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2005/06/19

てるてる坊主

 土曜日、図書館に行った帰り、ついふらふらと近くの食堂に立ち寄った。外食は事情もあって控えている。仕事中でも、蕎麦屋さんに寄らないように自制している。が、衝動というのか、その店の前を通ると、習慣のように入ってしまう。つい先日、入ったばかりのようだ。
 そういえば、近くの中華料理店も、少なくとも一年以上は足を向けていない。その店の前にはスーパーがあるので、店の傍を通らないわけにはいかない。だから、店の人と顔を合わせる機会もあったりする。足を運ばなくなって最初の頃は、それでも、主人も店員も挨拶してくれたが、この頃は、無視されている。愛想も何もない。こんなものなのか。相手にすれば、気に入らなくなって来ないのだと思っているやもしれぬ。
 こっちにしたら、手元が不如意で敷居が高いだけなのだが。悲しい現実である。
 
 立ち寄った食堂で夕食…久しぶりの御馳走である上カツ定食…を食べながらテレビを見ていた。テレビ…。我が家にテレビがなくなって数年。あるのは小さなモニターなので、画面がよく分からない。サッカーのボールなら、辛うじて識別できるが、野球のボール、ましてゴルフのボールなど、画面のちらつきに掻き消されて、音の感じや気配で見当を付けるばかりである。
 なので、外でテレビを見ると、画像の鮮明さに驚くばかりである。といっても、その食堂にあるテレビは、ごく普通のブラウン管形式のもので、既に数年は鎮座しているものなのだが。
 
 さて、その食堂でテレビを見ていたら、NHKだったようで、不意に童謡が流れてきた。どこか懐かしいような光景を映し出しながら。その童謡が表題の「てるてる坊主」(作詞者:浅原鐘村  作曲者:中山晋平)である。

 一番目の歌詞を転記してみる:

1 てるてる坊主(ぼうず)てる坊主  あした 天気(てんき)にしておくれ
 いつかの夢(ゆめ)の 空(そら)のように  はれたら 金(きん)の鈴(すず)あげよ

 二番は、「わたしのねがいを 聞(き)いたなら あまいお酒(さけ)も たんと飲(の)ましょ」であり、三番は、「それでも曇(くも)って 泣(な)いてたら そなたの首(くび)を チョンと切(き)るぞ」となっている。
 ちゃんと歌詞を読むと、とてもじゃないが、童謡なんてものじゃない。夢がありそうでいて、何かを実際に叶えたら、ご褒美に何かをあげるという発想とか、叶わなかったら首をちょん切るとか。
 仮に今の時代に、文部科学賞推奨の歌として、新規にこんな歌詞の歌を作ったら、父兄や教育委員会から、世間から、場合によっては、ませた奴の多い今時のガキから、クレームが殺到するに違いない。
 そもそも、童謡として作詞家の方も発想すら思いも寄らないのではないか。
 
 けれど、童謡も童話も、本来は残酷な内容のものが多い。民話も昔話も、残酷な歌詞の中に何かを嗅ぎ取ったり、知恵を学んだり、現実の世界の怖さを実感として、ひしひしと感じ取らせるものだったのだろう。
 あるいは、そういった教育的配慮という発想や理解そのものが現代人の小賢しい屁理屈に過ぎず、多くの民話というものは、ただ、現実のある側面、忘れ去りたいけれど、忘れることのできない暗黒の現実の断面が誰彼の脳裏に刻み込まれ、いつしか歌として残ってきたりしただけなのかもしれない。

 せっかくなので、この「てるてる坊主」の周辺を探ってみようと思い、ネット検索してみた。すると、「頃安卒論」なるサイトが現れ、どうやら、これは、「てるてる坊主にみる日本人の願いとかたち」というテーマの卒論らしいのである。
 筆者は、「頃安あずさ」(指導教官 福本謹一)とある。
 いきなり、こういった文章が現れると、調べてみようという意欲がそがれてしまう。「研究の動機」は、「現在、誰もが何となく知っている、身近な習俗の一つであるてるてる坊主だが、考えてみれば、あの小さな人形が天候を左右しようなどとは、随分大それた話である。あれは、一体何者なのだろうか。このような疑問から、てるてる坊主について調べてみることにした」とあり、小生の単なる好奇心を遥かに凌駕する動機が述べられている。しかも、以下、調査内容も幅広いようである。
 さらに、「論文の構成」、「論文の概要」と続く。この概要を読めば、てるてる坊主についての大凡は知れようというものである。
 それにしても、この概要。仮に小生が学生で卒論を「てるてる坊主」をテーマに書くとしたら、文字通り、この概要で尽きてしまいそう。先生に、で、概要となった本論はどうしたと聞かれて、えっ? これで全部ですけど、なんて、答えて、先生が呆気に取られ、絶句したりして。

[ 本稿に戴いたコメントを読んで、小生、書き漏らしに気づいた。「頃安卒論」などのホームページを示していない。「卒業論文関連 ゼミ卒論 レジメ」です。さらに、コメントにある、「バーチャル卒業制作美術館」へは、「福本謹一ホームページ」から飛べます。 (05/06/21 追記)]

 ということで、幸か不幸か、概要が示されているだけなので、中身は小生が調べる余地があるというものである。
「のっぺら坊」と「てるてる坊主」』という本があるようだ(著 松井栄一、小学館)。「著者は『日本国語大辞典』初版、第二版の編集委員」だという。「「てるてる坊主」は明治期の主要な辞書では圧倒的に「てりてり坊主」が優勢であり」というくだりがある。このようなことも、「頃安卒論」には網羅されているのだろう。
 それにしても、本書は表題からして気になる本だ。
 まずは作詞の浅原鐘村のこと。「てるてる坊主の館」というサイトがある。
 長野県の池田町出身の方のようだ。
「幼いころ口ずさんだ童謡「てるてる坊主」は池田町出身の浅原六朗の作詞。からかさを形どった特徴のある屋根の館内には、六朗の文学作品や、蔵書、ノートに書かれた青春日記など、彼の人柄をしのばせる数多くの資料が展示されています。また、交友があった作家たちの書簡および写真、人間俳句集、自筆の書、色紙、執筆に愛用した筆記用具類、父慈朗の出版した諸本その他も展示されている」と冒頭に説明されている。
 浅原六朗プロフィールには、「鏡村のペンネームで童謡「てるてる坊主」を中山晋平氏の作曲で発表」とある。
「百点に及ぶ著作があ」るというから、相当な著作家だったようだ。のち、俳人としても活躍し、「~てるてる坊主の館から~ 浅原六朗の人間俳句」には彼の俳句の数々が載っている。
 それにしても、このサイトでは、(浅原)鐘村という名前が見つからない。ようやく「鏡村のペンネーム」が見つかるだけ。
 と思って、ネット検索したら、「てるてる坊主」には、「浅原鏡村作詞・中山晋平作曲」とある。どうやら、「鏡村」が正しいようだ(小生には断言はできないが)。
 尚、作曲の中山晋平のことは、他でも採り上げたので、今回は略させてもらう。

「てるてる坊主」は、TV番組「トリビアの泉」でも採り上げられたことがあるとか。「雑学のページ6」には、「童謡「てるてる坊主」は1976年、ボローニャで開催された童謡コンテストの外国曲部門で優勝し、イタリアでは随分とはやったそうです」などとある。
 1976年というと、そんなに昔ではない。


てるてる坊主の歌』(浅原六朗 著くぼたひさし 編浅沼璞 解説)という本があることが分かった。但し、「日本中の子どもたちから大人たちまで愛唱される童謡「てるてる坊主」。作詞者・浅原六朗は、季節の詩人でもあった。童謡詩のみならず、文語体の浪漫誌的作品や、モダンな詩篇なども紹介した記念碑的選集」ということで、「てるてる坊主」ではなく、詩人である浅原六朗の文章を集めたもののよう。
てるてる坊主の照子さん』(なかにし 礼著、新潮文庫)も見つかったが、テーマはまるで違う。まあ、言うまでもないが、「てるてる家族」の原作である。
 そもそも「てるてる坊主」についての文献は、「頃安卒論」なるサイトにきちんと示されている。

 とりあえず、「Spotlight ! お祭り前夜 てるてる坊主」の画像で気分一新を図ろう。

 さらに探していたら、「てるてる坊主」の英訳が見つかった。タイトルは、「A Paper Doll for Fine Weather 」だってさ。

 肝心の「てるてる坊主」の情報がなかなか見つからない。と思っていたら、「てるてる坊主の正体」というサイトに遭遇。ここで得られる情報が多いとは言えないが、興味深い。ちなみに関連する部分を引用させてもらうと、「これは、元々、中国から入ってきた慣わし。中国にこの風習があった。雨が降り続くと、白い紙で顔を作り、赤や緑の紙の着物を着せ、稲の穂で作ったホウキを持たせ、軒下に吊るして晴天になるように祈った。このホウキで雨雲を払ってしまうというもの。これが、平安時代に日本に伝わってきた。人形は、照(てる)法師、掃晴娘(さおちんにゃん)と呼ばれていた。と、言うことは、てるてる坊主は意外にも女性?」とある(改行は小生がいじりました)。
 何、「てるてる坊主は意外にも女性」だって。調べる手に俄然、力が入ろうというもの。


長野県・郷土の作詞家:文学者「浅原六朗」」では、「子供たちが晴天を願って「明日天気になあれ」と歌いながら、てるてる坊主をつるした習慣が始まったのは江戸時代のこと。文政年間(1818-1831)に書かれた風俗辞典『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』に記述されていて、顔のない坊主頭の「てるてる法師」をつるして、もし雨がやんだら目鼻口をつけておまつりしたとある。全国で広く行われたふうしゅうであり、中山晋平は、作曲に当たって、冒頭にわらべうたのメロディーを生かし明るく仕上げている。(「NHK日本のうた ふるさとのうた100曲」から)」という興味深い記述が見つかる。
 平安時代に中国から伝わった慣わしが、江戸時代に広まったものと思ったら、ここには江戸時代に始まったと記されている。
 ただ、「顔のない坊主頭の「てるてる法師」をつるして、もし雨がやんだら目鼻口をつけておまつりしたとある」点は見逃せない。やはり、「のっぺら坊」と「てるてる坊主」との間には深い相関関係が潜んでいそうである。
 尚、引用文中にある風俗辞典『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』については、以前、お目にかかったことがある。気が向かないとは思うが、覗いてみてもいいのかも(→「へこたれるな(付:面食らう…)」を参照のこと)。

 どうにも、やはりネットでは詳細に渡るまでは調べきれないのか。もどかしい思い。
 小生が「てるてる坊主」を軒先などにぶら下げたことがあったのだろうか。あったような、なかったような。かすかに、雨の空を背景にてるてる坊主が所在無さげに揺れている光景が脳裏に蘇るようでもあるが、あるいはテレビか写真で見た様子がダブっているだけなのかもしれない。
「てるてる坊主」を下げる慣わしを忘れ去った日…。それは、明日、天気に、なーれ、そんなふうに切ないほどの思いで何事かを祈る、そんな無心さを失ってしまったのかもしれない。
 小生などは、「てるてる坊主」の歌を口ずさんでいるのがいいのかもしれない。

 祈るほど想い切なく空見てる

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コメント

卒論は教育大の方のですね。
そこから移動して、バーチャル卒業制作美術館に行って参りました。
最近は 卒論や制作したものも こうやって色んな人に見てもらえるのですね ・・。

「てるてるぼうず」・・遠足、運動会、明日の行事へのさまざまな 子どもの思いが繋がるわけで、何かお話がかけそう♪

こういうこだわった取り組みの論文、おもしろそうだな、と思いました。

投稿: なずな | 2005/06/20 11:44

え?てるてる坊主って目鼻が無いんですか??
いや~子供が幼稚園の頃に作ってたのは、顔がありましたよ。だから効き目がない?(笑)
ずーっと、勘違いしてました。

投稿: ちゃり | 2005/06/21 10:55

なずなさん、こんにちは。
小生、「バーチャル卒業制作美術館」のことまでは気が回らなかった。本稿の中にリンクを貼っておきました。
卒論、見てもらいたい人もいるだろうけど、小生は嫌。かなり出来が悪いから。そのうちに、思いっきり化粧直しして、こっそり載せようかな。
内緒だけど、小生は卒論を二度、書いている。つまり、最初の年のものは論文じゃないということで却下。実際、虚構作品を書いたのでした。哲学科なのに。

投稿: 弥一 | 2005/06/21 12:40

ちゃり さん、まあ、気持ちですから、目鼻は入れなくても、入っていてもいいのでは。
必勝祈願のダルマさんなどは、最初は片目だけ墨を入れ、当選(勝利)したあかつきには、残りの目にも黒く目玉を書き入れる。
てるてる坊主は、のっぺらぼうが正式なのかな。
関係ないけど、てるてる坊主の話題に、「マルガリータ」の話題を忍ばせようかなと思っていたけど、紙面が尽きて、やめた。

投稿: 弥一 | 2005/06/21 12:43

何故か今日も含めこの数日、この頁へのアクセスが多い。
何故?
なかにし礼さん作の『てるてる坊主の照子さん』を原作にした「てるてる家族」に関係があるのか。
でも、今頃、どうして、という疑問は湧く。

投稿: やいっち | 2006/08/08 23:58

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