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2005/05/09

若葉雨…桜若葉

立夏…幻想の未来」(2005.05.06)の記述で葉桜が好きだ、などと呑気なことを書いていたが、肝心なことが抜け落ちていた。当該の頁にも追記しておいたが、「葉桜」というのは夏の季語なのであり、別の呼称に「桜若葉」があり「花が散った後の桜の若葉」を意味するのだというのである。
 ここに改めて補筆しておく。

 さて、五月の頃の季語というと、葉桜からの連想で探し求めたというわけではないが、表題にもあるように「若葉雨」という素敵な言葉がある。
 実は、この言葉を、「melma!blog [優嵐歳時記]May 6, 2005」の中で見出したのである。この頁には、「若葉雨傘差しかけて語りけり  優嵐」という句と共に青空の下の若葉の画像と簡潔なコメントが載っている。
「若葉」という言葉自体が、既に夏の季語、特に今頃の時期を表現する言葉のようだ。関連する季語に、「若葉雨」や「桜若葉」のほか、「山若葉 谷若葉 若葉風」などがあるとか。
 さらに若葉に関連する季語を探すと、「若楓 青楓 楓若葉」、「椎(しい)若葉 樟若葉 欅若葉」、「柿若葉」、「青蔦(あおづた) 蔦若葉 蔦繁る 蔦青し」と、実に多彩である。
 どの季語も、それぞれにその清々しい風景を呼び起こしてくれる。

 小生が敢えて「若葉雨」を今日の表題に選んだのは、ちょっとした訳がある。
 小生は、五月の連休を利用して帰省していた。冬、つまり正月の帰省はさすがに列車を使うが、それ以外の時期の帰省には主にバイク(スクーター)を使う。
 ロングクルージングになるだけに、天気には敏感にならざるをえない。
 往路は少々風があったが概ね好天に恵まれたが、復路は塩尻、岡谷、諏訪の辺りから小糠雨に断続的にではあるが見舞われてしまったのである。
 五月とはいえ、雨もあり重ね着して風邪をこじらせないよう用心していたが、それでも寒い。が、雨が細かくて、安物の合羽でも雨水が浸透して体を冷やすには至らなかったのは幸いだった。
 さて、歩きであればポツポツという小降りの雨でも、百キロ以上での走行では雨粒がバイクのシールド(風防)を、ヘルメットのシールドをも、叩き着けるような状態になる。
 バイクを駆っていると、低速だとエンジン音が大きかったりするが、高速走行だと、音は風を切る音だけになる。それが、雨のツーリングとなると、風防にぶち当たって砕け散る雨の音が耳に感じられるだけになる。
 横風などは、時折、バイクを揺らしたりするが、意志をしっかり前向きに保つことで(勿論、服装も風に左右されない、体にフィットしたものである必要がある。そうでなく、バタバタしてしまう衣服だと、風に煽られ、ヨット状態になってしまう)、気紛れな風に対抗する。
 エンジンの音は風と雨に掻き消され、シートから、さらにはグリップ(ハンドル)を握る手先や指先から細かな、決して止むことのない振動となって体に伝わる。音は、というよりバイクは振動だと終始、実感するのだ。
 さて、雨に祟られたりすると、煩(うるさ)いだけなのか。
 そんなことはないのである。
 ランナーズハイという言葉、それとも状態があるという。「マラソンやジョギングなどをしていて最初はしんどくて苦しいが、
走っているうちにだんだんと気分が良くなってくる現象」だという。そのメカニズムはともかく、小生、今でこそ走るのは苦手で、歩くのも面倒にさえなりつつあるが、これでも、小生、一昔前までは走るのが大好きだったのだ。特に長距離走が得手だった。青梅マラソンで30キロを完走したし、大学生の時は、大晦日にぶっつけ本番で20キロを走り、やや上位に入賞し、商品としてお酒を貰ったこともある。
 なのに、ああ、それなのに、今じゃ、三歩歩くのが散歩の極意だと開き直る始末である。むしろ、不始末というべきか。
 ランナーズハイを小生なりに味わったことがあるが、ライダーズハイもある。これも、数百キロの道のりを淡々と走る経験をしないと感じることは、まずないだろう。小生、何十回(あるいはそれ以上)経験したことか。
 雨に祟られる高速道路での長距離ランであっても、次第に悟りの境地ではないが、無念無想に近いような感覚、それとも、無感覚の感覚(論理矛盾風な表現で申し訳ない)を味わうことがあるのだ。
 冷たい雨や雪の中の走行だと、寒くて無念夢想どころか、残念無念に終始するに過ぎないが、あの日のように、歩く人には傘を差すのも躊躇うような細かい雨だと、寒くはあっても、耐え難いほどではなく、ライダーズハイの状態に移り行くには最適だったのである(今にして思えば、後から振り返って思えばの話である。雨を覚悟する時は、ああ、雨か、雨に濡れるのは嫌だなと、憂鬱になるばかりである)。
 高速道路の両脇には、特に山間の道の場合が多いのだが、緑の山々が延々と続いてくれる。晴れの日は、それはそれで緑色の天然の屏風は素晴らしい。
 が、雨に降られてみると、これまた落ち着き払った、若葉であるにも関わらず、深い緑の海の世界を現出してくれるのである。
 緑の海を分け入る。地上世界にあることを忘れ、青葉若葉の自在に多彩に変幻する緑の妙味をとことん味合わせてくれるのだ。
 悲しいかな、小生にはライダーズハイも、緑の海の見事さも描き切る技量はない。でも、いつかは風車に挑むドン・キホーテの如く、挑戦してみたいものである。


 ちなみに、我が拙作に「誰がために走るのか」という題名だけはロマンチックな、タイトルにおいて何処か借り物の雰囲気も滲む掌編がある。
 あるいは「涼子」という、雨中走行の感覚をメインに描いた小説もあったっけ。
黒 の 河」は、何年か前、やはり五月の連休の帰り、関越自動車道を走って帰京した。その際、合羽がなかったものだから、思いっきり雨に祟られ、とうとう東京の我が部屋にたどり着いた頃には、疲れ果て、体が寒気で震えだし、肺炎の一歩手前まで行ってしまって三日三晩、寝込んでしまったという苦い体験をベースにしている。

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コメント

長距離走ですか~私は体力が無くて出来ません(^_^;)
でもランナーズハイって何となく分かります。自転車でも、黙々と国道を一人で走ってると「苦しい」をふと、つき抜けてたりします。尤もそんな長距離走ってませんけどね。あはは。体力無いから~

投稿: ちゃり | 2005/05/11 00:18

ちゃりさん、こんちは。
小生も今じゃ、長距離も短距離もダメです。せいぜい散歩が関の山。その散歩も三歩であごが上がる。上がるだけじゃなく、「鶏は三歩歩けば忘れる」といった諺よろしく、何処から来て何処へ歩くのかも、つい忘れがち。
その代わり、歩いているだけで、ウオーキングハイの状態に入れるから、ありがたい?!


投稿: 弥一 | 2005/05/11 16:01

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