『KAZEMACHI CAFE』…読書メモ
過日、図書館から借り出してきた『KAZEMACHI CAFE』(ぴあ 2005/03/19刊)を読了した。本書の大凡の性格に付いては、この季語随筆「KAZEMACHI CAFE…歌謡曲」(2005.06.06)で既に書いている。
まあ、対談集なので、松本隆という逸材と、これまた才能溢れる方たちとの対談をひたすら楽しめばいい。何をコメントする必要があるわけもない。
なので、脈絡も何もないメモ書きの羅列と相成るが、仕方ないと思っている。
名前については敬称を略させてもらう。超有名人であり、一個の社会的財産となっているが故の敬意の所以である。
松任谷由実との丁丁発止の対談の中で、ちょっと驚く記述を見つけた。尤も、何も驚く必要などないのかもしれないが。
それは、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自決した時、松任谷は「風都市」という、当時、松本隆がそのメンバーでもある「はっぴいえんど」が所属していた音楽事務所に居たというのだ。その音楽事務所は市ヶ谷に当時、あったのである。
なんでも、松任谷の旦那様である正隆氏が事務所へ月給をもらいに行くのに付いて行ったのだという。
せっかくなので、市ヶ谷の旧参謀本部の貴重な画像などを見てもらってもいいかも。
「市ヶ谷の参謀本部について」
事務所(の屋上?)のドアを開けると、自衛隊のバルコニーが見え、何かのノイズが聞えていたというのである。三島由紀夫のアジ演説の声だったのか、警官隊の応じるマイクの声だったのか。それとも取材するヘリコプターの騒音なのか。
「ノイズ」という松任谷の言葉の選択が面白い。
松本隆も松任谷由実にとっても、三島由紀夫らの行動が、あるいは時代の学生運動自体が「ノイズ」だったのだろうか。何か違うよ、ということなのか。勿論、こんな言い方では身も蓋もないというか、鰾膠(にべ)もないことになる。都会人特有の斜に構えたような独特なセンスもあるのだろうし。
いずれにしても、時代はフォーク、それも没社会的な、政治的メッセージの欠片もないような、吉田拓郎であり、かぐや姫の神田川であり、ガロの学生街の喫茶店であり、井上揚水的な私小説的なフォークに主流が移っていきつつあった。
小生自身、連合赤軍(浅間山荘)事件、内ゲバ、総括などで、学生運動への警戒感・嫌悪感がテレビ・新聞などを通じて洗脳に近い形で植え付けられていたように、今にして思う。一方、中学や高校では内申書重視となり、偏差値という魔物が蠢き始めていた。学生同士の横の繋がりが、陰に陽に分断され、それぞれが孤立化され、私小説的な、内向きの学生生活志向が強まっていった、その趨勢の波に呑み込まれた気味がないとは到底、言えないような気がする。
気分的に岡林信康やボブ・ディランでは最早ないのである。とはいいながら、小生、彼らのようなプロテスト性のある、メッセージソングにも共感するものがあった。実際、学生時代、彼らの曲をラジオから録音して聴いていた。そのテープは今も残っているはず。
井上揚水の「氷の世界」は、めったにアルバムなど買わない小生も買って聴いていた。「傘がない」こそは、時代を象徴する曲だ。「都会では自殺する若者が増えている 新聞に書いてある」云々という社会問題は認識している、それはそれで大事だとは思う、「だけども 問題は 傘がない」であり、「行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ」なのである。
「それは いいことだろ」って、いいに決まっている。何故、いいか。自分でいいと答えを既に出しているんだし、胸中に切迫する個的な思いを何よりも大切にするという価値観が一見すると優しげに、けれど実は頑固に露骨に主張されている。
メッセージ性のないかのようなメッセージソングの始まり(の宣言)なのかもしれない。
この「氷の世界」に含まれる曲の数々については、それぞれに思うことがあるが、ここでは、言及しない。「永遠の少年 フォークの世界」というサイトの「井上陽水」という頁を覗いてみてほしい。
ここのサイト主の方は、小生より二歳ほど年上なのだろうか。感想やコメントは、小生も書きそうな内容なのである。
建築家の妹島和世(せじま・かずよ)氏との対談も印象深かった。「世界的な建築家の一人、妹島和世と松本の出会いは古い。妹島さんが「再春館製薬女子寮」(九〇-九一)等の設計で話題となり、個人宅を二軒ほど手がけた頃、家を建てよう! と建築の本や雑誌を読み漁っていた松本がラブ・コールを送ったのだ。妹島さんと共同設計者の西沢さんが作った「M-HOUSE」は、「都心住宅地における地下居住という解答」を出したと評判を呼び、海外からの取材・見学が続出。二〇〇四年暮れ、居住七年目の対談が実現した」という事情が、対談の冒頭に示されている(文中の共同設計者の西沢さんとは、西沢立衛氏である)。
「再春館製薬女子寮」で、建物の外観などを見ることができる。
「53 Kazuyo Sejima」では、妹島和世氏本人のこの建物への思い入れを読むことができる(藤塚光政撮影の画像も)。「「再春館製薬女子寮」が一番強く記憶に残っている建物であると思い始めています」とのこと。
妹島和世氏と西沢立衛氏の両者の仕事の概容は、「SANAA.CO.JPを開く」などで。
さて、印象に残った対談部分とは以下である:
――「守られてるんだけど、外と繋がっている感じ」というのは、どこか松本さんの詞と風景に共通するところがありますね。
松本 そうそう。家にすごく風合いがあるわけですよ。自然と触れ合えるタッチがいい。だから、半年という短期間で僕の感性を見極めながら、こういう家を作ってしまう。これはやっぱりすごい才能だなあと。
――個人住宅の場合、クライアントの意向と、建築家としての野心――と言ってしまうと生々しすぎる表現になってしまいますけれど、たとえば、新しくて面白いことをやりたいという欲求とのせめぎ合いは、どのような感じで調整していくのでしょうか?
妹島 そうですね。別に野心というわけでないですけれど、勝手な夢をどんどんふくらませてしまって結果的にそうなる可能性もなくはないかもしれませんね。クライアントから方法まで言い渡されてしまうと、「じゃあ、ご自分でお作りになったほうがいいのでは」と返したくなる感じになりますよね(笑)。だから、個人住宅の場合は、設計者が一応図面を描いたり、現場監理はしているんだけれども、クライアントとのいろいろな会話の中から一緒に作っていく感じですね。
松本 うん。僕も物を作る仕事だから、クライアントとの対立は常にあって、あんまり縛られると、「自分で書けば」と思ってしまう(笑)。だから、妹島さんが作りたいものを作ってもらって、なおかつ、水と油だと住めなくなってしまうから、妹島さんtの接点も探してもらったという。
妹島 松本さんはものすごくね、空間の把握力が高いんですよ。偉そうな言い方なんだけど(笑)。普通の人たちは、模型を見ても、たとえば、「これは吹き抜けで繋がっているんですね」とか、なかなかイメージが湧かないみたいなんですよ。ところが、松本さんは図面と模型を見て、パパパッと「こういう風になるんですね。それは面白い」と繋がりだけでなく空間を把握してしまう。だから、打ち合わせもあっさり終わってしまう。私たちみたいに職業的な訓練を受けていないのにもかかわらず。
松本 それはそうかもしれない。僕にとっての詞は、光があって陰があって立体的なものなんですよ。だから、図面や模型を見るのが得意なのかもしれない。
妹島 作詞っていうと、素人が考えると、二次元的に繋がっているようなイメージがありますけど、そうじゃないんですね。
松本 立体的な作業なんです。深い陰影を作る。もう三〇年以上やってるから。模型を見るときは、模型の中に入って、そこに立っている自分の視線が想像できるんです。
妹島 そうそう。模型の中に入るんですよ。私たち建築家も。
自分でも何故にそこまで刺激的だったのか説明はできないでいるのだが、「僕にとっての詞は、光があって陰があって立体的なものなんですよ」というのは、実に印象的な言葉だった。
詩人でないと分からない、想像(創造)に際しての感覚なのだろう。
「M-HOUSE」
『妹島和世読本-1998』なる本があるようだ。
本書『KAZEMACHI CAFE』は車中で読んでいたのだが、ついで、ジェイ・イングラム著『脳のなかのワンダーランド』(斉藤 隆央訳、紀伊国屋書店)を読み始め、これも読了した。原題は、「The Burning House」で、直訳すると「燃え上がる家」である。このタイトルに選ばれた症例など、実に興味深い。
が、本書については機会があったら、また、触れることする。興味のある方は、「Passion For The Future 脳のなかのワンダーランド」などを覗いてみてほしい。
小生の大好きな精神科医で作家のオリバー・サックス著『妻を帽子とまちがえた男 サックス・コレクション』(高見 幸郎/金沢 泰子訳、晶文社)や『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』(ハヤカワ文庫NF)、『レナードの朝』(ハヤカワ文庫NF)、『サックス博士の片頭痛大全』(ハヤカワ文庫NF)などの一連の本には、書き手がサイエンスライターということもあり、話題が総花的ではあるが専門的な掘り下げが足りず、比べようもないが、車中の友にするには楽しかった部類か。
小生、今は、既に図書館から借り出しているオリバー・サックス著『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤 隆央訳、早川書房)を読むのが楽しみである。
と、言いつつ、『死の棘』と『レイチェル』他も、ボチボチと読みつづけることになる。
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コメント
話の細部ですが、ちょっと反応してしまいました。
ガロの「学生街の喫茶店」。
これは、もともとB面で、本来のガロは、
S&G風の、ハモリのきれいな曲がメインの
花や恋愛や「地球はメリーゴーランド」っていうような、題材を さらりと柔らかに歌うグループでした。
流行歌の作曲家さんが作って、それこそ社会派の「学生」の終わりにも ちょうど合った歌になって しまったみたいですね。
この歌が流行っちゃったことから ガロのメジャー化で 同時に「終わり」に向かうことになった・・。
懐かしくなって、語ってしまいました(-。-;)
投稿: なずな | 2005/06/11 23:36
なずなさん、新しいブログサイトの立ち上げ。もう、昨夕、覗いてきましたよ。
小生は物語作成のほう、中断したままなので、刺激を受けに、折々、行きますね。
ガロについては詳しくは知らなかった。なるほど、「作詞:山上路夫/作曲:すぎやまこういち」だったのですね。山上路夫の詞も、すぎやまこういちの曲も好き。そうなんだな、プロの作詞家とプロの作曲家とプロの業者の売り込み。そうした時代の趨勢に呑み込まれていったということですね。
そうはいっても、さすがに曲は詞も含めてイメージ豊か。
「美しすぎて」がA面扱いのオリジナル盤(72年6月発売)が、「学生街の喫茶店」がA面となったのは、72年の11月だったとか。
丁度、小生が大学生になった年の出来事だったわけだ。
時代の転換期、特に学生については、社会性が欠如していき、内向きになった。同棲が流行るとか。その多くは、政治の側の企みでもあった。学生から棘を抜いていった。まんまと骨抜きにされてしまったんだね。でも、居心地のいい学生生活になったということでもある。なかなか複雑。
投稿: 弥一 | 2005/06/12 04:34