかしながら小生は本書を読んで初めて知った。
←紫苑さんにいただきました!
 恥ずかしながらというのは、小生、これでも、『宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝』(鎮目恭夫訳、ダイヤモンド社刊)などを読んできたし、彼に関心を払ってきた経緯があるからである。
 ほんの3年前には、『宇宙をかき乱すべきか』を再読し、書評エッセイも試みている。本書は、ダイソンの人となりを知るには最適の本である。

 さて、ネットを通じてあれこれ調べてみた。
MSN-Mainichi INTERACTIVE 科学 余録:スペースシャトル」によると、「ダイソン教授が「ターキー」、つまり飛べない鳥と評したのがスペースシャトルである。教授は88年のエッセーで、シャトルは技術開発の典型的失敗例と書いている(「ガイアの素顔」工作舎刊)」らしい。
「低価格で操作は簡単、頻繁な飛行に耐え、しかも安全というのがシャトルの売り物だった。だが、実際にはどれ一つとして満たしていなかったというのが教授の診断だ」というのだ。

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2005/08/07

落雷…盆踊り…石垣…人垣

 新聞を取っていないので、テレビ欄もネット上でニュース記事を読む機会が多い。
 ニュースの記事を漫然と眺め、クリックを続けていたら、小さなニュースが目に飛び込んできた。それは、「<落雷>盆踊り中の10人負傷 島根・邑南町 [ 08月06日 10時18分 ] Excite エキサイト ニュース」という見出しの記事。毎日新聞の情報らしいが、記事の全文を読んでも呆気ないほど簡単な内容:

 5日午後7時15分ごろ、島根県邑南(おなん)町上亀谷、特別養護老人ホーム「ゆめあいの丘」広場で地域住民ら約100人が盆踊り中に落雷があり、うち保育園児2人を含む10人が負傷した。いずれも軽傷という。  島根県警川本署の調べでは、同7時ごろから盆踊りが始まり、直後に雷雨が激しくなって踊りのやぐら付近に落雷があったという

 読むと、「5日午後7時15分ごろ」の落雷による被害らしい。そんな小さな事件が(被害に遭われた方たちには申し訳ないが)6日の午前になっても記事のメニューの中にあるというのは、ちょっと不思議。

 さて、どうしてこんな耳目を奪うわけでもなさそうな記事が小生の目を一瞬たりとはいえ、釘付け(大袈裟!)したのか。
 実は、島根県は松江市では盆踊りが行われない、という話を以前(数日前!)、ラジオか何かで聞いたことがあるからである。事件の現場は、島根県邑南(おなん)町とある。ここは、島根県邑智郡邑南町という住所だから、松江市というわけではない。
 だから、昔、松江市は盆踊りをしないという決め事があったとしても(今もあるのか、いや、その前に、昔、そんな決め事があったのかも詳しくは知っている訳ではない…)、邑南町には預かり知らぬことなのかもしれない。

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2005/08/06

日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル

 小生はこの数年、原爆をイメージした虚構作品を書いてきた。
 一昨年は、「黒い雨の降る夜」、昨年は、「闇に降る雨」である。
 いずれも掌編と称するしかない短いもの。それでも体力と気力が要る。小説は徹底して虚構の世界と決めている小生。現実の世界に取材して物語することはない。随筆やレポートは別だが。
 さて、今年は、どうしたものかと迷ったが、敢えて試みてみた。タイトルは、表題の如く、「日蔭ノナクナツタ広島ノ上空ヲトビガ舞ツテヰル」である。
 これは、知る人は知っているのだろうが、原民喜の「原爆被災時のノート」からの一文を採ったもの。
 リンク先にあるように、「このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さん」なのである。

 というわけで、別頁は、いつも以上に野暮な世界が示されています。覚悟の程を!
 書き手としての願望としては、上掲の「黒い雨の降る夜」や「闇に降る雨」と併せて読んで欲しいのだが、我が儘だろうか。
 ま、常識としては、原民喜の『夏の花』、井伏鱒二の『黒い雨』、林京子や竹西寛子の作品などを薦めるべきだろうが、今更だろうからと気兼ねしてしまう。

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2005/08/05

平和のリアリズム…

 今、政治に関係する本を二冊、並行して読んでいる(ほかに、フリーマン・J. ダイソン著の『ダイソン博士の太陽・ゲノム・インターネット―未来社会と科学技術大予測』(中村 春木/伊藤 暢聡訳、共立出版)やジャン=クリストフ・リュファン著の『ブラジルの赤』(野口雄司訳、早川書房)も並行して読んでいる)。
 一冊は、徐 京植著の『ディアスポラ紀行 ―― 追放された者のまなざし ――』(岩波新書)でレビューによると、「生まれ育った土地から追い立てられ,離散を余儀なくされた人々とその末裔たち,ディアスポラ.自らもその一人である在日朝鮮人の著者が,韓国やヨーロッパへの旅の中で出会った出来事や芸術作品に,暴力と離散の痕跡を読み取ってゆく.ディアスポラを生み出した20世紀とは何であったのかを深く思索する紀行エッセイ」とある。
 もう一冊は、藤原 帰一著の『平和のリアリズム』(岩波書店)で、カバーの見返しには、「全面核戦争の脅威の終焉に安堵した世界は、いままた新しい戦争の時代に突入した。各地で火を噴く地域紛争、高揚するナショナリズム、民主化後の政治不安、そして、テロと帝国の暴力……。著者は、この不透明な世界に対してたえず冷徹な分析を行い、リアルな平和構想を打ち出してきた。冷戦の終焉からイラク戦争に至るまでの粘り強い思考の成果を初めて一冊に収めた待望の時論集」とある。

 奇しくもというべきか、昨夜、ラジオ深夜便で、音楽プロデューサーの中野 雄氏へのインタビューという形で「政治学者・丸山眞男から学んだこと」というテーマで話を聞くことが出来た。
 まあ、例によって仕事の最中だったこともあり、断片的に聞きかじっただけだが、政治関連の本を読んでいたこともあり、特に今、その書を手にしている藤原 帰一氏のことを思い浮かべながら、あれこれ思っていた。

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2005/08/04

羅(うすもの)…クールビズ

 もうそろそろ歳時記上は秋になろうとしている。でも、今週はギリギリ、夏の扱い。
 どうも、季語に拘ると、実際の季節感との齟齬があったりし、むず痒い感じが起きて、スッキリしない。

 さて、表題の「羅(うすもの)」は、夏の季語である。「絽 紗 薄物 薄衣 軽羅」といった類義語があり、「紗・絽・上布など、薄く軽やかに織った織物」の意のようである。
こっとんの部屋」の「季語夏」を覗くと、「羅(うすもの)」の項があり、以下のような説明に出会える。松本たかしの句も添えられている:

盛夏の薄織の絹布の単衣、絽(ろ)・紗(しゃ)・明石・上布などをいいます。「蝉の羽衣」と蝉の羽のように、薄く透明感があり、いかにも涼しげです。着ている本人のことよりも、いかに涼しげに見えるかということにより気を配った昔の女性の心意気のようなものが感じられます。

 羅をゆるやかに着て崩れざる    松本たかし

 今朝だったか、テレビで、ミスハワイの方が石原都知事を表敬訪問し、クールビズにアロハシャツをどうぞと薦められていた。
 テレビで国会議員やお役人のクールビズ姿を見ると、いかにも何処かの高級ブランドのシャツを誰かに着付けられるままに着ている、クールビズがお仕着せのように、そんなぎごちなさを感じさせる。

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2005/08/03

地獄絵をよむ…美と苦と快と

 澁澤 龍彦/宮 次男著『図説 地獄絵をよむ』(ふくろうの本、河出書房新社)を読了した…というべきか、挿画を眺めた…というべきか、それともちょっとばかり回想に耽っていたというべきか。
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 ←健ちゃんさんからいただきました!

 こんな本を、今夕はサンバのパレードに行くというその日に図書館で借り出す自分って、変?
 澁澤 龍彦氏の諸著を学生時代などに何冊となく読んできたが、同じく学生時代に読んだ(眺めた)宮次男編著の『日本の地獄絵』(芳賀書店)一冊のインパクトには到底、叶わない。
 1973年刊のこの本は惜しくも絶版になっているようだが、小生には思い出深い本である。
 翌年だったかに刊行された源信の『往生要集』(石田瑞磨校注、日本の名著4、中央公論社)も単なる好奇心を超えて貪り読んだ。
 こうした一連の書籍の中で、何が自分を捉えて放さなかったのか。
 なんといっても、地獄絵に止まる。地獄草紙、餓鬼草紙、病草紙などの六道絵、北野天神縁起絵巻などに描かれる世界は、自分にはリアリティを以って迫ったきた。
 病草紙といえば、立川昭二の諸著も読み始めたのは学生時代だった。小生が六道絵の類いを最初に知ったのは、では、一体、いつ頃のことで、どのような形で、なのかは分からない。
 もしかしたら、小生にとって最初の梅原 猛の本である『地獄の思想―日本精神の一系譜』(中公新書。絶版?梅原猛全集でしか読めないのか)においてだったかもしれない。

 あるいは、その端緒は、富山生れで育ちの小生のこと、立山曼荼羅の絵図にあったのかもしれない。
 あるエッセイで、小生は、「このサイトに見られるような立山曼荼羅の絵図は、小生には何故か馴染み深い。ガキの頃に、何かの折に見せられ、初心な小生は、絵図さながらの世界に夢の中で幾度も<遭遇し体験>したものだった」と書いている。
 地獄絵と(時期的に関心の上でも)重なるように幽霊画の数々も折々眺め親しん(?)できた。
 もっとも、同時に、伊藤晴雨の責め絵の世界にもドップリと浸っていた。地獄。苦の極みであり、快の極地であり、美の極致でもある責め(絵)。

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2005/08/02

川端龍子の世界へ

 ひょんなことから、川端龍子の世界の一端に触れることになった。
 その事情などは、別頁(窓)に転記の形で示しておいた。
 図書館で、川端龍子著で画の『詠んで描いて四国遍路』(小学館文庫)という本を最初は時間潰しのつもりで読み始めたが、段々、彼の世界に惹かれていくのを感じていた。
 小生、さすがに川端龍子が高名な画家であることは知っていたし、その大作の幾つかを画集などで眺めたことはある。小生の居住する地域から、川端龍子記念館のある南馬込までは、小生の足でも、三十分もあれば行けるかもしれない。
 なのに、あまりに近すぎるから…というより生来の怠慢と、それ以上に、恐らくはとことん彼の作品に魅了されてはいかなったこと、まして、彼が俳句を嗜んでいたなどとは、上掲書を読むまでは全く、知らなかったのである。
 迂闊だし、不勉強の謗りを免れないところである。
 記念館の正式名称は、「大田区立龍子記念館」のようである。
 このサイトにも明記してあるが、「1963年,日本画家・川端龍子自身によって喜寿の記念に設立された。1991年からは大田区によって運営されている。」という。
「川端龍子自身によって喜寿の記念に設立された」! というところに彼の人となりが現れているのか。
 といって、小生、彼を貶めるつもりで書いているのではなく、むしろ、彼の反骨根性をこそ思い浮かべている(このことは、後述する)。

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2005/08/01

今日は水の日

 野暮用があって休日は日頃、部屋で無精を決め込む小生も町まで外出と相成った。駅まで小生の足だと徒歩三十分。トホホの距離である。なので、行きはバスを利用。
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 ←紫苑さんにいただきました!

 その前にバス停近くの写真店に昨日の撮影分の現像を依頼。写るんですという謳い文句だけれど、写っているかどうかは、結果を見ないと分からない。出来上がりが楽しみでもあり不安でもある。
 駅周辺で用事を済ませると、帰りはトボトボと歩き。とはいいながら、本人はせっせと歩いているのだが、後続の方たちにドンドン追い抜かれていくので(それも、見るところ、急いでいるようではない!)、体裁上、のんびり歩いていると、見栄もあって、若干のウソ混じりの表現をせざるをえない。
 ゆっくり歩いている人に追い抜かれるとなると、小生は、人が見たらスローモーションで歩いているように見えるかも。まさか、商店街のアーケードで宇宙遊泳の真似事をしているとまでは思われていないと思うけど。
 足が短い? 本人が思っているほど、足が出ていない? 体が重い? 
 いずれにしても、悲しいものである。

 というわけで、昨夜といい、今日の午後といい、商店街を歩く羽目になったわけである。何も昨夜を懐かしんで、遠く離れた我が住地近くの商店街の路肩を歩いてみたというわけではないのだが。
 さて、表題は「今日は水の日」とした。
 誰かが予想しているように、炎天下を歩いて汗だくになった、ここから強引に水の話題に持っていこうなどとは微塵も考えてはいない(こともない)。
 実は、駅からの帰り道、途上にある図書館に立ち寄るつもりでいたのである。小生には三十分の道のりを直射日光を浴びながら歩くのは酷というもの。なので、ほぼ半分ほどの場所に位置する図書館に寄って、新聞を捲るか雑誌を眺めるか、司書の美しいお姉さま方の勇姿を眺めるか、本の背表紙くらいは、世間体もあって立派に並んでいることを確認くらいはしようかな、という算段、腹積もりである。
 最後の本の背表紙の並びを確認すること以外は、目論見を果たした。
 ところで、図書館の入口付近にある新聞コーナーで新聞をパラパラ捲ってみたら、「水の日」の話題が社説欄に採り上げられていたのである。確か、毎日新聞だった。

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