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2005/07/12

御来迎…ブロッケン

 国見弥一の季語随筆読書創作日記と銘打っているこの無精庵徒然草だが、このところ、やや季語随筆からは離れ気味、でなかったら扱う頻度が落ちている、そんなふうに感じられている方もいるかもしれない。
 が、小生の考え方だと、俳句にしろ川柳にしろ、あるいは単に5・7・5の形式による表現世界であるにしろ、それはただ風情とか風流とか、粋とか情緒とかを表現するにとどまるものではない。
 では、何を一体、表現しているか。
 実は自分が大切にしたいと思っているのは、俳句や川柳を、あるいは詩や虚構作品という形での表現を試みるとしても、日々の勉強は日常生活であり、読書であり、仕事であり、対話であり、散歩であり、日々の雑事全般を通じて行うものだという発想である。
 別に殊更、政治問題や経済問題、虐めやこのところ啓蒙活動が盛んに行われている(と小生は感じる。NHKラジオでこの話題が頻繁に採り上げられるからか…)「欝」社会など、コラム的に書くことを中心にするつもりはないが、俳句だから詩だからといって、政治や経済など、世事の雑駁で面倒な、つまりは世俗的なことを離れて、閑静な場で考えたり表現を試みようとは思っていない。
 純粋な俳句というのは小生には形容矛盾に思えたりする。
 この辺り、舌足らずな書き方になっていて、誤解される余地が大いにありそう。じゃ、政治問題を俳句で表現するのか、社会問題を扱うのか、などと。
 まあ、川柳だと、特にサラリーマン川柳の場合は、俗事や日常の憤懣などを表現したりするが、表現する、表現しようと試みる世界は、時に興趣ある世界なのだとしても、生きている生身の人間として、社会全般、できるだけ幅広く関心を抱き、かつ勉強すべきだと殊勝にも思っているわけである。
 無論、できるかどうか、できているかどうか、となると心許ない。
 というか、これからの話なのである。
 ただ、俳句、おお、風流な趣味ですな、ではなく、俳句、おお、背中に重いもの雑多なものを背負ってますな、なのであり、その上で、現実という混沌から、句という一滴の雫を搾り出してみたいとは思っている。
 と、こんなことを書くつもりじゃなかったのに、どうしてかな、と思ったら、「水中花…酒中花…句作一周年」に、ある方から「一句にて句意のわかり易き」について、意見を戴いて、ちょっと考えることがあったから、なのかもしれない。

 さて、大急ぎで表題の「御来迎」に移る。
季題【季語】紹介 【7月の季題(季語)一例】」を眺めていて、ふと、目に止まったので、少しだけ調べてみようと思ったのである。
 何故、目に止まったか…。やはり、1980年の7月31日に富士山に登り、翌8月1日の「御来迎」を見たという経験があるからこれだと感じたのだと書いておかないと正直ではないかもしれない。
 今、ネット検索していて知ったのだが、「富士山人 ~ふじやまんちゅ~」の「富士山雑学」によると、小生が富士山に登った年というのは、「富士山の「御縁年」」だという。それは、「富士山はの年に誕生したと伝えられ、60年に一度めぐってくる庚申の年を御縁年と呼んでいる。この年に一度富士山に登れば33回登ったのと同じ御利益があると言われ、登山客が例年より多い年である。1980年(昭和55年)8月14日の富士吉田口で起きた落石による大惨事もこの年に起った」とか。

 あるサイトで、「紀元前301年の申年に、雲霧が晴れ、一夜にして富士山が誕生したという。60年に一度の庚申年を大御縁年。 12年毎の申年を小御縁年というらしい。」という一文を見つけたが、典拠を見つけられなかった。
 富士山についてのあれこれは、上掲したサイトのほか、「チャレンジ3776メートル登山総合案内2005-信仰」などを。

 小生は、昔も今も不勉強な人間だし、まして、富士山の「御縁年」などと知る由もない。では、何故、その年に登ったかというと(後にも先にも富士山頂に立ったのは、この年のみ)、失恋記念(?)なのである。
 小生は、失恋するたびに、わけの分からない挑戦をするようで、80年の登山も失恋の痛手を癒し払拭するため、かなり無謀な形で発作的に登った。87年にも失恋して、青梅マラソン(30キロ)に挑戦した。この青梅マラソンも、とんでもなく無謀な挑戦で、その後遺症は左ひざに残っている(機会があったら、そのレポートを書きたい)。
 富士山登頂の試みが何故、小生の場合、無謀だったかというと、装備も事前の準備や勉強が足りなかったということもあるが(それは毎度のこと)、実は徹夜で一気に登ってしまったことなのである。
 バスで五合目まで登り、五合目にある宿泊所に泊まって、食事を済ませ、一眠りして、さて、登山する、そんなつもりでいた。
 宿泊所の大きな広間には、何十人もいたように思う。既に明かりが消され、みんな一眠りしてから登るらしい。大勢順応派の小生も、そのつもりだった。
 が、シーンとした広間。小生、気兼ねする気持ちが昂じていた。小生は鼻呼吸ができないので、寝ると鼾(いびき)を掻く。それも、どうやら大鼾らしい。ガオーガオーらしいのである。自分では気づかないのだが。ただ、極たまに、自分の鼾で目覚めることがあるし、起きてみると喉が痛いし、カラカラに乾いていたりする。
 さて、みんなこれからの大仕事に備え睡眠し体力を温存している。なのに、そんな中、小生も同じように寝入ったりしたら、間違いなく、みんなの、少なくとも近くの何人かの眠りを妨げることになるのは必定なのである。
 小生は、とうとう、いいや、もう、寝ない。徹夜で登る、と苦しい決断をしたのだった。
 徹夜で登ったことも拙かったが、登り方がもっと拙かった。若さに任せて、調子に乗り、一気に登ってしまったのである。結果、予想されることではあるが(小生は、当時、予想していなかった!)、高山病に罹ってしまったのである。山頂の山小屋に辿り付いたはいいが、完全にノックダウン状態だった。
 眩暈と苦しさで小屋の隅っこで蹲っているばかりで、身動きもできなかった。一体、山頂の小屋に何時頃、到着したのだったか、覚えていない。とにかく、山頂の夜の眺めを楽しむことも、売店で何かを買うのはまして論外になっていた。ずっと体を縮こまらせて、グルグル回る意識、酩酊する意識の快復をひたすら待った。
 次第に(それとも、もしかしたそれほど時間が経過することなく)明け染めてくる。遠くの空が明るくなってきている。
 いや、小生は目を開けてはいられなかったので、誰かがそんなことを言っていたのを、朧な意識の片隅で聞いていたのかもしれない。
 そのうち、朝日だ! とか、御来迎だ! という声が口々に。
 小生は、そんなまわりのザワザワする雰囲気を覚えている。
 それでも、起き上がる気にはなれない。眩暈が治りきらない。ただ、最悪の状態からは脱却したような。
 御来迎だという声を聞いて間もなく立ち上がったのか、それともやはりそれなりの時間を経過してようやくだったのかは覚えていない。目の片隅には眩しく感じていた…。なんとか立ち上がってみんなが登る朝日を眺めている輪に加わって太陽に向かったときには、太陽は既に幾分の雲間にも丸くなっていたのだった。
 とにかく、御来迎の瞬間を待ち受けるというわけにはいかなかったけれど、曲がりなりにも登頂は果たした訳だし、意図したわけではないにしろ、失恋(の痛手払拭)記念に相応しく、容易には忘れられないハードな登山となったわけである。
 下山は、登山よりもっと一気だった。一気に駆け下りることでは高山病には罹らないのだろうか。とにかく前日の朝から一睡もできないままに朝を迎え、そのあとさらに休む間もなく下山してしまい、五合目に戻った頃にはヘロヘロになっていた。五合目でバスに乗ったなら、登る時のように風景を楽しむいとまも余裕もなく、呆気ないほどに眠りについてしまった…ようだ。
 バスが終点に付いた時に、ふと、目が覚めたのだった。まわりの人の目が、訝しげ。やはり、疲労困憊ということもあり、たださえ大鼾なのが、轟音での鼾になっていただろうことは容易に想像が付く。しかし、普通なら気遣うはずが、そんな気遣いを働かせるにはあまりに体の疲れがひどかったのであろう。

 その年の八月(1980年(昭和55年)8月14日)富士吉田口で起きた落石による大惨事の報は、後日、テレビで盛んに報じられていて、なんとなく身に抓まされるものを感じていた。下山の際、一気に崩れやすい斜面を降りるというより滑り落ちるように下っていった。柔らかな土肌を実感しつつ。こんなにも崩れや易いことに、怖さの念をさえ覚えた。これじゃ、富士山って風でそれほどの時間を要することなく風化していくのではないかと感じたし、テレビで誰かが悪戯で岩を落としたために崩落(落石)事故が起きたのではと、一部で報じられていたから、何か因縁のようなものを感じていたのである。忸怩たる思いさえ、何故か、あったりして。

 さて、再度、表題の「御来迎」に戻る。「御来迎(ごらいごう:弥陀の光背を思わせるような光輪ができる、山頂で迎える日の出) [夏-天文] 別名⇒御来光(ごらいこう)、円虹(えんこう)」とか。
 あるいは、「珈琲とリスニングルームのバッハ」の「季節のことのは・夏」によると、「高山で迎える日の出をこう呼んでいますが、本当はもっと神秘的な現象から御来迎の名は付けられたものです。日の出の際、自分の影が後ろの霧に投影され、その影の周りに光環が浮き出ることから、さながら弥陀が光背を負って来迎する姿に見え、こう呼ばれています」という。

古代裂つれづれ草」という「松本芒風こと松本一郎」さん(故人…どうぞ、表紙の一文を読んで見て欲しい…いつかは小生もこうなる…あとの面倒を見てくれる人はなさそうだから、いつか突然、こうした挨拶もなく動きが止まり、消え去っていく…)のサイトの、「人 疎 ら に な り ゆ く 村 や 別 れ 霜」なる頁を覗くと、「北アルプスでは、日の出、日没時に太陽をせにして立つと、前面の霧や雲に自分の姿が投影され、頭の回りに光りの輪があらあれる、フロッケン現象などがそれであり、投影があたかも阿弥陀如来の来迎にみたて、御来迎と言う季語になっているのだが、普通は高山の日の出とのみに解釈されている誤りを知ることができた。これもTVを前にして、作句したお陰である」という記事を見出す。

 この記事には、「フロッケン現象」とあるが、「ブロッケン現象」の間違いなのではないかと思う。
ブロッケン現象とグリーンフラッシュ」によると、「ブロッケン現象(グローリ、ハロー)は、太陽などの光が見る人を通り越した所にある雲や霧に散乱され、見る人の影の周りに虹色の光輪となって現われる現象です」だとか(画像参照)。
 また、改めて、「ブロッケン現象は、後光を背負った仏像(阿弥陀如来)と似た形状から、ほとけが形而下に出現し、お迎えに来た様として、御来迎(ごらいごう)とも呼ばれるそうです。なお御来光(ごらいこう)は高山で拝む日の出のことで、全く別のものです。しかし、どちらも中心と放射状のエネルギーを感じさせるため、同じものの象徴として混用される場合があるようです」という記述に出会う。
 どうやら、「御来迎」の別名を「御来光」とするのは、少々、難がありそうである。

 尚、このサイトを読んでいたら、「虹・暈・幻日などについては、こちらの自然の気象科学館でじっくりどうぞ」ということで、次のサイトがリンクされていた。なかなか素晴らしい画像のオンパレードで、一見の価値は十分ある:
自然の気象科学館

「御来迎」が夏七月の季語なのは、やはり夏山との縁が深いからなのだろうか。


[「知床、世界遺産に決定」という朗報が14日、世界に、そして日本に。ユネスコ委員会は「豊かな生態系を評価」したという。「日本政府が新たな世界自然遺産に推薦していた知床(網走支庁斜里町、根室支庁羅臼町)について、当地で開催中のユネスコの世界遺産委員会(委員国は日本など21カ国)は14日、登録を決めた」とのこと(「asahi.com マイタウン北海道 - 朝日新聞地域情報」より)。
 以下、詳細を転記しておく:

 知床は、流氷が流れ着く世界で最も低緯度の地域で、海洋と陸上の生態系が連続する食物連鎖が存在する。世界的にも高密度で生息するヒグマ、国際的な希少種のシマフクロウやオオワシ、オジロワシなどの繁殖地や越冬地にもなっている。

 委員会の評価は、知床の生態系について「特異な生態系の生産性があり、海洋生態系と陸上生態系の相互関係が示される顕著な見本」と指摘。さらに「多くのサケ科魚類、トドや鯨類を含む海棲哺乳類(かいせいほにゅうるい)にとっても世界的に重要だ」と高く評価した。
 だが、委員会は、(1)海域管理計画の策定を急ぐこと(2)サケ科魚類へのダムによる影響やその対策を示したサケ科魚類管理計画の策定(3)登録後2年以内に海洋資源の保全効果を評価する調査団を招くこと――を求めた。環境省などは今後の取り組みに責任を負う。

 さて翻って富士山である。「富士山をユネスコ世界遺産に!!」という運動はかねてより繰り広げられている。ところが、却下の繰り返し。
 何故か。「富士山のゴミと世界遺産 誰がゴミの山にした?」なのである。
「富士山は世界一のゴミの山。世界遺産指定は夢のまた夢。観光業者の横着と行政の怠慢のせい。ゴミ持ち帰り運動の悪用。にわか登山客はゴミは捨てる。尾瀬の山小屋は30トンも捨てた。川苔山の山小屋も空き缶を大量に捨てた。責任転嫁をせず、根本対策を」という主張は耳に痛いが、傾聴するしかあるまい。

 ところで、ちょっと気になる記述があった。「富士山で最も多く目についたゴミは金剛杖に縛って売られている鈴だ。金剛杖は単なる木の棒だ。約1000円で、いかにも高い。そこで、ご利益のありそうな縁起物の鈴を付ける。それも安物の鉄製の錫メッキ品だ」なる記述。
 小生も金剛杖を買い求め、上り下りに頼りにさせてもらった。金剛とはいえ、白木の棒である。当時も千円だったように記憶する。
 鈴が付いていて、白木の棒の側面に(一回200~300円の)焼き印を各山小屋で押してもらう。
 焼印の押されたこの杖、記念ということで今も部屋の片隅にひっそりと立てかけられている。
 鈴を捨ててくる人が多い。どうも、理解できない。勿体無い。煩いし、すぐに落ちてしまうのかもしれない。

 さて、富士山は世界遺産に選ばれない、候補にもなれないのは、ゴミや糞尿、自動販売機などのせいなのか。
 もしかして、富士山の遠景やシルエット自体のせいってことは…、ないよね。
 富士山の土壌(火山灰性黒色土壌)ゆえの崩れやすさ。「スコリアと呼ばれる火山礫(れき)が多い沢は、できた土壌やスコリアが移動しやすいため草が点々と生えているだけです」というが、「大沢崩れ」などは崩れつつある様子が現在進行形で見ることができる。
 形の変わる可能性のある富士山。いかにも日本的ということか。 (05/07/16 追記)]

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コメント

やいっちさん、高度障害は個人差があるのですが、意識せずに運動したとなると結構危ないですね。私は海抜高度2800メートル程で一度慣らすと、後は5000メートル位まではあまり変わらないと思います。慣らすには高度を一度下げるのが基本となっています。途中一泊しても酸素吸入でもしない限りその順応にはあまり影響しない筈です。

左足の障害や再三の無謀な挑戦についてもまたお聞きしたいですね。

ハルツ地方のブロッケン山地関連でTB貼ります。

投稿: pfaelzerwein | 2005/07/12 16:05

pfaelzerweinさん、コメント、ありがとう。
後で振り返ってみると、随分、無茶をやったものです。単独だったので、アドバイスを貰うこともなく。
富士山は登りも下りも一気というのは、反省。若かったからこそ、頂上でダウンしていたのに、なんとか降りることができたのでしょう。
pfaelzerweinさんは、さすが、5000メートル級の山の経験があるのですね。

再三の無茶のほうは、いつか機会があったら触れるつもりです。手元に日記があれば、既にレポートで書いていたでしょうが、日記類は片付けてしまったので、しばらくは手が付けられません。

投稿: やいっち | 2005/07/12 23:16

知床が世界遺産に。なのに、富士山は世界遺産の候補にもなれない。
追記しました。

投稿: やいっち | 2005/07/16 13:07

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受信: 2005/07/13 07:30

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