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2005/06/14

倉橋由美子さん死去…旅の重さ

 倉橋由美子さんが亡くなられていたという一報を車中、ラジオで聞いた。
Sankei Web おくやみ 倉橋由美子さん(反リアリズムの作家)(06-14 0500) 」によると、「倉橋由美子さん(くらはし・ゆみこ=作家、本名・熊谷由美子=くまがい・ゆみこ)10日、拡張型心筋症のため死去、69歳。自宅は非公表。葬儀・告別式は近親者で行われた」という。
Hililipom>レファランスルーム」の「倉橋由美子」の頁を覗くと、彼女のProfileや著作リスト、翻訳リストを見ることができる。
 学生時代から文学活動を始め、明治大学在学中に「パルタイ」を発表し(60年)、芥川賞候補になったりなど、注目を浴びた。執筆活動を続けたが、「71年からしばらく小説の執筆から遠ざか」り、「80年創作を再開」という。
 その後は翻訳活動を中心に活躍していたようだが、小生は、皮肉にもというか、80年以降は関心を抱かなくなり、僅かにロングセラーとなった『大人のための残酷童話』を読んだだけである。
 それも、何処かの書店に立ち寄ったら、文庫版の『大人のための残酷童話』が目に付き、書き手の名を見ると、倉橋由美子とあり、懐かしさを覚えたくらいだった。
 数年前のこと。その頃、グリムやアンデルセンなどの童話や民話、昔話に興味を持っていたので、おお、こんな作家も、「大人のための残酷童話」というような際物的な仕事に手を染めていたのかと、やや驚いてしまったり(驚く小生が、迂闊で彼女の近年の仕事をフォローしていないだけのことなのに。まして最後の仕事がサン・テグジュペリの「星の王子さま」の翻訳だったとは、知る由もない)。

 グリムやアンデルセンにはあきたらず、『大人のための残酷童話』などを読む傍ら、桐生 操著の『本当は恐ろしいグリム童話』(ベストセラーズ)などを読み、桐生 操の作品(『やんごとなき姫君たちのトイレ(角川文庫)』や『きれいなお城の怖い話(角川ホラー文庫)』など)を車中での慰みに読むようになったが、これはまた別の機会に。

 小生が倉橋由美子の作品を手に取ったのは、72年に大学生となり我が濫読時代がはじまってからのことだった。基本的には岩波文庫に入っている著作家、つまりは古典を中心に読んでいた。我が古典それとも教養書時代というべきか。
 既にサルトルさえも、古典の域に入りつつあった気がする。
 その一方、清新な文学、当時としての現代文学の動向にも目を配りたくて、書店の文学書の新刊コーナーを物色していた。そんな中の筆頭の一人が倉橋由美子の『パルタイ』であり、『スミヤキストQの冒険』であり、『ヴァージニア』などであった。
『スミヤキストQの冒険』は69年の発表、『パルタイ』に至っては60年に発表されていたのだから、現代文学ではあっても、最新というのは憚られるようなものだが、新しい文学にも疎い小生には、それも女流作家とあれば、目新しくてならなかった。
 文芸雑誌でも読む趣味があれば、読まなくてもその名は知っていておかしくないのだろうが、生憎、小生には文芸雑誌の類いを読む習慣は全くない。文学に多少でも関心を持ち始めてから…となると15歳の頃からということになるが…今に至るまでで文芸雑誌を買ったのは二回あったかどうか(しかも、そのうちの一回は、もしかしたらエロ小説専門の月刊誌だったような)。
 単発であれ連載であれ、新聞に書いてあるものも雑誌に書いてあるものも、小説類は一切、読まない。小生には、小説作品は著作の形になって初めて読むものという牢固たる思い込みがある。今も、である。
 なのに、最近はネット環境のせいか、ネット上の作品を読む機会が圧倒的。未だに媒体の如何を問わず、本にならない間は虚構作品は読まない傾向が続いているだけに、皮肉も極まれリである(この習癖は、文学に関してだけ。思想や詩、その他は表現の場がどうであれ、興味があれば読む)。

 けれど、71年からは小説の執筆を中断していたというのだから、擦れ違いで彼女の仕事に関心を抱いたというわけである。
 擦れ違いは更にあって、倉橋由美子は80年に創作を再開したというが、小生は、その頃、今で言うフリーター時代で、ちょっとした油断からガス中毒事故があったりして、物書きへの野心が萎えてしまっていた。読書も、細々と続けていたが、半分は趣味性の強いもので、本格的と思えるような著作には手が出なくなっていた。
 つまらない余談を書くと、彼女の作品に『夢の浮橋』がある。古典といっても日本の古典には縁遠かった小生には、恐らくは高校の授業でも聞きかじったことがあるはずの、「夢の浮橋」なる言葉がとても想像力を掻き立てるようで、15歳から続けている日記の片隅に小説の断片のようなものを書き殴る際、折々、この言葉を織り込んだものだった。
 与謝野晶子訳「夢の浮橋
 谷崎 潤一郎訳「夢の浮橋
 小生ならずとも、「夢の浮橋(ゆめのうきはし)という優雅な名称の橋があったそうですが、どこにあったのでしょうか。また、何故そのような名称がつけられたのでしょうか」といった疑問を抱くことだろう。そのような方は、ここをどうぞ:「京都の史跡Q&A
「夢の浮橋は、京都市内に2ヶ所あった」らしいが、「この2つの夢の浮橋は、葬場への掛橋という共通性をもっています」とのこと。
 
 小生は、倉橋由美子の作品の何処に惹かれたのか。
 まさに実験小説的な清新さ…と書きたいところだが(当時なら、友人に向かっては、覚えたての文学用語などを懸命に駆使して、彼女の文学の先進性を述べ立てたかもしれないが)、これが実に恥ずかしい。少なくとも彼女の作品を読み始めた当時は、あくまで新規な作風の作品、それも女性の手になる性の表現という興味で引き摺られていたようなのである。いや、そうなのだ。その域から脱することなく、小生の関心は埴谷雄高などに移っていったのだし。
 例によって松岡正剛も、逸早く彼女の仕事に着目し、千夜千冊にも『聖少女』の回がある。
 その頁の冒頭に、純文学書下ろし特別作品と銘打たれた真っ赤な箱入りの『聖少女』(新潮社)の画像が載っている。
 この真っ赤な箱を見て、なんとなく周囲の目を憚りながら(何故、人目を気にする必要があったのか、分からない。魂胆が透けて見える?)、それでも手にする欲求に勝てなかったことを覚えている。
 男が書く「聖少女」だったら、中身は見え透いているように思えて、見向きもしなかったろうが、倉橋由美子なのだ、覗かないでは居られない。

 ふと、思い出したのだが、作品の傾向としては全く別なのだが、倉橋由美子作品に手を出していた頃、ほぼ並行する形で、素九鬼子著の『旅の重さ』なども読んでいた。小生が大学生となった年の秋に発表され話題を呼び、書店には何ヶ月も平積みになっていた。小生は、やはり女性作家の本ということで、目にして即、買い、即、読んだ。
 思うに、当時は女性の書き手は小説家に限らず少なかったのだ。
 この『旅の重さ』の作家、素九鬼子には伝説とも言える逸話がある。たとえば、「fragments_12」などを覗いてみて欲しい。
「デビュー作『旅の重さ』が、作家由紀しげ子さんの死後その書斎から発見され、筑摩書房の編集者が著者である素さんを新聞広告などを通じて探したけれどとうとう見つからず、見切り出版し、出版の2年後にやっと素さんが現れるという登場のミステリアス」などが書かれてある。
 しかも、「素さんの最初の作品が出版されたのが1972年、そして1977年に最後の作品を出した後、素さんは本の世界から姿を消されてい」るというのだ、伝説になろうというもの。
 上掲のサイトには、『旅の重さ』の冒頭の文が引用されている。今、読んでも理由は自分でも分からないのだが、衝撃的である。旅に出てしまう若い女性。まあ、半分(以上)は、好きだった女性の身の上と重ねていたような気もするが(いや、そうなのです)。

ママ、びっくりしないで、泣かないで、落付いてね。そう、わたしは旅にでたの。ただの家出じやないの、旅にでたのよ。四国遍路のように海辺づたいに四国をぐるりと旅しようと思ってでてきたの。さわがないで。さわがないでね、ママ。いいえ、ママはそんな人ではないわね。

 この小説、今、改めて読み直してみたい気分が沸々と湧いてきた。調べてみると、彼女の作品は全て絶版とか。図書館で探すしかないかも。
『旅の重さ』は、話題を呼び、当然のごとく、映画化された。
 斎藤耕一監督で主演は高橋洋子。秋吉久美子が入水自殺する文学少女役で出ていたはず。
 そう、昨年、「26歳下のハワイ生まれの日系2世の男性との交際が発覚した」、あの秋吉久美子さんのデビュー作品だったのだ。
 今となっては、四国どころか日本全国どころか、海外をさえ女性が一人旅に出ていても珍しくない。が、時代が違うのだ。
 それとも、年齢を問わなければ女性が一人旅をするのは珍しくなかったのかもしれない。ただ、悲しいかな、年配の女性だと、同じ境遇・心境の人でもない限り、誰も関心を払わないということなのかもしれない。
 それが、若い身空の旅だから、好奇心満々で眺めているに過ぎなかったのか。

 倉橋由美子に素九鬼子と来ると、当時として続くのは、『二十歳の原点』(新潮文庫)の高野悦子である。もう、あまり深入りはしないが、60年代の学生運動のある意味での象徴(の一つ)と言える墓標のような作品。これも、小生は大学生になってから友人の書棚にあるのを見つけ、借りて一気に読んだ。
 ここに、高野悦子の愛読書であった奥浩平の『青春の墓標』などを加えないといけないのだろうが、男の手記は、申し訳ないが関心が湧かず、手が出なかった。

 曲がり道ばかりしてしまった。倉橋由美子に話を戻そう。
 彼女がかねてより心臓が悪かったということも、小生はラジオでの訃報の際に初めて知った次第。その倉橋由美子は、最近、最後の翻訳の仕事として、サン・テグジュペリの「星の王子さま」に取り組んでいたとか。最後まで訳し通されたのだろうか。そこまでは報道してくれなかった。
 ちなみに、サン・テグジュペリの「星の王子さま」は、「日本での著作権が今年1月で切れ、岩波書店が持っていた独占的な翻訳出版権も消滅したため、日本で新たに10種類近く「星の王子さま」が出版されるのではないかと見られている」とのこと。
 このサイトを覗くと、「宝島社版の訳を担当した倉橋由美子さんは「内藤さんの訳はすばらしい。ただ、子どもの読者を意識して訳しておられるので、私は大人のために訳した。だから、これまでのイメージを裏切ってしまうかもしれません」と話す」などというコメントを読むことができた。
 新訳の題名は「星の王子さま」とする出版社が多いようだが、原題を直訳すると「小さい王子」だし、「星の王子さま」という題名は、岩波版を訳された故・内藤濯(あろう)さんの訳でありアイデアであることを考えると、さて、いかがなものなのだろう。やはり、あまりに馴染みになってしまった「星の王子さま」という題名を変えることは難しいのか。

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コメント

こんばんは。
倉橋由美子さん、亡くなられたんですね。残念です・・・。
一番好きな作家なんです。やはり18歳位から読みふけりました。
一番本を読んだ時代でしたね。片っ端から読んだ。でもその中で倉橋由美子さんの考える事、表現、文体が、なぜか一番しっくり来ました。
大胆なパロディー性も面白かった。今、詩を書いてる元にもなってるかもしれないです。
どうも、少し抽象的な表現の方が、ダイレクトに解るみたいなんです。
絵本の訳もされてましたよね。
弥一さんみたいに、セクシュアルな感じは持ってなかったなぁ~笑。「女性」という事がリアルに書かれてる感じはしたけど。
『旅の重さ』も読んで、映画も見ましたよ(笑)
高橋洋子さんが、初々しかったですね。

投稿: hironon | 2005/06/14 19:34

「一番好きな作家なんです。やはり18歳位から読みふけりました」
あああ、hironon さん、そうなんですね。
なのに、小生の読み方、接近の仕方の不謹慎さ。
まあ、当時としては女性の心理・整理・感覚を知りたくて懸命なのでした。
今後は、倉橋由美子さんの新作は読めないわけですから、せめて、「星の王子さま」の新訳を読んでみたいものです。


投稿: 弥一 | 2005/06/14 22:38

あたしもやっぱり「大人のための残酷童話」しか読んでいません。
でも、すごく好きで、時々読み返したりするので、今も本棚に入っています。
ブログの記事の最後に、弥一さんの記事をリンクさせて頂きました。
いつもながらに事後報告でごめんなさい~。

投稿: ミメイ | 2005/06/17 03:42

ミメイ さん、いらっしゃい。TB、ありがとう。
小生も初期の作品と「大人のための残酷童話」だけ。いい読者じゃない。でも、不思議と思い入れだけはある。大学に入った当初の昂揚した気分の時に読み漁って発見した作家だったからだし、しかも、その反小説とかヌーボーロマン的雰囲気に圧倒されていた。多くのその手の小説が忘れ去られつつある中、彼女の仕事は残っていきそう。これまた、読み直したい作家ができてしまった!

投稿: 弥一 | 2005/06/17 09:37

はじめまして。「素九鬼子」で検索かけていてこちらのブログにたどり着きました。
中学生の時に彼女の「旅の重さ」に出会って衝撃を受けました。数年前にブックオフで偶然その本を見つけたことがきっかけで、彼女の消息を筑摩さんに伺ってみたのですが、残念ながら出版社の方でも今は消息がわからないとのことでした。

倉橋さん訳の「星の王子さま」、まだ読んでないのですが、読むのをとても楽しみにしています。

投稿: しま | 2005/07/02 02:48

しまさん、来訪、メッセージ、ありがとうございます。銀のお匙、サイトの名前も素敵ですね。
読書傾向が一味違うので、いろいろ教えていただけそうで、楽しみです。
「旅の重さ」は、鮮烈な衝撃がありました。映画も印象的。
素九鬼子さんは伝説の人、最後まで伝説の人であったほうがいいのかもしれない。
倉橋さん訳の「星の王子さま」は、小生も読みたく思っています。また、感想などお聞かせくださいね。

投稿: やいっち | 2005/07/02 09:29

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受信: 2005/06/17 03:38

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