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2005/07/15

夜光虫…二つの顔

 毎度のことだが、この日記を夜中になって綴るとなって、テーマを何にするかで迷う。あるサイトで「浴衣」という季語を織り込んだ句日記が綴られていたので、よし! 今日は「浴衣」で行こうと、一旦は思った。
 が、たまたまネット検索でヒットした「日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET」が悪かった。「季節のことば 晩夏其の二 浴衣」という表題の下、「浴衣」を巡るあれこれが、小生には到底、真似のできない視野の広さと文章の上手さで綴られている。その上、浴衣という季語の織り込まれた句の数々が示されている。
 この上、何を小生が屋上屋を架する必要があろう。
 この季語を今日は調べようと、ネット検索を重ねて、あまりこれという参照サイトが見つからないのも困るが、書くべきことが網羅され、手の付けようのないまでに書かれているサイトに遭遇するというのは、もっと困る。付け入る余地がないではないか。
 ま、そのうち、隙を見て、「浴衣」に触れてみることにしよう。

 7月の季語例をつらつら眺めていて、晩夏ということもあり、8月の風情となっていて、梅雨明け前の今にあっては、どうにも食指が働かないのも事実なのである。
 そんな中、小生の好きな動物「海月」が目に付いた。これにするか。でも、その隣りに、「夜光虫」という気になる言葉・季語が文字通り光っている。

夏の季語(動・植物-種類順)」では、「夜光虫(やこうちゅう)」の説明として、「夜、海面に浮遊し青白く光る、晩夏に多い」とある。
俳句歳時記」の「季語集・夏」では、「赤潮と呼ばれる現象を起こす原生動物、海面をゆっくり浮遊する」と説明されている。
 久しぶりに「黛まどか「17文字の詩」2000年7月の句」を覗いてみると、「夜光虫いつかふたりとなつてゐし」なる句に行き逢う。
「キャンプや合宿などに行ったときにも、夜、気がつくと大好きな人と2人きりになっていたということがあります。思いも寄らず2人きりになれた喜びとトキメキ。うれしさと戸惑いが半々のこんな瞬間を、皆さんも一度は経験したことがあるのではありませんか?」というが、小生にはありません。
 その下にある句がまた憎くって、「真夜中を来し助手席に薔薇の束」だって。ああ、住む世界が違う。

「夜光虫」という題名の小説があったはずと探してみたら、あった。そう、横溝正史の作品(角川文庫)。
 推理小説、探偵小説は読まない小生だが、エドガー・アラン・ポーと、この横溝正史作品だけは読む。彼は、「本格推理小説の勃興に寄与」したと言われるが、小生は、むしろ作品のプロットや雰囲気を味わっていたように思う。その点、江戸川乱歩とは味わいが違うが、一時期の小生を魅了してくれた。
 乱歩作品も人の裏面の世界、屋根裏の世界を這い回っているようで、好きだった。

 おっと、若い人だと、馳 星周著の『夜光虫』(角川文庫)をまず、挙げるのか。
 それともゲームソフトか。
『夫婦善哉』の織田作之助に『夜光虫』という作品があるらしいが、確認できない。
「赤い夜光虫」という、緑魔子の出ていた映画があったらしいが、見ていない。
 学生時代だったか、「ビッグコミックス」という漫画雑誌に「夜光虫」(柿沼宏・作/篠原とおる・画)という題名の漫画が載っていた。何処かの食堂で読んだか、知り合いの家で読んだのか、覚えていない。ネットで調べたら、向井寛監督で映画化もされている。

 先に進む前に、「夜光虫」とはどんなものか、画像で見てみたい。「E-OKI.NET メインページ」の「見る:夜光虫」を覗いてみる。
「初夏から秋にかけて、穏やかな砂浜に打ち寄せる波の中に、光の反射とは明らかにちがうグリーンの波をみることがあります。そもそも夜光虫とは原生生物の一種で植物性鞭毛虫綱オビムシ科に属します。体長は1ミリに満たない大きさで何とか肉眼で見ることができます」とか、「夜光虫の光は力学的反応により、体に刺激を受けて波打ち際などで発光します。また、夜光虫が密集しているところに石をなげると、光る水飛沫をあげたり、光の波紋をつくったりします。波打ち際を歩くと砂浜がひかったり、水中を泳ぐ魚が光りながらすすんだり、フナ虫すら神秘的に見えてしまいます。なぜ彼らは光るのか、その目的は未だわかっていません」といった説明を得ることができる。
「なぜ彼らは光るのか、その目的は未だわかっていません」というが、威嚇か驚いて思わず以外に、光る理由は素人たる小生には思い浮かばない。
 それにしても、上掲のサイトの画像を見ると、海の「ひかりごけ」といった雰囲気がある。

 先に、「夜光虫」について、「赤潮と呼ばれる現象を起こす原生動物、海面をゆっくり浮遊する」という説明を示したが、その赤潮に関連して、何故か「京都府 Kyoto Prefecture Web Site」というサイトの、「夜光虫  -夜間に神秘的、青緑色の光-」なる頁を覗くと、「海洋調査船「平安丸」で海洋観測中にみられた夜光虫による赤潮」という画像を見ることができる。「昼間にこの赤潮を見ると、海面に汚れたペンキを流したようで、決してきれいな眺めではありません。しかし、夜間に海にでると、打ち砕ける波頭や船がたてる波しぶき、そこで光る夜光虫のほんのりとした青緑色の光など、美しい神秘の世界を経験することができます」という。昼の顔と夜の顔がまるで違う生き物なのだ。
「夜、伊根の舟屋を背景に青白く光る夜光虫の赤潮波が岸壁にぶつかるたびに、浮かび上がる幻想的な光景(平成11年5月23日京都新聞掲載)」という画像と対比させると、その感を強く抱く。
 このサイトには、「夜光虫の顕微鏡写真」も乗っている。透明で、美しいと表したくなるほど。

「夜間に川辺付近を飛び回るホタルの青白い光跡は、郷愁を感じさせる初夏の風物詩です。このホタルが発光生物の陸上の代表とすれば、海では夜光虫が最もよく知られた発光生物でしょう」というが、そうか、「ひかりごけ」より、蛍をこそ、連想しないと物足りないままに終わっていた。
 或いは富山県人としては、「産卵期に浅い所に寄ってきて光を発しながら群れるホタルイカ」なども連想しておくべきだった。
 東京の人、それから千葉の人なら、「ウミホタル」も忘れてもらっては困ると不満を言うだろうか。
 そんな美しい夜光虫だが、「この触手を使って体を動かしたり、エサを捕まえます。捕まえたエサは、溝の部分から体内に取り込みます。普通、夜光虫はバクテリアや小型の植物プランクトンを食べていますが、時には甲殻類の幼生やカタクチイワシの卵なども食べるといわれ、かなり獰猛(どうもう)な食性をもっています」という。だからこそ、増殖する時は一気に海を覆うほどに広がってしまうわけだ。

 赤潮といっても、夜光虫の場合は、大した被害は与えないというが、昼間の光景は見るには辛い。やはり、幻想と分かっていても、夜の光景を見たいのが人情というものだ。
 先に光る理由として、小生は勝手に「威嚇か驚いて思わず」の二つを挙げたが、もしかして、光る己の美しさに陶然となるためにってことは考えられないのだろうか。
 やはり、無理か。夏の夜の夢には最適のように思えたのだけれど。

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