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2005/07/24

麦茶…喫茶去

 ホームページの掲示板で「喫茶去(きっさこ)」という言葉を教えられた(11513など参照)。
 この暑さだから、冷えたウーロン茶など如何といったところから始まった話題は、土曜日に起きた地震を契機に<自然>とは何、どのように自然を理解すべきといった話にまで展開していった。その辺りの推移などは掲示板を御覧下さい。

 ところで、冷えたウーロン茶などを薦められたが、小生は何年か前から夏場でさえも、部屋の中ではお茶を電子レンジで温めて飲むようになっている。
 その以前は、夏場は、冷蔵庫で冷やしたペットボトルのお茶をコップに移して、あるいは直接ボトルから飲んだりして遣り過ごすのが通例だった。勿論、お茶以外の冷たい飲み物もガブガブと。
 そうして秋口になった頃だろうか、ふと、お茶を温めて呑みたいという欲求が生じ、早速、電子レンジでチンして熱くなった番茶を備前焼の湯呑み茶碗で飲んでみた。
 すると、胃の腑がホッと溜め息をつくのが分かるようだった。
 ああ、胃は、温かいお茶が欲しかったんだ…。待っていたんだ…。
 夏の暑さもピークが過ぎたから…だけとも思えなかった。
 そうだ、体がもう、冷たいものでは耐え切れないような体力にまで落ち込んでいる、とにかく温かなもので心も体も内部から暖めて欲しかったのだ、といったことを実感してしまった。
 その翌年からは、夏場など、冷蔵庫には、一応、黒酢のジュースなども常備はされているけれど、こちらはダイエットと気分転換のためのようなもので、在宅の際の普段の飲み物としては、温かいお茶と決まってしまった。
 もう、一年を通してホットなお茶で過ごす。冷たいお茶は外出の際に飲む。
 今ではすっかり、そんな風な飲み方・過ごし方になってしまった。

 お茶を飲むと、心が落ち着く。小生のような野暮天であっても、湯呑み茶碗で飲むお茶は、胃の腑を落ち着かせ、脳髄をお茶特有の苦味でもない不思議な香りで痺れさせてくれる。
 お茶というと、鎌倉時代、栄西禅師が日本に伝えたという知識が普及している。
お茶の博物館 -日本茶博物館-」によると、「日本へは6世紀頃伝えられ、栄西禅師が「喫茶養生記」にてお茶の薬用効果をもって伝えたという説が最も一般的」なのだとか。
 尤も、「9世紀頃には上流階級の間で茶が一般的だったと」かで、「太上天皇が最澄とともに入唐した海公とともにお茶を飲み空海の寺に帰るという詞も残ってい」るのだとか。
 同上サイトには、民俗学者柳田国男の説として、「輸入しなくても我が国の中央山脈には至る所に自然に生えていて、焼畑を止めると真っ先に芽を吹くのは茶の樹であった。ただ隣国のように茶を煎じて飲むことを知らなかった」と紹介されている。
 お茶の木(樹)はあった…けれど、煎じて飲む方法を知らなかった…それでは所謂お茶を知らないということではないか、という突っ込みは野暮であろう。
「9世紀頃には上流階級の間で茶が一般的」だったというけれど、その時のお茶というのは、どんな風な煎じ方、呑み方だったのだろうか。
 さすが、「中国人は2000年以上も前からこのお茶の木を見つけ、お茶の木が彼らにとって有意義であることを見抜き広大なお茶のプランテーションをし、味の良い飲み物として作り出していました」というから、やはり日本にとって中国の存在は大きい。お茶にしても中国由来の文化・伝統なのだ。日本的にアレンジはしているのだろうとしても。
「栄西禅師と同じ頃、聖一国師が帰宋のさい輸入した「禅苑清規」をもとに東福寺規則をつくり、そのなかで僧院における僧の生活を規定するもののうち喫茶の儀礼が含まれてい」るとか。お茶というと、作法があったりするが、その原形はやはり鎌倉時代であり、その後、洗練されていったのだろう。
 そうはいっても、「一般庶民がお茶を楽しめるようになったのは煎茶の製法の発明された江戸時代から」だというのは、銘記しておいてもいいかもしれない。

 表題の「麦茶」は、「殻つきの大麦を炒って煮出した飲み物」ということで、「麦湯」という別名もあり、夏の季語だが、夏に飲む麦茶というと、冷たいのが相場なのかもしれない。薬缶や鍋でグラグラと煮立てて、やがて香ばしい香りが立ちのぼり、いい塩梅に色付いてくる。その煮立ったお茶を湯冷ましし、その後、冷蔵庫で冷やす。
 子供の頃はお袋がやっていたが、三十歳前後の頃、小生も不意に思い立って、緑茶やら番茶の葉っぱなどをブレンドして、独自のお茶を作り、楽しむようになった。

「麦茶」が夏の季語。我々の<常識>だと冷えた麦茶(冷麦)が当たり前だが、昔は、大型(小型も含め)の冷蔵庫が一般家庭にある筈もなく、まして明治や江戸の世となると、湯冷ましをしても、冷え冷えの状態にするのは難しいし、時間の無駄(乃至は、そんな余裕もなかったろうし)で、やはり、別名として「麦湯」があるほどだから、熱い(あるいは温かい)のが普通だったのだろう(←「甘酒・麦湯・冷や水売り」参照)。
 だとしたら、温かい(熱い)麦茶が夏の季語となったのは何故なのだろう。「殻つきの大麦」を入手しえるのは夏だったから?
 ネット検索したら、「今はじめて気づいたのですが、夏に麦茶とそうめん。これは、麦が収穫された直後だから…なんでしょうね」という一文を発見(←「AZBlog はんなり、あずき色のウェブログ☆」)。
「麦秋、麦の秋は、初夏の季語。季語って、季節の言葉と思ってるけど、むしろ農作業の言葉であり、俳句には本来、農民の言葉が混じってるはずのものなのかも。大地の言葉というか」とも書いてある。
 嬉しいことに、このサイトでは、一茶の麦関連の句が幾つか載せてくれている。
大麦の健康」によると、麦茶の歴史の項に、「日本には、早くから大麦を煎って飲み物にする風習がありました。緑茶の普及よりも早く、戦国の武将も好んで飲んでいたと伝えられています。江戸時代末期になりますと、麦茶は町人の気軽な飲み物として親しまれ、また、当時は、「麦湯店」といった喫茶店のような所で飲まれていたようです。(麦湯という言葉は、平安時代で既に登場していたそうです。)そして、明治時代になると一般家庭でも盛んに飲まれるようになり、夏の定番となりました。夏の季語である麦茶が、最初の頃は冷たい飲み物ではなかったなんて意外ですね」とあったりする。

 さて、表題の「喫茶去」に移る。「喫茶去(きっさこ)とは禅語で「よう来られた、まあお茶でもどうぞ」という意味です」だそうな。
「中国禅の大巨匠である趙州(じょうしゅう)禅師の問答「喫茶去」を紹介」してくれるが見つかった。
「「まあ一服おあがり(喫茶去)」には、僧の悟境ができているかどうかを点検したものでありますが、深い禅の意味があります。茶席の掛け軸によく見かけますが、茶席では、亭主が茶を点てて客にすすめるとき、貴賎貧富、老若男女等の区別無く、誰に対してもひとしく「喫茶去」であるべきが亭主の作法であり、茶道」なのであり、「趙州は、仏道とは喫茶去、つまり日常生活の中にあることをいったものです。 「おい」と呼べば「ハイ」と答える呼吸そのものが「生を明らめる」ことなの」だとか。
 けれど、実際の茶道は、敷居が高すぎる。本来は日常生活の中にあるはずなのに。忙中閑あり。日常の雑駁さと慌しさの中でこそ、一服のお茶は心に清涼感を与えてくれる、はずなのだが。

 ネット検索を続けていたら、「喫茶去(きっさこ)」を「お茶でも召し上がれ」の意に解するのは間違いだと叱咤しているサイトを見つけた。
 つまり、「茶の湯の世界でよく耳にする『きっさこ』とは、もともと禅語で、もとは、「お茶でも飲んで来い」と相手を叱咤する語です。それが、後に流行したまがい茶道で、「お茶でも召し上がれ」の意に解され、日常即仏法の境地を示す語と誤解されてしまいました」とのこと。
 さらに、「茶を飲む、その一事に専念すること。茶を飲むときは茶だけに自分を向ける。ほかに心を向けることはない。差し出された茶をゆっくり味わい、茶と自分とが一体となる。いまその茶と対するのは、その茶を飲もうとする自分だけである。ここに他の介在する余地はない。この一事はまさにさとりと修行との関係と同じ修証一如である。さあ貴方にその心境が、できているか。「喫茶去」。」とも。
「頂門の一針」とも言うべき指摘だった。

 ん? だとすると、「喫茶去(きっさこ)」という言葉(戒め)こそは、「頂門の一針」だったのか。
 ま、いいや、小生はただ、美味しくお茶が飲めればそれでいいんだ。どうせ、悟りには縁がなさそうだし。


 茶を飲めばするが香りか憩いかも

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コメント

 お茶が入りました。
 主語は、お茶。能動態。自己の行為が隠される、なんとも心優しい台詞です。

 禅苑清規(ぜんねんしんぎ)に“謝茶(しゃさ/しゃちゃ)”という言葉がありまして。
 客は、出された茶に感謝の意を表わし、住持は、出した茶が麁茶(そちゃ)であったと詫びるらしい。互いの“謝茶”は、~してあげる、~してもらうという能動、受動の対立から互いを解き放ち、茶を介して向かい合う両者は、しかし感謝の気持ちを寄せ合うことで、心は同じ方向に向かうでしょう。

 僕は、“喫茶去”をそんなふうに読み解いてみたいです。
 お茶を勧めることは、貴賎貧富、利害得失、老若男女に拘わらず、さらには共に茶を飲むことで、いわば自他の差異も打ち消そうとします。平等一枚の境地が、能動、受動を消し去ります。いや、ちょっと無理がありますが。
 “院主さん”と呼べば、思わず“はい”と答える。その呼吸に、喫茶去。かつてここに来たことがある者にも、ない者にも、院主にも、喫茶去。ただ、お茶を勧め、ただ、お茶を頂き、共に、今、ここにいることの歓びと、僕たちを貫き通している悲しみを見ます。
 国見さん、喫茶去。

投稿: 青梗菜 | 2005/07/24 13:36

お茶 小さな頃のお茶といえば手もみ番茶が
私んちの「お茶」でした。
大きな茶釜で沸かして、自然に冷えたものを夏には飲んでいました。

お茶は一種類ですが、あの葉から紅茶も抹茶も煎茶も、そしてウーロン茶も作られるのですね。お茶ってえらい!!。

昔々中国から、女王様の国イギリスにお茶を船で運んだ時、長旅でお茶が発酵したか蒸されたか、英国の港に着いたときにはなんだか変質していて、それを飲んだら香りも色もすごく良かったのでしょうね、きっと。
それが紅茶なんですって。
昔聞いた話ですが。。。

日本も昔は、お茶は薬用で飲んだらしいですね。
平安時代には普段は白湯を飲んでいたようです。
茶の湯が盛んになり始めたのはそのあと戦国時代ぐらい??

秀吉や信長の時代でしょうか?
武士と茶の湯 始まりはどんなものだったのでしょうか
一回でいいから、のぞいてみたいなあ


青桔菜さん、掲示板では、有難うございました

投稿: 蓮華草 | 2005/07/25 00:34

青梗菜さん、コメント、そして無知な小生への助け舟、ありがとうございます。
「お茶を勧めることは、貴賎貧富、利害得失、老若男女に拘わらず、さらには共に茶を飲むことで、いわば自他の差異も打ち消そうとします。平等一枚の境地が、能動、受動を消し去ります。いや、ちょっと無理がありますが」なんて文章を、茶道にあって指導者の立場にある方は、どのように受け止めるのでしょう。
小生には、茶道は、いつの間にか、そんな精神とは遥かに縁遠い世界に行ってしまったような。汚れた服、穴の開いた服、磨り減った靴、ボサボサの頭、風呂に何日も入っていない体、仕来りも何も知らない野暮天、そんな奴を快く持て成してくれる、本当の意味での茶の湯の精神で…。なんて夢のまた夢なのでしょうね。


蓮華草さん、小生に成り代わって、季語随筆を綴ってもらいたい心境です。
「お茶ってえらい!!」は、実感ですね。
学生時代から久しくコーヒーを飲んできたし、紅茶も飲んできたけれど、やっぱりお茶に戻る。
そういえば、最近、父母が飲むのでコーヒーをまた飲むようになったのですが、お袋のまねをしてブラックです。
お茶も、コーヒーの豆もエライ!
もっと言うと、スローフード(なんて表現は嫌いなのですが)が凄いのでしょうね。あまりに凄いから、その良さに気づくのに何十年も回り道してしまって。

投稿: やいっち | 2005/07/25 04:43

青桔菜さん 蓮華草さん 国見さん
勉強させて頂きます。
お茶も中々 奥深いものがあります。
皆様も暑さに負けず元気に乗り切って下さい。

投稿: 健ちゃん | 2005/07/25 17:50

小生も、健ちゃんさん、青梗菜さん、蓮華草さんらに教えていただきながら、細々とサイトを続けています。
皆さん、お茶をどうぞ、というわけにはいかないけど、ま、時には気休めになれたらと、なんて生意気を書きつつ、これからも宜しく!

投稿: やいっち | 2005/07/25 22:03

こんばんは 私は教えると言うより。。。
他の方々は、皆さん、とっても知識が深くていらして。。。

実はね、伝聞で紅茶の事を聞いていてそれを書いたのですが、気になって検索したら、ウーロン茶が長い航海で発酵したというのは、間違いでした。
http://www.ayati.com/TEA/REKISI.HTM
ここに、紅茶の歴史が書いてありました。
恥ずかしいわ!!(^^ゞ

投稿: 蓮華草 | 2005/07/25 22:43

蓮華草さん、わざわざご指摘、ありがとう。
「恥ずかしいわ!!(^^ゞ 」だって。小生など、恥の掻きっぱなし。文章を書くとは恥を掻くことがモットーの小生です。日々、恥ずかしい思いを晒しております。

紅茶などの歴史にも興味あるので、調べてみたいのですが、教えていただいたサイトで十分のようですね。
一度だけ茶室でお茶(抹茶)を戴いたことがあるけど(三十代半ば頃だったか)、もう一度、今になって、じっくり味わってみたい気持ちが一杯。でも、正座しなきゃいけないのかな。だったら、辛い。

投稿: やいっち | 2005/07/26 01:14

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