夏の蜘蛛
表題を「夏の蜘蛛」としたが、「蜘蛛」?!…「夏の雲」への転換ミスじゃないのと思われる方がいるかもしれない。
あるいは、季語に詳しい方なら、ちょっとした違和感を抱かれるかもしれない。
「蜘蛛」というのは、「女郎蜘蛛 蜘蛛の子 毒蜘蛛 袋蜘蛛」といった類語を持ち、「四対の脚があり多くは尻から粘り気のある糸を出して巣を作る」とか、「蠅虎」乃至は「蠅取蜘蛛(はえとりぐも)」というのがいて、「蠅ほどの大きさで軽快に室内を走り、虫を捕食する」のだなどという知識が脳裏を過(よぎ)っていたりするのかもしれない(以上、「俳句歳時記の部屋」の「夏の季語(動・植物-種類順)」という頁を参照させてもらいました)。
そう、そもそも「蜘蛛」は、それだけで夏の季語なのだ、それを殊更、「夏の蜘蛛」と表記するなんて、表題で季重ねをするなんて、論外だ…、というわけである。
実は前夜の季語随筆で「家事などに追われていたし、スクーターでの往復千キロ近くの高速ツーリングの疲労が田舎で出ていて、ダウン気味だった。連休の中日に風邪を引いたが、どうやら、ツーリングの疲労が抵抗力の減退を招き、風邪という症状となって現れたようだ」などと書いたが、前言を訂正する必要があるかも、などと感じているのである。
確かに、スクーターでのロングツーリングは、疲れる。特に帰京時のように雨が降っていたり風が吹いていたりすると、体力不足もあり、覿面に堪えている。昨夜は帰宅してからも、夜半からも(ついさっきまで)寝てばかりだが、本格的な疲労は一日ずれて現れてくるのだろうと覚悟している。
さて、前言を翻すかも、というのは、風邪の症状の原因は、別のところに求めるべきかと考え始めていることにある。
実は、掃除した翌日、姉も小生も風邪を引いてしまった。姉は嫁ぎ先の家で、小生は生家で。
郷里で姉の進言もあり、母のベッドの毛布や一部の衣類、炬燵の上掛けや敷布、カーペットなどを洗濯したり、掃除をしたのだが、それでは、ついでに、小生が帰郷の際に居住する部屋の蒲団や毛布、絨毯、部屋をも、ついでに洗濯・掃除しようということになった(これも、姉の意見)。
それはいいが、小生が田舎で仮住まいする部屋は、小生がそもそも掃除などしないし、父母も忙しかったり、体の不都合などで掃除ができないでいるうちに、前回、掃除などをしてから数年(下手すると十年かも)を経過してしまった。
なので、堆積した埃の凄まじさは、想像するのも憚られるほど、だったのである。部屋の掃除は、姉がやってくれた。小生はその間、蒲団や毛布の運び出しをしていた。
濛々と舞い上がる埃を専ら吸う羽目になったのは姉だったというわけで、姉はたっぷり吸う事になり、喉をやられてしまったようなのである。姉はとうとう、声が全く出なくなり、病院に駆け込むことになった。
小生は、少々の埃を吸ったこともあるが、どうやら翌日、部屋で居眠りしている間に体を冷やしてしまったことが、主な要因だったのかもしれない。
さて、原因はともかく、小生、薬を飲むのも、病院へ行くのも嫌いなので(怖いので)部屋で寝込んで回復をひたすら待った次第。
まあ、想像に過ぎず、風邪の本当の原因は他にあったのかもしれない。姉の家では一家で風邪の菌の持ち回りをしてしまったというし、その余波があったのかもしれないし。
こんな瑣事があって、埃から、つい、昨年の蜘蛛の出現のことを連想してしまった。女郎蜘蛛ならともかく、ただの無粋な蜘蛛の話で恐縮なのだが。
それにしても、蜘蛛はどこで越冬していたものか。あの気色の悪い蜘蛛が爽快さを含意するかのような夏の季語とは、なんとなく釈然としないのだが、しかし、暖かくなると蠢きだす生き物の一つではあるのだ。
以前、藤沢周平の蜘蛛嫌いを示すエッセイを紹介したことがあるが、小生とて蜘蛛は嫌いだが、彼ほどではないようである。少なくとも、見つけたからといって、殺したりはしない。どうぞ、早く、我輩の目の届かないところに消えてくれと願うばかりである。
先に進む前に、蜘蛛という語の織り込まれた句はないかとネット検索したら、「思想の牢獄=俳句」にて、下記の句が見つかった:
性悲し夜更けの蜘蛛を殺しけり しづ子
この作者の一連の句の味わいもいいが、「思想の牢獄=俳句」というサイトも読み応えがありそうなので、後日、読み直して見たい。この句(作者)の発見があったことで、本日の季語随筆を綴った甲斐があったというものだ。
でも、今は、もう、寝る。今日は仕事だ。
「我が友は蜘蛛!」後日談(04/10/03)
喜ぶべきことなのかどうか、自分では分からないのだが、一昨年の秋に書いたエッセイともつかない、「我が友は蜘蛛!」の後日談を書けることになった。
そう、蜘蛛さんが、今朝、姿を現してくれたのである。
蜘蛛さんを発見した今朝のメモ書きを転記しておく:
「我が部屋に蜘蛛を見た。昨年、天井や壁などによく見かけたものだったが、今年になって、とんと姿を見かけない。きっと、死んでしまったか、我が家を捨て去ったものと思っていた。
が、その頃に見た蜘蛛より一回り大きな蜘蛛の姿を見た。間違いなく(直感だけれど)去年の蜘蛛だ。
なんとなく、嬉しい。旧友に会ったような気持ち。一人住まいの小生には唯一の友であり、共棲動物なのである。 2004/10/03 (日) 08:15」
一昨年秋の雑文では、「昨日の昼間、我が部屋に蜘蛛(クモ)が現われた。
でも、突然現われた新顔ではなく、どうやら昨年も我が部屋をうろついていた奴が、今頃になって不意に又、現われたのだと思われる。
そう、去年もいた奴だ! 毎日、顔を見せ、白壁を這い回っていたけれど、いつしか姿を消してしまっていて、気にはしてたんだけど、去るものは日々に疎し、で、我輩もスッカリ存在を忘れていた。
きっと、ゴキちゃんに食べられたんだ…とか、あるいは蜘蛛の餌であるはずのダニたちに逆襲を食らって、ついに往生を遂げたんだ…とか、あれこれ想像を逞しくしていたり。」などと書いている。
そう、その時も、前年には姿を見かけていた蜘蛛が不意に現れ、嬉しさの余り、駄文を綴ってしまったのだった。
その蜘蛛、その時の文にも書いたように、やはり蜘蛛の巣を張らない種類の蜘蛛のようである。「蜘蛛の巣など、わざわざ張らなくたって、ダニや零れ落ちた食べ滓などの餌が我が室内には豊富ってこと?
あるいは、単に机の背後とかベッドの奥とか堆く積まれているダンボール類の陰とかに巣があるのか?」などと一昨年は憶測を逞しくしている。
それどころか、「もしかして今までアウトドアライフをエンジョイしていて、ちょっと外が寒くなったし、外では餌が獲れなくなったので、古巣である我が家に戻り、室内を我が物顔にウヨウヨするダニなどで食いつないで、我が部屋で越年しようというのだろうか?」とまで小生は、邪推しているのだから、もう、妄想の域に入っていると言わざるを得ないのかもしれない。
さて、今朝、蜘蛛を発見(多分、<再会>)した状況を簡単にでも説明しておきたい。
実は、このサイトで、国吉康雄についての一文が見られた(注↓)。
前々から気にはなっていて、何かコメントでも書こうかなと思っていたけれど、忙しさと怠惰さと、仮に国吉康雄について感想を書くなら、彼の画集をひもときながらにしたいものだと殊勝にも思ったこともあって、手を付けないでいたのだ。
ようやくその機会がやってきた。待望の連休だ。初日も続く日も、ひたすら寝たきりを通し、体の疲れを徹底して抜いて、なんとか何か調べモノをする気力も湧いてきた。
画集の類いに限らないが、小生の乏しい文献の類いは、全て、書棚かダンボールに詰まっている。書籍の詰まったダンボールはまた、他の訳の分からない雑物の入ったダンボールに上積みされている。
一冊の本や何かの資料を探すとなると、ダンボールの山を移動する大仕事になるのだ。が、移動といって、仮の置き場があればいい。容易に想像が付くように、仮の置き場所があるくらいなら、壁を覆い尽くし、天井までダンボールを積み上げる必要などない。震度2を超える地震が襲ったら、ダンボールや壊れた電化製品などの山が崩れるという怯えに戦々恐々とする必要など、初めからないのだ。(実際、昨年の秋だったか、震度2か3の地震が夜中にあった時、小生はベッドで寝ていたのだが、不意に頭にダンボールなどが落ちて、真っ暗な中、何事が起きたのかと、しばし呆然としたものだった。小生がベッドで寝るのが怖く、ロッキングチェアーで寝ることが多いのも、こうした事情が半ばを占めている。)
というわけで、この二年ほど、動かしていないダンボール類を机の上の主に食事用の僅かなスペースなどに無理にも移動させ、確かこの辺りにあったはずとばかりに、国吉康雄の画集を探したのだった。
その時は、すぐには気付かなかったが、ダンボール類の移動に疲れ、冷や汗など拭いていたところ、ふと、何か蠢くものに気付いたのだった。
蜘蛛!
小生は驚いたが、もしかしたら蜘蛛さんのほうが、もっと驚いたかもしれない。二年に渡って、地震の時以外には微動だにしなかったダンボール類の山の、僅かな透き間に安住の地を得ていたのに、それが不意に奪われてしまったのだ。
蜘蛛さんにすれば、まさに、驚天動地の心境だったのではあるまいか。
その蜘蛛さん、体つきが、さすがに一昨年の頃よりは大人っぽくなっている。尤も、以前に見掛けた蜘蛛が立派になった姿を今朝になって垣間見たのだとは、断言できるわけではない。蜘蛛さんも、壁に貼り付いて、黙っているだけで、特に小生に向って、オレの巣を壊しやがったな、とも、やー、懐かしいな、などとも言わなかったのだし。
でも、小生は、懐かしい、掛け替えのない友との再会だと直感しているし、確信している!
さて、こうなると、当分、また、ダンボールの配置には手を付けられないことになってしまった。上積みの天辺の箱をちょっと触る程度に留めないといけないというプレッシャーが掛かってしまったのだし。
ところで、探し物の対象だった、国吉康雄の画集は、全く別の場所から出てきた。ダンボール類を動かす必要など全くない場所から。なんてこったい、である。
ま、見つかっただけでも御の字なのかもしれないが。
それにしても、我が友は蜘蛛、なんて、そんな言い草を何年も続けることになるとは、小生、人間としての成長が止まってしまった何よりの証拠を突きつけられたような気がしたものだ。
しかも、である。心の何処かに、だからって、なんだよ、いいじゃないか、という開き直りとも受け止められかねない思いが、どっしりと腰を据えていてもいる。
となると、またまた、数年して、何かの折に、埃だらけの箱類を動かす仕儀に相成った時、我が旧友、最早腐れ縁となってしまったところの蜘蛛さんの姿を見て、後日談の後日談を書く羽目に陥るのだろうか。
怖いような、待ち遠しいような、複雑な心境なのである。
[(注)東京国立近代美術館での「国吉康雄展」(2004年3月23日(火)~5月16日(日)まで)にちなむ一文だったようだ。小生の所蔵する画集は、もう十年以上も昔、開催された展覧会の画集である。 (05/05/07 追記)]
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