苔の花…スパニッシュモス
今日は表題に「苔の花」を選んだ。というのも、誰かが「スパニッシュモス 光合成」というキーワードでネット検索したら、小生のサイトをヒットしたらしいのである。
らしいのである、というのも曖昧な言い方だが、試しにこの検索語で検索してみても、我がサイト(の頁)をヒットしないのである。だけれど、アクセス解析の検索フレーズの中に、これらのフレーズが確かにリストアップされている。
不思議。
ところで、光合成という言葉は、珍しくもないし、小生だって幾度かは使っている。「ツツジの季節の終焉…緑滴る」での使用頻度が高いが。
では、「スパニッシュモス」という言葉はどうか。小生、園芸その他についても疎いので、この言葉、それとも植物名が珍しいのか、あるいは関係者には馴染みのある名称(植物・素材)なのか、分からない。
ただ、自分自身に事寄せて言うと、この「スパニッシュモス」なる名前は、実に拘りの強い対象なのである。
まずは、「スパニッシュモス」の姿を「Spanish moss」というサイトで見てみよう。
「スパニッシュ・モスは木に着生する植物で」、「白っぽい植物なので枯れているように見えますが、触るとしっとりと柔らかい」という。
「「モス」という名にかかわらず、スパニッシュ・モスは苔(コケ)ではなく、寄生植物でもありません。根は無く、水分は空気中から、養分は漂う塵から採るのだそうです。湿気の多いところでないと生きていけない」のだとか。
じっくりとこの「モス」を眺めてみよう。薄暗がりのお堀端などにある枝垂れ柳よりも、幽霊が似合いそうな植物である。
が、「スパニッシュ・モスは小さな黄色い花をつけ」るようだ。また、「茎は枯らして室内装飾などに使われ」るのだとか。
「【楽天市場】【掘り出し物】栽培温室の片隅のお買得品!」の中の「スパニッシュモス」の項を見てみる。
「一般にスパニッシュモスやサルオガセモドキと呼ばれます。エアープランツの一種」とある。
[ 今日、ネット検索していたら、「サルオガセモドキ ~ 根のない植物 ~」というサイトをヒット。「サルオガセモドキというのは大変かわった名前ですが、これは、サルオガセという地衣類に大変よく似ていることから、「サルオガセによく似ているけど違うもの」という意味で、サルオガセモドキと名付けられました」という説明を得た。ホームページへのリンクはその頁には張られていないが、URLから辿ると、どうやらHPは、「広島市動植物園」と思われる。
さらに、その頁には、「サルオガセモドキの花は、4月上旬から5月下旬頃にかけて咲きます」とあって、花の画像も載っている。目立たない花だとか。 (05/06/16 追記)]
ネットでは発見できなかったが、以前、事典で調べた時、「スパニッシュモス」は、フロリダの高い木のいたる所に自生することから、「フロリダモス」という別名があると知ったものである。
「エアープランツの一種」と、上掲のサイトにはあるが、日本語では「気生植物」と言う事もある。が、大概は、エアープランツという呼称で馴染みになっているようだ。
さて、これらの大雑把な説明で、キーワードは揃った。
何のキーワードなのか。実は、小生、94年の失業時代に、300枚ほどの小説(一つだけ批評文)を五つほど書いたことがある。「水底の墓標」(小説)、「ナム序説」(批評文)、そして、「スパニッシュモス」(小説)なのである(全て未公表。「水底(みなそこ)の墓標」は原稿もデータも紛失してしまった!)。
但し、「スパニッシュモス」は、300枚のまとまりで第三部まで書いたところで中断と相成っている。
この作品は、どんなテーマで書こうか、タイトルはどうしようかなどと、プール通いをしながらリハビリをする毎日の中、あれこれ思いをめぐらす中で偶然、図書館で(当時、カネはなかったので図書館通いしていた)出会った「気生植物」に触発されて、一気に構想の成った思い出のある作品なのである。
「気生植物=エアープランツ」は、「根は無く、水分は空気中から、養分は漂う塵から採る」という点に一番、小生は想像力を掻き立てられるものがあった。
俗に言う根無し草ということなのだろうが、演歌的な匂い・色彩の濃い根無し草では、話がどうしても制約されがちである。が、「エアープランツ」ならば、似て非なる、どこか抽象的な存在という印象を抱くことができる。
94年当時は、小生はパソコンなど所有しておらず、従ってネットで情報を集めるという手段に頼ることもできなかった。
なので、「エアープランツ」についての情報も、図書館にある図鑑などに当たって調べたのだが、時間と労力を費やした割りには、極めて乏しい成果しか得られなかった。今は、ネットで瞬時に比較にならないほどの情報を集めることができる。夢のようである。
でも、足を使って調べるという楽しみもあったのだが。時間がありあまっていたし。
小説の主人公は、自分の顔や出自にコンプレックスを抱く青年。自分の精神的肉体的存在感の希薄さに苦しんでいる。が、苦しみながらも、その苦しみ自体も透明なバリアー越しの、どこか非現実的な感覚に思われ、自分が悩んでいるのかさえ、分からないでいる。
もがいているのだが、そのもがきがアリ地獄の最中にあるようで、もがけばもがくほど得体の知れない泥沼の深みに埋もれていく。
そんな中、彼は絵に救いを求める。絵…。あれこれ試みる中、彼は自分が木版画や銅版画などの線刻画に極めて強い興味を覚えていることに気づく。木の板や銅板に彫刻刀などで線を刻んでいる間だけ、生きている感覚を覚える自分がいる。
やがて、彼は、木や銅板ではなく、自分は空中に何かを刻み付け、その抵抗感の中に生きるエネルギーを得ようとしていることに気づく。
そう、ここのところで、「エアープランツ」の「は無く、水分は空気中から、養分は漂う塵から採る」という特性が関わってくるわけである。
なので、当初は小説の題名を「エアープランツ」とすることを真剣に考えた。が、この言葉の中の「プランツ」がどうも気に食わない。産業で、プラントを輸出する、などと言うことがあるように、つまりは、生産設備一式や大型機械などを意味する「プラント」を語感的にも連想させる。エアー=空気に関連する産業の話を書いた作品のような印象を題名から受けそうで、躊躇われたのである。
で、エアープランツの具体的な事例(名称)として、「スパニッシュ・モス」に焦点が合ってきたのである。その際、「フロリダ・モス」という名称とどちらがいいかで、またまた迷ったが、「フロリダ」は、ちょっと気候的に過ごしやすそうで、避暑地的なニュアンスを嗅ぎ取り、最終的に「スパニッシュ・モス」に決定。
ところで、小説「スパニッシュ・モス」の主人公は顔や出自にコンプレックスを抱くと書いたが、出自はともかく、顔についても、上記したように「スパニッシュ・モス」の別名の「サルオガセモドキ」が生きる。
彼は、或る日、銀座の画廊で或る女と出会う。いろいろあって、彼の才能を見込んだ女と暮らすようになるのだが、その女との会話の中で、彼はこの「スパニッシュ・モス」なる植物の存在を知る。
その際、女はこの植物の別名が「サルオガセモドキ」」なの、と彼に教えるのだが、彼は、勘違いというか、「サルガオセモドキ」と聞き間違えてしまうのである。つまり、無意識か意図的にかは彼には分からないのだが、彼のコンプレックスを女が遠回しに突いたように誤解してしまう…という、ちょっとした場面(エピソード)があるのだ。
ところで、94年当時はネットも使えなかったし、「スパニッシュ・モス」について集められた情報が少なかったと書いた。情報の乏しさで、小生は、まず、「スパニッシュ・モス」が、「モス」ではないことに、ちゃんと気づいていたか、ちょっと疑問である。
また、湿気の多いところに育つという事実も、銘記されていたか今、思うと、疑問だ。
もっと、疑問なのは、画像である。別名にフロリダ・モスとあるほどだから、湿気の十分にある地に生息するはずなのだが(そのように事典などには書いてあったはずだが)、小生の脳裏には、根も葉もない勝手な映像が描かれていたのである。
それは、西部劇などで登場する一場面である。カンカン照りの荒野。その中の小さな町。砂嵐や乾いた土埃の吹き荒ぶ日。旅を共にしている馬に遣る水など一滴も無い水桶。そんな荒地を風に吹き飛ばされ転がっているスパニッシュ・モス。
それは、元は木にぶら下がっていたのだろうが、風に吹き千切られて、舞い飛び、転がり、丸まって、ただの木の幹や枝の塊(かたまり)、絡まりに過ぎないように見える…。
というわけで、「スパニッシュ・モス」が、「モス」と言い条、モスではないと承知の上で、モス関連の季語を物色。
すると、「6月の季題(季語)一例」に、「黴の香、黴の宿」と並んで「苔の花」を発見。これを本日の表題に選んだというわけである。長い前振りだった。
「夏の季語(動・植物-50音順)」によると、「苔の花」には「青苔(あおごけ)」という類義語があり、「夏、青々と茂った苔、また、その花」だという。
言うまでもないだろうが、「苔」は胞子で育つ生き物。花など咲くはずもない。だから、「苔の花」なんて季語は、苔をよく観察していない俳人の作り為したわざの誤った結果に過ぎない、などと言ったら野暮になる。
苔については、既に、「苔の話あれこれ」(や「苔の話…ひかりごけ」)で、秋山 弘之著『苔の話』を援用しつつ、若干のことを書いている。
なので、ここでは「苔の花」に関連する記述を付け足したい。
「HARMONY no.33」の「苔を見る 小さな花の世界」という頁を覗かせてもらう。
この頁を全部、読んでも大した労力は要らないと思うが、「苔の花」に関連する記述に焦点を合わせると、まず、「コケの花の正体」という項が肝心。そこに、「みなさんご存じのようにコケに花なんかありません。花があるのは実とタネをつける高等植物だけです」と、断固とした記述がある。
その上で、「けれどもよく観察してみると、先が丸く膨らんだものがコケの群落の中からたくさんつきだしているのに気づかれると思います。そのつきだしている棒状のものの先端は丸く膨らんでいて、ここに先ほどの胞子がたくさんつまっています。この膨らんだ部分は「朔」あるいは「胞子のう」とよばれています。胞子のうは茶色だったり、赤っぽかったりしますので、緑色のコケの本体と対照的で、その印象がとても小さな花を思わせるのでしょう。これをさしてコケの花ということがあるの」だと言うのだ。
黴も苔も実に興味深い世界を提供してくれると感じたところで、本日はお終い。
ただ、ここまで付き合ってくれた方には、もっと詳しい話を期待された方もいるに違いない。あるいは、こんな話を知っているぞ、という思いを抱いている方もいるに違いないのである。
なので、「苔の花」など「苔」の話全般を語ってくれるサイトを示しておく:
「1433「コケと日本人」」
なんだ、こんなサイトがあるのなら、最初からこれを教えろよ、と言われそうだ。辛い!
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