沈黙の春
有名に過ぎて、なかなか読めない本があるものだ。その本や本の著者についての話、あるいは関連する話題をさんざん聞かされたり読まされたりして、もう、分かってしまったような気になる本、書き手。
その筆頭に挙げられる本の一つが、レイチェル・カーソン著『沈黙の春』なのではなかろうか。小生には、少なくとも長らくそうだった。環境問題に関心がないわけではなく、殊更、彼女に事寄せてということでなくても、環境問題関連の本は少しは読んできた。
当然、高校時代には既にこの本や著者の存在は既知のものとなって久しかった。久しいような気がしていた。著者が亡くなって(小生が十歳の時に亡くなられていた)僅か数年にして、『沈黙の春』は伝説の書となり、内容は少しは本を読むものなら誰でも(大袈裟とは思うが、それほどに)とっくのとうに読み終えていて当たり前の本となっていた。
けれど、何かエキセントリックな感じを著者や著書に意味もなく抱いていて、それはまさしく環境問題を事挙げする人々への反発する斜に構えた知識人に共通する偏見に過ぎないのだが、悲しいから小生もその陥穽にはまり込んでいた。
小生が環境問題に関心を持ったのは、他でも書いたが、我が富山についてはイタイイタイ病、新潟や熊本の水俣病、四日市公害ぜんそく問題などがまさに裁判での判決が続々と出つつある時代に思春期を迎えていたからだった。
折りしも1970年には所謂、公害国会が世情を騒がせていた。富山にあっても、テレビや新聞で公害問題が採り上げられない日はなかったような。
が、小生は根が単純なもので、公害や環境問題から一気に人間や自然の根源への関心に移り、ついには存在自体への疑問や、在ること自体の驚異の念に突っ走ってしまった。哲学少年になってしまったのである。
それでも、故・田尻宗昭著の『四日市・死の海 と闘う』(1972年4月20日岩波新書刊)などは大学入学直後に出た本でもあり、大学の生協の店頭に並んだ直後に購入し読んだ記憶がある。
が、環境というと、現実の生々しい公害問題よりも、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル著の『生物から見た世界』(日高 敏隆, 野田 保之訳、新思索社刊)のほうがビビッドに感じられるという風だったのである(本書については、例によって松岡正剛の千夜千冊を参照)。
今更、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』なんて、中途半端に感じられて、読む前からうんざりしてしまう、書店でたまに見かけても、今更、読めないな、という感じだった…。
食わず嫌いってのはあるが、読まず嫌いってのも、あったのである。まさに『沈黙の春』は、沈黙の海に沈みこんで、久しく振り返ってみることもなかったのである。
『沈黙の春』については、機会を設けてセンス・オブ・ワンダーの念と絡め、改めて採り上げることにして、ここでは、以下で紹介するリンダ・リア著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』の翻訳をされた、レイチェル・カーソン日本協会理事長でもある上遠 恵子氏によりレイチェル・カーソン『沈黙の春』を紹介してもらおう:
環境の破壊と荒廃にブレーキをかける書
レイチェル・カーソン『沈黙の春』 上遠恵子(新潮社の「波」より)。
先週からリンダ・リア (Linda Lear)著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(上遠 恵子訳、2002/08東京書籍刊)を読んでいる。
レビューには、「「センス・オブ・ワンダー」のやわらかな感性と「沈黙の春」の使命感は、どう育まれ、世に実現されたのか。200人以上への調査から浮き彫りになる真実の姿。10年にわたる調査を元に生き生きと描く決定版伝記」とある。
レイチェル(1907-1964)は、名前のわりには本人の著作は少ない。「Topaz Garden」の「レイチェル・カーソン」を覗いても、4冊がリストアップされているだけ。しかも、そのうちの一冊、有名な「「センス・オブ・ワンダー」 上遠恵子訳 (新潮社) 」は遺稿集のようなもの。
彼女についての本は、数知れずあるようだ。
伝記に限っても、「レイチェル・カーソン」ジンジャー・ワズワース著、上遠恵子訳(偕成社) などがある。これは、「小学校高学年くらいを対象に書かれた本で、内容がとてもコンパクトにまとまっていて分かりやすく、あっという間に読み終えました」というもの。
その点、本書『レイチェル』は、本文だけでも細かな活字で700頁の大部の本。
他に伝記では、ポール・ブルックス著『レイチェル・カーソン』(上遠 恵子訳、1992/06新潮社刊)があるようだ。
翻訳を担当されている上遠恵子さんは、「Amazon.co.jp: レビュー 本 レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯」によると、「東京都出身。東京薬科大学卒業。大学研究室勤務。現在、レイチェル・カーソン日本協会(NPO)理事長、エッセイスト。1970年『サイレントスプリングのゆくえ』(同文書院)を共訳した際、レイチェル・カーソンの生き方に触発される。長編記録映画「センス・オブ・ワンダー」(制作=グループ現代)に朗読者として出演」とある。
レイチェルの著作のうち、「「海辺~生命のふるさと」 上遠恵子訳(平凡社) 」、「「潮風の下で」 上遠恵子訳(宝島社文庫) 」「「センス・オブ・ワンダー」 上遠恵子訳 (新潮社)」などを訳されている。
そんな彼女だからこそ、『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』の翻訳者ともなったのだろう。
ところで、「潮風の下で」は、「海洋生物学者であるカーソンさんのデビュー作で、海に暮らす生き物の姿を綴った物語」なのだが、専門家筋の評判はかなりのものだったのだが、売れ行きは悲惨なものだったという。ついには売れ残った本をレイチェル自身が買い取り、プレゼントなどに使ったとか。彼女に著作家としての道を断念させた。雑誌などのライターが現実的なのだとレイチェルに認識させたという苦いエピソードのある本でもある。
ところで、小生は先週前半、車中で黒田 玲子著『科学を育む』(中公新書刊)を読んでいた。
これは、レビューによると、「人類の歴史の上で、二〇世紀ほど科学が急速に発達し、その多様な成果が私たちの生活に浸透した時代はなかった。今日、私たちはさまざまなその恩恵に浴しているが、一方で、過去数十年の科学技術の進歩はあまりにも早く、人間社会との間にさまざまな軋轢を生じてきてもいる。本書は、科学を、その特質と育む土壌、社会との関わりなど多様な角度から論じながら、二一世紀の科学のゆくえを考察するものである」というもの。
本書の中で、様々な問題提起をされている中、細分化されブラックボックス化された科学技術という現代にあって、しかも、たとえば、医療現場でも治療方針の判断と決定が自己責任の形で本人に求められていくなどの厳しい現実がある中、「幅広い分野で求められる科学研究の経験者――科学のインタープリター」が必要だと、強調されている。
科学のインタープリターとは、「専門用語の単なる直訳者ではなく、問題を指摘し、進むべき方向を示唆する、科学と実生活の橋渡しをする解説・評論者である」という。インタープリターには科学者がふだん忘れがちな社会への波及効果、倫理的問題、他の科学技術や学問分野との連繋の可能性なども鋭く指摘してほしい」し、「一般の人の科学に対する素朴な疑問の中からインタープリターが斬新な考えを吸い上げ、科学者に伝えることで、科学者が思いもよらぬ発想転換のヒントを得られるかもしれない」という。
「科学のインタープリターには、研究現場の経験のある人の活躍が期待される。研究とはどんなものか、ひとつの成果を出すのに、どれだけの努力や試行錯誤、失敗があるか、実験誤差とはどんなものか、結論として白黒をいいきれないことがあることなどを、経験したうえで、咀嚼して市民に伝えていただきたい」とも、黒田氏は書いている。
レイチェル・カーソンは、まさに、その一人ではないか。しかも、その範となった人ではないか。
レイチェルは、感性豊かな人で、早くから物語に親しみ、自然に親しみ、しかも、自然を観察するという形で自然への愛情を示す人だった。文才は早くから周囲に認められ、いずれは文学の道にと期待されていた…本人もそのつもりだった。が、次第に生き物に接すること、観察し分析し資料を集め読み込み、持ち前の感性と表現力で論文に仕立てる方が性分に合っていることに気づく。文学表現より、生物学者としての科学的観察や分析の道を我が道として選んだのである。
時代は彼女にとって微妙だった。男性があらゆる社会で専横している中にあって、学問の世界も同じだったが、それでも、徐々に女性に進出が目立ち始めてもいた。経済的な困窮を奨学金やアルバイトで補って、理解者も少しは得られ、それなりに研究者として自立しえるかに見えたときもあったが、やはり女性という事で偏見と闘う必要があった。成功しつつあるかのような時期もあったが、ちょうどそんな時、1929年の世界大不況の嵐に見舞われて、就職口も研究者としての働き口も閉ざされてしまったりもした。
彼女が研究者として成功への道を塞がれた理由の一つにパールハーバーがある。つまり、日本軍による真珠湾攻撃である。太平洋戦争が始まったのだ。
となると、生物研究のような、平時ならともかく、戦時には悠長すぎる研究(機関、部署)は次第に研究所(部署)の閉鎖や立ち退き、縮小を迫られる。戦争そのものは数年で終わったけれど、戦争が終わったら終わったで、戦地から帰国する兵士たちの就職が男社会にあっては優先され、研究者であっても、やはり道は狭く険しかったのである。
それでも、彼女は次第に文才を発揮する。方々の政府の研究機関などで広報的な文章を書く機会に恵まれるのである。それは、多くの科学者が味気ない論文を書く中にあって、彼女には多くの人に感銘を与えられるような表現力豊かな文章を書ける才能が発揮されたからである。
文学プロパーではなく、まさに研究者として専門家でなければ得られない情報・論文を収拾し読み込み分析し、現地での観察や研究者への直接の問い合わせなども試み、詩情豊かでありつつ科学的裏づけはキッチリ取れている文章を彼女は書くようになった。そんな文章を書くことを周囲は期待するようになったのである。
ある意味、回り道をしたけれど、彼女なりの文学の世界が科学的観察という武器を研ぎ澄まされた形で花開いたというわけである。
そうして彼女は、専門家でなければ警鐘を鳴らしえない問題に直面していく。それが環境問題であり、DDTの問題なのだった。一番の問題は彼女には放射能の問題だったようだ。
さてしかし、ある意味、彼女の中の一番、肝心な点には触れていない。彼女ならではの感覚、センスという言い方しかできないもの、それが、「センス・オブ・ワンダー」なのであり、それこそが彼女を彼女たらしめているのだ。
この点については、機会があったら触れてみたい。
とりあえずは、「レイチェル・カーソン」の中の「「センス・オブ・ワンダー」 上遠恵子訳 (新潮社) 」の項の中から、「ふと見上げた空の色、庭の草木、土の中の生き物・・・そういった身近な自然の営みや美しさを不思議と感じ、目をみはる感性の大切さをこの本は教えてくれます。世界には本当にワクワクする不思議がいっぱい・・・。そして自然に対する畏敬の念を、いつまでも失わないでいたい・・・・と、強く思います」という点を引用するに留めておく。
尚、レイチェルについては、レイチェル・カーソン日本協会なるサイトの他に、「POP MUSIC」の中の、「素晴らしき探求者たち」という項にある「世界を変えた海を愛する詩人 レイチェル・カーソン」という頁がとても参考になる。
さすがに700頁の本は、いくら興味深いとはいえ、ちょっと手が出ないという方は、せめて上掲のサイトの頁だけは覗いてみて欲しい。
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コメント
『沈黙の春』との出会いは、教科書。
小学校の5年か6年の国語だったと思います。
内容は、こわ~いものでしたけど、
そのとき既に多感だった少女の私は、
人間=傲慢で、汚くて、自然界の邪魔者
だと思っていたので、
「あぁ、そうね。」って、
簡単に思ったような気がしますね。
考えてみると、結構難しいことやってたなぁ。
今の教科書見ると、愕然としますよ。
あ、でも、教科書では、確か1部しか載ってなかったはずです。
一度は完全に読んでおくべきでしょうねぇ。
うぅ。でもなぁ・・・。
投稿: Amice | 2005/05/23 09:16
Amiceさん、「小学校の5年か6年の国語だったと思います」って、小学校の時の教科書の内容を覚えているなんて、びっくり。小生は何一つ、思い出せない。ま、小生の場合、出来が悪すぎて、お袋がしばしば学校に呼びつけられ、お宅のお子さんは、意欲の感じられないお子さんですと、説諭されたとか。でも、小生はそれも十数年してから聞かされた次第。
小生が公害問題を知ったのは、小学校だったかの時、読んだ漫画の本で。『少年マガジン』だったか『少年サンデー』だったか(小生は当時、刊行されている漫画の本は全て読んだ。買ったり、借りたり、回し読み、そして貸し本屋の利用)。といっても、日本の奇病というテーマだった。昔の漫画週刊誌には毎週、特集が組まれていて、戦争モノが多かったけど、その日本の奇病というテーマは興味深く、その特集で水俣病やイタイイタイ病などの存在を知った。
今の教科書、読んでみたいな。図書館にあるかな。
レイチェルの文章、表現力たっぷりですよ。
投稿: 弥一 | 2005/05/24 12:06
私も小学校の時の教科書の内容は一部しか覚えていないわ^^;
「一つだけの花」「赤い手袋」「かわいそうなゾウ」
このくらい・・・あとは挿し絵を覚えているくらい。
恥ずかしいわ~
『有名に過ぎて、なかなか読めない本』ってありますよね。
絶対読んでないものをまず手にとってみる・・・
私の悪いところなのかもしれません。
十数年前からは娘達が読んで面白かったよ、という本を読むようになり
今は主人が今までに読んだものを教えてもらって読んでいます。
後は手当たり次第・・・って感じの内容になってきました。
ここ1・2年は日本の歴史物や妖怪物の方向に
偏ってしまっている傾向にあります。
以前は一ヶ月の本代がそうとうな金額だったのですが
今はなかなか買うことがないですね。
もっぱら図書館通いです。
なので新刊書は殆ど読めてないし・・・悲しい現実です。
投稿: マコロン | 2005/05/24 14:20
マコロンさん、小生、ますます落ち込んでしまう。小学校の時の教科書の内容、まるで覚えていないのです。挿絵くらいは印象に残っていていいはずなのに(絵や漫画は好きだったはずだから)。
読書の傾向というのは、年齢でも、その都度の関心でもドンドン変わって行きますね。小生、最近は図書館を利用しているので、値段を気にせずに済むから、幅広い分野の本にも手が出せるのだと思う。でも、物語的な本まで手が回らない。週日は仕事で、自宅より車中での読書の時間のほうが長いかも。
図書館は新刊があるんでしょうけど、大概は借りられているから、その点はちょっと難がある…。その代わり、書棚を物色していると、こんな本もあったのかという発見があり、それはそれで楽しい。
手元には借り出してきた読みきれないほどの本の山。いつになったら読めるのかなーと、嬉しい悲鳴を上げつつ、牛歩で読み進めています。
投稿: 弥一 | 2005/05/24 19:25
こんばんは
発展途上国と既に発展した先進国の、間でも、摩擦がおき、彼ら発展途上国に、環境を考えてと言っても、豊かになった国が、富を享受できて、後進国の発展を阻害するような物言いに終始している感もあり、また、超大国のエネルギー問題なども、自国の利益の為に政治の取引となり、何でも、政治が絡むと話がややこしくなりますね。
これは「沈黙の春」のことではありません
私の記事もややこしいですね(^^ゞ
最近読んだ本では、「ファーストフードが、世界を食い尽くす」です。
BSEでしたっけ、この怖ろしい病気が牛に蔓延し、ハンバーガーの大手がどういう手段で、製品を作っているか、汚染された肉は(この場合の汚染は、BSEではなく、大腸菌などです)どこに一番卸されるか、とても興味深く読みました。
マク○ナル○に代表される大手のハンバーガーショップの、成り立ちなども面白く読みました。
この本を読んでから、ハンバーガーを買うのを考えるようになりました。
でも、発作的に、食べたくなるので、困ります。
投稿: 蓮華草 | 2005/05/25 21:35
蓮華草さん、コメント、ありがとう。
何事も利害が絡むから話がややこしくなる。
今、郵政の民営化法案が出ているけど、小生、未だに目的(メリット)が分からない。民営化に反対する人たちは、利害得失で反対しているのかどうか。
ただ、民営化して国鉄がJRになって利益優先、採算性重視になったように、郵政も民営化したら合理的になるとは思うけど、コンビニと同じで、店員の方(窓口の人)とは他人行儀一辺倒にはなるだろうな。そのほうが商売上、都合がいいのだろうとは思うけど、さて、民営化問題、どう考えたらいいのか、未だに自分の考えが持てない。
あれ、ちょっと話が違うね。小生の話の方がよほど、ややこしい。
ファストフードについては以前、エッセイに書いたことがる。一部の外国産のペットフードのことも書きたいけど、信頼できる情報源が見つからなくて書けないでいる。
マク○×▲ドの店。小生は我が生涯で店に入ったのは一度きりだと思う。上京して間もない頃だったかな。ハンバーガーは嫌いじゃないし、誰かが呉れるなら、小生、遠慮せずに喜んで食べます。実際、誰かが買ってきたハンバーガーは美味しくいただきました。アメリカが海外に売る栄養満点、脂肪たっぷりの食品などは目を瞑って食べます。別に自分があと百年も生きるわけじゃないし。アメリカ産の牛肉が(危険だと証明できないから安全だという説明で)輸入許可になりそうだけど、そのときには、牛丼屋さんに喜び勇んで脚を運ぶでしょう。
ただ、子供が居たなら、子供には食べさせたくない。そんな無責任なことはしたくない。
ああ、話がもっとややこしくなった。
投稿: 弥一 | 2005/05/26 17:40
TBありがとうございます。
この本を読んだ時の正直な感想は
40年以上たったいまでも
僕らは同じような問題を同じように抱えているのだということでした。
これは、僕にとって相当なショックだったのです。
投稿: fuRu | 2005/07/24 22:11
書き忘れました。
スパム対策でコメントが書き込めないように設定していました。
書き込めるように変更していますのでコメントをいただけると幸いです。
投稿: fuRu | 2005/07/24 22:14
fuRuさん、こんにちは。
いきなりのTBで驚かれたかな。
でも、一昨日だったか、ネット検索していたら、貴サイトをヒットしたので、思わず。
それにしても同じような問題を抱えている。しかも、より複雑で解きほぐし難い形の問題へと姿を変えている。
アスベスト問題も、もっともっと深刻化しそうです。食品の添加物や、そもそも食品を作る土壌自体が、荒れているとか。
一般消費者は、どんな風土で食品が作られているか知らされていない。実態は覆い隠されたまま、パッケージと宣伝だけは華やかに洗練されていく。
歴史は繰り返す、ただし、装いを変えて、ですね。
投稿: やいっち | 2005/07/25 04:49