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2005/06/10

蛍の光…惑う光

 今日もラジオで聴いた雑学的な話をあれこれ順不同でメモ書き風に書いておく。後日、気が向いたら、そのどれかを掘り下げてみることがあればいいなと淡い期待をしつつ、メモに移ろう。

 NHKの「ラジオ深夜便」という番組は、サッカーなど特別な番組がない限りは、できる限り聴くようにしている。夜、そして夜半になると民放のラジオは若者向け一色になり、中高年は相手にされないから、聴くようにしているというより、余儀なく聴いている側面もないとは言えないが。
 昨夜半過ぎは、「茶の心、和の心」というテーマで茶道裏千家の千玄室さんの話。これはほとんど聴けなかった。まあ、一応は仕事中だから仕方ない。
 そのあとは、「失敗こそが独創を生む」というテーマで、工学博士(宇宙工学)の五代富文さんの話。

 五代富文さんというのは、宙開発事業団(NASDA)の副理事長まで務められた方で(00/10/24付け退職)、日本初の純国産ロケット「H-II」の開発に当初からかかわった、H-IIロケットの生みの親という人物。
『国産ロケットH‐2宇宙への挑戦―最先端技術にかけた男たちの夢』(徳間書店)や『ロケット開発「失敗の条件」―技術と組織の未来像』(共著、ベスト新書)などの著書があるようだが、小生はいずれも未読。
 特に後者は、「宇宙開発事業団が生んだ初の純国産ロケットH‐2は、続けざまに「失敗」した。開発者たちは、そこから何を学び何を教訓に残したのか?2001年夏、いよいよ新型ロケットH‐2Aをひっさげて、大国が群雄割拠する宇宙ビジネスの世界に参入してゆく。ロケット開発の黎明期から従事してきた研究者と日本の宇宙開発を長年追い続けてきた取材者とが、わが国のロケット開発における「失敗」を徹底的に討論した」という内容らしいが、幾分かは昨夜の話と重なる部分があるような気がする。

 例によって断片的にしか聴いていないので、印象に残った部分だけメモしておく。
 五代富文さんらが開発した宇宙ロケットは、種子島宇宙センターにあるロケット発射場から発射される。が、ある時、発射したロケットは実験が失敗に終わり、機体は自爆し、太平洋に落下。
 このとき、五代富文さんは、太平洋の数千メートル海底に沈んだと思われる機体を引き上げることを決断。というのも、航空機や列車だとブラックボックスと通称される(それとも正式な呼称なのか?)当該機体の高度やスピード、エンジンのデータなどを記録する装置が必ず積載されている。が、宇宙ロケットというのは、機体の軽量化のため、ブラックボックスは積まれていないのである。
 となると、事故(失敗)の原因の究明は機体を実際に調べてみるしかないのだが、生憎、ロケットは海の底、というわけである。
 実際、引き上げ、失敗の原因を徹底的に調査し、成功に繋げていった。五代富文さんの決断も凄いが、数千メートルの海底に沈む機体を見つけ引き上げること自体が、凄いと、素人たる小生は思う。
 さて、昨日の五代富文さんの話で印象的だったのは、他にある。宇宙ロケットは、缶ビールの缶のようなものだ、という話である。
 どういう意味かというと、缶ビールの缶は、薄さが相当なもの。で、宇宙ロケットも、缶ビールのように、機体の壁自体は極めて薄いものだという。これは軽量化という眼目があるからだが、なんといっても宇宙ロケットは宇宙に飛ばすためには莫大な燃料を必要とする。場合によっては、打ち上げ時の重量のうち燃料が9割、残りの1割を機体と荷物(乗客)となる。つまり宇宙ロケットというのは、少なくとも発射時には燃料でお腹がパンパンだということだ。
 だからこそ、機体の金属製の壁(薄皮の部分)をギリギリまで薄くする必要があるわけだ。
 詳しくは、「わが国の宇宙ロケット文化を変えたい」と題された宇宙科学研究所教授の稲谷芳文氏による話(2001.8.1)を読んでもらえれば分かるかも。
 うーん、宇宙ロケットは缶ビールなのか。そういえば、宇宙ロケットの機体には、気軽に触れないで下さい。へこみますから、なんて話もされていたっけ。そう言われても、触れる機会にはあまり恵まれそうにないと思うのだが。
 その代わり、今度は缶ビールの缶に触れつつ、宇宙ロケットの機体の皮って、こんなふうにベコベコなのかなって思ってみようか。
 余計なお世話かもしれないが、いっそのこと、「宇宙ロケットの機体に触ろう!」なんてイベントを開催したらどうだろう。ワンタッチ、千円で。これを宇宙開発の資金に繰り込めば、一石二鳥なのではないか。

 尚、五代富文さんには、中野不二男氏との共著の形で『日中宇宙戦争』(文春新書)が近著として(でも昨年の一月刊行だが)あるようだ。面白そう。昨夜の話にも、この本にも関わりがあるが、糸川英夫博士なんて名前が出てくると、ちょっと懐かしくなる。小生など、日本の宇宙ロケットというと、糸川英夫さんに尽きるのだから。
 五代富文さんにとっても、糸川英夫さんが先生に当たり、糸川英夫さんに影響されてロケット研究の道に入ったとか。
 ああ、小生も算数がもうちょっとできたら、宇宙ロケット研究の道もあったかな、と…トホホ。

 テレビやラジオその他でそろそろ蛍の話題が採り上げられる機会が増えている。そんな中、これは、メモする暇もなかったのだが、昨夜聴いた、蛍の話も興味深かった。蛍の明滅の周期が西日本と東日本で違うなどの話は、有名だし、確か小生も採り上げたことがあったはず。
 蛍の幼虫は、そのほとんどが天敵のトンボのヤゴ、ザリガニ、カエルなどに食べられてしまうとか(更に、下記サイトにあるように、「温度上昇による腐食、線虫・アリ・ナメクジなどによる捕食」で幼虫が死んでしまう場合もあるとか)、やっと生き延びて成虫になっても、セミと同様、地上世界では一週間から十日ほどしか生きられない!
 なのに、その成虫を人間たちが蛍狩りと称して懐中電灯を照らしたり、この頃は携帯電話のカメラなどで撮ろうとする。短い地上の生を、さらに縮めることで、彼らを追い詰めるばかりである。
 蛍狩り…。この蛍を人間に置き換えて、人間狩りと表現したら、そのえげつなさ、残酷さがしれようというもの。動物など昆虫を子供の頃には虐めた経験は大人なら誰でも多少はあると思うが、蛍については、大人になっても虐めて平気という文化が出来上がってしまっている。
 何か、複雑な心境になってしまう。こういった話は、前にもしたので、ここではやめておく。
 一応、参考に、蛍の生態を「平家蛍の生体について[滑ツ境技術研究所]」で、見ておいてもいいかも。特に、「自然界における平家ホタルのサイクル」という表を眺めてみてほしい。陸や空を生きる期間の短いこと。まあ、恋(繁殖)の季節だから、最小限なのだろうけど。

 ここでは新規に得た話を中心にメモっておく。
 といっても、童謡「ほたるこい」の話である。歌詞は、説明するまでもないだろう。一部だけ、載せておく:

 ほう ほう ほたる こい
 あっちのみずは にがいぞ
 こっちのみずは あまいぞ
 ほう ほう ほたる こい

 昨夜の話の一部は、まさに、この「水」の話、甘い水、苦い水の話だった(童謡「ほたるこい」の生みの親は、三上留吉(1897~1962)である)。
 上掲のサイトにあるように、「幼虫が食べるものはサカマキガイやタニシなどの貝類や魚のしがい死骸」ということだが、「平家蛍の成虫は10日間から2週間程度しか生きられません。平家蛍の成虫は水を補給するのみです」
という。
 そう、成虫は水を補給するのみなのだ。だからこそ、水が肝心。
 で、昨夜の話では、その水にしても、水の成分がホタルには大事だという。つまり、水の中にヨモギなどの栄養分が含まれていると、多少は成虫のホタルも長生きするのだとか。
 つまり、甘い水とは栄養のある水ということか。この童謡の作者は、ホタルには水、それも、何かの成分を加味した水が好ましいと知っていたのかも、という話だったのである。
 関係ないが、語り手は専門家の方だったが、聴き手は若い女性。その女性の方、定番の言い間違いをされていた。つまり、ホタルをホテルと言い間違ったのである。ホタルの光、ホテルのネオンサインと連想したのだろう。ま、お約束の間違いではあった。

 さて、夕べのホタルの話で印象的だったのは、成虫のホタル、オスとメスとの数のバランスが大きく崩れていて、メス1に対してオスが4から5だとか。つまり、圧倒的に少ないメスを多くのオスが狙っている。しかも、光るのはオスのほうだとか。しかも、メスにありついたオスは明滅を止めるので、いつまでも闇の中で明滅しつづけるオスというのは、メスにあぶれている、他のオスとの競争に負けつつある哀れなオスの悲鳴にも似た悲しいサインなのだということだ。
 なんだか、身につまされてしまった。そういえば、昔、読んだ吉原の廓(遊郭)の話で、朝方になっても廓の前を女性を物色しつつ歩く男というのは、前夜、相方となる女性に恵まれなかった男に決まっているというのがあった。
 つまり、女性と一夜を過ごした男は、疲れ果てていて、さすがに朝方は女性を見向きもしない。が、あぶれた男は、物欲しげに格子の向こうの女性を眺め、冷やかして歩き、せめてもの慰めにしているのだ、という事情あるというのである。
 なんとなく、ホタルの光が、生々しい話に終わってしまった。
 全く、本筋には関係ないが、廓というと、小生は西口克己の小説「くるわ」(昭和38年 至文堂)を思い出す。確か500頁ほどの小説だったと記憶するが、最後の百頁を引き千切って、最初から400頁ほど辺りまでは、圧巻の叙述が続いていた。
 でさらに、また話がずれるが、西山松之助校注による、南坊宗啓著『南方録』(1986 岩波文庫)が面白そう。「天心の『茶の本』を読んだら、次には南坊の『南方録』である。この二書は数ある茶書のなかでも抜群に教えられることが多く、おもしろい」ということで、冒頭では茶道裏千家の千玄室さんの話の中身に全く入れなかっただけに、この茶書をせめて紹介しておきたいのである。松岡正剛氏、さすがに目の付け所が違う。

 さて、昨夜は、1955年に誕生したということで、ロック(拘るとロックンロール)五十周年の話も聴けたし、美空ひばりの特集も一時間に渡って聴くことができた。
 収穫の一日だった? 売り上げは最低だったから、実入りはなかったけど、いろいろお話は充実していたような。でも、タクシーでラジオを聴いていると、平均的にこの程度の話は聴けるのである。待機中は本も読めるし、たまにお客さんとお喋りもできるし、トラブルだってないはずがないし(夕べもあった。怒り心頭!)、タクシー稼業は退屈の二文字には無縁の商売なのである! なんて強がって見せたところで、本日のお話は終わり。

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