ハイチのこと…揺れ動く世界
「琥珀のこと…バルト三国」でバルト三国のことに触れた。
また、「沖ノ鳥島」は、ラジオで聞きかじった話を若干、情報を補足しつつ書いたものである。
ラジオから入手できる情報は、それなりに根拠あるものだとしても、聴き入っているわけでもないので、断片的になりがちである(学生時代、授業での話を真面目に聴いていてさえ、平均点付近をうろついていたことを思い出す)。
だからこそ、手元の資料やネット情報で補足する訳だが、それでも、通り一遍の記述を越えられるわけもない。
ただ、それでも、読まれる方の中で一人でも関心を持ってもらえたら、書いた甲斐があったと思うしかない。
さて、以下に掲げるのは、昨年の3月に書いたハイチ共和国についてのもの。やはり、ラジオで聞きかじったことで、それでは少しは調べてみようと思い立ったわけだった。2004年3月にラトルチュ首相就任し、暫定政府発足を受けてのNHKラジオでの解説のようだった。
あれから一年余り。少しは情勢が好転したのだろうか。暫定政府の舵取りは上手く行っているのか。
次頁の「ハイチの内乱」という拙稿を示す前に、若干の補足を試みておく。
「ハイチ地図」を覗いてみよう。キューバ、ジャマイカ、バハマなどに囲まれ、ドミニカ共和国と国境を接している。
「外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(ハイチ共和国)」が、日本での基本情報の入手先ということになるのか。
その「基礎データ」の頁を覗く。「四国と九州の中間程度の面積」であり、首都はポルトープランス、人口は900万人弱(2002年)。人種は「アフリカ系90%、混血10% 」、言語は「フランス語、クレオール語」なのが、アフリカ系が90%以上に何故か悲しい。
宗教は「カトリック、ブードゥー、プロテスタント」だというのは、何をか言わんや、である。
宗教の中で、ブードゥーが、日本人にとっては名前は聞いたことがあるとして、馴染み深いとは到底言えないだろう。後日、以前、ブードゥーの周辺に触れた拙稿を掲げつつ、やはり通り一遍の叙述しか出来ないが、せめて偏見の上書きにならない程度にブードゥー教についての情報を示してみるつもりである。
略史は「1492年 コロンブスのエスパニョーラ島発見」から始まる。ついで、「1697年 フランス領となる」であり、次が「1804年 独立」となっている。あまりに略し過ぎではないか。その中にこそ、悲劇に満ちた血生臭い歴史が埋もれているはずだし。
けれど、その間、先住民は絶滅してしまった。「世界最初の近代的黒人独立国家」となったとは、先住民が皆無となったあとの歴史なのだ。アメリカ合衆国の場合は、先住民である、インディアンと呼称される人々は、ほぼ掃討され尽くし、そのあと労働力(奴隷)として黒人がアフリカから連れてこられたが、ヨーロッパ(イギリス、フランスなどが主)の人々が占有していったのとは、事情が違うようだ(多分。白人系が黒人系などを圧倒してしまった点が違う…単純化し過ぎだろうか)。
「海外安全情報」なる頁を覗く。
「ハイチに対する渡航情報(危険情報)の発出(2005/04/11)」という項があり、「渡航の延期をおすすめします」という段階にあるようだ。
詳しくは同サイトを見てもらうとして、「短期滞在者向け注意事項」の項にあるように、「ハイチにおいては交通、宿泊施設、観光施設等の面での十分なサービスは期待できません。また、山林伐採の影響で、海山共に豊かな自然は破壊され、度重なる政情不安、ハリケーンの被害、極度の貧困の中、人々は生きることに懸命です。明るいカリブ海の島というイメージを抱いて来訪すると、現実とのギャップに驚くことになります」ということに尽きるようだ。
まだまだ多難な現実が続いているし、続いていきそうなのである。
世界は揺れ動いている。パスカルの原理ではないが、日本国内へも、その余波が届かないわけがない。国内を安定させようと思うと、何処かの目立たない国の人々に皺寄せを及ぼしていくしかないのか。平和とは、他の弱小国家の人々の犠牲の上に成り立つものなのか。
国内でしか暮らさない自分ではあるが、たまには海外に目を向けてみるのもいいのではと思う。
それにしても、拙稿の末尾の「風光明媚なハイチ。観光立国も決して夢ではないはず。一日も早い国情の安定を願う」という締め括りの一文が、あまりにお気楽であり、上滑りしていると、我ながら感じる。
ハイチの内乱(04/03/11)
ハイチという国の名前は小生も聞いたことがある。が、正確な位置は、となると困ってしまう。ましてどんな歴史を背負った国なのか、何故に内乱状態に陥っているのか、など、大まかな知識さえ、ない。
先日、ラジオを聞いていたら、ハイチのことが話題になっていた。仕事中でもあり、聞きかじることさえ、できなかった。しかし、とにかく話の端々から、ハイチが悲惨な歴史を辿ってきたということ、その歴史に欧米の大国などの思惑が深く、深すぎるほどに絡んでいることだけは感じることが出来た。
まあ、新聞や雑誌などに、ましてその関連の本などにはもっと詳しく書いてあるのだろうけれど、最低限の知識くらいは仕入れるつもりで、ちょっとだけメモ書きしてみる。
ハイチは、カリブ海に浮かぶ島。美しい島だと言われる。カリブ海。そう、コロンブスが発見したのがハイチなどの地域なのである。
しかし、ハイチという国を一言で性格付けるなら、世界最初の近代的黒人独立国家、ということになるのだろうか。それだけに苦難の連続の道がハイチを待ち受けていたのである。
ハイチの歴史は、17世紀初頭の「スペイン軍,トルトゥーガ島の住民を襲撃.婦女子をふくむみな殺し作戦を展開」というところから始まるようである(あくまで有史という意味での歴史だが)。
「先住民アラワク族はスペインによる強制労働や伝染病で絶滅」し、「フランス人のさとうきびプランテーションの発展とともに大量の黒人奴隷が移入された」
つまり、奴隷として移入された黒人の国となったのである。
やがてルイ14世のフランスが領有権を主張。
しかし、1804年には、世界最初の黒人共和国として誕生した。この時、ハイチは巨額に上る賠償金をフランスに支払うことを約束した。独立当時のハイチの国家予算の10年分の賠償金だったという。このあまりに巨大な負債がのちのちハイチを苦しめ続けることになる。
では、なぜにこんな馬鹿げた賠償金をハイチが認めたかというと、当時の世界の他の国々は独立を認めなかった中、それだけの代償を負ってでも、ハイチが独立したかったから、ということに尽きるようである。
誤解のないよう、急いで付記しておくが、おカネだけで独立できたわけではない。「フランス革命に影響を受けた黒人奴隷たちが一七九一年に反乱を起こし、十五年にも及ぶ激しい独立闘争の末」の建国なのであることを忘れてはならないだろう。
それだけ、誇り高い民族だということになる。が、それだけに、独裁政権の入れ替わりが続いたこともあり、独立してからも内乱が絶えず、「クーデターなどによる政権交代は、二百年のハイチ歴史で三十回以上にも及ぶ」という。
[拙稿を書いた時は、この(http://www.worldtimes.co.jp/w/usa/usa2/kr040303.html)サイトからの参照だったのだが、今は、その頁がなくなっている。 (05/05/25 追記)]
フランス革命の影響という言葉に注目した方も多いのでは。「ロベスピエールと本国の国民議会,現地の決定を追認する形で奴隷の解放を認め,黒人奴隷解放令を布告.同時にソントナを全権統治委員の任から更迭.」などという記事があったりする。
但し、「この決定は現地には知らされず.」なのだけれど。
その前に、1789年のフランス革命の影響がある。つまり、国民議会が「人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」という人権宣言を採択したのである。それにつれて、「黒人や有色人の人権が問題」となるわけだが、当然ながら、現地の「白人農園主は,革命に反対し母国からの自治を主張」し、対立と緊張の新たな歴史が始まるわけである:
[拙稿を書いた時は、この(http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/carib/haiti.htm)サイトからの参照だったのだが、今は、その頁がなくなっている。 (05/05/25 追記)]
ハイチは植民地支配をずっと受けてきたのだが、その間、支配者側の都合で、奴隷制砂糖プランテーション一色に染められてしまった。つまり産業としては、基本的に砂糖プランテーションしかない脆弱な産業構造にあるというわけである。代替産業がない国家ほど、惨めなものはないのだ。しかも、その乏しい産業も、アメリカ資本の後押しがないと、立ち行かないのが実情のようである。
多くを端折るが、1994年の「米軍介入によるアリスティド政権復活でようやく民主化に向けて歩み始めた」ハイチだが、実のところ、アメリカはアリスティド政権の民主化の動きを好ましく思っていなかったようである。
最近の内乱も、アメリカの差し金が大きいという話がある。ハイチには、アリスティド政権に反対する勢力があるが、それは大きくは二つにわけられるという。
一つは穏健な反対勢力で暴力などを良しとしない。もう一つは、世界にニュースとして発信される原因となった暴徒化した反対勢力。実は、この暴徒化を煽っている(あるいは、内乱の背後に米国軍事介入の失敗があったとも)のがアメリカだと言われているのである。
実際、アリスティド大統領は、国外へ脱出したとも報道されているが、実際は、アメリカ軍当局に拘束されたという情報が実情に近いようである。アメリカは民主主義国家だけれど、アメリカに都合の悪い民主主義は断固、押し潰すダブルスタンダードがこんなところにも見えているわけなのだろうか。
さて、一番、肝腎の疑問が残っている。そもそも、なぜにアメリカは、執拗にハイチに介入しようとするのか。その意図が問題のはずである。
ただ、いずれにしても、ハイチの民衆が極端に劣悪な教育環境のもと、これまた劣悪な労働条件のもとに、安い労働力で働かされ、その上がる収益は何処かの権力が吸い上げるという構造だけは、続けたい。そしてどうせ吸い上げるなら我が国が、ということで今は、アメリカが利権を狙っているということなのだろう(地政学的な戦略の意味もあるのだろうか)。
とにかく、ハイチにどういう行末が待っているのかは分からないが、我が国が貢献できるのなら、とにかく教育環境の改善に的を絞るのがいいのではなかろうか。カネをばらまいても、一部の権力者が甘い汁を吸って終わりだろうし。
フランス革命がハイチに歴史の転換点を齎したように、教育の充実が、ハイチの国民自身による将来展望への開拓の、結局は近道となるのではなかろうか。
風光明媚なハイチ。観光立国も決して夢ではないはず。一日も早い国情の安定を願う。
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コメント
「大地震に直撃されたハイチ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100115-00000111-jij-int
ハイチのことが心配。
ただでさえ、大国に翻弄されてきた国。
日本の対応の遅さが際立つ。
投稿: やいっち | 2010/01/15 21:14