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2005/07/08

ヒースの丘

「エリカ」という花がある。英名は、「ヒース」。その花言葉は、「博愛、柔軟、孤独、寂莫、不和」だとか。
 まさにこの花言葉はイギリス(といっても、その一部かもしれないが)にピッタリ(?)なのかもしれない。
(何故、ピッタリと思うか、その訳はあとで説明する。)

雑学花言葉」の「雑学花言葉「え」」によると、「英名をヒース(Heath)、独名をハイデ。 「嵐ヶ丘」に描かれたようにスコットランドに多い。「HEATH」の語源は「荒野(独語)」 花材には寒咲きエリカ(蛇の目エリカ(=E・カナリクラタ))が使われる」とか。
 小生は、「エリカ」というと、我が西田佐知子の「エリカの花散るとき」(作詞:水木かおる/作曲:藤原秀行)をまず、思い浮かべる。とはいっても、彼女が現役で歌ってくれていたとき、エリカの花がどんなふうだったのか、まるで分かっていなかったと思う(その後も、ずっと)。
 イギリスのスコットランドに咲くヒースとはどんな花なのだろう。これ?→
エリカ、カルーナ」の「歴史と役割」という頁を覗くと、画像こそ見出せないものの、「歴史」の項に以下のような記述がある:

 エリカやカルーナはヨーロッパ原野に普通に見られ。特にイギリス、スコットランドでは、ヒースランドと呼ばれる広大な荒れ地一面に生い茂り、人々のゆくてを、阻みつづけてきました。エリカやカルーナはは古来より屋根を葺いたり、ベッドの代用となったり、根をパイプの原料にしたり、あのスコッチウイスキーの原料になったりと、人々とのかかわりが非常に強い植物とされてきました。

 エリカという言葉はローマ文明時、当時のギリシャ哲学者が、「後世にエリカという植物を植える時が来るだろう」と言及したという記述があるそうです。その時にはエリカ(Erica) はギリシャ語のerelkoとして使われました。そして1753年に「植物の種」でリンネ(スウェーデンの植物学者)は、アフリカ原産のエリカ23種を記録しています。そして、1802年に今まで同じ属とされていたエリカ属とカルーナ属が、初めて分離されました。

 いずれにしても、スコッチウイスキーや梱包資材、家屋、はちみつ、薬と、イギリス(スコットランド)とは切っても切り離せない密接で身近な植物であるようだ。

 できれば、スコットランド郊外の荒野で吹き渡る風に耐えて生えるエリカ、咲くエリカの花の画像を見たかったが、適当な画像が見つからなかった。もういちど、違う「小岩 - スコットランドに和風庭園? 杉本優のガーデニング」というサイトでこの植物や花の風情を見てみよう。

 と、諦めるのはまだ早かったようだ。「岡山大学文学部  考古学研究室」の「イギリス生活エッセー(1)」なる頁を覗くと、「夏になると、スコットランドの山々は、ピンクのヒースにつつまれる。スコットランドだけで、2万ヘクタールの土地がヒースにおおわれているわけであるから、かなりのものだ。しかし、逆にいえば、それだけ農耕に適さない土地が広がっていることになる」ということで、一面、ピンクのヒースに包まれたスコットランドの山々の様子を画像で伺うことができる。農耕に適さない土地の広がり。
 この頁では、改めて、スコットランドにおけるヒースの役割や魅力が語られていて興味深い。このような心象風景がブロンテ姉妹らにはあるのだろうか。

 小生は高校の終わりからは、ドストエフスキーに嵌ってしまったが、その前は(哲学は別として)、英国文学だった。というより、「ジェイン・エア」ショックをずっと引き摺っていた。
 もともと、読書といっても、漫画の本がメインで、35歳頃までは外食に行くに際しては、漫画の本(主に「少年マガジン」)が揃っているかで、店を選んでいた(もち、味…と量も、だけど)。
 ただ、さすがに漫画の本を買って読む、あるいは貸し本屋さんで借りる熱というのは中学の頃には、冷めていて、その代わり、小学校の終わり頃から、挿絵や図、写真の多い本を選ぶようになった。海に棲む生物の話、宇宙の話、考古学(古代遺跡)の話などなど。その延長というわけでもないが、図繋がり(?)で幾何学の入門書を読んだりして楽しんだ。
 少しは活字の多い本も齧るようにはなった。ただ、大半はSF小説だったように思う。面白い。ワクワクする。想像力を掻き立てられる。
 が、高校一年の時、どうした拍子か、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を手にした時、ある種、カルチャーショックを受けた。中学の時、トルストイの「戦争と平和」のダイジェスト版(集英社の文学全集)やロマン・ロランの「ジャン・クリストフ 」などを読んでいて、ああ、これが文学ってものか、と思いつつも作品の世界に没入はできなかった。やはり、自分には文学は縁がないな、SFや科学の啓蒙書を読んでいればお似合いなのかなと思っていた。
 が、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』という作品に出会って、一気に文学に開眼した。生意気な表現だけれど、それまで幾許かは読んできた作品とは、まるで違う世界がここにある、と感じさせてくれた。それ以上に、自分にも文学に親しめる感性や理解力が少しはあることに安堵させてくれたのである。
『ジェイン・エア』に描かれる英国の風景は、小生の文学上の原風景のようになった。本文の中でか、それともブロンテ姉妹の故郷ハワース(Haworth)に咲く花ということでか、15歳のときにヒースが小生の脳裏に刻印された最初の時だったようだ。

 その後、高校のときは、三島由紀夫や川端康成、太宰治、有島武郎(『或る女』)などなどを齧ったが、高校2年の時に哲学にかぶれてしまって、文学よりは哲学書が関心の中心になっていった。デカルト、ベルグソン、パスカル、ニーチェ、ラッセル、ショーペンハウエル、親鸞…。
 文学書を徹底し読むようになったのは、大学生になってからだった。第二のショックを受けたのは、やはり、ドストエフスキーで、大学一年の夏、帰省していた田舎の屋根裏部屋で角川文庫版の「カラマーゾフの兄弟(上)」を読み出したら、頁を捲る手が止まらなくなったのである。
(上)だけが自宅にある。実は、高校のとき、何度か挑戦したのだが、冒頭の百頁で跳ね返されてしまい、本当の物語の世界に入る前に撤退を余儀なくされていた。だから、恐らく、三度の目の正直の時も、寝床の脇にあるこの角川文庫版の「カラマーゾフの兄弟(上)」を手にして読み始めても、どうせまた、という思いがあった。
 が、予想に反して面白い。とうとう五百頁ほどの訳書を明け方前には読み終えてしまった。ああ、続きが読みたい。でも、ようやく空が白々と明け始めたばかり。どうして(中)(下)がないんだろう。書店の開店時間までは、まだ大分ある…。
 開店の時間が迫ると、自転車を飛ばして繁華街の書店へ。(中)(下)を買って帰り、どっぷりドストエフスキーの世界へ。その後、学生時代にドストエフスキーの文庫本で小説の大半を読みとおし、世界文学全集でドストエフスキーの作品を選び、豪華本の「罪と罰」を買い、ついには河出書房の全集をそろえた。
 無論、全巻、読み通す。
 その後、新潮社から全集が出ると、予約を入れて、出るたびに片っ端から読み倒していった(ちなみに、本の装丁にガッカリした…安っぽくて)。
 だから、ドストエフスキーについては、小説に関してはは、全作品について、最低、三度は読んでいる。「罪と罰」は5回か6回、小品は10回ほど。
 大学時代は。ガルシン、トルストイ(「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」)、プーシキン、チェーホフ(チェーホフは、全集をそろえようと思うほど、好きだった)などなどのロシア文学と、モーパッサンを中心とするフランス文学がメインだったようだ。
 が、大学三年の時、英文学の講義でシェークスピアの戯曲を一年をかけて読む機会に恵まれた。この一年は、小生には英文学というよりシェークスピアに開眼した、幸せな一年だった。原書で読む楽しさを存分に味わった。あと、一年、英文学の講義があったら、転向(転科)していたかもしれない。が、生憎と哲学科では英文学との出会いは一年限り。
 どの作品かは忘れたが、シェークスピアのある戯曲でもヒースの咲く丘や荒野が登場する。
 大学時代には、遅まきながら、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を読んでやはり感動し、後年、わざわざ原書で雰囲気を味わってみたりした。
「嵐が丘」…。ヒースなる花の咲く荒野。ここでもう、イギリス文学というと、ヒースという先入観のようなものさえ、小生の中に出来上がってしまったようだ。なんたって、主人公の名前がヒースクリフで、直訳(?)すると、「ヒースの崖」なのである。
 ほかにイギリス文学というと、ジョージ・エリオットがいる。シェイクスピアの出身地でもあるウォリックシア州で生まれている。『サイラス・マーナー』なる佳品もあるが、なんといっても『ロモラ』に尽きる。失業時代に図書館通いしていて発見した作家であり作品ということで、自分にはことに印象深いのかもしれない。
 同じく失業時代に発見したイギリスの作家に最近、読み直しているデュ・モーリアがある。短篇集『』は、失業さまさまの発見だった。

 このように、イギリス文学というと、バカの一つ覚えのように「ヒースの丘」をイメージしてしまう。といっても、小生はイギリスを旅したことがあるわけではない。あくまでブロンテ姉妹の作品などを通じての刷り込みだ。せいぜい、テレビでイギリスからのゴルフ中継を見て、イギリスの郊外の風景とは、こんなふうな天候の変わりやすい、風の吹き荒ぶ、そんな中、ヒースの花が健気に咲いている…そんな風なものかと勝手に思っているだけである。

 さて、小生がデュ・モーリアの『レイチェル』を読了し、今週からは『レベッカ』を読み始めたりして、イギリスの郊外のヒースの丘の風景を思い浮かべていたりしていたら、「2012年五輪開催地、ロンドンに決定」というニュースが飛び込んできた。夏季オリンピックの主要会場は、ロンドン東部のストラッドフォード周辺に設けるのだとか。
 その前には、イギリスのグレンイーグルズでサミットが開催されるということで、日本の小泉首相らは、サミット前の郵政民営化法案の衆院での可決にやきもきする場面もあった。
 ようやく衆院は可決通過して今度は参議院という中、とりあえずは一安心してイギリスはグレンイーグルズへ。
 サミットでは十年先の環境問題などが論議されるはずだったとか。アメリカなどが京都議定書から脱退した中で十年先の安心など笑止のことと思っていたら、ロンドンでサミット開催の時期を狙ったと思われる同時テロ事件が発生し、死傷者多数が出る惨事の報がイギリス国内外に流れた。

 ロンドンというと「革命」を連想する方も少なからずいるのではなかろうか。一般的には産業革命。ロンドンやイギリスだけではなく世界の様相を一変させた革命である。
 あるいは、イギリスの歴史というと、必ず触れられる名誉革命や清教徒(ピューリタン)革命
 
 革命というと、今では忘れられつつある(?)存在となった感もあるマルクス。彼は、「1848年に、フランスで二月革命・ドイツで三月革命が起こると、パリを経てケルンに帰り、『新ライン新聞』の主筆として活躍したが、革命の失敗後パリを経てロンドンに亡命し(1849)、終生ここに住んだ」のだった。
 マルクスは『資本論』をロンドンの地で書いたのである。但し、「彼の主著『資本論』は、1867年に第1巻が公刊されたが、第2巻・第3巻はマルクスの死後エンゲルスの編纂によって刊行された。そして晩年は貧困と病苦に悩まされながら、ロンドンで没した」のである(この項は、「My Home Page」の「1 自由のための戦い」参照)。

「多様な民族が混住する英国は、伝統的に情報収集能力に優れているとされ、また街中に監視カメラがめぐらされており、不審者の行動の確認は容易だった」。また、「英は米の同時多発テロ後、反テロ法を制定。テロを計画する疑いのある人物に対して、裁判の手続きを経ずに拘束できる制度を導入した」という。なのに、「ブレア首相は「深刻なテロだ」と述べた。一方で「事件の予兆はなかった」とも述べ、事件がまったく虚を突かれたものだったことを事実上認めた」という事態に(以上、「MSN-Mainichi INTERACTIVE ヨーロッパ」より)。

 日本にも高速道路にも街頭にも、また、コンビニや商店街など多くの場所に監視カメラが設置されている。
 テロとの戦いが標榜される中、また、治安の悪化がひしひしと感じられる(ブッシュ現アメリカ大統領と小泉首相の登場以後は特に悪化の一途を辿っているように思えてならない)。
 監視社会という状況はますますその傾向を強める。それでも、日本は他国の人を外人さんと呼んだりするように、非常に排外的な国で、外国人が増えたといっても、欧米などには比べようもない。中国だって多民族社会なのだ。
 だから、テロの脅威といいつつも、一部の過激なアラブ系の連中も、欧米では多数の仲間がいてこその存在で、日本でのテロは難しいと思われているようだ。
 但し、常時、海外には旅行者を含め数十万人の日本人が居住ないし旅している。イラクに駐留する自衛隊も駐留に反対する連中の警告を受けていて、事態は切迫しているのではと思われる。

 ヒースの丘。咲く花は可憐だったりするけれど、一旦、風が吹き始めると、丘にあるものは、息も苦しいほどの寒さと非情さを覚えるという。世界には、たった一つの花がそれぞれに咲き誇っていたりする。だけど、咲いている土壌は、「農耕に適さない土地の広がり」となりつつあるのかもしれない。
 もう一度、ヒースの花言葉を思い返してみよう。「博愛、柔軟、孤独、寂莫、不和」…。そこには希望と理想と非情なる現実の全てが示唆されているようではないか。

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コメント

弥一さん、こんにちは。
何だか仕事も忙しくて、こちらも目を通してるんですけど、なかなかコメントできなくてすみません~
イギリスというと・・・一度行ってみたい、と思います。それも湖水地方に。ワーズワースが詩に歌い、ピーターラビットが早朝に掛け抜けてゆく湖水地方。私も「ジェーン・エア」、好きですね。「嵐が丘」もいいなぁ。イギリスというと、児童文学も宝庫ですね。ルイス・キャロルやトールキン、フィリパ・ピアス・・・。
サキやラフカディオ・ハーンもいいなぁ。「怪談」!大好きです。
この頃どうも、落ち着いて読む時間がなかなか無くて、弥一さんが書いてるように、斜め読みみたいになってしまいます。いけませんね・・・。
そうそう、カップ・ヌードルは、浅間山荘事件を思い出しますね!
そう、それから、ドビュッシーの「雨の庭」は、結構いろんな所で弾きましたよ~
こんな前の記事に、こめんなさい!

投稿: hironon | 2005/07/17 17:54

hirononさん、こんにちは。
小生も今週一杯は、日程が目一杯。私事でもいろいろあって。今週末には、通常の日程に戻るので、少しは落ち着くものと思っています。
学生時代からロシア文学一辺倒と、自分では思っていたのに、案外とイギリス文学(や哲学)に惹かれていたことを、レベッカなどを読みながら痛感していました。
でも、さすが、hirononさんは、よく読まれているのですね。児童文学方面はキャロル以外は、全く手付かず。文学の世界は実に広い。また、刺激を下さいね。
近く、また、駄句で末席を汚しに行きます。よろしく。

投稿: やいっち | 2005/07/17 23:13

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