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2005/05/21

季語随筆日記拾遺…タクシー篇

 仕事柄というわけでもないが、ラジオは欠かせない車中の友である。出庫前の点検や準備、帰庫(会社の車庫に帰ること)後の日報の記入や私物などの後片付けの時間を含めると、21時間は車と過ごす。
 営業の時間に限っても、20時間はタクシーの中に居つづける。悲しいかな不況と小生自身の努力不足もあって、実車(お客さんに乗って戴いての走行)の時間は半分にさえ届かない。というより、20時間の営業時間のうち、半分が実車だったら、売り上げがトップなのは間違いないし、4割(つまり8時間)を越える程度でも、トップクラス圏内は確実である。
 逆に言うと、営業が好調な時でも、6割は空車(お客さんにあぶれている状態、つまり、空気を運んでいる状態)で走っているというわけである。実際には空車の時間には回送で休憩に入っていたりする時間もあるが、いずれにしても、一人で車内で過ごす時間が営業時間帯中でも12時間はある、というわけである。
 その12時間(休憩を2時間、確保するとして10時間)は、何処かでお客さんを待って待機する場合もあるし、この辺りかなと狙いを定めながら走らせていることもある。

 例えば今日の午前11時に営業を始めたら、終わるのは翌朝7時頃というわけだ。この20時間前後のほぼ終日営業を週に3回、行う。週に2回の時もある。徹夜明けでトボトボと帰って、家ではグロッキー状態で、ボヤーと過ごす。仕事中は、たとえお客さんが乗っていなくても神経を常に外に向けて尖らせているし、走行中なら油断は禁物なのは言うまでもない。
 目も耳も神経も、格好良く言えば研ぎ澄ました状態で居る。それだけに、オフとなると、ネクタイを緩めるか外す状態になるわけで、体力の乏しくなった小生など、もう、叩きのめされてリングのマットに沈み込んだボクサーである。起きる気力もない。ひたすら、ダラダラ、のんべんだらりと過ごすのである。人によっては元気があって、ボーリングへ行ったり、週末にはゴルフへ、あるいは野球をする、という人も居るようだが、ただただ、凄いなーと思うだけである。

 神経を使っている。お客さんが乗っていても、いなくても。
 そうはいっても、神経をピリピリさせてばかりだと、神経も体力も消耗するばかりである。
 そこはそれ、癒すとまではいかなくても、気持ちをリラックスさせる工夫はする。和ませる先は、香りに求めたり、ラジオ乃至はステレオから流れてくる音楽や、同僚とのお喋りだったり、車窓を流れ行く街の風景だったりする。夜景、特に月影を追う心情などは、幾度となく書いてきた。あるいは、風景の中には街中で見かける草花だったり、奇妙な看板だったり、擦れ違う素敵な人だったりする。眼福のタネは人それぞれである。

 小生は車中に一冊は本を持ち込む。これはほとんど精神安定剤のようなものだ。読めるとは限らないのだが、祭日の夜中など、お客さんにあぶれてしまって、何処かの場所で待機する時間が、気の遠くなるほど長くなることが、まま(というか、しばしば)あるから、音楽を聴くだけではなく、本(地図の時もある)を読んで無聊を託つしかなくなるからなのである。

 さて、例えば、昨日の営業での成果を幾つか。
 今週は車中に杉浦 日向子著『一日江戸人』(新潮文庫刊)を持ち込んでいる。杉浦 日向子さんというと、「NHK総合の『コメディー・お江戸でござる』を見ている人ならご存じの、江戸風俗研究家、杉浦日向子先生」である。
「なかなか天然ぼけでかわいらしいですよね」とあるが、素直に正直に、そうですね、と相槌を打っていいものか。
「過去には、漫画も描いていらっしゃいます」というが、どうやら、本書『一日江戸人』中の挿絵は、杉浦日向子さんご本人が描かれているようなのだ。
 ようなのだ、とは、無責任な表現だが、本を幾ら引っくり返しても、挿絵は誰と銘記していないので(銘記してある箇所を発見できないので)、杉浦日向子さん本人の手になるものと推測するしかないのだ。他の方の絵なら、分かりやすい場所に誰々と銘記するはずだろうし。
 で、文章も軽妙なタッチで、また、歴史の素人たる小生にも分かりやすいし、絵もコミカルで、時に艶っぽかったりして、しかも、絵に添えられる科白(ト書き?)も手書きで細かい文字で老眼の気のある小生には読みづらいが、なんとか頑張って読んで楽しんでいる。

 この本を読んでいたら、天麩羅の話が出てきた。江戸時代で天麩羅というと、徳川家康を連想する人も少なからずいるだろう。小生も、昔、聴いた俗説で、家康は天麩羅を食べてお腹をこわして死んだ、という話を真に受けていたことがあって、けれど、調べてみたら、間違いだったと分かり、ちぇ! と思ったことがあった(何故、ちぇ! だったのか、覚えていない)。
穴子の魚竹寿し」の「江戸食文化・天麩羅1」なる頁を覗いてみると、「天麩羅」についても詳しく書かれてある。
 徳川家康に事寄せて引用させてもらうと「徳川家康が「鯛」の「てんぷら」を食べて腹痛を起こし、死亡したという俗説が知られているが、もしほんとうに食べたとしたら、江戸中期以降に庶民たちに好まれた天麩羅ではなく、ポルトガル料理「てんぷらり」であったと推測される」というわけである。
 この点は、「ようこそ Heroの 《食べ物うんちく》 のページに」の「第四章 てんぷら ( 天麩羅 ) 考」では、「徳川家康がてんぷらが大好きで あまりにもおいしすぎたため 食べ過ぎて 命を落としたという俗説があるが 実際は 1616年 ( 元和2年 ) 4月 博多の貿易商人茶屋四郎次郎に教えられて 南蛮料理を食し 中毒をおこして 大腸カタルで落命した。鯛をカヤの油で揚げたから揚げだったのではないかともいわれている」とある。
 つまり、「天麩羅は 安土桃山時代に伝わった南蛮料理だといわれている。 語源は諸説あって ポルトガル語の中にある “テンペラ-ト”からきたとも 同じくポルトガル語のTempero(調理と言う意味)からきた説や スペイン語の “テンプロ”<Tempora> (寺の意)の転化した言葉とも 天麩羅阿希(あぶらあげ)の阿希(あげ)がとれたものともいわれている」わけで、テンプラはテンプラでも、天麩羅というより、南蛮料理であり、鯛か何かの調理された料理を食べて当たったという説があるわけである。
 尤も、もともと既に家康は胃癌が進行していたというから、何に当たってもおかしくはなかったのかもしれない。

 で、『一日江戸人』で知ったのは、「寿司、天ぷらは屋台が生み出したヒット商品」で、「婦女子はもちろん、硬派の殿方なども口にせぬ下司な食べ物」だったこと。「江戸の初期には油を使ったいろいろな料理を「天ぷら」と呼んでおり、その形態、調理法も種々ありましたが、中期、寛政以降になると「魚の衣揚げ」を「天ぷら」と呼ぶようになりました」というのである。
 このように屋台で広まった天ぷらで、「吉兵衛は天麩羅で名を挙げた店」なる川柳もあるとか(喜多村均庭の記録によると、寛政末(1800ころ)に日本橋の屋台店の吉兵衛が庶民向けの天麩羅を考案し、成功を収めたという)。

 本書には書いてなかったと思うが、「 「天麩羅」という名前を考案したのが戯作者で著名な山東京伝であるという説がある」という。その経緯(いきさつ)は、リンク先を覗いてみて欲しい。
 なんとなく怪しい気がする。「テンプラ」に近い表現が江戸初期からあったのだから、その言葉に漢字表記を当て嵌める知恵を貸したのが山東京伝辺りだったのかもしれない。
 この他、浮世風呂の話、相撲の話、春画のこと、大道芸のことなど、話題は尽きない。江戸の260年余りが現代に繋がる日本人の性向や文化を醸成したと思われ、江戸時代(について)の本を読むのが小生、大好きである。
 当然、食の話もたっぷり載っていて、江戸というと、豆腐と同様に庶民に身近だったのが大根だったとか。「明治初期に来日し、大森貝塚を発見したアメリカの生物学者エドワード・モースは「日本には大根の他、ロクな野菜はない」と言い切ってい」たとか。実に心外な話だ!
 この大根、外来の野菜で鎌倉時代には既にあったとか。室町時代などに品種改良が進められ、元禄の頃にほぼ完成したらしい。外来品種だった大根を育て上げたがゆえ、大根を欧米では「Japanese Radish」と呼ばれるのだという。この点は、欧米へ行ったことのない小生、確認が取れないが、日向子さんが言うのなら、信じちゃう!

 さて、昨日もラジオでいろいろ聴いた。
 ラジオでは音楽をたっぷりと聴いている。クラシックもロックも演歌もガムラン(インドネシアの楽器)の曲も。で、昨日はある歌手の歌に感銘を受けた。前は 安田一葉 という芸名(というかデビュー当時の名前は本名だった!)で、今は「一葉」となっている方。スタンダードナンバーを何曲か歌っていたが、しっかり自分の世界に消化している。「喝采」などの歌手「ちあきなおみ」の持ち歌をあそこまで歌いこんでくれるとは、と感激。

 19日の夜半、季語随筆を綴る時間になってきた。さて、今日は何にするか、いつもながら頭を悩ます。ネットで俳句に関係するサイトを巡っていたら、「句日記」のタイトルに「鉄線花」(2005/5/18)とされているブログサイトがあった。「熊谷草(くまがいそう)」も、小生には初耳だったが、「鉄線花」も??? 
 ネットでさんざん、調べ上げ、さて、書こうかなと思っていたが、18日だったかに脳裏を何故か過っていた「病葉(わくらば)」のことをとりあえず、書ききっておかないとすっきりしないと感じ、改めて「病葉」の周辺をネットで調べつつ、「病葉(わくらば)…邂逅」を書き上げた。
 と、思ってたら、20日の営業中、ラジオを聴いていたら、普段は聞かないチャンネルで太田裕美が案内役を務める番組に遭遇。何気なく聴いていたら、「鉄線花」の話題が彼女の口から出てくるではないか!「クレマチスとも言うせっかく咲いた鉄線が、ナメクジに食べられた」と言った他愛のない話だったが、話の内容より、前夜、初めて知った鉄線の話題が十数時間も経過しないうちにラジオで耳にする、その奇遇に驚いた。
 と、まあ、意味のない、一層他愛もない話である。

 ラジオでは、スーダンの話も聞きかじった。長らく内乱が続いてきて、一説には内乱で二百万人もが犠牲になったというスーダン。戦いが泥沼化したのは、国内に相対立する二つの勢力があったことも大きいが、やはり欧米などの介入の影響が大きい。コンゴ、リベリア、ソマリアなどと同様、国内に資源が豊かなのだ。そのことが禍して、争いが複雑化し泥沼化したわけである。
 詳しくは、ブログサイトで、「スーダン・ダルフール州の民族浄化」が充実している。
 この中では停戦交渉が続いているとなっているが、昨日のラジオでこの問題が採り上げられたのは、停戦が成ったからのようだった。
 ネットでは「李肇星外相、スーダン南北和平プロセスへの支持を表明」とか、「スーダンPKOは必要か 自衛隊の参加に疑問符(東京新聞)」などの記事が見つかる。この記事の末尾にスーダンについての紹介が簡潔な形で示されている。「面積は日本の約7倍でアフリカ最大。人口は3700万人。言語は主要なものだけで30を数える。1956年の独立後も政府転覆、内戦が繰り返されてきたが、ことし1月、二つの内戦のうち、南部紛争の内戦が終結した。現状は貧しいが、2005年末には日量50万バレルの生産が見込まれている原油をはじめ、鉄、銅、金など鉱物資源は豊富。肥よくな大地も広がっており、かつては「アフリカのパンかご」とも呼ばれた」という。
 文中、「ことし1月」とは、もちろん、2005年の1月のことである。
 スーダンについてのより詳細な情報は、「スーダン・レポートINDEX」を覗いてみて欲しい。

 他にも、昨夜はラジオでインドネシアの民族楽器ガムラン音楽の話も聴くことが出来た。今やアジアのみならず世界の楽器になりつつある…けれど、日本では未だにマイナー。ということでラジオでの紹介となったのか。
 昨日、出演された方が演奏する楽器は弦が121本あったという話だったようだが(不正確)、その本数の多さにインタビューするアナウンサーの方も驚かれていた。

 ラジオで昨日、聞いた話題は尽きない。他にも目ぼしいところでは、ゲンジボタルの話題を聞くことができた。ええ? もう、蛍の話題の季節なの、早すぎるんじゃないのと一瞬、思ったが、考えてみたら、もう六月が迫っている。四捨五入したら今年は終わりじゃないか!(ちょっと計算方法がおかしいか)。
 この話も、仕事中ということもあり(仮にリッスン・トゥーしても、98%は聞き漏らすのだが)、どんな話だったか忘れた。
 ただ、話し手は熊本の方のようで、熊本にはゲンジボタルが多い。それは、山が多く清流に恵まれているからとか、水が素晴らしいので熊本では上水道に使われているとか。ゲンジボタルは日本だけに生息する蛍だ、などと伺った(ような気がする)。
「点滅の間隔は同じゲンジボタルでもちがっていて、東日本では4秒に1回、西日本では2秒に1回、東西の境界あたりでは3秒に1回光ることが知られている」なんて話もされていた。やはり、フォッサマグナを境に点滅の間隔は
違ってくるようである。

 と、念のため、ネットで調べてみたら、「だいたい熊本県内のホタルが見られる時期は、4月末から5月迄ですが」だって。なんだ、とっくにその季節に入っているんじゃないか。ただ、「阿蘇地域ですと見頃はだいたい6月10日前後からになるそう」だとか。
 蛍を見る「時間帯はだいたい19時30分から約1時間半ほど」だという。昨日の話でも伺ったが、蛍は光に敏感なので、懐中電灯を持参しても、それは自分の足元を照らすために下向きに照らして欲しい、なんて話もあったっけ。
 
 ついでなので触れておくと、「蛍(源氏蛍、平家蛍、初蛍、蛍火・蛍合戦)蛍狩・(螢見、螢舟) ・螢籠」と、蛍関連の言葉は夏の季語、どちらかというと六月の季語例扱いのようである。
 但し、当然の話のようだが、「秋の蛍・秋蛍・残る蛍・病蛍」となると、秋の季語扱いのようだが。

 このようにして、ラジオで数知れない話を一晩のうちに聞きかじる。まさに、齧るだけで、一向に身に付かないのだが、それでも、折々には、どれかしらの話題をネット検索や本を通じて掘り下げようと試みるわけである。
 他にもラジオということではないが、お客さんを乗せたタクシーで向かった先の地名や看板や神社や名跡などをインプットしておいて、後で帰宅したら調べようかなと思うことが多い。
 が、大概は帰宅すると疲れきってしまって、何を調べようと思ったかさえ、思い出さないことが多いのである。悲しい現実だが、慣れっこの現実でもある。


[(注)以下は愚痴なのか呟きなのか。敢えて読みやすさという配慮的措置を施しておりません:
 ホームページの掲示板に、ETV特集「タクシードライバーの長い夜」を放映するという案内(?)があった。小生自身タクシードライバーであり、今朝(そろそろ昨日の朝になる…)まで働いてきたのだった。仕事が明けた日は、寝たり起きたりのダラダラした時間が、漫然と流れていく。今日も、そうだった。帰宅して神経の昂ぶりの鎮まるのを待ち、ネット仲間のサイトを見て回り、日によって違うが8時半過ぎに就寝する。というか、目を閉じる。睡魔が来過ぎて通り越してしまうほどなのだが、それでも眠れない。で、本を手に取る。すると、頭が拒否反応を起こす。活字を読むなどとんでもないというのだ。気が付いたら、それでも寝入っている。が、ほんの二時間、うまくいって三時間ほどで目が覚める。カーテンは閉めているとはいえ、なんといっても、日中だし、近所では下手なピアノの練習からの雑音・騒音。尿意もあって、起きるが、当然、眠気が去ったわけじゃない。とにかく睡眠とか生活リズムが滅茶苦茶なので、もう一度、ベッドに潜り込むか、それとも、耐え難い睡魔の襲来まで起きているか、判断が付かない。とにかく起きて、本を読んだり、洗濯したり、パソコンに向かったり、テレビを見たり…、そういえば前日の朝以来、食事をまるで摂っていないのだったと気づく。が、指がキーボードを叩き始めている。ならば、ということで、季語随筆を得心の行くまで書き切る。様々な疑問が湧き、ネット検索などで調べる。それなりに参照していい感触のあるサイトを見つけ出すまでが大変。一つの用語や事象について裏書するサイトをヒットするまで数十のサイトを読み漁っていく。一つの季語随筆を書き終えるのに十個の確認事項がったら、巡るサイトは百では済まない(しかも、大概が無断転載不可だという。転載不可? 引用もダメ? じゃ、なんのためにネットで公開しているのか。仕方なく不体裁とは感じつつも、断片のみ引用し、当然ながら参照元へのリンクを貼り付ける)。書き終えたらアップさせ、ついで戴いたコメントに返事を書く。コメントを貰うことが励ましなのだ。ちゃんと返事したい。でも、碌に近所付き合いも仲間との交際もできない小生、不器用な返事に我ながら愕然と来たりするが、ま、何を今更、である。書き終えたら、テレビを見ながら食事…のはずだったが、眠気で撃沈である。ベッドに潜り込む。気が付いたら暮れなずむ刻限となっていた。干した毛布を取り込み、仕事で使ったワイシャツをクリーニング店へ。ついでに買い物。いつもは素通りする野菜売り場で立ち尽くす。目の先に素敵な女性が居たので、目が点。女性は行き過ぎ、しばし呆然としていると、そのうち眼下の野菜に目が向く。(あ、今、日付が変わった。)野菜パック。そうだ、今夜はヤキソバにしようと思い立った。生麺のソバと野菜パック、豚肉、その他を買い込み、いそいそと帰宅。いつもは夕食(夜食)は九時過ぎなのだが、今日は帰宅してからの食事が未だなので、テレビを見ながらヤキソバを作り、一人前半分の量のヤキソバを平らげ、イカの総菜を食べ、お菓子まで食べた。二日分の食事を纏めて食べている感じだ。もう、体は疲労困憊。そりゃそうだ、碌に寝ていないのだし。さて、寝入ろうかなと思ったが、頭のかゆみが耐え難い。なので、シャワーを浴びる。すると、ちょっとだけ元気に。で、掲示板に戴いた情報に従い、「タクシードライバーの長い夜」を最初から最後まで見た。身に抓まされるされる話である。平均年収が示されていたが、小生はそれ以下だった。ショック? とっくに知っているから、これも何を今更なのである。タクシーの規制緩和。これは、タクシーを頻繁に利用する関係者にはメリットがある。そして、彼ら使用者だけに恩恵がある。すぐにタクシーが掴まるし、料金も値下げになっている。この上ない規制緩和の効果だと、ほくそえんでいるのだろう。が、タクシードライバーは神経をすり減らし生活を困窮に追い詰められていくばかりである。何もいいことがない。小生も、一切の娯楽はご法度だし、本も既に400日以上、買ったことがない。買えないのだ。数年前は週末にプールに通っていたなんて、嘘のような話だ。本代に二万円以上、毎月使っていたなんて、夢のようだ。とにかく、タクシーの仕事が終わったその日は、疲れきった体で何をする気力もない。疲労困憊。翌日が仕事だと、夜半を過ぎたら、仕事を意識して、二時過ぎには寝入る。少なくとも就寝する。とにかくほんの少しでも体に滓のように溜まった疲れを、残り僅かと成った歯磨き粉のチューブを絞るようにして搾り出す。週末の、休みの夜は、ひたすら疲労物質の固化した塊を抉り出すようにするだけで、一晩が終わり、日曜日もゴロゴロして、僅かでもいいから起き上がる気力の戻るのを期待する。期待だけに終わることが多いけれど、絶対安静第一なのだ。何も出来ない日々が続くのだ。心身ともに消耗している感じは、普通のエッセイでは書けない。やはり、虚構作品の形をとらないと、書ききれないようだ。けれど、そのためには体力・気力が要る。いつか体が快復したら、と思うけれど、終わりのないトンネルに出口が見えそうな感じがまるでない。以下、ダラダラと繰り言が続くのである。これが小生のような出来の悪いタクシードライバーの長い夜と昼の、自宅での一断面である。]

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コメント

こんにちは。本当は別サイトの方が向いているコメントですが、「20時間の営業時間」が気になりました。実車時間が短いのは当然として、長時間の業務が許可されているのが実は意外で。

私の近所の一、二台の小さなタクシー会社は、二交代制を取っています。つまり昼と夜です。この場合、拘束時間は、12時間プラスですね。

トラックの場合やバスの場合は、運行規制が厳しいですね。タクシーの場合はこれが許可されていると言うのが驚きです。これで事故が多発していないというのも凄いなと感じました。

投稿: pfaelzerwein | 2005/05/25 00:11

pfaelzerwein さん、久しぶり。
勤務形態は、12時間勤務を月に23回とか、20時間を月に11回半とか、数種類あります。
小生は通勤時間が惜しいので、20時間勤務は厳しいけれど、20時間(11回半)の勤務形態を選んでいるのです。
タクシーも運行規制は非常に厳しく(勤務時間以外に、健康状態の確認、お客様からの苦情の有無などにも)、規則を破ると官憲の立ち入り調査になります。

投稿: 弥一 | 2005/05/25 03:05

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