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2005/07/31

鬼灯市…俳句事始

 表題に「鬼灯市」を掲げたのだけど、東京在住四半世紀だというのに、実際に浅草寺の境内で催される鬼灯市を覗きに行ったことはない。仕事で傍を通りかかったことがあるだけである。思えば縁日などの祭りにも、この数年、ゆっくりのんびり、ひやかしに行ったりするようなこともなくなっている。
 心の余裕がなくなっている、ということか。
 遊び心が薄らいでいる、のかもしれない。
「鬼灯市」は、「源頼朝が奥州征伐からの帰路、日射病で参っている兵士にほおずきの実を食べさせた故事にちなむもので、毎年7月9日・10日の両日、浅草の浅草寺でほおづき市が開催される」とか。
 あるサイトによると、「昔は、ほおずきに利尿作用、解熱作用、鎮静作用があるとして、薬用植物になっていました」とのこと(「夏の風物詩「赤いほおずき」(01.7.9)」より)。
 ちなみに、1189年7月に源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡追討の為に鎌倉を出発している。9月には、「奥州藤原氏討伐に功績のあった葛西清重を奥州総奉行に任命。奥州支配を確立する」わけだから、上掲の故事は89年の秋辺りということになるのか。
 軍功あった葛西清重氏だが、のち「親鸞上人の弟子となり葛西氏館(別名、葛西清重館)に寺を建立したのが現在の西光寺」だとか。

 別名(別表記)に「酸漿(ほおずき、かがち、あかがち)、鬼燈(ほおずき)」などのある「鬼灯」だと秋の季語になるようである。
 夏の季語は、「青鬼灯(青酸漿、あおほおずき)」だという。文字通り、「まだ赤くならない若い鬼灯」のこと。
 ややっこしいことに、「鬼灯の花」となると、夏の季語なのである(鬼灯の花の画像は、下で示してある)。
 ネットでは、「鬼灯市夕風のたつところかな    岸田稚魚」が目に付いた
 昨日、土曜日の夜は隅田川で花火大会があったようだ。雨が心配されていたが、幸い、天気は持った。が、鬼灯市の催される7月上旬というのは、東京に関してはまず間違いなく梅雨の真っ最中。梅雨だからとて、必ず雨が降るというわけではないのだが、鬼灯市の立つ日はあまり雨が降らないジンクスがある?! 迷信かな。
 ところで、鬼灯と混同しそうなのが、鬼火である。こちらは、「おにび」。意味は、「夜間、墓地や沼地などで、青白く燃え上がる不気味な火。人骨などのリンが自然発火したもの。人魂(ひとだま)。火の玉。あおび」である。
 両者は、似て非なるもの? それとも、全然、似ていない? 

 雨とても避けて通るよ鬼灯市    弥一
 鬼灯を鬼火と見しは我のみか    弥一

「鬼灯」については、ほぼ一年前に綴った雑文があるので、以下、掲げておく。この稿を書いて数日後、ひょんなことから俳句や川柳の世界に足を踏み入れることになったのだが、本人も知る由もないのだった。
 でも、読んでみると、その気配は濃厚…?!

 鬼灯に惹かれて惑う俳句道    弥一

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2005/07/30

環境考古学…勘違い?!

 木曜日の営業中、ラジオから環境考古学なる比較的新しい学問に携わる方の話が流れてくる。
 環境考古学? ん?! 以前、読んだことがあるぞ。
 そう、松井 章著『環境考古学への招待   ― 発掘からわかる食・トイレ・戦争 ―』(岩波新書刊)なる本をこの2月に読了し、感想文も書いていたのだった。
 が、話を聞いていると、どうも、話の内容というか着想が小生の知る(といっても、片鱗だけなのだが)松井 章氏とは違うような。
 で、話の内容より、一体、誰が話をしているのか、聴き手であるNHKのアナウンサー(アンカー?)によると、環境考古学の権威だというが…と、名前が出てくるのを待っていた。そのうち、ようやく聞けた。ヤスダさんとか。
 早速、ネット検索。安田喜憲著『環境考古学のすすめ』(丸善)が検索結果の上位に登場する。
「書籍内容」ということで、「東洋の自然観・世界観に立脚しながらユーラシア大陸の風土・歴史をグローバルな観点から論じた梅棹忠夫の「文明の生態史観序説」の生態史観に基づいて、文明や歴史をその舞台となる自然環境との関係を重視しながら研究する分野として、「環境考古学」を提唱した筆者が、地球環境と人類の危機の時代に、自然と人間が共存し、文明の発展を維持していくための新たな歴史像、文明像を創造するための歴史科学として「環境考古学」の重要性を熱く語る」とレビューにはある。
 本書は読んでいないのだが、まさに当夜はこういった話をされていたのだった。話のテーマは、「森の環境」である。
 当然ながら、松井 章氏の仕事やテーマとも重なる部分があるが、松井 章氏については上掲の感想文を参考願いたい。御本人の説明が載っている。

安田喜憲先生プロフィール - WEB講義 - 環境goo」を覗かせてもらうと、「1946年、三重県に生まれる。72年東北大学大学院理学研究科修士課程修了。広島大学総合科学科助手をへて、94年より国立日本文化研究センター教授に。専攻は地理学・環境考古学。環境考古学という新たな分野を、日本で最初に確立。主な著書に、「環境考古学事始」「森のこころと文明」「森林の荒廃と文明の盛衰」など多数」とある。
 松井氏も東北大学(大学院)の卒業だったようだが、安田氏も東北大学大学院を終了されている。
 ということは、どこかしらでお二人は関わりがあるのか、それとも、東北大学が杜の都・仙台にあるという土地柄が影響しているのか。

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2005/07/29

チョウよトンボよクジラよ

 日高 敏隆著の『動物と人間の世界認識』(筑摩書房)を昨日も車中で待機中などに読んでいたが、文中、興味深い記述に出会った。
 一つは、『万葉集』には、蝶(チョウ)は登場しない、というのである。
 あるいは、『万葉集』など古典に詳しい人には、そんなこと、常識だよ、ということかもしれないが、小生には初耳(あるいは、初めて耳に残った)の知識だった。
 ちょっと、唐突な話題だったかもしれない。
 人間の認識は、その時代においてのイリュージョン(環世界)の中に制約されており、「万葉集」の時代にあっても、チョウは現実には飛び交っていたし、目にもしていたはずなのに、意識には上らない、だから歌の世界にも取り込まれようがなかったというのである。
 つまり、「これは万葉集の人びとの世界の中に、チョウは存在していなかったからではないか」というわけである。
 念のために断っておくと、本書にも注記されているが、チョウは「万葉集」に、歌の説明の文章の中の言葉としては登場している。それも、中国の古典からの引用文に過ぎない。
 ちなみに、小生が折々覗くサイトである「たのしい万葉集」によると、『万葉集』には、獣(けもの)や魚(さかな)以外では、「蜻蛉(あきづ)」「 蟻(あり)」 「蚕(かいこ)」「 蝦(かはづ)」「亀(かめ)」「 蜘蛛(くも)」「 蟋蟀(こほろぎ)」「しじみ」「 蝉(セミ)」「はえ」「 ほたる」「 まつむし」などの昆虫や生き物等が登場するという。
「蝶(チョウ)」については、「蝶(ちょう)は春の花をより引き立たせる生き物だと思うのですが、万葉集には一首もありません。大伴家持(おおとものやかもち)の歌の説明に登場するだけなのです」とある。中国の典籍からの引用文(漢文)も上掲のサイトで読むことが出来る。
 要旨も示されているので、覗いてみてほしい。
 何故に「蝶(チョウ)」が「万葉集」には(説明文以外には)登場しなかったのか、歌に詠まれなかったのか、などと問うことは、頓珍漢な問いなのだろうか。昆虫の中でも「蜘蛛」や「蟻」より詠われていてよかったはずなのに。
 尚、本書『動物と人間の世界認識』によると、『古事記』にも「チョウ」は登場しないとか(小生は未確認)。

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2005/07/28

「夏の夢」は季語ではない

 ふと浮かんだ疑問なのだが、「春の夢」は春の季語だが、「夏の夢」とか「秋の夢」、「冬の夢」という季語はないこと。「春の夜の夢のごとし」(平家物語)という慣用的になった表現の賜物なのだろうか。
 それとも、夏には夢は似合わない? 夢を見るには、どこか朧な意識が必要ということなのだろうか。
 犬や猫は夢を見るのだろうか。愛犬家や愛猫家によると、見る! と言い張る。
 夢から覚めた瞬間、ワンちゃんは、ふと、ここは何処、私は誰、という表情をするというのだ、が。
 仮に動物たちも夢を見るとして、一体、どんな夢を見ているのだろう。
 こればっかりは、聞いても教えてくれない。
 そもそも、起きている間の世界でさえ、人間と動物、あるいは数知れない動物間にあっても、住む世界が違うのだから、何かよほど生き物に通底する<言葉>が存在しない限り、永遠に語り合われることはない。

 夏の夢見ても俳句になれもせず

 さて、今日は、動物それぞれに生きる世界の話。また、野暮に渡ります。

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2005/07/27

雲の峰(入道雲)…スペースシャトル

「雲の峰(入道雲)」は、夏7月の季語である。
三重歳時記 1979年」の「入道雲」によると、「雲の峰とは入道雲のことをさす。学術的には積乱雲であり、夏から秋にかけ、烈しい上昇気流の生じたときに出現する」という。
 夏というと、入道雲だし、雲の峰というと、芭蕉の「雲の峯幾つ崩て月の山」を思い浮かべる人も多いだろう。
水曜通信 牛乳は手を腰にあて雲の峰」を覗かせてもらうと、「雲の峰」を織り込んだ句が幾つも紹介されている(このサイトには、積乱雲の画像サイトも紹介されていた→「雲百科 積乱雲」)。
 その他、雲の峰の句というと、「航海やよるひるとなき雲の峰    高浜虚子」や「雲の峰静臥の口に飴ほそり   石田波郷」など。
 
 入道雲というと、夏休みという連想が働いてしまう。別に子供の頃とか学生時代しか入道雲を見たことがないわけではないが、育つに連れ、というか人間性が擦れていくに連れ、夏の空を遠く眺めるようなゆとりがなくなっていく。
 日々の生活に追われる。現実の七面倒臭いことに関心が奪われていく。
 かといって、子供の頃の自分がゆとりたっぷりだったわけではない。そのように回想されるなら、子供の頃の心や記憶が薄れてしまって、ある意味、熱湯の中にいた日々の熱さから遠ざかってしまったから、ただ懐かしさとセピアの薄膜に覆われてしまったからではないかと思ったりする。
 学校の宿題ができなくて、どうやって学校へ行こうかとか、試験の成績が悪くて、返却された赤点の答案用紙を
手に、途方に暮れていたとか、虐め(虐める側か虐められる側かは、それぞれだとして)の渦中にあるとか、とにもかくにも思い惑うことは多かったし、惑う心の振幅も極端だったりする。
 だからこそ、不意に遠くの青い空に何処までもモクモクと立ち昇る入道雲に、目の現れるような、救われるような、いや、ただただ単純素朴に感動してしまったのかもしれない。

 遠い空ただ眩しきは雲の峰

 が、さて、今日は、以下、例によって野暮な話に渡っていく。入道雲ならぬ宇宙ロケットの燃料の雲。

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2005/07/26

飯饐る…校舎

 いつものように、【7月の季題(季語)一例】を眺めていたら、今日は何故か、「飯饐る」に目が行った。7月の季語は数多い。その中で、何故、この言葉に焦点が合ってしまったのか。
 まさか、表記の読みに自信がなかったから…? さもありなん。当てずっぽうに近い読み方だが、多分、こう読むだろうという感触はあった。
 でも、とりあえず、ネットで調べてみる。
 すると、この季語についての検索結果が異常に少ない。十数件なのである。これまでで最低。
 実際、見渡したところ、この季語(言葉)についての説明が見当たらない。
 とにかく、「飯饐る(めしすえる)」であることは確認できたが。
 さすがに、「現代俳壇の祖・高浜虚子の孫であり、俳誌「ホトトギス」の現主宰である」稲畑 汀子氏がこの季語に言及されていたが、「消極的にただ気息奄々と耐えるだけでなく、知恵を働かせて暑に耐える工夫をしてきたのです。「納涼」「端居」「打水」「風鈴」などの季題は、そのことをよく物語っています。これらは日本人の精神性と深く結びついた文化にまでなっています。食べ物にしても「冷奴」「あらひ」「水貝」などは、生活の知恵から、芸術の域にまで高められているのではないでしょうか。しかし一方では、「飯饐る」といったようなことにも、日本人は詩情を感じて季題としているのです」という一文の末尾で、「一方では、「飯饐る」といったようなことにも、日本人は詩情を感じて季題としているのです」とあるだけ。
 言葉そのものへの説明はない。ま、歳時記その他で調べれば済むわけなのだろう。

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2005/07/25

夏座敷…風

 いよいよ本格的な夏に突入である。東海や関西地方以南は、連日の猛暑だとか。
 そんな中、こと小生に付いては、扇風機という文明の利器に助けられつつ、読書と居眠り三昧の日が続く。
 表題の「夏座敷(なつざしき)」は、夏7月の季語であり、「襖や障子を外し、簾や風鈴などで涼しく装った座敷」のだという。
人間国宝四角く在(おは)す夏座敷    内田美紗」や「夏座敷布裁つときは娼婦めく    渡部陽子」、「はるかより這うて来る子や夏座敷    岸本尚毅」「夏座敷棺は怒濤を蓋ひたる    川崎展宏」「足音のひと現れず夏座敷    桂信子」などの句がネットでは散見された。
 現代では、マンション住まい、あるいは一戸建てでも、床下や天井、壁などから隙間風などが通り抜けることなどありえない。可能なら窓やドアを開放することもあるのだろうが、エアコンのお世話になっていて、夏座敷という言葉本来の意味からは遠ざかった風景があるばかりか。
 それでも、簾や風鈴、一輪挿しなどで涼しさを演出する心は忘れない人も多いのだろう。
 かく言う小生は、風流とは無縁の生活を何十年も送っている。なのに、季語随筆などと銘打って駄文を綴ってみたりして。
 以下、夏座敷という言葉の雰囲気とは大違いの駄文を今日も綴ってしまう、のだろう。
 ご用心のほどを。

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2005/07/24

麦茶…喫茶去

 ホームページの掲示板で「喫茶去(きっさこ)」という言葉を教えられた(11513など参照)。
 この暑さだから、冷えたウーロン茶など如何といったところから始まった話題は、土曜日に起きた地震を契機に<自然>とは何、どのように自然を理解すべきといった話にまで展開していった。その辺りの推移などは掲示板を御覧下さい。

 ところで、冷えたウーロン茶などを薦められたが、小生は何年か前から夏場でさえも、部屋の中ではお茶を電子レンジで温めて飲むようになっている。
 その以前は、夏場は、冷蔵庫で冷やしたペットボトルのお茶をコップに移して、あるいは直接ボトルから飲んだりして遣り過ごすのが通例だった。勿論、お茶以外の冷たい飲み物もガブガブと。
 そうして秋口になった頃だろうか、ふと、お茶を温めて呑みたいという欲求が生じ、早速、電子レンジでチンして熱くなった番茶を備前焼の湯呑み茶碗で飲んでみた。
 すると、胃の腑がホッと溜め息をつくのが分かるようだった。
 ああ、胃は、温かいお茶が欲しかったんだ…。待っていたんだ…。
 夏の暑さもピークが過ぎたから…だけとも思えなかった。
 そうだ、体がもう、冷たいものでは耐え切れないような体力にまで落ち込んでいる、とにかく温かなもので心も体も内部から暖めて欲しかったのだ、といったことを実感してしまった。
 その翌年からは、夏場など、冷蔵庫には、一応、黒酢のジュースなども常備はされているけれど、こちらはダイエットと気分転換のためのようなもので、在宅の際の普段の飲み物としては、温かいお茶と決まってしまった。
 もう、一年を通してホットなお茶で過ごす。冷たいお茶は外出の際に飲む。
 今ではすっかり、そんな風な飲み方・過ごし方になってしまった。

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2005/07/23

黒百合…悲劇の花

 さていつものように画面に向かい、今日は何を綴るかと考え出す。何も書く材料もなしに空白の画面に向かうというのは、楽しいような、プレッシャーでもあるような。
 でも、プレッシャーがプレジャーなのである。
 例によって【7月の季題(季語)一例】を眺めた。すると、今日は真っ先に冒頭近くにある百合に目が行った。
 脳裏では、勝手に、百合…黒百合…佐々成政と越中人たる小生ならではの連想が働いている。
 そう、富山県人ならば、百合というと、黒百合を思い浮かべる(人が多いのではなかろうか。今時の人は分からないが)。

 本題に入る前に、「百合」について少々。
 夏の季語である「百合」には仲間がたくさん、あるようで、季語として使われる言葉に限っておいても、「山百合」「姫百合」「鬼百合」「白百合」「鹿子百合」「車百合」「早百合」「黒百合」「鉄砲百合」「百合の花」と並ぶ(←「北信州の道草図鑑」より)。
 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」 なんて言うけれど、そのように評される女性ってどんな人なのだろう。花のように、すぐに萎れてしまう人ってことなのだろうか。

雑学花言葉」の「雑学花言葉「く」で黒百合の花言葉を見てみると、「恋、呪い」だとか。
 説明には、「花の姿と暗紫の花色から黒百合と呼ばれるが、百合ではなくバイモ属。悪臭があるそう。 ミヤマクロユリの母種とされている」とある。
 下記するが、黒百合と越中との結びつき(因縁というべきか)は浅からぬものがあるのに、何故か、黒百合は石川県の県花。どうやら、「白山に多く群生」するからのようである。

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2005/07/22

端居…仮住まい

【7月の季題(季語)一例】を眺めていたら、小生には初見の言葉が目を引いた。表題にある「端居」である。
 端っこに居る…。文字通りの意味なのか。
 しばしばお世話になっている「俳句歳時記」の「季語集・夏」によると、「端居(はしい/はしゐ)」は、 「室内の暑さを避けて、夕食もそこそこに縁先に出て涼を求める」の意で、「夕端居」という類義語があるらしい。
 知らないのは小生ばかりで、「端居」なる季語の織り込まれた佳句はネットでも結構、見つかる。アトランダムに列挙してみる:

 端居より端居が見えて琉球村
 団欒にときをり応ふ端居より    能村登四郎
 娘を呼べば猫が来りし端居かな   五十嵐播水
 端居して小さき嵩の母なりし   opさま
 曾てなき端居語りの夜を得たり  
 悪女にも聖女にもなれず夕端居   青木凛
 ガーゼ切るしづかな音や夕端居

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2005/07/21

ヨットの帆ならぬ

 本日、夕方、帰京した。
 帰郷した18日は、関東に梅雨明け宣言が出ていたと、田舎に着いて、夕方のテレビを見て知った。梅雨の終わりということで雨を覚悟のバイクでの帰省。関東はともかく、甲信越のどこか、長ーい長野県の何処かしら、あるいは少なくとも北陸地方に差し掛かったところでは、一雨くらいはくるだろうとは思っていた。
 が、最初から最後までピーカンの晴れ。関東地方を離れ、山梨から長野にかけての山間(やまあい)、あるいは信州や信濃地方などの主に千曲川を越えた先などを走る際には、それまで晴れていた空の彼方に不穏な黒雲が急に湧き出すように見えてくる…そんな経験を何度、重ねたことか。
 しかも、北陸地方は梅雨明けしていないのである。
 こんなに天気の事をくだくだ書くのも、バイクでの帰省なので、気象条件には神経質に成らざるを得ないのである。
 雨のことばかりを書いている。が、小生が一番、怖いと感じるのは風である。バイクは風の友達なんて、気取って言う人もいるけど、それは、走ることによって受ける風。百キロ余りで高速道路を走れば、地上世界は一切、風が吹いていなくても、走行風が秒速で30メートルほどとなる。
 なかなかの風だ。
 が、これは走ることによって発生する風で、こうした風圧は、バイクのスピードを調節することでいつでも緩和することができるし、そもそも地上が無風での走行は雨さえなければ(無論、雪などは論外)、何も不安を覚える要素などありえようはずがない。

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2005/07/18

お知らせ

 家庭の事情で、今日から数日、帰省します。
 戻ってきたら、また、宜しくお願い致します。

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数のこと

 このところ、丹羽 敏雄著『数学は世界を解明できるか―カオスと予定調和』(中公新書)を読了し、今はアーネスト・ゼブロウスキー著『円の歴史―数と自然の不思議な関係』(松浦 俊輔訳、河出書房新社)を読んでいるなど、数学の啓蒙書を読む機会が多い。
 今は、昨年来の人気の本、小川洋子著『博士の愛した数式』(新潮社)を予約待ちしている。

 数学の本については書評など書けるはずもなく、感想文を綴ることさえ、覚束ない。
 丹羽 敏雄著『数学は世界を解明できるか』は、レビューによると、「天動説は数理モデルを構成して数学的に天体運動を説明する試みである。ガリレイは地上運動にも数理構造があることを示し、ニュートンはそれらを土台に近代的力学を創った。数学の発展がそれを可能にした。現象の基礎にある法則とその数学的表現である微分方程式が示すのは単純さと美しさをもつ予定調和的世界である。しかし、コンピュータの出現は自然の内包する複雑さを明るみに出した―。現代科学思考の到達点を平易に叙述」とのことで、まあ、車中では楽しませてもらったというところ。

 アーネスト・ゼブロウスキー著『円の歴史』は、適当に読み流すつもりでいたが、案外と洞察に満ちていて発見の本だった。だから、後日、感想文を綴ってみるかもしれない。

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2005/07/17

栃と餅…スローライフ

 野本寛一著の『栃と餅 ―― 食の民俗構造を探る ――』(岩波書店刊)を読了した。こうした地味な好著を手にしえるのも図書館だからこそ。自腹でとなると、情なくもためらってしまう。買いたい本、読みたい本は枚挙に遑のないないほどにある…そんな中で本書をとなると、二の足を踏んでしまっただろうことは間違いない。
 この本が図書館に行った際に、入口付近の新刊コーナーにあったこと、まだ誰にも借りられないであったことは、運が良かったというしかない。
 それとも、多くの方の目には素通りしていくだけの本なのだろうか。この手の本と言うと、柳田國男や折口信夫を筆頭に数知れずあるだろうが、そんな中でも一読してみると地味な感がある。
 それは、筆者が自らを語ることが少ないからだろうか。読み手としては、筆者が足と体で見聞きし、集めた貴重な証言や画像のあれこれを読み眺めるのは楽しいが、探し回る際の筆者の息遣いや汗も、もう少し感じたい。

 さて、上掲の岩波書店の案内によると、「今やグルメブームの名のもとに,ファストフードとスローフードが入り乱れ,食文化は大混乱している.しかし食の民俗を注意深く眺めてみると,食とは何よりも生きるためにあり,そこから儀礼のための食が生まれ,楽しみのための食にいきつく.長年の調査から先人たちの食に関する伝承知を描き,この列島の人々の食に関する嗜好の伝統が姿をあらわす」と説明されている。

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2005/07/16

ラムネ…サイダー…アイスコーヒー

 7月の季語例を眺めていて、さて、今日の表題は何にするか…と、「ラムネ」が目に付いた。
 が、「ラムネ」については、小生、散々、書き散らしている。たとえば、「富山とトンボのこと(付:後日談、など)」で、富山とトンボという題名とラムネが結びつくのは、恐らくは富山県出身の方か富山に縁のある方だろう(もう、若くはない方とまでは書かないが)。
 あるいは、その続編で、「トンボのこと」(2005年03月27日(日))を書いているが、これは、話の焦点を主にトンボに置いている。但し、トンボは秋の季語である。
 というわけで、今回は「ラムネ」は見送り。そのうちまた、書き足すことが増えたら、改めて。

 ラムネも懐かしいが、サイダーも、一昔前はある定番のメーカーのサイダーしかなかった(呑まなかった)ような気がする。
 なんたって、三ツ矢サイダーは日本最古のサイダーなのである。
語源探偵団 三ツ矢サイダー」によると、「キリンビバレッジ「清涼飲料水の歴史」によると、「ラムネ」は嘉永6年(1853)、ペリーの黒船とともに日本に上陸。炭酸飲料の歴史的幕開けとなった。当初は栓を開けるときの音から「ポン水」などと呼ばれていたようだ。国産ラムネの第1号は慶応元年、長崎の藤瀬半兵衛による「レモン水」である。ちなみにラムネといえばビー玉入りのボトルなんだけど、これは英国人コッドが発明したもので、日本ではじめて試作に成功したのは、なんと「徳永玉吉」という人物だったらしい(『ザ・ジュース大辞典』扶桑社)。明治期になると炭酸飲料は大流行したコレラの予防薬として、国民的ブームを迎えることになる。三ツ矢サイダーが誕生したのはそんな時代のことだ。とりあえず「日本最古のサイダー」といわれている」とのこと。

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2005/07/15

夜光虫…二つの顔

 毎度のことだが、この日記を夜中になって綴るとなって、テーマを何にするかで迷う。あるサイトで「浴衣」という季語を織り込んだ句日記が綴られていたので、よし! 今日は「浴衣」で行こうと、一旦は思った。
 が、たまたまネット検索でヒットした「日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET」が悪かった。「季節のことば 晩夏其の二 浴衣」という表題の下、「浴衣」を巡るあれこれが、小生には到底、真似のできない視野の広さと文章の上手さで綴られている。その上、浴衣という季語の織り込まれた句の数々が示されている。
 この上、何を小生が屋上屋を架する必要があろう。
 この季語を今日は調べようと、ネット検索を重ねて、あまりこれという参照サイトが見つからないのも困るが、書くべきことが網羅され、手の付けようのないまでに書かれているサイトに遭遇するというのは、もっと困る。付け入る余地がないではないか。
 ま、そのうち、隙を見て、「浴衣」に触れてみることにしよう。

 7月の季語例をつらつら眺めていて、晩夏ということもあり、8月の風情となっていて、梅雨明け前の今にあっては、どうにも食指が働かないのも事実なのである。
 そんな中、小生の好きな動物「海月」が目に付いた。これにするか。でも、その隣りに、「夜光虫」という気になる言葉・季語が文字通り光っている。

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2005/07/14

ジュール・ヴェルヌ…オリエント

 NHKラジオでジュール・ヴェルヌについての話を聴くことができた。「ことしは、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの没後100年」なのだという。語り手は、日本フランス語フランス文学会の小倉孝誠氏で、ラジオ深夜便という番組の「ないとエッセー」にて。
 話は聞きかじったが、深夜、それも夜半前後というのは、小生の仕事では一番、忙しい時間帯(のはず)。なので、話の大半は右の耳から左の耳へと、通り抜けていった。
 まともに聴いていても(聴いているつもりでも)、耳の通じはやたらとよくて、掠りもしないで吹き抜けていく。目から鼻に抜けるというと有能なる人を表する表現だが、右の耳から左の耳というのは、小生に付いての表現のようである。
 なので、ネットで話を補う。

 ラジオの内容(テーマ)は:
 7/11(月)ジュール・ヴェルヌと私(1)日本文学とヴェルヌ
 7/12(火)ジュール・ヴェルヌと私(2)ヴェルヌとその時代
 7/13(水) ジュール・ヴェルヌと私(3)驚異と旅「80日間世界一周」
 7/14(木) ジュール・ヴェルヌと私(4)ヴェルヌからのメッセージ

新着おすすめ情報」によると:

「先人の空想力」
 出演:小倉孝誠(慶應義塾大学文学部教授)
「ことしは、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの没後100年。100年前といえば、日本では明治時代・ヴェルヌの代表作『十五少年漂流記』『海底一万里』『八十日間世界一周』などに描かれた世界と比べてみると、その空想力に驚かずにはいられない。フランス文学を専門とする小倉さんが、ジュール・ヴェルヌの人物像や空想力の源、作品世界の魅力などを語る」とある。表題が少し違うが気にしない。

パリノルール blog 海洋博物館でジュール・ヴェルヌ展、開催中 paris」によると、「今年はジュール・ヴェルヌが亡くなって100年めの年。フランス各地で記念イベントが開かれるとか」
 日本においては、どうなのだろう。まさか、NHKのラジオ番組だけ?

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2005/07/13

長嶋茂雄さんのこと

 脳梗塞で倒れた長嶋茂雄氏が、つい先日(7月3日、東京ドームで開催された巨人対広島戦の観戦をおこなった。その報道振りは、なんだか天覧試合であるかのよう。
 その巨人戦視聴率は13・5%だったとのこと。
 さて、その視聴率について、「余は如何にして道楽達人になりしか たいしたことなかったやん、長嶋の視聴率効果。で、長嶋の魅力を、メディアはちゃんと伝承してきたのか?」によると、二つの全く異なる評価がされていたとか。

 一つは、「共同通信」で、「巨人戦視聴率13・5% 長嶋人気を裏付け」という見出しに示されるタイプ。
 リンク先の記事に見られるように、「前週日曜日の6月26日に放送された阪神-巨人戦は8・0%(関東地区)だった。長嶋氏の人気をあらためて印象づけた。今季、巨人戦の視聴率は低迷を続け、6月の平均視聴率(同)は10・1%にとどまっていた」というもの。

 今一つは、「毎日新聞」で、「<長嶋茂雄さん>東京ドームでの”復帰”視聴率13.5%」という見出し。内容は、「リハビリ中の長嶋茂雄さんが東京ドームに姿を見せた3日の日本テレビ「巨人×広島戦」の平均視聴率は、13.5%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)だった。巨人戦の今季最高(5月6日)17.3%には届かず、「長嶋効果」は見られなかった」というもの。

 長嶋さんの人気は凄い。「長嶋茂雄はなぜ「長島茂雄」なのか」なるサイトを覗いてみるまでもない。

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2005/07/12

御来迎…ブロッケン

 国見弥一の季語随筆読書創作日記と銘打っているこの無精庵徒然草だが、このところ、やや季語随筆からは離れ気味、でなかったら扱う頻度が落ちている、そんなふうに感じられている方もいるかもしれない。
 が、小生の考え方だと、俳句にしろ川柳にしろ、あるいは単に5・7・5の形式による表現世界であるにしろ、それはただ風情とか風流とか、粋とか情緒とかを表現するにとどまるものではない。
 では、何を一体、表現しているか。
 実は自分が大切にしたいと思っているのは、俳句や川柳を、あるいは詩や虚構作品という形での表現を試みるとしても、日々の勉強は日常生活であり、読書であり、仕事であり、対話であり、散歩であり、日々の雑事全般を通じて行うものだという発想である。
 別に殊更、政治問題や経済問題、虐めやこのところ啓蒙活動が盛んに行われている(と小生は感じる。NHKラジオでこの話題が頻繁に採り上げられるからか…)「欝」社会など、コラム的に書くことを中心にするつもりはないが、俳句だから詩だからといって、政治や経済など、世事の雑駁で面倒な、つまりは世俗的なことを離れて、閑静な場で考えたり表現を試みようとは思っていない。
 純粋な俳句というのは小生には形容矛盾に思えたりする。
 この辺り、舌足らずな書き方になっていて、誤解される余地が大いにありそう。じゃ、政治問題を俳句で表現するのか、社会問題を扱うのか、などと。
 まあ、川柳だと、特にサラリーマン川柳の場合は、俗事や日常の憤懣などを表現したりするが、表現する、表現しようと試みる世界は、時に興趣ある世界なのだとしても、生きている生身の人間として、社会全般、できるだけ幅広く関心を抱き、かつ勉強すべきだと殊勝にも思っているわけである。
 無論、できるかどうか、できているかどうか、となると心許ない。
 というか、これからの話なのである。
 ただ、俳句、おお、風流な趣味ですな、ではなく、俳句、おお、背中に重いもの雑多なものを背負ってますな、なのであり、その上で、現実という混沌から、句という一滴の雫を搾り出してみたいとは思っている。
 と、こんなことを書くつもりじゃなかったのに、どうしてかな、と思ったら、「水中花…酒中花…句作一周年」に、ある方から「一句にて句意のわかり易き」について、意見を戴いて、ちょっと考えることがあったから、なのかもしれない。

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2005/07/11

石綿…火浣布

 最近、繊維に絡む二つの話題を耳する。一つは、石綿の繊維(あるいは粉塵)であり、もう一つは、竹から作った繊維。後者は、クールビズとの関連でちょっと話題になった。なので、今日はこれら両者の繊維を採り上げようかと思ったけど、長くなりそう。
 ここは、重要性からすると、石綿の話に焦点を合わせておこう。

 ということで、本日は、竹の繊維は控える。
 ただ、せっかくなので、別にメーカーさんの宣伝というわけではないが、竹の繊維について長所や特徴を網羅して記述してあるという意味で、「竹繊維100%のテンブロ・シリーズ [こだわり商品研究所]」なるサイトを示しておく。
「「竹繊維」の特徴として説明したいことが4つあります。それは、「1,天然のすぐれた抗菌性をもっている」「2,こすっても静電気がでない」「3,吸水性が綿の2倍、しかも、放湿性に優れている」「4,とっても柔らかい」だって。
 うーん、試してみたい!

 石綿、別名、アスベスト(asbestos)が話題になっている。一昔前、コンピューターの2000年問題が話題になっていたが、泰山鳴動して…の喩えどおりで終わった。
 が、石綿のほうは、「環境省では、建築物の解体によるアスベストの排出量が2010年から2025年頃にピークを迎えると予測しており、今後の影響が懸念されている」という。
 そう、こちらの2010年から2025年問題は、既に被害が現実のものとして表面化しているのだ。

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2005/07/10

廃仏毀釈補遺

 本季語随筆の「出発は遂に訪れず…廃仏毀釈」(July 01, 2005)において、「廃仏毀釈」について若干、触れておいた。
 偶然というものか、今、車中で読んでいる関秀夫著『博物館の誕生―町田久成と東京帝室博物館』(岩波新書)の中で、まさにこの件について触れている章があった。「廃仏毀釈」についてはネットでも情報は少なからず見出せる。が、自分の勉強のためにも、本書の記述をネット世界に参入させておくべくメモしておく。

その前に本書の性格に付いて触れておくべきだろう。書評エッセイを綴るゆとりはないので、出版社サイト(岩波新書 博物館の誕生)をリンクさせておく。
 紹介文もいいが、画像が岩波新書よりも大きいし見易かったりするのが嬉しい。
 冒頭付近に、「現在、博物館の裏庭に残っている一つの石碑の紹介からこの本は始まります。それは、初代館長、町田久成を顕彰する碑文です。今ではほとんど忘れられてしまった人物ですが、この町田久成こそ、東京国立博物館の前身となる東京帝室博物館の創設に生涯を捧げた、博物館誕生の生みの親というべき人なのです」とある。
 この町田久成は、政争の混乱(「英国王子の接待をめぐる政争にまきこまれて外交官として挫折」←上掲の岩波のサイトより)で出世コースからは外れてしまったけれど、場合によっては大久保利通にも匹敵する国家の枢要な人物たりえたはずの人材だった。
 事情があって博物館の誕生に携わるが、その経過でも大久保利通などとの交流が見え隠れする。

「私財を投じて、古書・古美術品を買い求め、少しでも散逸を止めようとした彼は、文化財調査や保護を提唱し、自ら実践した最初の人物といってよいでしょう」という町田久成のことは、頭の片隅に置いておいてもいいかもしれない(「町田久成墓」より)。

「いまに残る東京国立博物館の膨大なコレクションは、急激な明治の欧風化と開発の波の中で、町田久成が守り抜いた日本人の大きな遺産でもあ」り、「博物館づくりを通して、新興日本の国威と特色ある民族の伝統を欧米に示したいとする、若い町田久成の熱い思いが込められている」というが、実は「廃仏毀釈」という悲劇も深く関わってくるのである。

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2005/07/09

水中花…酒中花…句作一周年

 昨年の七夕の直前、ひょんなことから手を染め始めた句作。気が付けば、早、一年となる。別窓に、句作を始めて間もない頃に書き下ろした「汗駄句仙柳徒然」と題した「句」についての小文を掲げる。
 句をひねることの苦労とか大変さを予感くらいはしていただろうけど、まだ、実感を伴っておらず、ともかく5・7・5の形式で句を作る楽しさに興奮しがちなのを自制している気味が読み取れたりする。ただの一年なのに、なんだか懐かしい。それにしても、控えめぶって、かなり壮大な夢というか野望も抱いていたりして、我ながら微笑ましい?!

 一年といっても、季語を多少なりとも勉強し始めてからだと、十ヶ月あまり。5・7・5の形式というか体裁を保つだけなら簡単だが、その形の中に一応は完結した表現世界を示すとなると、とてつもなく難しい。
 しかも、俳句や川柳は趣向を凝らしたりしてもいいけれど、何かの事柄や風景、情緒に触れたなら即興で作るのが鉄則だと思い込んでいる小生なので、尚のこと、瞬間芸としての句作は困難だったりする。
 その場の雰囲気や意気込みで一気に作る。だから多少は瑕疵があっても気にしない、というわけにはいかない。なんといっても、一応は、人様の目に触れる可能性があるのだ。
 よって、句を作るに際しては、日頃、日常においては別に俳句や川柳ということに拘らず、乏しい能力と関心の狭さの中の限界を究めるつもりで、とにかく研鑚する。
 その上で、誰かの詩や歌、俳句、川柳、あるいは自然の事象、風物に接したならば、その場において即興で作るように心掛けるわけである。
 つまり、日頃、力やエネルギー、素養を溜めておいて、機縁に触れたなら、一気に5・7・5の形に持っていく、ちうことだ。

 さて、表題の「水中花」は、夏七月の季語のようだ。
 意味合いとしては、「水に沈めると水中でぱっと開く造花」のようだが、何故に夏7月頃の季語扱いとされるのだろうか。別名、「酒中花」とも。

「酒中花」については、「御酒の雑話(5) 酒中花(2)」に山東京伝の一文への山中共古の注、さらにこの注への三村竹清の注ということで、以下のような記述が見つかる:

「此酒中花といふもの、水へ浮ばせると開くものか。他のものかとも思われど、とにかく水中にて開くもの、寛政以前よりありしゆへ、かく名附けしものあるかと思へば、覚(おぼえ)の為に記し置く。此(この)女、水中に浮びし水中花を、かんざしにて動かせしのが、つきて居しをいへるなり。」  さらにこれを、三村竹清が注して、「水中花とい名にて、此間、茅場町の薬師にて売るを見たり。」 としています。(「砂払」 山中共古) 明治になっても酒中花はあったようです。

 さらに、「御酒の雑話(2) 酒中花」には以下の記述が見つかる:

あんどんの灯は昔は普通、菜の花の油に山吹の茎の芯を浸してその先に火をつけましたが、その山吹などの髄芯を使った酒興の一つがあります。山吹などの茎の髄を花や鳥の形に作って押し縮めておきます。これを、盃に入れておいて酒を注ぐと、酒を吸って開くという趣向です。遊び心をたっぷり持った江戸人の考えそうなことですが、今私たちが粋がって行うほとんどのことは、100年以上前にすでに行われていたといって良いように思われます。

 ネット検索していると、「ひとつ咲く酒中花はわが恋椿   石田波郷」なんて句も見つかった。
 どうやら、「酒中花」は「水中花」の原形と見なせそうである。江戸の世では酒の場の趣向であり、まさに酒肴だったのが、明治となり、世が移り変わるにつれ、風情が薄れ、水臭くなっていったということか(若干、想像が過ぎるかな)。

 さらにネット検索してみたら、「日日光進」にて、俳句新人賞を受賞された照井翠さんの「水中花ときどき水を替える恋」に寄せるコメントの形で、以下の記述を見つけた:

江戸期に活躍の西鶴は「桜をある時酒中花にしかけて」と書き、その挿絵の説明として「長さき酒中花つくり花からくり」と記す。つくり花は造花、そのからくり仕掛けを酒中花とよんだ。中国から長崎に渡来したものらしい。水のほか造花を酒杯に浮かべ酒席を楽しんだ。石田波郷は「水中花培ふごとく水を替ふ」と詠む。  1962~ 岩手県生まれ。「寒雷」同人。by村上護。

 こういった「酒中花」の趣向や遊び心を思うと、どうにも「水中花」は、水っぽく感じられるのも無理はないのかもしれない。
 それでも、小生が初めて「水中花」を知ったのは、無粋ながら、言うまでもなく(?)、女優の松坂慶子さんが歌ってヒットした歌「愛の水中花」によってだったということもあって、思い入れも一入(ひとしお)なのである。
 彼女、今も美人だし、体型を維持されているが、デヴュー当時の美人さには惚れ惚れ、メロメロ。

 どうも、肝心の話が進まない。「水中花」が季語なのは歴史的背景も先人が句に詠み込まれてきたことからも分かるのだけど、何故に夏の季語なのかが分からない。「酒中花」は冬の遊びとして似合いそうだが、あるいは夏の夜の暑さ凌ぎのための趣向だったのか。その名残が「水中花」に余韻として残っているということか。
 それとも、単純に夏の日に水中花を飾ったり見たりしたら、涼しげだという単純な、すぐに浮かぶ理由に素直に従っておけばいいということなのか。
 それにしても、「酒中花」だと、桜など生きた花(花びら)を浮かべたりするらしいが(ここから考えると、夏に限定するのは難しい気がするのだが…)、「水中花」となると、「水に沈めると水中でぱっと開く造花」というのでは、なんとなく興醒めのような気がする。

 ネットでは、「いきいきと死んでゐるなり水中花   櫂未知子」が見つかったりする(「ikkubak 2002年6月7日」にて)。この句に寄せる評釈も面白いが、この句の場合は、水中にある花は、造花ではなく、もとは生きた生の花(花びら)だったことが含意されているのだろうか。よく理解できない。

 話の脈絡からは離れるが、ネットで「水中花と言つて夏の夜店に子供達のために賣る品がある」という印象的な冒頭から始まる、「伊東静雄『反響』-「夏花」水中花」という小文と詩を見つけたので、ここにメモしておく。

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2005/07/08

ヒースの丘

「エリカ」という花がある。英名は、「ヒース」。その花言葉は、「博愛、柔軟、孤独、寂莫、不和」だとか。
 まさにこの花言葉はイギリス(といっても、その一部かもしれないが)にピッタリ(?)なのかもしれない。
(何故、ピッタリと思うか、その訳はあとで説明する。)

雑学花言葉」の「雑学花言葉「え」」によると、「英名をヒース(Heath)、独名をハイデ。 「嵐ヶ丘」に描かれたようにスコットランドに多い。「HEATH」の語源は「荒野(独語)」 花材には寒咲きエリカ(蛇の目エリカ(=E・カナリクラタ))が使われる」とか。
 小生は、「エリカ」というと、我が西田佐知子の「エリカの花散るとき」(作詞:水木かおる/作曲:藤原秀行)をまず、思い浮かべる。とはいっても、彼女が現役で歌ってくれていたとき、エリカの花がどんなふうだったのか、まるで分かっていなかったと思う(その後も、ずっと)。
 イギリスのスコットランドに咲くヒースとはどんな花なのだろう。これ?→
エリカ、カルーナ」の「歴史と役割」という頁を覗くと、画像こそ見出せないものの、「歴史」の項に以下のような記述がある:

 エリカやカルーナはヨーロッパ原野に普通に見られ。特にイギリス、スコットランドでは、ヒースランドと呼ばれる広大な荒れ地一面に生い茂り、人々のゆくてを、阻みつづけてきました。エリカやカルーナはは古来より屋根を葺いたり、ベッドの代用となったり、根をパイプの原料にしたり、あのスコッチウイスキーの原料になったりと、人々とのかかわりが非常に強い植物とされてきました。

 エリカという言葉はローマ文明時、当時のギリシャ哲学者が、「後世にエリカという植物を植える時が来るだろう」と言及したという記述があるそうです。その時にはエリカ(Erica) はギリシャ語のerelkoとして使われました。そして1753年に「植物の種」でリンネ(スウェーデンの植物学者)は、アフリカ原産のエリカ23種を記録しています。そして、1802年に今まで同じ属とされていたエリカ属とカルーナ属が、初めて分離されました。

 いずれにしても、スコッチウイスキーや梱包資材、家屋、はちみつ、薬と、イギリス(スコットランド)とは切っても切り離せない密接で身近な植物であるようだ。

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2005/07/07

水の綾…句作一周年

 あるサイトで、「連歌」の形式に拘るということではなく、気軽に「短い詩」の連なりを、ということで一緒に楽しもうという誘いがあった。時折、小生も気侭に誘いに乗ってみることがある。今回のテーマは、「」とあった。
「水」がテーマ。
 最初の歌なので、慣行からして俳句や川柳よりも短歌が相応しいような気がする。けれど、俳句も川柳も覚束ない小生だが、短歌(和歌)も全く経験がない。
 なのに、「」をテーマに、どんな短歌…たとえ短歌モドキであったとしても…を作ったらいいのか、皆目、見当が付かない。
 あるキーワードをネット検索の窓に放り込んでみたら、検索結果の中に「水の綾」という言葉を発見。ありそうな、ありがちな、でも、小生には初見の言葉。季語なのか。季語に「水の綾」なんてあったっけ?

 とりあえず、「水の綾」を説明してくれるサイトを覗いてみる。それは、「珈琲とリスニングルームのバッハ」なるサイトの「水のことのは Ⅲ」の「潤すの章」という頁である。
季語 8   水の綾(みずのあや)」として、「静まりかえった水面が風などでると、小さな水のひだが生まれるのを水の綾と言う。魚の浮沈や蛙の出入りなど、水はなにものも受け入れて、笑顔のように波紋で答える
 確かにここには季語として表に載せられ、説明が施されているのだが…。
 ただ、「季節のことのは・季語」という表の、「水のことのは   水の章」なので、日本の伝統に由来する言葉ではあっても、季語とは限らないような感もある…。

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2005/07/06

牛込パレード(2)

05牛込パレードへ(2)」へ引っ越しました。

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2005/07/05

ハンモック…ロッキングチェアー

 うかうかしている間に七月である。小生の感覚では、えっ、いつの間に七月になったの、七月ってことは、一年の半分は過ぎ去ったってことか、月日の過ぎ去るのが早すぎるよー、というところか。
 そういえば、七月の一日(ついたち)は仕事だった。で、その日、我がタクシーに乗っていただいた方と、信号待ちしている間に、なんとなくお喋りに。
「えっと、今日は一日だよね。」
「えっ、ええ、そうです。今日から七月です。」
「……。」
「早いものですね、もう、一年の半分が過ぎてしまいましたよ。」
「うん、そうだね。でもね、歳月の経過が早く感じられるってのは、幸せな証拠だよ。」
「えっ、そうなんですか。」
「うん。だってね。不幸な人とか、ほら、病院に入っている人とかは、時間の経つのが凄く遅く感じられるじゃない。その点、健康な人、苦労してない人は、日々が単調だし、なんとなく過ぎ去っていくんだよ。」
「なるほど、そうですね。」タクシーの運転手は、お客さんのおっしゃることは基本的に、はい、そうですね、の世界である。政治のこと、宗教のことは、一般論でお茶を濁す、何か特定の事柄で自分と意見が違っていても、まずは、その通りですね、と受け止める。
 どっちにしたって、何事にも、いろんな見方・考え方がありえるのだ。違う見解が示されて、とりあえず頷いてみせたからと言ったって、何も、こちらもその意見に同調したわけでも、同調しなければならないわけでもない。
 とにかく、車内でのお話は社会勉強の一部、貴重な機会なのだ。
 そのうちに信号が変わり、お客さんは携帯電話で何事かお喋りされている。その間は、運転手は右の耳から左の耳への通じをよくしておく。聴いているけど、聴いてない。

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2005/07/04

牛込パレードへ

05牛込パレードへ」に引っ越しました。

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2005/07/03

紫陽花のこと…七変化

 紫陽花については、この季語随筆でも、「シーパラダイスで紫陽花」(May 29, 2005)や「季語随筆拾遺…紫陽花と雛罌粟」(2005.05.30)などで多少のことは書いている。
 なのに、ここに蛇足となりかねない文章を書くのは、何も、空梅雨(ヒデリ梅雨)が、地域によっては降り過ぎるほどの雨に困惑し、東京についてはシトシト降る雨で紫陽花がその色彩を潤いのあるものにしている…から、というわけではない。
 実は、あるいは人によっては常識なのかもしれないが、小生にとっては初耳の紫陽花についての知識を昨日、ラジオで聞きかじったので、ちょっとメモしておきたくなったからである。
 といっても、「紫陽花」の別称として「七変化」という名称がある、それは雨の降り方などによって花の色合いが微妙に変化するからだ(あるいは、本当は「七変化」と言う場合は、違う花の別称なのだけれど、という留保のコメントも付せられていた)、云々という話が耳に残ったあとは、頭に全く続く話が残らなくなってしまった。
 仕事中(運転中)ということもあり、「紫陽花 七変化」を頭の中に繰り返させているのに懸命だったりしたからである。

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2005/07/02

青柳いづみこ、ドビュッシーを語る

「読書雑録」(2005.06.29)の末尾で、「余談ついでだが、夕べ、NHKラジオ(第1放送の「ラジオ深夜便」)でピアニストの青柳いづみこさんのお話を聞きかじった。彼女が好きだというドビュッシーについての話だったと思う」などと書いている。
 肝心の話の内容は、小生のこと、聞きかじった部分でさえも聞き漏らしている(変な表現でごめんなさい)。
 この稿にコメントを寄せてくれた方がいて、どんな話だったのでしょう、という問い掛けがあったが、答えたいのは山々なれど、できないものはできない。
 なので、前回は時間がなくて全く書けなかったこともあり、個人的な興味もあるので、ネットの強みを生かして、若干のことを(示唆する程度になると思うけれど)メモしておきたい。

 青柳いづみこさんは、ピアノと文章の両方の達人の方。文章はパソコンを使って書いているらしいが、つい、指に力が入ってピアノの演奏に差し障りが生じかねない時もある、だから、演奏する機会が近づいた時は、できるだけ控えるようにしているが、それでも、求めに応じて書く原稿の予定も多く、大変だとか。
 まあ、そういった文章を書くこととピアノとの両立の大変さを最後の晩には語っておられた。

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2005/07/01

『太陽』グランプリを受賞!

Yahoo!ムービー - ニュース <イッセー尾形演じる昭和天皇ベルリン映画祭に 「第55回ベルリン映画祭」出品21作品発表>」という記事を発見した。
「世界3大映画祭の1つである「第55回ベルリン映画祭」(2月10~20日)のコンペティション部門に出品される21作品が20日、事務局から発表された。注目はイッセー尾形(52)が昭和天皇役、桃井かおり(52)が皇后役を演じたロシア映画「太陽」。巨匠・アレクサンドル・ソクーロフ監督(53)が、第2次大戦終結直後の昭和天皇の苦悩を描いた作品。日本映画では「隠し剣 鬼の爪」(山田洋次監督)が出品される。」とか。
「尾形は昭和天皇を、桃井は皇后を演じたロシア映画「太陽」が「第55回ベルリン国際映画祭」のコンペ部門に出品されることになった。同映画は「エルミタージュ幻想」や「モレク神」などで知られるロシアの巨匠・アレクサンドル・ソクーロフ監督の最新作。」だって。
「ソクーロフ監督は作品のテーマがデリケートであるため、出演俳優など一切の公表を避けてきた。さらに同映画祭の公式上映まで映像の露出も禁止するなど、徹底して“かん口令”を敷いている。尾形の所属事務所は「契約があるので、映画祭まではお話できません」としている」という。
 さらに、「一方、桃井は「絶対、賞を取ると思います。作品賞はもちろん、主演男優賞も取るはず。(現場は)すっごく楽しくて面白くて幸せだった」と力説した。桃井によると、「すごくいい角度から日本人を見てて、歴史を裁判する話でも人を批判する話でもなく、人の温かい部分を引き出している作品」とほれ込んでいる。」とか。
 まあ、知っておられる方々には、今更の記事なのだろう。

 この記事に最新のニュースが加わったのだ。つまり:

【モスクワ30日共同】タス通信によると、ロシア・サンクトペテルブルクで行われた第13回サンクトペテルブルク国際映画祭で29日、太平洋戦争終戦前後の昭和天皇の苦悩を描き、イッセー尾形が天皇役を演じたロシア映画「太陽」(アレクサンドル・ソクーロフ監督)がグランプリを受賞。

 ニュースソースは、「PUBLICITY  No.1177(2005/06/30/木)」である。
 このサイトには、ブログもある。

橘井堂(キッセイドウ)」なる、知る人ぞ知るの、佐野史郎氏がご主人であるサイトがある。
 その「橘井堂/アレクサンドル・ソクーロフ監督『太陽』」で、佐野史郎氏のこの映画の撮影裏話が読める。

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出発は遂に訪れず…廃仏毀釈

出発は遂に訪れず…」において、「ネット検索していて、かの哲学者の梅原 猛氏も特攻隊に志願したことがあったことを知った」として、「日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【教育問題について】」なるサイトを紹介した。
 その際には、このサイトの中で示されている梅原 猛氏の考えについては、あまり触れることはなかった。読まれた方もいるだろうが、小生としても気になる点があるので、若干、補足しておきたい。

 文中において、「「勤労奉仕」で人間がよくなるとは全然信じられない。奉仕というのはボランティアでしょう。まず信仰があって奉仕するというのならわかりますが、「奉仕の義務化」とは矛盾する言葉です」とした上で、「これは私の考え方ですが、明治以降の日本の天皇制は仏教的であるよりも多分にキリスト教的だったという気がします。一神教的で、絶対的。靖国神道なんていうものは、国家主義に改造された神道で、とても伊勢神宮と一緒にできない。伊勢神宮の神道は御遷宮の儀式で明らかなように、生命の継続の崇拝を中心においているのです」という理解を示されている。
 そして、「もしそれ(明治維新、急遽作られてた日本の神道)を近代に生かすのだったら、まず日本のした戦争の犠牲になった中国や韓国の人たちのための神社をつくるべきです。それから靖国神社をつくるならわかるけれど、そういう戦争で犠牲になった敵の人を祀る神社をつくらず、自国のために死んだ人間を祀るなど、日本の神道の精神に背くというのが私の考えです」とも語っている。

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