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2005/07/31

鬼灯市…俳句事始

 表題に「鬼灯市」を掲げたのだけど、東京在住四半世紀だというのに、実際に浅草寺の境内で催される鬼灯市を覗きに行ったことはない。仕事で傍を通りかかったことがあるだけである。思えば縁日などの祭りにも、この数年、ゆっくりのんびり、ひやかしに行ったりするようなこともなくなっている。
 心の余裕がなくなっている、ということか。
 遊び心が薄らいでいる、のかもしれない。
「鬼灯市」は、「源頼朝が奥州征伐からの帰路、日射病で参っている兵士にほおずきの実を食べさせた故事にちなむもので、毎年7月9日・10日の両日、浅草の浅草寺でほおづき市が開催される」とか。
 あるサイトによると、「昔は、ほおずきに利尿作用、解熱作用、鎮静作用があるとして、薬用植物になっていました」とのこと(「夏の風物詩「赤いほおずき」(01.7.9)」より)。
 ちなみに、1189年7月に源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡追討の為に鎌倉を出発している。9月には、「奥州藤原氏討伐に功績のあった葛西清重を奥州総奉行に任命。奥州支配を確立する」わけだから、上掲の故事は89年の秋辺りということになるのか。
 軍功あった葛西清重氏だが、のち「親鸞上人の弟子となり葛西氏館(別名、葛西清重館)に寺を建立したのが現在の西光寺」だとか。

 別名(別表記)に「酸漿(ほおずき、かがち、あかがち)、鬼燈(ほおずき)」などのある「鬼灯」だと秋の季語になるようである。
 夏の季語は、「青鬼灯(青酸漿、あおほおずき)」だという。文字通り、「まだ赤くならない若い鬼灯」のこと。
 ややっこしいことに、「鬼灯の花」となると、夏の季語なのである(鬼灯の花の画像は、下で示してある)。
 ネットでは、「鬼灯市夕風のたつところかな    岸田稚魚」が目に付いた
 昨日、土曜日の夜は隅田川で花火大会があったようだ。雨が心配されていたが、幸い、天気は持った。が、鬼灯市の催される7月上旬というのは、東京に関してはまず間違いなく梅雨の真っ最中。梅雨だからとて、必ず雨が降るというわけではないのだが、鬼灯市の立つ日はあまり雨が降らないジンクスがある?! 迷信かな。
 ところで、鬼灯と混同しそうなのが、鬼火である。こちらは、「おにび」。意味は、「夜間、墓地や沼地などで、青白く燃え上がる不気味な火。人骨などのリンが自然発火したもの。人魂(ひとだま)。火の玉。あおび」である。
 両者は、似て非なるもの? それとも、全然、似ていない? 

 雨とても避けて通るよ鬼灯市    弥一
 鬼灯を鬼火と見しは我のみか    弥一

「鬼灯」については、ほぼ一年前に綴った雑文があるので、以下、掲げておく。この稿を書いて数日後、ひょんなことから俳句や川柳の世界に足を踏み入れることになったのだが、本人も知る由もないのだった。
 でも、読んでみると、その気配は濃厚…?!

 鬼灯に惹かれて惑う俳句道    弥一

鬼灯のこと(04/07/02)

 過日、車中でラジオを聞いていたら、さだまさしの歌「ほおずき」が流れてきた。彼の作品にはいい曲が多いが、この曲も素晴らしい。下記のサイトで歌詞(全部)やメロディに触れることができる。メロディもいいが、歌詞も素敵である:
「いつでも青春音楽館」:「ほおずき」―さだまさし

 植物音痴でもある小生、ふと、鬼灯のことを調べてみたくなった。まず、この植物の季節はいつなのだろうか。花など植物のことで分からないことが出てくると、いつもお世話になっている「季節の花 300」の関連頁を例によって覗いてみた:
鬼灯 (ほおずき)

 すると、東京近辺に関しては、梅雨の時期である今がちょうど鬼灯(ほおずき)の実の赤くなる頃合いに当るらしい。そういえば、「ほおずき市」が浅草の浅草寺で今年もそろそろ催されるようである:

「鬼灯 (ほおずき)」の頁にあるように、鬼灯はナス科の植物である。この目にも鮮やかなオレンジ色を見ると、子供の頃、鬼灯の実で遊んだことが思い出されてしまう。
 画像の袋の中の、我々が通常、思い浮かべる濃い橙色の実をまず、取り出す。ここからが一仕事である。不器用な小生にはなかなかうまくはいかないのだが、なんとか、この実の中身を取り出してしまうのである。
 そして空洞となった球形の皮が手元に残れば、メデタシである。袋には小さな穴が開いているので、その近辺に唇を寄せ、息を適宜、吹きかける。
 正確には、息というか強い空気の流れを穴の傍に引き起こすのである。それこそ、昔、銭湯などで入浴後、更衣の場でコーヒー牛乳などを飲んだものだが、飲み終えた牛乳壜の口元に唇を寄せ、息を適当な角度に吹く、その遊びと多分、同じ理屈である。

 うまくすると、なんともいえない、やや擦れたような乾いたようなヒューという懐かしい音がするのだ。苦労して中身を抜いて、得られる成果は僅かなのだけれど、友達同士で競争するようにやるので、いい音が出せたら、一興である以上に自慢だったりするわけである。

 この項を書いていて思い出したのだが、球形の実から中身を抉り出す際、爪楊枝などを使うのだが、その前に、丸い実を両の手の平の間に挟み込み、コロコロ転がすようにして実を柔らかくし、さらに皮の部分と中身とを分離させるようにするのが、コツだった。その上で、皮に傷がつかないように、慎重に中身を抜き出してしまうのである。
 抜き出され、捨て去られるだけの中身は、紅いゼリーというかペースト状のもので、白っぽいブチブチの細かな粒子が散在していたような微かな記憶がある。思えば、遊びたい一心だったとはいえ、鬼灯には可哀想なことをしていたわけだ。失敗も少なくなかったように記憶しているし。
 
 さて、この鬼灯、名前が変わっている。小生ならずとも、名前の由来などを知りたく思うだろう。「鬼灯 (ほおずき)」の頁にもあるが、「名前も「ほほつき」(頬突き)の意で、子供が口にして鳴らす頬の様子から。また、昔の方
言で「オホ」という名前の亀虫がつきやすかったことから「オホヅキ」となり、それがしだいに「ホオヅキ」になった」という。
 表記は、鬼灯の他に「「鬼燈」、「酸漿」」があり、「別名 「輝血」(かがち)」と言うのだとか。この「輝血」という言葉、なんとも、生々しく、想像力を掻き立てる。
 語源として、「子供が口にして鳴らす頬の様子から」「ほおずき」と言い習わすようになったと、どのサイトにも書いてある。だったら、頬を膨らませて吹くのだから、「頬吹き」から来たとか、「顔つき」という言葉があるように、「頬つき」から転訛したと考えても良さそうである(『広辞苑』では、「頬付」か、と書いてあるらしい。手元の「広辞苑」が故障しているので、広辞苑の記述を確かめられない)。
 思えば、子どもが思いっきり息を吸い、また、吐き出すとき、頬が膨らむだけではなく、頬に赤味が差したりするわけで、鬼灯の実のイメージと、頬付きという表現とが、うまく重なってくる。
 語源としては、「昔の方言で「オホ」という名前の亀虫がつきやすかったことから「オホヅキ」となり、それがしだいに「ホオヅキ」になった」という説も紹介されている。
 なかなか、きっちりとした形で謂れを示すのは難しいようである。

 ところで、問題は、「鬼灯」という表記である。なんとなく予想されることだが、中国の言葉に由来しているだろうと思われる。
 これまた、困った時の語源サイトということで、「雑学大作戦:知泉」にお邪魔してみる。すると、「中国語にある子供用の小さな赤い提灯の事を「似ている」と言う理由で借用したもので、元々はホオズキの意味はありませんでし
た」とある:

 いろいろネット検索していたら、ホオズキ(酸漿)の花の画像が見つかった。
 そうだ、鬼灯は花が咲くのだった

 このサイトでは、「果肉が自然に腐蝕して,網の目のような脈だけが白く残」り、「中に赤い実が覗いて見え」る貴重な画像も見ることができる。まさに、燈篭を思わせるこの様子こそが、酸漿であり、鬼燈であり、鬼灯なのである。
 ちょっと意外というか驚いたのは、このサイトの記述によると、我々が鳴らすホオズキは、「海ホオズキのこと」だとか。
 さらに、「海ホオズキは貝の卵の袋です」ともある。この辺り、小生にはよく理解できない。紅く丸い実の皮で吹き鳴らした思い出は確かにあるのだが。

「雑学大作戦:知泉」にもあるように、ホオズキは漢方の薬としても昔から使われてきたようである。「咳止め・利尿・下痢などの特効薬」だとか、あるいは「妊婦が飲むと堕胎薬になると信じられていた」とか。
 ここまで来ると、怖い。
 この堕胎薬という効能は、実際にはないのだが、そのように信じられていたのだとか。また、「当時は妊娠をしても流産をしてしまうパターンが多く、七夕の時期に妊娠した妊婦が流産しやすい時期と言うのが秋の収穫期に当たってしまう。そんな一人でも手が欲しい時期に、嫁が仕事が出来なくなると言うのは大変な事なので、その時期に妊娠をするのを防ぐ為だったと言う」という記述は、悲しい歴史を偲ばせ胸が痛む。

 さて、ホオズキとして「酸漿」という表記が使われるが、これは、ホオズキの根から作られた漢方薬の名前が「酸漿根」だったことに関連するようである。
 なお、下記のサイトによると、「ホオズキは、7~8月ころの開花中に、地下茎および根を掘り取り、よく水洗いして日干しにします。 これを生薬の、酸漿根(さんしょうこん)といいます」とある。
 また、「全草を乾燥したものを、酸漿(さんしょう)といいます。熟した果実は、水洗いして日干しにして、1日量8~15グラムを煎じて飲用します」とも:

 とにもかくにも、鬼灯は、実際の花や実を見てもイメージを掻き立てられるが、鬼灯という漢字表記も意味深に感じられ、文才のある方なら、何かしら書かないでは居られないのではないか。
 実際、泉鏡花には、その名も「酸漿」という小説があるようだ。
 また、同じく彼の小説「婦系図」の書き出し部分に、「酸漿」が登場するらしい:

 鬼灯。妖しい、しかし可憐でもある、気になる植物なのだった。


[ 「塾頭ざっかん8」で、「赤い実は少女の秘密鬼灯市    堀内夢子」なる句を見つけた。意味不明だが、インパクトを感じてしまう句。ところで、このサイトによると、「鬼灯は別名「灯籠花」「灯籠草」ともいう」とか。
 でも、驚いたのは、プチトマトの画像。鉢植えのプチトマトを買ってきて育てていたら、「ある朝見ると熟れた実が真っ赤になり、夜店で売っている鬼灯そっくりになった」というのだ。
 なお、「じじ通信のすべて」の 「浅草ほおずき市」によると、「ほおずき市はなぜおこなわれるようになった」所以として、「旧暦七月の文月に立つ「ふみづき市」が訛って「ほおずき市」となった」という説も示されている。 (05/07/31 追記)]

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コメント

ほおづき、鬼灯は、いわゆる当て字という奴なのでしょうね。
お盆に鬼灯を飾るのは、餓鬼やご先祖のためのお灯明なのだとか聞いたことがあります。鬼火との関係あるような気がしますね。
鬼灯が秋の季語に分類されるのもお盆に飾られるという風習からなのかも。
お盆は俳句では秋ですから。

ちなみに鬼火(おにび)は冬の季語。幽霊譚は夏の風物詩なのに何故?と思ったら、これは一応物理的に説明のつく現象なのだそうですねぇ。見たことないけど。

そうそう、鬼灯を鳴らすってどういうことなんだろうと思ってましたが、あの袋の中の実を使うんですね。
子どもの時は、鬼灯は毒だからさわっちゃいけませんといわれていたことなども思い出しました。

投稿: しま | 2005/08/01 00:56

しま さん、コメント、ありがとう。

鬼火、別名、狐の嫁入りはお盆との関係があって、冬の季語なのですね。勉強になります。
狐の嫁入りには天気雨という別の意味もあるとか。ここが詳しかった:
「試案 「狐の嫁入り」」
 http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/bun056.htm
 ちなみに、小生には「狐の嫁入り」というわりと好感を抱いてもらえた掌編があります(挿画の評判がいいという噂も):
 http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/kitune-yomeiri.htm

 鬼灯は鳴らした経験があります。根気が要るようだけど、時間を掛けて中の種を抜けば。
 鬼灯が毒だという話は初耳です。まずい、ぺっぺしなくっちゃ。

投稿: やいっち | 2005/08/01 10:33

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