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2005/07/09

水中花…酒中花…句作一周年

 昨年の七夕の直前、ひょんなことから手を染め始めた句作。気が付けば、早、一年となる。別窓に、句作を始めて間もない頃に書き下ろした「汗駄句仙柳徒然」と題した「句」についての小文を掲げる。
 句をひねることの苦労とか大変さを予感くらいはしていただろうけど、まだ、実感を伴っておらず、ともかく5・7・5の形式で句を作る楽しさに興奮しがちなのを自制している気味が読み取れたりする。ただの一年なのに、なんだか懐かしい。それにしても、控えめぶって、かなり壮大な夢というか野望も抱いていたりして、我ながら微笑ましい?!

 一年といっても、季語を多少なりとも勉強し始めてからだと、十ヶ月あまり。5・7・5の形式というか体裁を保つだけなら簡単だが、その形の中に一応は完結した表現世界を示すとなると、とてつもなく難しい。
 しかも、俳句や川柳は趣向を凝らしたりしてもいいけれど、何かの事柄や風景、情緒に触れたなら即興で作るのが鉄則だと思い込んでいる小生なので、尚のこと、瞬間芸としての句作は困難だったりする。
 その場の雰囲気や意気込みで一気に作る。だから多少は瑕疵があっても気にしない、というわけにはいかない。なんといっても、一応は、人様の目に触れる可能性があるのだ。
 よって、句を作るに際しては、日頃、日常においては別に俳句や川柳ということに拘らず、乏しい能力と関心の狭さの中の限界を究めるつもりで、とにかく研鑚する。
 その上で、誰かの詩や歌、俳句、川柳、あるいは自然の事象、風物に接したならば、その場において即興で作るように心掛けるわけである。
 つまり、日頃、力やエネルギー、素養を溜めておいて、機縁に触れたなら、一気に5・7・5の形に持っていく、ちうことだ。

 さて、表題の「水中花」は、夏七月の季語のようだ。
 意味合いとしては、「水に沈めると水中でぱっと開く造花」のようだが、何故に夏7月頃の季語扱いとされるのだろうか。別名、「酒中花」とも。

「酒中花」については、「御酒の雑話(5) 酒中花(2)」に山東京伝の一文への山中共古の注、さらにこの注への三村竹清の注ということで、以下のような記述が見つかる:

「此酒中花といふもの、水へ浮ばせると開くものか。他のものかとも思われど、とにかく水中にて開くもの、寛政以前よりありしゆへ、かく名附けしものあるかと思へば、覚(おぼえ)の為に記し置く。此(この)女、水中に浮びし水中花を、かんざしにて動かせしのが、つきて居しをいへるなり。」  さらにこれを、三村竹清が注して、「水中花とい名にて、此間、茅場町の薬師にて売るを見たり。」 としています。(「砂払」 山中共古) 明治になっても酒中花はあったようです。

 さらに、「御酒の雑話(2) 酒中花」には以下の記述が見つかる:

あんどんの灯は昔は普通、菜の花の油に山吹の茎の芯を浸してその先に火をつけましたが、その山吹などの髄芯を使った酒興の一つがあります。山吹などの茎の髄を花や鳥の形に作って押し縮めておきます。これを、盃に入れておいて酒を注ぐと、酒を吸って開くという趣向です。遊び心をたっぷり持った江戸人の考えそうなことですが、今私たちが粋がって行うほとんどのことは、100年以上前にすでに行われていたといって良いように思われます。

 ネット検索していると、「ひとつ咲く酒中花はわが恋椿   石田波郷」なんて句も見つかった。
 どうやら、「酒中花」は「水中花」の原形と見なせそうである。江戸の世では酒の場の趣向であり、まさに酒肴だったのが、明治となり、世が移り変わるにつれ、風情が薄れ、水臭くなっていったということか(若干、想像が過ぎるかな)。

 さらにネット検索してみたら、「日日光進」にて、俳句新人賞を受賞された照井翠さんの「水中花ときどき水を替える恋」に寄せるコメントの形で、以下の記述を見つけた:

江戸期に活躍の西鶴は「桜をある時酒中花にしかけて」と書き、その挿絵の説明として「長さき酒中花つくり花からくり」と記す。つくり花は造花、そのからくり仕掛けを酒中花とよんだ。中国から長崎に渡来したものらしい。水のほか造花を酒杯に浮かべ酒席を楽しんだ。石田波郷は「水中花培ふごとく水を替ふ」と詠む。  1962~ 岩手県生まれ。「寒雷」同人。by村上護。

 こういった「酒中花」の趣向や遊び心を思うと、どうにも「水中花」は、水っぽく感じられるのも無理はないのかもしれない。
 それでも、小生が初めて「水中花」を知ったのは、無粋ながら、言うまでもなく(?)、女優の松坂慶子さんが歌ってヒットした歌「愛の水中花」によってだったということもあって、思い入れも一入(ひとしお)なのである。
 彼女、今も美人だし、体型を維持されているが、デヴュー当時の美人さには惚れ惚れ、メロメロ。

 どうも、肝心の話が進まない。「水中花」が季語なのは歴史的背景も先人が句に詠み込まれてきたことからも分かるのだけど、何故に夏の季語なのかが分からない。「酒中花」は冬の遊びとして似合いそうだが、あるいは夏の夜の暑さ凌ぎのための趣向だったのか。その名残が「水中花」に余韻として残っているということか。
 それとも、単純に夏の日に水中花を飾ったり見たりしたら、涼しげだという単純な、すぐに浮かぶ理由に素直に従っておけばいいということなのか。
 それにしても、「酒中花」だと、桜など生きた花(花びら)を浮かべたりするらしいが(ここから考えると、夏に限定するのは難しい気がするのだが…)、「水中花」となると、「水に沈めると水中でぱっと開く造花」というのでは、なんとなく興醒めのような気がする。

 ネットでは、「いきいきと死んでゐるなり水中花   櫂未知子」が見つかったりする(「ikkubak 2002年6月7日」にて)。この句に寄せる評釈も面白いが、この句の場合は、水中にある花は、造花ではなく、もとは生きた生の花(花びら)だったことが含意されているのだろうか。よく理解できない。

 話の脈絡からは離れるが、ネットで「水中花と言つて夏の夜店に子供達のために賣る品がある」という印象的な冒頭から始まる、「伊東静雄『反響』-「夏花」水中花」という小文と詩を見つけたので、ここにメモしておく。

汗駄句仙柳徒然(04/07/28)

 あるサイトの掲示板が川柳掲示板となっていて、書き込みをするたび、思いつきの川柳(?)を数句、添える。そんな遊びを始めたのは、今月の初め頃からのことである。
 川柳に<?>を付したのは、別に謙遜でも何でもなく、そもそも川柳とはなんぞやが、小生、まるで分からないからである。
 まして、川柳と俳句との違いとなると、手も足も出ない。下手に川柳だ、俳句だと一句二句を捻ったりしようものなら、ついその勢いに乗って川柳とは俳句とはなんぞやという論を書き綴ったりしがちな小生なのだが、するとたちまち、造詣のなさが露見する。無知という馬脚が見えてしまう。足が付いてしまう。
 ということで、せっかく川柳モドキを始めた以上は、取りあえずは、川柳や俳句についての大雑把な知識くらいは仕入れておきたい。
 そもそも俳句とはなんぞや。非常に安易な切っ掛けで始めたからというわけではないが、資料の類いはできるかぎりネットから引き出せるものに限りたいと思う。
 あとは、せいぜい、小生だって目を通したことのある有名な俳人や川人に登場願うくらいか。
 まず、下記のサイトを見る。下記サイトを見つけたのは、「俳句 川柳 季語」というキーワードをネット検索ソフトに打ち込んだら、上位に登場してきたからである:
「ウィキペディア (Wikipedia) 俳句」
 そこには、「俳句(はいく)は俳諧連歌、の発句由来で、明治時代に正岡子規らによってはじめられた定型詩の一形式である。五・七・五の音数律を持ち、特定の季節を表す季語を含むのが特徴である。季語については和歌の影響もある。「季語」や「切れ」の制約、「本歌取り」の技巧が存在する。広く俳諧を含めることもある」と説明されている。

 他にも、俳句と川柳については、下記のサイトが上位に現れたので参照させてもらう:
俳句と川柳の交差点  向井未来
 ちなみに、向井未来氏については、この[誹風柳多留] 解題

 この中に、『誹風柳多留』の特色として、「前句附の附句のうち「一句にて句意のわかり易きを挙げて」(初篇序)前句を省いて載せた選集」とある。
 とりあえずは、「「一句にて句意のわかり易き」に注目しておきたい。
 それにしても、分からないことばかりが出てくる。俳句だって、「「一句にて句意のわかり易き」なのではないかと素人たる小生には思える。
俳句と川柳の交差点」には、比較的近年の俳句と川柳の例を幾つか挙げてくれている。芥川龍之介や黛 まどか以下の俳句と、細田 陽炎や千貝みどり以下の川柳とを、比較対照してみると、違い以上に、無知な小生には、どっちが川柳でどちらが俳句か迷ってしまう。

 それ以上に、上掲のサイトを読んでいくと、俳句と川柳とを、かろうじて分けていた季語の存在が消えつつある(流派によっては、なのか、それが大勢なのか、小生には分からないが)という現実があるらしい点に驚いてしまう。
 ということは、五・七・五の音数律さえ、ともすれば崩れたりすることがある中で、季語の有無で俳句か川柳かを見分けようという小生の浅はかな目論見は、まるで通用しないということである。
 まあ、現実的に言って、季語と実際の季節とのズレは、異常気象の現代など、時に目を覆いたくなるものがあったりするのだし。
 小生には大切だと思われたのは、俳句に携わるものが川柳的世界へ、あるいは川柳に携わる方が俳句的世界へ、相互に侵犯し合っているという現実が、一部かどうかは別として、厳然としてあるという一点だ。
 最後の最後に残るのは、前言を翻すようだが、時に崩れ去ったりすることもあるとしても、俳句であれ川柳を標榜するのであれ、ギリギリの抵抗線として、五・七・五の音数律なのだろうということだ。
 この五・七・五の音数律には、日本語の語調とか、あまりに長く親しんだ韻律・音律、あるいは、発想法の根源にさえ迫る何かが予感される。『万葉集』や『古事記』などでの、歌の創始とも関わる問題が潜んでいるのだろうし、もっと言うと、日本における有史以前の日本語の在り方にも無縁ではないということなのだろう。
 本当に川柳とか俳句とかの枠組みを取っ払って、日本語の「歌や詩」を考えると、縄文時代以来の記録には残っていない日本語の根源に迫る覚悟さえ必要に思えたりする。
 が、まあ、ここからは、小生流に、つまり汗駄句仙柳風に気軽に、その実、腹の内では結構、高邁な理想も秘めながら、とにもかくにも、川柳(?)の世界に漕ぎ出そうと思う。
 自分なりの表現の限界を探ることが、即ち、日本語表現の限界だと気取るのは、あまりにおこがましいが、文を綴るとは、つまり、何事であれ文章を書くとは、恥を掻く事以外の何物でもないはずだし。
 誰だったかに聞いたのだが、人間、三つの「かく」が大事だという。「汗を掻く、恥を掻く、手紙を書く」の三つをかくことが大切だと言うのである。手紙を書きたいが、出す相手のない小生(ネットでのメールや掲示板などの遣り
取りが、その朧な代用になりえないものか)、せめて、冷や汗を掻きつつ、恥を掻く、つまり、とにもかくにも、何かしらを書き綴ってみたいのである。

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コメント

やいっちさん
「いきいきと死んでいるなり水中花」は個人的には好きです。
庭の散った花もしくは散りそうな花を、水を入れたガラスの器に浮かばせて楽しんでいます。死にかけた花が又活き活きと蘇るのです。色んな色の花や葉っぱを浮かばせて、アレンジするのです。
それらを「水浮花」と呼びましょか?(^ 0^ )「みずうきばな」とでも読みましょか?

投稿: さくらえび | 2005/07/10 01:14

さくらえび さん、コメント、ありがとう。
やはり、生きた花から散った花びらや花を水中に…。でも、花だともぎ取ってしまう感が漂うので、花びらで趣向を凝らすのがちょうどいいのでしょうね。
「水浮花」で風情を楽しむ。さすがですね。

落花流水の情(らっかりゅうすいのじょう)を楽しんでおられるのかな(「まるで花の気持ちがわかるかのように、流れる水が川に散った花びらを運んでいくことから、男女のたがいに相手を思う心が通い合うこと」なる意だって)。それとも、そんなことは達観して、そこはかとない風情に戯れてみるということ…。

投稿: やいっち | 2005/07/10 07:27

俳句と川柳の違いって難しいですね。
俳句は連句の発句から、川柳は狂歌から、と聞きますが、やっぱり現在のそれらは境目がわかりにくいですねぇ。
有季定形「ほととぎす」系俳句とサラリーマン川柳の違いなら一目瞭然なのだけど。なんだか、作者が「俳句」と主張すれば俳句、「いいや川柳です」と言い切れば川柳、という感じ。

これは私自身の作句の中でのことですので、一般的にはあてはまらないかもしれませんが、俳句はやっぱり「一句にて句意のわかり易き」では困るように思います。
「言いおおせて何かある」と、いいますか、俳句は全てを言い切ってしまわないところに魅力がある、と言う気がします。一番言いたいところを言葉にせずに、季語をそこに置く。読者は、作者の言いたいことに、置かれた季語の持つイメージ力によって、近づいていく。そんな感じかなぁ。無季の俳句もありますが、それらの俳句もきっと季語に代わるイメージ力の強い語句が一句の中に忍ばせてあるような気がします。

うーん、普段こういうことを考えながら俳句を作っているわけではないので、いざ言葉にしようとすると難しいですね。(^-^;)

あ、蛇足ですが、私は、有季定形を原則として、二句一章、季語の季感象徴論を掲げた大須賀乙字の師系に連なってます。
いくら遡っても高浜虚子へたどり着かないわけで、俳句界の中では少数派だと思われます。
なので、もしかしたら、私の考え方にも、他とズレがあるかも……。基本は大差ないと思うんだけど。

投稿: しま | 2005/07/10 11:40

しまさん、丁寧なコメント、ありがとう。
川柳と俳句の区別も難しいけれど、現代の俳句の在り方も門外漢にはまるで理解の及ばない、全貌の把握など論外の多彩、多様さですね。
「一句にて句意のわかり易き」については、本文において、ちょっと説明が足りなかったような気がします。5・7・5という形式で語ることを通して語りきれない豊かな世界を直感させる、そんな味わいと膨らみがないと、句はつまらないのは当然です。
その上で、「句意のわかり易き」というのは、句について背景説明や注釈など一切なくても、その言外の世界を詠み手に、句を目にしてただちに感じさせる、ということです。芭蕉の名句など、ほんの僅かしか達成しているものはないのかもしれないけれど。
この点、もう少し、説明すべきだったでしょうね。
大須賀乙字さんのことは、小生、勉強不足でこれから研究させてくださいね。小生も、句をやる以上は、誰かしら師につくべきだという意見を貰ったことがあります。
小生のようにフラフラしている人間には、人生の師、俳句の師があればいいのでしょうが、大概の師は、小生相手だと、物分りが悪すぎて匙を投げてしまうのでは。
でも、勝手に師をこの方と決めて、学んでいくことはできる。遠く長い道をトボトボ、ボチボチと歩いていきます。
また、気が付いたことがあったら、ご指摘など、お願いします。

投稿: やいっち | 2005/07/10 17:06

やいっちさん
「落花流水の情」といった男女の相思相愛ではなく、「そこはかとなく風情に戯れてみる」の方です。

「愛の水中花」♪は懐かしいです。
松坂慶子さんのコスチュームにびっくり!でした。(^ 0^ )

「汗を掻く、恥を掻く、手紙を書く」はまさに今です。汗を掻きながら暑中見舞いをせっせと書いています。やいっちさんは無精庵徒然草にせっせですね。
「恥を掻く」は先日、宿六さんの元愛人Aさんに
会いに行った事かな?

投稿: さくらえび | 2005/07/12 10:25

さくらえびさん、コメント、ありがとう。
「そこはかとなく風情に戯れてみる」のほうですか。それにしては、迫力というか気迫をひしひしと感じてしまいました。

暑中見舞いを書く季節なのですね。小生は、もう、しょっちゅうお見舞いしているようなもの…自分の。そう、おっしゃられる通りです。

宿六さんのこと…。独り身もつらいけど、妻帯者もつらいのですね。八方塞です。

余談だけど、自分の亭主を謙遜というか卑下風に表現する「宿六」は、「惣領の甚六」の「甚六」というおっとりした、人のいい長男を表する言葉と同様、「ろくでなし」から派生した言葉だとか。
では、「ろくでなし」の「ろく」は、何に由来するのか。意味は、「まとも」だというけれど。
どうやら、「元々は「陸」(ろく)」から来ているとか:
 http://suzuiro.air-nifty.com/shiritori/2005/week23/
 雑談でした。

投稿: やいっち | 2005/07/12 14:28

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