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2005/06/05

黴の宿

6月の季題(季語)一例」を眺めていたら、表題の「黴の宿」に目が止まった。
 表を見れば分かるが、「黴(黴の香、黴の宿)」とあるのだが、その中の「黴の宿」に焦点が合ったのである。
 いつもの「夏の季語(行事・暮らし-50音順)」を覗かせてもらうと、「黴(かび)」は「黴の宿 黴けむり 黴の香 黴びる」といった類義語があり、「菌類のうちで、きのこを生じないものの総称」とある。
YS2001のホームページ」の「黴(かび)」の項を参照させてもらうと、「別名⇒毛黴(けかび)、青黴(あおかび:餅や食物などにはえる普通のかび)、麹黴(こうじかび)、黴煙(かびけむり)、黴の家(かびのいえ)」などの類義語もあるようだ。
 旅の宿ならば風流で、あるいは艶っぽかったりするが、「黴の宿」も「黴の家」にも、意味合いがどうであろうと、住みたくない!
 けれど、ネットで調べたかぎりでは、「黴の宿(家)」の説明を施してくれるサイトを見出せない(誰か、分かる人がいたら、教えて欲しい)。
 いくらなんでも、黴で作った家とか宿ということはないだろうから、梅雨の頃となり、我が家が、あるいは今宵、草鞋の紐を解く宿が(ちょっと古い表現すぎたか)湿気のせいもあり黴臭いということなのだろうと、推察はする。
 まして、「黴煙(かびけむり)」となると、小生のひ弱な想像力では、どう考えていいのか、ただただ戸惑うばかりである。

 今日の季語に「黴(の宿)」などを選んだのは失敗だった…却下しよう…もっと風情のある季語が他に一杯あるじゃないか…「黴の宿」でネット検索しても検索結果は悲しいほど少ない…まして「黴」の隣りには「髪洗う(洗い髪)」といった爽快な気分の漂う、それどころか、節穴のある板塀の陰で床しきひとが行水している、なんて光景だなんて想像というか夢も何も膨らむような季語が燦然と輝いているではないか…。
 が、小生、今日はいつにもまして虫の居所が悪いので、もう、意地でもこの言葉に拘ってやる! と変に依怙地になっているので、とにかく先を続ける。
 上掲の黴の類義語群を眺めてみると、幸いにも「青黴」なんて言葉がある。「餅や食物などにはえる普通のかび」ということだから、食パンに生えた青黴、御飯に生じさせてしまった青黴の思い出などを綴れば、それなりに目先は誤魔化せる。
 特に、フレミングによりアオカビからペニシリンなる抗生物質が発見された有名な話など、黴の話である以上は一言くらいは触れないわけにはいかない(という言い訳も立つ)。
 それとも、黴で最近、話題になっていることというと、高松塚古墳の壁画が黴に悩まされている件に触れておくべきか。天皇陵の学術的研究と遺跡の保存の問題には関心を払ってきたことでもあるし。

 しかし、小生、「黴の宿」を選んだのである。
 形勢が悪いので、ここで強引に話を変える。小生、以前、「侘びと寂び」の文化と言われる日本の文化を揶揄するわけではないが、「黴と錆」と読み替えて掌編を書いたことがあった。「黴と錆」や「夢の中…」である。
 口先では、「侘びと寂び」と風流めかしたことをいいつつ、内実は、「肉体は、想像以上の速さで朽ち始めている。肺の中に黴がウヨウヨと蔓延っている。体の表面の方々にも、白い黴が拡がり、まるで斑模様の衣装を纏ったようだ。いつでも外から開けることのできるスライドドアの取っ手も、ベッドの留め金も微かに錆び付いている」という悲惨な現実に懊悩する哀れな姿だったり、「日本のようなジメジメとした侘びと寂びの国、私の表現を借りれば、黴と錆の国では、命というのは、自然に湧いて出るものであり、たとえ、何かの個体が死んでも、そこここに新しい生き物がうんざりするほど蔓延っていて、死も生もケジメも切りもあったものではない」と嘯いているしかない愚かな姿を描いたものだった。
 
 美は乱調にありと誰かが言った。美と醜とは裏腹のような気がする。美は古典ではない。出来合いのものであるはずがない。出来合いのものは、既に画集か美術館か何処かの会社の倉庫に収納されて埃を被るか、訳知り顔の、余所行きの顔に上辺を見過ごされていく運命をと味わいつづけている。
 創出される美は醜の海に漂っている。浮かびつつ沈みきれもせず、泥水に漬かって生きも絶え絶えにもがいている。そう、ジャン・デュビュッフェのそれのように。
 美は「アール・ブリュット(生の芸術)」なのだ。生なのであり、今、生まれつつあるのである。血糊さえベットリ。産みの苦しみを覚悟するのか、吐き気に絶えて生むことを選ぶのかどうかは、自分次第。
 苔むした家、黴の生える家、それどころか、時に胸の中にさえ黴が生えたりする。もがけばもがくほどに外界の汚れた空気を胸の奥深くまで吸い込む羽目になるからだ。鼻のフィルターで汚れを濾すなんて洒落た真似をするゆとりもない。酸素を吸いたいのだけれど、青嵐だろうと花粉だろうと粉塵だろうと、肺胞は外気の一切を諸共に吸い込んでしまうのである。

 ああ、でも、俳句の世界では「黴の宿」は、あくまで風情のある光景に留めておかないと拙いんだろうな。

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コメント

言われてビックリ。「黴の宿」が季語なんですね~手元の薄い歳時記にも載ってます(笑)
鑑賞眼の無い私には、なかなか風情有るものには映りません。俳句って難しいですね~(^_^;)
変わらぬ日胸の中にも黴生えす

投稿: ちゃり | 2005/06/06 23:15

ちゃり さん、小生も驚いています。
同時に、何ゆえ「黴の宿」が季語なのか、また、どういう意味合いを持つのか、分かっていないのです。誰か、お知恵など拝借できないものか。

>変わらぬ日胸の中にも黴生えす

   黴生える…枯れない我と嘯(うそぶ)くか

投稿: 弥一 | 2005/06/07 03:07

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