昨年の七夕の直前、ひょんなことから手を染め始めた句作。気が付けば、早、一年となる。別窓に、句作を始めて間もない頃に書き下ろした「汗駄句仙柳徒然」と題した「句」についての小文を掲げる。
句をひねることの苦労とか大変さを予感くらいはしていただろうけど、まだ、実感を伴っておらず、ともかく5・7・5の形式で句を作る楽しさに興奮しがちなのを自制している気味が読み取れたりする。ただの一年なのに、なんだか懐かしい。それにしても、控えめぶって、かなり壮大な夢というか野望も抱いていたりして、我ながら微笑ましい?!
一年といっても、季語を多少なりとも勉強し始めてからだと、十ヶ月あまり。5・7・5の形式というか体裁を保つだけなら簡単だが、その形の中に一応は完結した表現世界を示すとなると、とてつもなく難しい。
しかも、俳句や川柳は趣向を凝らしたりしてもいいけれど、何かの事柄や風景、情緒に触れたなら即興で作るのが鉄則だと思い込んでいる小生なので、尚のこと、瞬間芸としての句作は困難だったりする。
その場の雰囲気や意気込みで一気に作る。だから多少は瑕疵があっても気にしない、というわけにはいかない。なんといっても、一応は、人様の目に触れる可能性があるのだ。
よって、句を作るに際しては、日頃、日常においては別に俳句や川柳ということに拘らず、乏しい能力と関心の狭さの中の限界を究めるつもりで、とにかく研鑚する。
その上で、誰かの詩や歌、俳句、川柳、あるいは自然の事象、風物に接したならば、その場において即興で作るように心掛けるわけである。
つまり、日頃、力やエネルギー、素養を溜めておいて、機縁に触れたなら、一気に5・7・5の形に持っていく、ちうことだ。
さて、表題の「水中花」は、夏七月の季語のようだ。
意味合いとしては、「水に沈めると水中でぱっと開く造花」のようだが、何故に夏7月頃の季語扱いとされるのだろうか。別名、「酒中花」とも。
「酒中花」については、「御酒の雑話(5) 酒中花(2)」に山東京伝の一文への山中共古の注、さらにこの注への三村竹清の注ということで、以下のような記述が見つかる:
「此酒中花といふもの、水へ浮ばせると開くものか。他のものかとも思われど、とにかく水中にて開くもの、寛政以前よりありしゆへ、かく名附けしものあるかと思へば、覚(おぼえ)の為に記し置く。此(この)女、水中に浮びし水中花を、かんざしにて動かせしのが、つきて居しをいへるなり。」 さらにこれを、三村竹清が注して、「水中花とい名にて、此間、茅場町の薬師にて売るを見たり。」 としています。(「砂払」 山中共古) 明治になっても酒中花はあったようです。
さらに、「御酒の雑話(2) 酒中花」には以下の記述が見つかる:
あんどんの灯は昔は普通、菜の花の油に山吹の茎の芯を浸してその先に火をつけましたが、その山吹などの髄芯を使った酒興の一つがあります。山吹などの茎の髄を花や鳥の形に作って押し縮めておきます。これを、盃に入れておいて酒を注ぐと、酒を吸って開くという趣向です。遊び心をたっぷり持った江戸人の考えそうなことですが、今私たちが粋がって行うほとんどのことは、100年以上前にすでに行われていたといって良いように思われます。
ネット検索していると、「ひとつ咲く酒中花はわが恋椿 石田波郷」なんて句も見つかった。
どうやら、「酒中花」は「水中花」の原形と見なせそうである。江戸の世では酒の場の趣向であり、まさに酒肴だったのが、明治となり、世が移り変わるにつれ、風情が薄れ、水臭くなっていったということか(若干、想像が過ぎるかな)。
さらにネット検索してみたら、「日日光進」にて、俳句新人賞を受賞された照井翠さんの「水中花ときどき水を替える恋」に寄せるコメントの形で、以下の記述を見つけた:
江戸期に活躍の西鶴は「桜をある時酒中花にしかけて」と書き、その挿絵の説明として「長さき酒中花つくり花からくり」と記す。つくり花は造花、そのからくり仕掛けを酒中花とよんだ。中国から長崎に渡来したものらしい。水のほか造花を酒杯に浮かべ酒席を楽しんだ。石田波郷は「水中花培ふごとく水を替ふ」と詠む。
1962~ 岩手県生まれ。「寒雷」同人。by村上護。
こういった「酒中花」の趣向や遊び心を思うと、どうにも「水中花」は、水っぽく感じられるのも無理はないのかもしれない。
それでも、小生が初めて「水中花」を知ったのは、無粋ながら、言うまでもなく(?)、女優の松坂慶子さんが歌ってヒットした歌「愛の水中花」によってだったということもあって、思い入れも一入(ひとしお)なのである。
彼女、今も美人だし、体型を維持されているが、デヴュー当時の美人さには惚れ惚れ、メロメロ。
どうも、肝心の話が進まない。「水中花」が季語なのは歴史的背景も先人が句に詠み込まれてきたことからも分かるのだけど、何故に夏の季語なのかが分からない。「酒中花」は冬の遊びとして似合いそうだが、あるいは夏の夜の暑さ凌ぎのための趣向だったのか。その名残が「水中花」に余韻として残っているということか。
それとも、単純に夏の日に水中花を飾ったり見たりしたら、涼しげだという単純な、すぐに浮かぶ理由に素直に従っておけばいいということなのか。
それにしても、「酒中花」だと、桜など生きた花(花びら)を浮かべたりするらしいが(ここから考えると、夏に限定するのは難しい気がするのだが…)、「水中花」となると、「水に沈めると水中でぱっと開く造花」というのでは、なんとなく興醒めのような気がする。
ネットでは、「いきいきと死んでゐるなり水中花 櫂未知子」が見つかったりする(「ikkubak 2002年6月7日」にて)。この句に寄せる評釈も面白いが、この句の場合は、水中にある花は、造花ではなく、もとは生きた生の花(花びら)だったことが含意されているのだろうか。よく理解できない。
話の脈絡からは離れるが、ネットで「水中花と言つて夏の夜店に子供達のために賣る品がある」という印象的な冒頭から始まる、「伊東静雄『反響』-「夏花」水中花」という小文と詩を見つけたので、ここにメモしておく。
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