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2005/05/02

五月雨…一期一会

 昨日の夕方近くからだろうか、雨が降り始めた。ちょうど、日記を綴っていて、そろそろ書き終える頃合いに降り始めたので、アップする前に、そのことを一言、書こうかなと思いつつも、えいや!とばかりにクリックしてアップ。
 我が部屋にはカレンダーなるものがないので、ネットで日付や曜日を確かめてみると、昨日は日曜日、そして五月だ。その最初の日に、雨。
 となると、今日の季語随筆の表題は、「五月雨」しかない!
 といっても、小生、歳時記や季語上、「五月雨」がどのような扱いなのか、分からない。早速、調べてみたら、うん、うん、「五月雨(さみだれ)」は「さみだるる 五月雨傘 五月雨髪」などの類語があり、「梅雨時に降る雨。田植えの頃の雨」という説明があって、夏の季語、俳句の句作でも今頃にも使って構わない言葉のようだ。
 ただ、「梅雨時に降る雨。田植えの頃の雨」とあるので、かなり時期的に幅がある。
 しかも、調べてみると、「陰暦の五月、つまり陽暦の六月に降り続く長雨」であり、「梅雨は時候の名称ですが、五月雨は雨そのものを指」すのだとか。やはり、今の時期に季語として使うのは、難があるのか(「[ 花鳥風月 ]水無月の季語」」より)。

 田植えの頃の雨。
 そうだ、例年だと、小生は五月の連休は田植えのために帰省していた。一昨年までは。その田植えも昨年からは止めてしまった。田舎の父母の体力・気力が続かないことと、一番の働き手であるべき小生が、不在。田植えだけ手伝っても、稲作というのは収穫し食べられるようになるまでには八十八もの手間が掛かるから「米作」なのだというほどだというのに、そのうちの一つを手伝うくらいでは、気休めにもならないのである。
 なんのために帰るのか、父母らに会うためは勿論として、昨年の連休からそうだったように、草むしりに励むため、ということになるのか。
「五月雨」というと、小生でも知っている句がある。「五月雨の降り残してや光堂」や「五月雨をあつめて早し最上川」といった芭蕉の句である。
 どちらも感性の鈍い小生にさえ、鮮烈だったり豪快だったりする光景を脳裏に描かしめる。そんな強烈なイメージ喚起力がある。
 こういう句が可能だということがあるから、文学にも俳諧にも疎い小生をして句作へと向かわせるのだ。
 芭蕉による「五月雨」の織り込まれた句というと、他にも「五月雨も瀬踏み尋ねぬ見馴河(みなれがは)」がある。この句の鑑賞は、「芭蕉作品集 夏の季語を持つ句 -芭蕉と伊賀」などを御覧願いたい。
 小生如きが生意気と思いつつも、傑作とは言い難いような。
 それ以上に、この地域で詠まれた句が名句だったら、誰もが一度は行ってみたくなるような名所(観光地)になっているのかもしれないと思ったりする。見馴河(みなれがは)と言われて、場所がピンと来る人は少ないのではなかろうか(そうでないのなら、ごめんなさいなのだが)。

銀座の学校/とーく&トーク/第38回」に興味深い記述があった。後半の「五月の雨と書きますが、旧暦ですから6月のことで、松尾芭蕉の「五月雨を あつめて早し 最上川」の五月雨は、梅雨の終わりにある集中豪雨のことと推察され、7月半ばの雨だと思います」は、小生も季節外れの時にこんな季語を表題に選んでしまってと、忸怩たる思いで、ただただ伺うばかりだが、前段が勉強になる。
「中でも「五月雨」と「時雨」は、昔から詩歌に詠まれてきた雨の代表的な例でしょう」のあとに、「五月雨は夏の季語ですが、「さ」という言葉は、だいたい稲に関係があります。「みだれ」は、「水が垂れる」という意味です」という一文が続く。
 そうだったのか?! 小生など、「五月晴れ」は「さつきばれ」と読むように、「五月の五」を「さ」と読ませているのだと勝手に思い込んでいた。そういえば、「早苗(さなえ)」の「さ」も、稲に関係する?
「さ」が頭に付く和歌関連の言葉というと、すぐに思いつくのは、「小夜時雨」などの「小夜」である。
 有名な和歌に、「み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣(ころも)打つなり」(参議雅経(94番) 『新古今集』秋・483)がある。百人一首のうちの一つだと、知っている人も多いだろう(鑑賞は【百人一首講座】を参照のこと)。
【さ夜ふけて】については、「「夜がふけて」という意味です。「さ」は語感をととのえる接頭語です」とある。そんなことを昔、習ったことがあったっけ。
 あるいは、小生の季語随筆でも昨年、「小夜時雨」を俎上に載せたことがあった。詳しくは左記を見て欲しいが、「小夜時雨」の「小夜」は夜の美称だとか。
 ま、「五月の五(さ)」と「小夜の小(さ)」とは別物なのだけど、「さ」だけに焦点を合わせても、いろいろな意味合いが含まれるのだろうとは予想される。恐らく、「さ」だけでも、論文の一つも書けるのだろう。
 
 せっかくなので、「小夜時雨」の項で扱った「小夜しぐれとなりの臼(うす)は挽(ひき)やみぬ   野坡」という句を改めて味わっておこう。
 あるいは、「小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん   正岡 子規」と「すぐ来いといふ子規の夢明易き   虚子」との呼応関係。
 ついさっきまで聞えていた、時には煩かったりしていた迷惑な音、けれど、「となりの臼(うす)は挽(ひき)やみぬ」と、ふと気が付くと、音が消えている。
 消えているだけ、仕事の手を休めて寝入ったというのなら、それはそれでいいけれど、隣りにいるはずの人の寝息が、今日はもう聞えなくなっている…のだとしたら、寂しい限りだ。さっきまで、そこにいたじゃない! なのに、今はいない…?!
 事件・事故・病気・別れは、いつ起きるか分からない。出会いとは別れが来るまでの束の間の一期一会の時。
 以下、ほぼ一年前に書いた小文を掲げておく。表題は「一期一会のこと」である。
 
 最後に、小生、この季語随筆を帰省のため、数日の間、休ませてもらいます。
 メッセージなど、寄せてくれたら幸いです。
 あれあれ、この一文を書き始めた頃は外は暗かったし、雨もそぼ降る状態だったのに、今、ふと外を見ると、明るくなっているし、日差しが。東京は晴れになりそうだ。

「一期一会のこと」(04/05/23)

 一期一会という言葉にめぐり合ったのは、いつのことだったろう。
 何かあまりに大切な言葉に思えて、実際に口にしたことはほとんどない。ある人と出逢った時、何かの折にこの言葉を出したら、「うわ! 凄い言葉を知ってるのね」と、驚かれたことがある。
 当時の小生は、しかし、この言葉にそれほどに思い入れはしていなかった。だから、この言葉を知っている程度で驚かれて、逆にこっちがビックリしたものだった。相手の方にとっては、お茶を嗜んでいるようでもあり、小生以上に貴重な言葉だったのかもしれないと、薄々は感じていたけれど。

 この言葉、意味合いは、知られていると思う。小生如きがわざわざ説明するのも、おこがましい。それでも、順序として段取りは踏む必要があろう。

 よく言われるように、一期とは、人間の一生を意味し、一会とは、会うこと、それも、一度限りの、あるいは一堂に会して会うことで、両方を合わせると、人が人と出会うのは、一生に一度限りのもの、それほどの僥倖と心得て、その都度の出会いを大切にしなさい、ということになろうか。
 もっと意味を辿ると、この言葉の初出は、千利休の弟子山上宗二(やまのうえのそうじ)の著述に見出されるという。つまり、茶席に臨む際の茶会の心得を示す言葉なのである(もしかしたら、利休の教えだったのかもしれない)。
 あるサイトによると、「安土桃山時代(1573-1603)の茶人、千利休の弟子で山上宗二の著に、『山上宗二記‐茶湯者覚悟十躰』があり、利休の精神を伝えています。その中の「一期に一度の(茶)会」という言葉が由来と言われてい」るという。
 さらに、このサイトには、「山上宗二記「茶湯者覚悟十躰」の一条道具開き、亦は口切は云うに及ばず、常の茶湯なりとも路地へ入るより出づるまで、一期に一度の会のように、亭主を敬い畏るべし」が掲げられている。

 一期とは人の一生と簡単に書いたが、もともとは仏教用語のようで、人が生まれてから死ぬまでの間を指すという。一会も、法要などでの一つの集まりや会合を意味し、やはり仏教に関わりの深い言葉のようである。
 
 突然、この言葉に拘ってみたくなったのは、今、読んでいる上田秋成著『雨月物語』の「浅茅が宿」という章に「一劫」という言葉が出て来る。この言葉の語釈に一期が使われていたからなのである。
 この「浅茅が宿」については、このサイトを参照願いたい。

 物語を当該の辺りまでだけ説明する。室町の頃、下総の片田舎に田畑を持つ裕福な家の息子・勝四郎は、事情があり、彼を思い止まらせようとする美貌の妻・宮木を振り切って郷里を出て都へ。
 しかし、彼が都で一旗挙げ、田舎へ帰ろうとすると、その間に郷里は戦乱の巷と化し、勝四郎は、最早妻は生きていないと絶望する。そのくだりで「一劫」が使われる。
 そのくだりを抜書きすると、「寛正二年、畿内河内の国に畠山が同根の争ひ果さざれば、京(みやこ)ぢかくも騒がしきに、春の頃より疫病さかんに行はれて、屍(かばね)は巷(ちまた)に畳(つみ)、人の心も今や一劫の尽るならんと、はかなきかぎりを悲しみにける」となっている(疫病や巷は、当該の漢字表記が出来ないので、簡易な漢字で代用している)。
 語釈を(できるかぎり)そのまま転記する。
「一劫――寿命。「一劫 増韻云、焚書ニ一世ヲ以テ一劫と為ス。又人寿は百年を持て期とす。老少これを以(もって)準(じゅん)とする故、人の一世を一期と云」(『諺草』)。仏教でいう「四劫」のうち、生類の存在する期間の「住劫」をさし、この世、の意ととる説もある。ここでは、二つをあわせてとる。」
 四劫とは、つまり成劫(成立)、住劫(安住)、壊劫(壊滅)、空劫(空虚)を言うようだが、詳しくはこのサイトを参照のこと。
 上に出てきた『諺草』は、江戸時代(1701)の書のようである。

 ところで、一期一会の語源を調べるため、ネット検索していたら、いろいろなサイトに出会った。
 たとえば、一期一会の類語に市毛良枝(いちげよしえ)がある(!)と語るサイトは、結構、小生好みである。悲しいかな、悔しいかな、小生には思い浮かばなかった。小生は、せいぜい、「苺はいいえー」と、平凡な語呂遊びをこの言葉を知った頃に試みた程度なのである。

 また、このようなサイトをヒットした:
Welcome to emika's Home Page
 但し、一期一会でヒットした最初の頁はここだったけど。

 表紙を順に辿っていくと、「前立腺ガン・最前線」とある。続いて、「医学の最新ニュースをお伝えするHPではありません。私は自宅療養中の、前立腺ガン及び転移性骨腫瘍の患者です。」とある。どうやら、前立腺ガンに苦しむ方の最前線の体験談をお伝えするサイトなのだと分かってくる。
 が、さらに表紙は「お知らせ」「お詫び」「迷い」「結論」と続く。
「お知らせ」で、2001年9月12日の入院であることが分かる。
 最後の「結論」の項では、「不完全ではあっても、家族の協力を得て、いつ迄、どこ迄かはわかりませんが出来る限りはホームページの運用を続けてみたいと思います。ご不便をおかけするかも知りませんが、よろしくお願いいたします」(2001年11月)と、emikaさんが、やっとの思いで、このHPを存続させるべく努めていることを知るに至る。

 が、そこで表紙は終わっていないのだった。
「結論」の後に、区切りの横棒が引かれた上で、「emikaの家族より」という項が垣間見えてくるのだ。悪い予感、胸騒ぎ。その一文を引用しよう:

 このホームページを作成した”emika”は、2001年12月18日に他界しました。emikaはこのホームページの将来については家族に何も明言しないまま息を引き取りました。家族としては、前立腺癌で苦しんでいる方々の何かしらの力になればと思い、このホームページをemikaが作ったそのままに近い形で公開を続けていきます。
                                (転記終わり)

 当初は、一期一会を人と人との出会いの掛け替えのなさから語り始め、もっと広くは、そもそもこの世に生きている僥倖、この自然や宇宙に際会していること自体が一期一会の醍醐味なのではないか、などと綴っていくつもりでいた。
 しかし、このようなサイトを見つけてしまった!
 こうした頁に巡り合うこと自体もまた、一期一会なのだろう。もう、今は何も蛇足を重ねることもないだろう。
 合掌!

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コメント

一期一会という言葉を知ったのは、中学生の頃だったかな?
山口百恵さんの『蒼い時』の中に出て来るんだよ~と、
百恵ファンの友達が教えてくれたのが初めです。
それから、何年か経って、お茶の言葉だと言うことを知りました。

一期一会。
東洋的な発想かなぁと思います。だからか、肌に馴染みます。
「勧酒」のように、この縁は、このときだけかもしれないもの、
分かれるときが来ても、それもまた、縁だから。
サヨナラだけが人生だ。
そういう思想が流れている気がします。

私のサイトの「挑戦♪」の「サヨナラ」の項に別れについての
私の捉え方がありますが、
潔いのが、好みです・・・。

投稿: Amice | 2005/05/02 21:44

私が一期一会の言葉に出逢ったのはもうずいぶん昔だわぁ。
実家の菩提寺に彼岸会など年に何回か行くことがあって
その時の住職の話の中で聞いた記憶があります。
そこの住職はとてもお話の上手な方でよく聞き入っていたものです。
その時は中学生くらいだったかな?
仏教の中に身を置きたい、尼さんになりたいなんて
子供ながらに偉そうなこと考えたりしました。

今?そんなことすっかり忘れたような生活してます^^;

投稿: マコロン | 2005/05/02 22:50

あれ、Amice さんも実家に。
腱鞘炎のほう、よくなりましたか。
山口百恵さんの『蒼い時』の中に一期一会という言葉が…。なるほど。
噂によると、「百恵」という名前(芸名)は、百の恵みを、ということで選ばれたとか。
「サヨナラ」の項、読ませてもらいました。一見すると冷たそうで、実は一番、心優しい別れの告げ方。愛する相手のためには時には心を鬼にする必要もある。辛いところですね。


投稿: 弥一 | 2005/05/06 21:54

マコロンさん、随分、早くから「一期一会」という言葉をご存知だったのですね。もしかしたら小生も、言葉は聞いたことがあったのかもしれないけど、耳(頭)を素通りしていたのかも。言葉が残っているだけ、さすがと思います。
マコロンさんが、その頃、尼さんになりたいと思った…。ペギー葉山の「学生時代」という歌を思い出す。賛美歌を夢見る頃ですものね。
今は、ネットという仮想のお寺で尼さんとして人に幸せを与えているのかも。

投稿: 弥一 | 2005/05/06 21:58

ごぶさたしてます。

質問をば。

五月雨をあつめて早し最上川
は、そもそも
五月雨をあつめて凉し最上川

だったそうなのですが、やはり今残っている句のほうがいいものなのでしょうか?
弥一さんはどう思われますか?

投稿: ぷうくま | 2005/05/07 22:59

ぷうくまさん、久しぶりです。三ヶ月ぶりかな。季節は真冬から立夏へ。
といっても、人間はそう簡単には変われない。旧態依然で淡々という姿勢はこのまま続きそう。
「涼し」と「早し」は、随分、印象が違いますね。「涼し」だと、ただの叙景になってしまって、平凡な印象…というか、後に何も残らない。「早し」にすることで、鮮烈で豪快さが表現され印象鮮明となったような気がします。
個人的には「早し」のほうが断然、好きです。
ぷうくまさんは、どうお考えなのでしょう。

投稿: 弥一 | 2005/05/08 11:49

ごぶさたしてます。
質問しっぱなしですみません。
なるほど。
早しって清流のイメージですね。岩にぶつかってしぶきがはじけるというか。
凉しだと情景は浮かんでこないですね。

芭蕉でも一発で俳句を作っているわけじゃないんですね。
当たり前といえば当たり前ですが、なんか『ん!一句できたぞ!(サラサラ~)』
みたいなイメージがあるので(コントかよ)。

それではまた。

投稿: ぷうくま | 2005/07/10 13:23

ぷうくまさん、久しぶり。お元気ですか。
俳句は即興を旨とするといっても、芭蕉も苦吟されたわけですね。
ただ、苦吟する経緯など人様に見せるものではないし、とにかく示された句に全てを表現しようとする。
ところで、一般論としては、掲題の句は別として、残っている芭蕉の句がみんな傑作というわけではないと思われます。
それでも、幾つかの傑作があまりに傑出しているので、富士の高嶺が下界のゴツゴツした岩場や不恰好さを覆い隠してくれる…。とにかく生涯に一つでもこれはという句を捻ることができたら、素晴らしいと思います。それさえ、難しいことですし。

投稿: やいっち | 2005/07/10 17:11

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