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2005/06/07

天の川…光害

 いつもながら、季語随筆の表題を選ぶのに悩む。季語例の少ないのも困るが、多すぎるのも目移りして悩ましい。表題を選ぶというより、つまりはテーマを何にするか、なかなか考えが纏まらないのだ。
 まっさらな画面に向かってから何を書くか、考えようとするのだから、当たり前すぎる窮状に過ぎないのだろうが。
 六月の季語例の表を眺めていて、やはり「蛍」か、その類義語から選ぶかと思って迷っているうち、ふと、以前、「光害」の周辺を調べてみたことがあったのでは、と思われてきた。
 蛍から光へ、いかにも小生らしい素直というか、分かり易過ぎる連想ではある。人柄が偲ばれようというもの。
 その小稿の表題は「光害のこと」で、昨年の秋に書き上げたもの。「光害」は「ひかりがい」と読ませるらしい(小生が、そのように読めというのではないことは、拙稿を読んでもらえば分かる)。
 蛍から光では安易過ぎると、少しだけ飛躍して(それにしても想像の飛躍力も随分と貧弱になったものだ。やはり、肉体の劣化に想像の退化も並行するのだろうか)、「天の川」にしようかと考えた。
 拙稿、「光害のこと」の末尾に示されるキャッチフレーズ(?)が、「都会のど真ん中で天の川を見る!」だからという真っ当な(?)理由もあるし。

 が、ここで困ったことが。「天の川」は「8月の季題(季語)一例」の中の言葉なのである。つまり、季語(俳句)上は、「秋」なのだ。この辺りの理屈は、小生、うまく理解できていないので、説明が出来ない。とにかく、夏の季語ではないことは注記しておく。

「朝立(あさだち)や馬のかしらの天の川」という内藤鳴雪の句も、あまりに有名な芭蕉の「荒海や佐渡(さど)に横とう天の川」も、季語は「天の川」で、「秋」の句の扱いとなってしまう(「がんばれ凡人!」の中の「覚えておきたい有名な俳句・短歌」という頁で見つけた)。
「荒海や佐渡に横たふ天の川」なる句の評釈に問題のあることは、以前、触れたことがあるので、ここでは深入りしない。
「天の川」という語の織り込まれた句は、ネットでも少なからず見つかる。たとえば、「戸隠や顔にはりつく天の川  矢島渚男」(「ikkubak」より。同じく「ikkubak」からは、「玄海を源流として天の川   松本ヤチヨ」という句も見つかった)。

 都会では天の川は拝めなくなって久しい。
「生活が快適になっていく中、当然のように道は外灯で照らされています。家の中も当然のように電灯をつけて明るく夜を過ごせます。 一方、これらによって、天の川の見える場所が少なくなってきています。天の川は、昭和46年7月12日に東京23区の練馬区で観測されたのが最後だという報告もあります。つまり、天の川が見えなくなって、もう30年以上の月日が経過しているのです。子どもたちだけではなく、その親の世代までも天の川を見たことのない人々が増えているのは事実です。夏の風物詩、また俳句の季語(実際のところ、天の川はなぜか「秋」を表しますが)にもなっている天の川が、地上から、私たちの生活から離れている…、そう考えると少し淋しさを感じますね」というのは、都会にあって天の川を眺めあげた経験のある方の実感なのだろう。
 この引用は、「銀河-天の川、見たいな・・・」からである。
 このサイトには、「茨城県新治郡新治村東城寺(本堂は平成9年に焼失)付近に源をもち、土浦市、千代田町、石岡市と流れて霞ケ浦に注ぐ川があります。名前は「天の川(あまのがわ)」です」なる一文があったりして、微笑ましい。
 ということで、拙稿「光害のこと」へどうぞ。

[いろいろブログサイトでは更新しています。たとえば、「投句の細道」や「無精庵万葉記」など。ただ、エンコントロ(4)として、画像を載せるつもりでいたが、時間を設けることができなかった。後日、改めて試みるつもりである。]

光害のこと(04/10/12)

 過日、車中でラジオを聴いていたら、「ひかりがい」という聞き慣れない言葉を耳にした。
 どうやら、口ぶりからして、「光害」のことらしい。聞くところによると、「公害」と紛らわしいので、幾分、耳馴染みとは言い難いが「ひかりがい」と読ませるらしい。
 では、「光害」とは何か。
 これは、多少は報道などで聴いたことがある人も少なからずいると思われるが、読んで字の如しであり、光の害なのである。
 確かに、一部からは、夜空が終夜、ボーと明るいのはおかしいとか、必要以上に照明が町中で灯されているとか、そうした照明に掛かるエネルギーが省エネにも反するといった、声を聞いたことがある。
 一方、東京都庁が、控えてきた夜間のライトアップをこの10月1日から再開した、というニュースも耳新しい。超高層ビルが作る夜景の観光資源活用が目的という話も聞いたことがある。電気は下水処理の際に発電される電気を使うのだとか。
 そんな余分な電気があるなら、地域住民に還元するとかすればいいのに、そんな発想はないようだ。それより、観光であり、見栄えということなのだろう。
 下記サイトによると、主に週末などのライトアップの実施のようで、「来年3月までクリスマスなどに計15回実施し、継続するかどうか検討する」のだとか。
 実際のライトアップは、どのようなものだったかというと、「光を当てたのは、西新宿にある第1本庁舎(48階建て)のうち、43階以上の高層部分。午後5時半ごろ、投光器のスイッチが入ると、薄闇の中にオレンジ、ピンク、黄、緑の光線を浴びたツインタワーが浮かび上がった」のだとか。
 なるほど、電気代は安上がりなのだろうけど、「光害」という時代の要請とは、逆行する動きであることは間違いない:
[この拙稿の作成当時は、「http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041001-00000412-yom-soci」というアドレスを示しておいたが、今は、当該URLの頁は見当たらないとなってしまう。 (05/06/07 追記)]

 ネットで「光害 ひかりがい」をキーワードに検索してみると、四百件以上をヒットした。
 その冒頭には、下記のサイトが現れた:
光害(ひかりがい)」(「星の神殿 by Apollon」というサイトの中の頁である)
「★ネオンなどの都市の明かりで星が見えない事を「光害(ひかりがい)」と言います。「公害」との区別のために、このように「ひかりがい」と読むことに致します。」とか、「光害は街明かりさることながら、光が大気の汚れにより拡散してしまうことでもありますので、大気汚染のバロメーターにもなります。」などと書いてある。
「「夜の照明」は治安上絶対に必要なものですけれども、上空まで照らす必要は無」というのは、納得である。

 また、「ある試算では40%以上が上空に拡散しており、エネルギーの無駄遣いともなっております。このため照明の殆どは壁を照らすだけで足元は意外に暗いものです。」というのも、なるほどと思う。
 このサイトによると、「今年の3月に環境庁が「光害対策ガイドライン」を策定しました」とある。今年というのは、いつのことなのか、分からない。
 なので、「光害対策ガイドライン」をネット検索してみる。すると、下記サイトをヒットした:
環境省 平成10年3月30日 光害対策ガイドラインの策定について

 なんだ、六年前に既に光害対策ガイドラインが策定されていたのだ!
 その冒頭には、「環境庁は、不適切な照明による天体観測、動植物の生育などへの影響を防止し、良好な照明環境(望ましい光の環境)の実現を図り、地球温暖化防止にも資するような「光害対策ガイドライン」を策定した。」とある。
 
 ネットで「光害 ひかりがい」をキーワードに検索した中で、以下のようなサイトもヒットした:
光害防止委員会
 なんのことはない、上述の「光害(ひかりがい)」の中にもこのサイト名が銘記されている。

 同じキーワードで検索した中では、下記サイトの説明が分かりやすい:
光 害 の 部 屋(へや) 何処へいったのか?きらめく星たちよ!
 その冒頭にある、「あなたは天の川を見たことがありますか?都会ではライトアップ等による光害のために 天の川は見られなくなってしまいました。ライトアップを無くし、正しい照明を行なえば 都会でも天の川が見えるようになってきます。」というメッセージは、なかなかのものだと思う。
 東京の都心で天の川を見られたなら、荒んだ都会人の心も、幾分かは癒されるのではないか。
 夜空が人間が地上世界で使い、しかも必要以上に使って空に洩れていった光で、ボンヤリ明るくなっているのだとしたら、それは、まさにエネルギーを無駄遣いしていることの何よりの証左なのだし、実は、天にゴミを捨てているのと同じことなのだ、という主張は、分かりやすく、まさに耳に痛いメッセージなのではないか。

 ちょっと余談になるかもしれないが、最近の車のヘッドライトは過度に明るくなっているのではないかと感じている。
 ライトがハイビームになっているわけではないのに、対向車のヘッドライトが眩しくて、夜など目が眩惑されることがこの頃、頻繁になってきたように感じているのは、小生だけだろうか。
 都会は、ただでさえ街灯やネオンサイン、コンビニの白々しい明り、ビルの窓明りなど、光が溢れかえっているというのに、その光の洪水をもっと激しくしようとしているように感じられる。自分の目先さえ明るければいいと言うものではないのだ。
 
 さらに同じく、「光害 ひかりがい」をキーワードに検索した中で、さすがは、星の郷と自称している岡山は美星町のサイトが上位に食い込んでいる:
美しい星空を守る美星町光害防止条例(1989年11月22日制定)前文」を読むのも一興だろう:
[この前文のURLもこの小文を作成した当時は、「http://www.town.bisei.okayama.jp/town/seikatsu/kogai/」だったけれど、今は既に「ページが表示できません」となってしまう。 (05/06/07 追記)]

 ところで、小生、途中で紹介した、「正しい照明を行なえば 都会でも天の川が見えるようになってきます」という主張というか、メッセージが気に入った。
 なので、今度は、「天の川 光害」をキーワードにネット検索してみた。すると、次のようなサイトが登場する:
私たちの星空を取り戻そう」(「星空写真館 from DUSK till DAWN」の中の頁)
 その冒頭の一文を示すと、「現代の多くの日本人にとって、天の川とはもはやそういうものがあるということを知ってはいても、実際に見たことがあるという人はかなり少ない…そういう存在になってしまったのでは無いでしょうか?ところが、大都会の真ん中に住んでいる人でも車を数時間も走らせれば、そこには天の川や見たこともないほどたくさんの星がきらめいているはずです。作者の住んでいる東海地方では、車で1時間もあれば天の川を見ることができます。」とある。
 以下、サイト主の方は、「私たちの星空を取り戻そう」と、「光害の原因と対策」について、具体策を提言されている。

 次のサイトも興味深い:
光害の影響を受けない夜空の印象」(「わかばだい天文同好会-横浜市旭区」中の頁)
 このサイトには、「光害の影響を受けていない夜空の印象を幾つか上げておこう」ということで、以下、夜空の印象についてのコメントを列挙している。なかなか興味深いものがあるので、是非、目を通してもらいたいものだ。
 幾つかだけ、ピックアップすると、「あまりにも沢山の星が見えるので星座の形をとらえるのが難しい!」とか、「天の川が地平線から地平線へつながっているのを見ることが出来る」とか、「星空により、分かるほどの影が出来る」、あるいは、「天の川の光だけで近辺の様子を容易に見ることが出来る」などが印象的である。

 都会のど真ん中で天の川を見る! 夢のような話…でも、決して不可能ではない話なのだ。

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コメント

天の川
ずいぶん昔見たような・・・その記憶もはっきりしないわ。
そう言えば夜空を眺めることが殆どなくなったかな?
一昨年?一昨々年?獅子座流星群を偶然見られたことくらい・・・
たまには星空を眺めながら無限に広がる宇宙に思いを馳せるっていうのもいいかな~?

投稿: マコロン | 2005/06/08 14:00

マコロンさん、いらっしゃい!
夜空を眺める…。仕事柄、夜中など公園脇などで空を眺めつつ、我が仕事の不況振りを嘆く機会が多い。
まあ、人よりは夜の風景を眺める機会も時間もたっぷりあると思います。但し、都会なので、夜空の星は疎ら。月影は折々、愛でることができるけど。
ところで、夜明けの時間が早まってきたので、朝の四時を回る頃には空が明るみ始め、五時前後などは薔薇色の空に恵まれます。昨年の秋口からこのブログを始めたました。その頃は、随分と夜明けの画像などを(白猫さんの画像と共に)載せたものですが、それも夜明けの荘厳さに魅せられたからです。仕事は不調だけど、お天道様だけは変わらずにいてくれる、それだけが嬉しい今日この頃です。

投稿: 弥一 | 2005/06/08 19:33

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