病葉(わくらば)…邂逅
水曜日の仕事の最中、不意に「病葉」という言葉が浮かんできた。どんな脈絡で記憶の海の底から浮かび上がってきたのか…。
そうだ、ツツジの花々の枯れ萎れてしまった哀れな末期を見ていて…だったかもしれない。つい先週までは赤紫色の、あるいはクリームっぽい淡き白色の花を咲き誇らせていたのに。桜は咲きかけも満開の時も、散り際までもが愛でられるというのに、ツツジにしても他の花々同様、萎れてしまったら見向きもされない。
尤も、皆が愛でる桜(ソメイヨシノ)にしても、散って路上に這ってしまった花びらたちは、ただただ踏みつけにされるばかりである。花(桜)を愛でるというのなら、最後の最後まで行末を見守るべきではないのか。それとも、散り果てた花びらなど見向きもされないという、非情さまでを含めて花(桜)が愛されているというのだろうか。
散る光景が潔くて美しいなどと愛でておき、花(桜)を愛しているといいながら、実際には、散り果てた花びらは路上に舞い、踏みつけにされ、埃に塗れ、腐っていくのをうざったく邪魔臭いモノと煩がられてしまうだけ。
散ってしまった花をせめて心の中で手向けの思いを寄せてみる…そんな同好の士がいたらな、と思う。葉桜を愛でるのもいいのだけど。
ツツジに目を戻す。
ツツジの、先のようなやつれ切った姿に目をやるのは、交差点で信号の変わるのを待つ暇人くらいのものか。
そうはいっても、走行中には確かめられないけれど、一部のツツジ…あるいはサツキなどはまだまだ頑張ってくれている。
さて、話を先に進める前に、「病葉」という言葉の意味などを調べておこう。
「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」で「病葉」を引くと、「病気で枯れた葉。特に、夏、赤や黄に変色して垂れたり縮まったりした葉。[季]夏。」とある。
親切にも、「病葉を振り落しつゝ椎大樹 虚子」なる句が掲げられている。
小生が「病葉」という言葉を知ったのは、もう、四十年も昔のことだ。仲宗根美樹が唄って流行らせた「川は流れる」(作詞:横井 弘/作曲:桜田誠一)という唄の歌詞でのこと。
その冒頭に、「病葉(わくらば)を 今日も浮かべて 街の谷 川は流れる」とある。誰に聞いたのか、それともテレビで彼女が歌った際に、司会者か誰かが説明してくれたのか、「病葉(わくらば)」という言葉の意味を知った。同時に、言葉の味わいを感じた最初の記憶になるかもしれない。
ついでながら、横井 弘氏の作詞の唄に「あざみの歌」がある。以前、この季語随筆「秋薊のこと」の中で、中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」(作詞・作曲 中島みゆき)や「恋あざみ」(作詞:泉淳三 作曲:彩木雅夫 歌:勝彩也)などと共に紹介したことがある。
横井 弘氏の作詞の唄では、中村晃子が歌った「虹色の湖」(作曲:小川寛興、1967年発売)が大好きだった(し、今も好きである)。
「虹色の湖」と共に中学・高校時代の愛唱歌だったのが、布施明唄の「霧の摩周湖」(水島 哲 作詞/平尾昌晃 作曲、昭和41年)だったのだ。
逸してはならないのが、三橋 美智也が唄って流行らせた「達者でナ」(横井 弘 作詞/中野忠晴 作曲)だろう。この唄、小生が帰省の折、バイクでのロングクルージングの最中に歌う曲の一つである。ついついアクセルを捻りがちになるのを、この唄を歌うことで、まあ、のんびり行こうや、という気分になる。
帰省には中央高速道を使い、岡谷インターチェンジで信越道に曲がっていく。が、ほんの少し足を伸ばし、中央道を下っていけば、我が敬愛する作家・島崎藤村の地・木曽は馬篭宿だなーと思いつつ、そんなゆとりのない自分を呪う…。
横井弘氏作詞、三橋 美智也の唄というと、「哀愁列車」(作曲:鎌多俊与)も名曲で、大好きな唄だ。
この唄「川は流れる」は名曲だと小生は思っているのだが、案の定、この数年、サザンオールスターズの原由子さんや森昌子さんらがカバーしている。
沖縄出身の歌手の走りの一人とも言えそうな仲宗根美樹さんだが、つい先年、カムバックされているとか。彼女は、「パスポートがなければ沖縄に行けなかった昭和36年、沖縄の血が脈うつひとりの少女がデビューした」のだった。
沖縄からは、ややあってから南沙織が、そしてフィンガ-ファイブなどがデビューし大活躍した。その後、ビギン、りんけんバンド、喜納昌吉、石嶺聡子、安室奈美恵、スピ-ド、マックス、知念里奈、ダ・パンプ、キロロなどと続く。
話を「病葉(わくらば)」に戻す。上記したように、「病気で枯れた葉。特に、夏、赤や黄に変色して垂れたり縮まったりした葉」である。決して、自然なメカニズムで紅葉や黄葉などに変色した葉っぱとは違う。文字通り、「病気で枯れた葉」であり、だからこそ、夏の季語扱いとなるわけである。類語に「虫喰葉」があるようだ。こちらは、生々しいというか痛々しい。
たまたまネットで見つけた「玉井瑞夫インターネット写真展」の中の、「「テーブル・トップ・フォト」 (1) <落ち葉・枯れ葉>」(→「病葉 (わくらば)」の項)を覗かせてもらう。
うーん、写真としてのアート性はあるのかもしれないけれど、病葉の哀れみ感が薄れている。
「島根県森林病害虫等防除センター[一口防除]」なるサイトでは、ごま色斑点病などに罹った葉っぱや幹・枝の哀れな様子の画像を見ることができる。見るも無慙で、実に可哀想。
あるサイトを覗いてみると、「植物の病気は、植物と病原の相互関係で起こります。病原になるものには、菌類・細菌・ウイルスなどがあります。また、植物の病原のなかには、いわゆる「毒素」を産生するものもいますので、病気に罹った植物を食べることで人間が被害を被る場合もあります」というが、葉っぱの病気のメカニズムには、今回は踏み込まない。
白川 道著『病葉流れて』(幻冬舎文庫)なる小説があるようだ。麻雀がしたくなる本だというが、さて。「[苗],蛇を踏む,病葉流れて,架空取引,粉飾決算,小説・ヘッジ」に『病葉流れて』の書評がある。
他に、立原 正秋著『春の病葉』(角川文庫刊)もあるようだが、小説だとは分かるのだが、内容を示す情報をネットで見つけることができなかった。
さて、ここまできて、あれ、小生らしくないぞ、と思われている方もいるかもしれない。そう、「病葉(わくらば)」は、慣用的にこのように読んできたのだから、それはそれでいいとして、でも、それでは、「病」と書いてお「わくら」と読むことがあるのかどうか、語源は何処に、など、疑問は尽きないはずなのである。
そこで、例によって「病 わくら」をキーワードにネット検索。
すると…。さすがに、ここにも先人がいる。「「病葉」と書いて「わくらば」と読むそうですが、「病」に「わくら」という読み方があるのですか?」といった質問を発していて、それにちゃんと答えているサイトがあるのだ。
覗いてみると、ちゃんと、というのは看板に偽りだとしても、調べた限りの成果は示されている。詳しくは、リンク先を参照して欲しい。
驚いたのは、「「邂逅」という熟語で、ふつうに読めばカイゴウあるいはカイコウですが、この2字で「わくらば」と読むこともある」という点。
念のため、「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」で「邂逅」を引くと、「かいこう」もあるが、「わくらば 【〈邂逅〉】」の項もあり、「たまたま。偶然に。まれに。
「―に人とはあるを人並に我(あれ)もなれるを/万葉 892」「―に問ふ人あらばすまの浦に藻塩たれつつわぶと答へよ/古今(雑下)」「此心をふくむ人―なり/浮世草子・男色大鑑 6」」といった説明を施されている。
ここから先は、今のところ、小生には手が出ない。
| 固定リンク
「季語随筆」カテゴリの記事
- 陽に耐えてじっと雨待つホタルブクロ(2015.06.13)
- 夏の雨(2014.08.19)
- 苧環や風に清楚の花紡ぐ(2014.04.29)
- 鈴虫の終の宿(2012.09.27)
- 我が家の庭も秋模様(2012.09.25)
コメント
朽ちていく時は、見向きもされない。
それは、人間も同じことですよ~。
若い女の子は、ちやほやされるけど、
ちょっと年齢が上になれば、
見向きもされませんよ~。
この頃は、年齢には見えない若々しい人も増えましたけどね。
それを別に羨ましいとは思わないですね~。
でも、そうやって、静かに朽ちつつ、次代に命を残すのが、
基本線で、それが正しいんじゃないかと思うんです。
負け惜しみかな。
投稿: Amice | 2005/05/20 20:11
散る桜
君待ちあぐね
文破る
歳を取るほど未練たらたらで
潔さがなくなるものです
散り際は桜のようにキレイに潔しとしたいですね
返事の無い送信メールを削除・・・
といったところです
投稿: オリオリ | 2005/05/20 21:05
またきました、^^;
私も今日記事を上げたのですが、この「川は流れる」のことを書いたのです
わくらば 初めて聞いたときは何のことかと思いましたが、この歌の歌詞を見てアアと思いました。
でも日本語は、本当に語彙が多くて、素敵な言い回しだと思います。
わくらば ジンとくるではありませんか。
秋を待たずに、枝から散ってしまったと言うか落ちてしまった、可愛そうな葉・・・・。
桜の花びらもそうですね。
でも、散り敷いた花びらがだんだん隅っこに追いやられ、やがて茶色く変色していつの間にか土になってしまう。
しみじみと春の終りを、感じる時です。
投稿: 蓮華草 | 2005/05/20 22:37
横井弘さんって、名曲を作詞された方なんですね。
「虹色の湖」は、大好きな歌でした。
昔の歌の方が、日本語の歌詞を大事にしてる感じはありますね。
仲宗根美樹さん、カムバックされたんですか?エキゾチックで、結構気に入ってました。
沖縄のミュージシャンのうたう歌は、なぜかストレートに胸に入ってきますよね。
ビギンや喜納昌吉、よく聴きます。沖縄音階で曲を作ったことも・・・。
投稿: hironon | 2005/05/21 13:22
Amice さん、ちやほやされるのは若いうち、男性もそうだけど、女性は特にそうなのかな。
人の目に飛び込んでくる花もあるけれど、心の中に静かに熟成される花もある。大概は他人にも身近な人にさえ気づかれない花。世界でたった一つの花というのは、往々にして地味なもの。だって、世界に六十億もあるんだから、目立つのはめったにない!
朽ちるというけれど、「大岡越前守は、女の性欲はいつまであるかと母にいう質問したところ、母が無言で火鉢の灰を指したことから、灰になるまで性欲があることを察したという講談」があったような(話には聞いたことがあるけど、どんな講談なんだろう)。
人にはちやほやされなくても、人間が生きている限り枯れることなく、あれこれしたいという欲求はあるのじゃないかと思う。次代に命を託すとしても、せいぜいジタバタしたいと小生は思っている。悟りの類いは信じていないし。
投稿: 弥一 | 2005/05/21 18:03
オリオリさん、散り際は桜のようにキレイに潔しとしたい…とは思うけれど、多分、小生は悪足掻きをさんざんするんじゃないかって予感している。散り際は見苦しく、踏ん切り悪くでいいのだと思っている。誰のための人生ではないのだし。男の方が、未練がましいのかな。ま、いいやな、恋の念があれこれ書かせてくれているようなものだし。
文の葉を拾い集めて形見とか
届かざる想いを重ねる齢かも
投稿: 弥一 | 2005/05/21 18:09
蓮華草さん、その話、読ませてもらいました。歌に人生を重ねている人は多いのでしょうね。小生にも、何処かでチラッと触れたけど、ある曲がそう。胸がキュンと来てしまう。
桜に限らないけれど、一頻り咲いたら、散って土に返る。その土からまた新しい命が芽吹いてくる。ただ、土に還るにしても、せいぜいたっぷり大気のエキスを吸って、心豊かになってとは身の程知らずにも思います。
いろんな人がいろんな形で昔の人の思いを、勿論、今、生きている人の思いは尚更、中身を少しでも豊かにして伝えていきたいと思います。
投稿: 弥一 | 2005/05/21 18:17
hironon さん、横井弘さんの公式サイトは見つからず、彼に付いての詳しい情報が分からないのですが、とにかく素敵な作詞をされた方です。
最近は、歌手が自分で作詞・作曲されることが多いけど、なんとなく中途半端。リズムやメロディや踊りや衣装で作詞の貧弱さをカバーしているんじゃないかって疑いたくなる。
さだまさしとか小椋佳のような人も居るけど。
沖縄の人たちの頑張りは近年、特に凄いですね。
ところで、「沖縄音階で曲を作ったことも・・・。」が気にかかりますね。さすがピアノを弾かれる方。でも、沖縄音階って、さて。
投稿: 弥一 | 2005/05/21 18:25
え~っと、若くってもちやほやされない場合もありますです。^^;
女は死ぬまで女。どこかで聞いた気もしますね。
でも、私、今女じゃないな。じゃ、何なのかと聞かれれば、
母ですって、答えるかな。
沖縄音階って言うのはおそらく、
西洋音階のレとラを除いた音階だと思いますよ。
ドミファソシドって、つなげて音を出してみてください。
きっと納得していただけると思います。
投稿: Amice | 2005/05/21 21:01
Amice さん、「若くってもちやほやされない場合もありますです。^^;」言われちゃいましたね。小生など、ガキの頃は特に男の癖に(これってジェンダー差別的表現なのかな)いじけまくっていましたもので、世の中も、特に自分の人生が真っ暗に感じていました。引き篭もりにならなかったのが不思議。この点はお袋や拾遺の人たちの御蔭だと思っています(何かのエッセイで書いたはず)。
Amice さんは、現役のお母様としてまだまだ大変な時期でしょうから…。でも、子供たちが完全に手が離れたら…。それでも母であることには変わりはないけれど、さて、母親でもない以前に、人の子の親となったことのない小生には、その辺の気持ちは分からない。
ま、とにかく何らかの形で人生を楽しめればいい。
沖縄音階のこと、教えていただき、ありがとうございます。昨夜は自分で調べる気力がなかった。
沖縄の音楽、ラジオでも聴くことができますが、独特な音調が新鮮。それ以上に、誰もが日常的に音楽を、演奏を、歌うことを当たり前に楽しむ光景こそが素敵。
投稿: 弥一 | 2005/05/22 06:31
最近、思いがけずこの記事へのアクセスが増えている。
「2005/05/20」の記事だから、ネットの世界じゃ、かなり古い記事と言っていいだろう。
何ゆえ、突然、この記事にアクセスが増えたのか、その原因を探ってみたら、なるほど、という理由があった。
下記の映画が来月、封切りになるからだ:
「病葉流れて」
http://www.wakurabanagarete.com/
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8213
原作は白川 道氏で同名の小説があるらしい。
で、「病葉(わくらば)」という言葉の意味を知ろうと、ネットでお勉強というわけだ。
トップに小生の頁がヒット…。ゴメンね、期待に沿えなくて!
投稿: やいっち | 2008/01/21 17:36
今日、夜の20:00台にまたこの古い記事へのアクセスが急増。
どうやら、「NHK歌謡コンサート」の「時代の歌こころの歌」というコーナーで、1961年のヒット曲「川は流れる」を仲宗根美樹が披露したからのようだ。
この曲の歌詞に、「病葉(わくらば)」という、今の若い人たちには馴染みの薄くなった味わいのある言葉が出てくる。
ネットが身近にある人は、早速、検索し、小生の記事へもアクセスが集まったといった事情があったものと思われる。
投稿: やいっち | 2008/02/26 22:48