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2005/07/07

水の綾…句作一周年

 あるサイトで、「連歌」の形式に拘るということではなく、気軽に「短い詩」の連なりを、ということで一緒に楽しもうという誘いがあった。時折、小生も気侭に誘いに乗ってみることがある。今回のテーマは、「」とあった。
「水」がテーマ。
 最初の歌なので、慣行からして俳句や川柳よりも短歌が相応しいような気がする。けれど、俳句も川柳も覚束ない小生だが、短歌(和歌)も全く経験がない。
 なのに、「」をテーマに、どんな短歌…たとえ短歌モドキであったとしても…を作ったらいいのか、皆目、見当が付かない。
 あるキーワードをネット検索の窓に放り込んでみたら、検索結果の中に「水の綾」という言葉を発見。ありそうな、ありがちな、でも、小生には初見の言葉。季語なのか。季語に「水の綾」なんてあったっけ?

 とりあえず、「水の綾」を説明してくれるサイトを覗いてみる。それは、「珈琲とリスニングルームのバッハ」なるサイトの「水のことのは Ⅲ」の「潤すの章」という頁である。
季語 8   水の綾(みずのあや)」として、「静まりかえった水面が風などでると、小さな水のひだが生まれるのを水の綾と言う。魚の浮沈や蛙の出入りなど、水はなにものも受け入れて、笑顔のように波紋で答える
 確かにここには季語として表に載せられ、説明が施されているのだが…。
 ただ、「季節のことのは・季語」という表の、「水のことのは   水の章」なので、日本の伝統に由来する言葉ではあっても、季語とは限らないような感もある…。

 ネット検索で、「水の綾」なる言葉を織り込んだ句を探してみる。「さまざまに水の綾あり夏終る    樋口 嘉一」がすぐに見つかったが、「水の綾」より「」が季語扱いされていると見なした方がよさそうである。
 あるいは、「ざぶざぶと洗ふ野蒜に水の綾」も見受けられたのだが、どうみても、「野蒜」が春の季語扱いされているのは明らかのようだ。

 残念ながら、ネット検索の網には、「水の綾」という言葉を織り込まれた句はあまり見つからない。
 では、「歌」に関わる作例はないのか。

 歌では、たとえば、恐らくは最近の歌なのだろうが、「春されの 川面に揺れる 水の綾 誘う金波に 魚(いお)も巣離れ」が見つかった
 ほかに、「風立ちて水面に生れし水の綾君に待たるる心地こそすれ」も味わい深い歌も「京ひとり旅」なる頁で見つかった。

 古典で探してみる。
「拾遺和歌集卷第十七  雜秋」に、「平定文  仁和の御時屏風に七月七日女の河水浴みたる所」として、「水の綾をおりたちてきむぬき散し七夕つめに衣かすよは」なる歌が見出される。
 あるいは、藤原定家が勅撰に関わった作品集で、西行法師の歌が「集中最多の94首が入集している」ことでも有名な『新古今和歌集』に健守法師の歌として、「水のあやに 紅葉の錦 重ねつゝ 河瀬に浪の たゝぬ日ぞなき」があるようだが。
 意味合いは、「波紋すなわち水の綾に、紅葉の錦を重ねながら、川瀬に波が立ち、綾や錦を裁たない日はない」ということか(「Lentement」より)。

 手元に事典がないので、はっきりとは分からないのだが、どうやら「水の綾」は「拾遺和歌集」から「新古今和歌集」などの前後から和歌の伝統の中に織り込まれてきた言葉のようだ。
 とはいっても、ネットの世界では句・歌ともに、見つかる作例が少ない。

 やはり、今のところ、上掲したように「水の綾」とは、「静まりかえった水面が風などでると、小さな水のひだが生まれるのを水の綾と言う。魚の浮沈や蛙の出入りなど、水はなにものも受け入れて、笑顔のように波紋で答える」だという説明で満足しておいた方がいいようだ。

波紋」という言葉と同義というわけでもなさそうだ。
あくまで、風や魚の浮沈、蛙の動き(カワズ飛び込む…)など、人為的でない原因での波紋という受け止め方が相応しいのかもしれない。

」を「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」で調べてみると、語義は少なからずあるようだが、主に、「(1)物の表面に表れたいろいろの形・色合い。模様。特に、斜交する線によって表された模様をいう。 「―を描く」」という説明が参考になりそう。

 さて、小生は冒頭の「短い詩」の連なりを、という誘いには、苦し紛れというわけでもないが、「水の綾風のまにまに揺れ惑う恋の行方を占うがごと」としておいた。
 句も歌も即興が命と心得ているので、意味も分からないままに、小生には目新しい「水の綾」という言葉を織り込んだ歌を、とにかく歌っておきたかったのだ。
 で、今頃になって、どんな意味や歴史的背景があるのかなと、調べているというわけである。順序が逆だが、即興を旨とする以上は、こういう不具合も覚悟するしかない。

水の綾」という言葉が目新しいのは確かだが、とにかく、言葉として美しいし、イメージのふくらみが豊かで繊細である。
 人為性を排除しつつも、「目」は徹底して人為的なのが日本人の好む「自然」なのである。どんな山の中の風景であろうと、誰もいないはずの、今にも息の事切れそうな状況の歌や句であろうとも、そこに見つめる誰彼の目だけは最後の最後まで意識している。
 目線と観察の文学。

 自分が素養がなくて、勝手にありがたがっているだけなのかもしれないが、今日は、ひょんなことから「水の綾」という言葉を<発見>することができただけでも、ありがたい日となった。
 それもこれも、七夕の御蔭だろうか。
 そういえば、小生が句作(敢えて俳句とも川柳とも断ったりしない)を試み始めたのが昨年の七夕直前だった。
 そう、「祝! 句の道一周年!」なのである。

 記念すべき最初期の作品は、以下の通り:

 " 更年期心を着替えてリフレッシュ "
 " 短冊の願いを読まれて恥を掻き "
 " 短冊に願いを託して星を見る "

 なんだか、今の句とレベルが同じような気がする。

 尤も、季語を勉強し始めたのは昨年の八月末か九月の初め、つまりブログの開始と一緒なので、俳句の勉強はまだまだこれからである(と、弁解しておく)。
 この先、どうなることやら思いやられもするが、楽しみでもある。
(「水の綾」については、何か分かったら、随時、補筆・加筆・訂正していくつもり。情報があったら、教えて欲しい。)

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コメント

今晩は~投句ありがとうございました!
ちょっと余裕の無い日が続いて、なかなか言葉が出て来ないもんで。。続きは、しばしお待ち下さいませ(^_^;)
水の綾、なるほど~(知りませんでした(^^ゞ)素敵な言葉ですね。

投稿: ちゃり | 2005/07/08 00:13

ちゃりさん、こんにちは。
どうぞ、のんびり、ゆっくり楽しみましょうね。
「水の綾」という言葉を知ったのは、ちゃりさんサイトで「水」がテーマとなっていたから。切っ掛けを戴き、ありがとうございます。


投稿: やいっち | 2005/07/08 07:34

私は学生です。そして、国語の授業で季語を調べる授業がありました。本をぱらぱらぱらと…半分適当に調べていたら、「水の綾」という言葉に出会いました!
一応夏の季語になっていました。
素敵な言葉ですが、季語としてあいまいなのが少し残念です。。

投稿: わわわ | 2010/04/22 20:35

わわわさん

「水の綾」という言葉は、素敵ですが、使い方の難しい言葉かもしれないですね。
使用例はあまりないかも(今、検索したらどうか、分からないけど、記事を書いた当時は少なかった)。

本文中にて引用の形で示したように、「静まりかえった水面が風などでると、小さな水のひだが生まれるのを水の綾と言う。魚の浮沈や蛙の出入りなど、水はなにものも受け入れて、笑顔のように波紋で答える」ってことなのでしょう。
暖かくなって、水がそれまでのよそよそしさを取っ払い、やわらかい印象を受ける。
水面が親しげに感じられる。
風が心地よく感じられる。
その風が水面を優しく撫ぜて、水面に小さな波紋が生じる。
あるいは水温のやや高くなった水中の小動物たちの動きが、嬉しげに見え、楽しげに水遊びするようでもある。
そういった光景が細波の揺れとなり波紋となり綾と評したくなる。
梅雨が明けて初夏を迎えた喜びを象徴する言葉なのでしょうね。

この「水の綾」なる言葉(季語)を使って、俳句に挑戦してみたらどうでしょう。

投稿: やいっち | 2010/04/23 16:36

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