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2005/05/18

筍…竹取物語以前

 今日の表題には「五月晴」を考えたりしていた。「五月雨」を扱っているのに、「五月晴」を扱っていない。だから、空模様が今一つなのじゃなかろうか。いかにも五月という爽やかに晴れ渡った天気になかなか恵まれないのも、小生のこのバランスの崩れた扱いに原因があるのではないか…、そんな疑心暗鬼に駆られてしまったからである。
 けれど、語感からしても、慣用の如何からしても、「五月晴」は五月の澄み切った空をイメージさせるが、本来は梅雨の束の間の晴れ間を表現する言葉だったのである。律儀な小生としては、となると選択肢から外さざるを得ないのだった。
 そこで、五月の季語例表をつらつら眺めていたら、何故か「筍」に目が行ってしまった。五月の帰省の際、竹の子料理を食べ損ねてしまった憾みが今頃になってぶり返してきたのだろうか。
 しかし、考えてみると、ちょっとばかり変でもある。過日、扱った「五月闇(さつきやみ)」だって、「五月雨の頃、どんよりと暗い昼や月の出ない闇夜」の意とはいいながら、「梅雨闇」という類義語があるほどで、本来はどちらかというと、季語的には初夏、それも六月の季語例扱いではないか…。
 言葉に、それとも表現される世界にこだわり始めると、眩暈がしそうだ。

 ま、それはともかくとして。「筍(たけのこ)」に移る。

「竹の秋」は、秋とあっても、春の季語であるとは、既にこの季語随筆の中で触れている(「竹の秋…竹筒のこと」参照)。念のため、「柚のかくし味」というのサイトの説明を借りると、「一面新緑の中で、竹は古い葉が黄色くなって、葉を落とし、筍をそだてるのだという」理由からである(「柚の意匠箪笥」参照)。
「竹の秋」の説明を試みた際、一緒に触れておけばよかったのだが、「逆に秋になると新しい葉が出てくる。竹の春は秋の季語というわけ」である(同上サイト参照)。秋といっても、九月頃のようである。
 では、「筍(たけのこ)」は、というと、初夏も初夏、五月の季語例となっている。
 以前にも紹介したが、小生は「独活と竹の子」の中で「たけのこ」のことについて、大雑把な下調べを試みている。リンクなどを貼り直して、ここに載せておく。

 独活と竹の子(04/08/10 記)

 ことわざというのは、語感的に勘違いしそうな言葉だったりする。
 雨後と独活(うど)をつい、使い間違えて、雨後の大木とか、独活の竹の子、なんて、一瞬、口走っても、それほど違和感がない(小生の場合だが)。チラッと、「ウ…」と言いかけて、慌てて、脳裏を巡らせて正しい言葉の連なりを口にする。
 独活とか雨後なんて言葉を思い出したというのも、梅雨という季節のなせるわざなのだろうか。そこで、ちょっとだけ、独活とか雨後(の竹の子)について調べてみることにした。

 例によって、話の糸口に、下記の辞典を使わせてもらう:
食べ物ことわざ辞典

「独活(うど)の大木」
 身体ばかり大きくて、役に立たないこと。うどは高さ2mほどになる多年草。茎は太くて大きくなるけれど、食用にも木材にもならないことから。

 何はともあれ、独活の画像を見てもらおう。
 このサイトによると、「独活」という言葉の由来は、「風のないのに動くように見えるので「うごく」と呼ばれ、しだいに「うど」になった。漢字の「独活」の字もそこから」という。
 但し、「本来は「生土」の意味で、土から芽が持ち上がるように出てくることを表わした名前」なのだという。
 別のサイトによると、「和名が埋(ウズ)から転じ、土の中の芽を食べることに由来することは、案外知られていません」というのだが…。
 更に別のサイトによると、「うど(独活)の名前の由来は、茎が生育すると中空になるので宇登呂(うどろ)と呼び、それからウドとなったと言われています」とあり、諸説紛紛のようである。
「春に若芽や茎の部分を食用にする」というが、小生は食べた記憶がない。「烏賊」と共に、独活の木の芽味噌」、あるいは「豆腐と独活のサラダ」などの料理があるようだ。はて、どんな味、食感なのだろうか。
 また、独活の根茎は、薬湯などの素材として使われるようだ。ちなみに、下記サイトによると、「シシウドの学名はアンゲリカといい、ギリシャ語のアンゲリスコやラテン語のアンゲルスに相当し、「天使」の意味を持つ。やはり、その薬効が著しいので、天使に例えられて、名付けられた」という。
 天使とは恐れ入った:
ネイチャーウオッチング 「夜空の花火のように咲くシシウド」

 では、問題の太く大きくなると言う茎の部分はどうなのかというと、そのように育つことのないよう、工夫されているようだ。
 例えば、あるサイトにもあるように、「市場で扱われるのは栽培ものがほとんどで、軟化うど(軟白うど)と山うど(緑化うど)があ」り、「軟化うどは1年目に畑で根を育て、次に真っ暗な地下室などにその根株を植え付け軟白栽培される。平均1ヶ月、約80cm位で収穫される。全体が真っ白。根株は冷蔵保存され、ほぼ1年中栽培されている。
 山うどは、盛り土をしたりすることで一部を軟白して出荷される。先の方が緑色になるところから、軟化うどに対して緑化うどとも呼ばれる。約30-40cmで、軟化うどより香りが強い」という。

 ウドというと、誰しも、お笑いコンビのキャイ~ンのウド鈴木を思い浮かべてしまうだろう(それとも小生だけ?)。コンビ名のキャイ~ンは、決して、キャイーンではないのだとか。ナミセンの「~」にこだわりがあるらしい。
 ところで、キャイ~ンというのは、漫画などに使われる「ギャフン」同様、擬音なのだという。小生は、勝手に、「可愛い」→「キャワイイ」→「キャイーン」なのだと思っていたのだが、見当違いだったようだ。
 肝腎のウド鈴木のウドが独活(の大木)を意味的に借用しているのかどうか、確認することができなかった。

 さて、上掲の「食べ物ことわざ辞典」にて、「雨後の竹の子」を調べると、以下のようである:

 雨の後、竹の子が一斉に生え出すように、相次いで物事が発生すること。また、数が少なければ値打ちがあるが、たくさんになっては価値がさがる意にも用いる。

 本当に、一雨降るごとに(春の)竹の子は急に成長するのだろうか。確かに竹の子の成長というのは、時に怖いほどだったりする。
 小生が幼い頃、近所に竹薮があって、時折、それこそ竹の子の頭が土の表面にチラッと姿を見せている場面に遭遇することがあったりした。その竹の子、ガキの小生があれこれと遊び呆けていて、ふと、或る日、あの竹の子、どうなったのかなと見遣ると、昔日の(といっても、子供の時間感覚で昔日と表現しているのであって、実際には数日も経っていないはずなのだが)面影など見る影もなかったりするのだった。 この前、見たのは何だったんだ?!

 竹の画像を探していたら、下記のサイトを見つけた:
高間新治(たかま しんじ) 竹写
 どの写真も素晴らしい。最後のほうの、「筍の精」もいいし、そのものズバリの「竹」も、並みの水墨画を凌駕するような風情がある。

 ところで、竹の子と筍とは同じモノなのだろうか。単に表記が違うだけなのだろうか。
 ま、その前に竹の薀蓄などを見てみたい。ということで、「江戸東京重ね地図」の「第15回 旬の筍(竹の子) 」を読んでみた。「品川区の小山一丁目、長応寺の裏に筍の碑がある」というが、何故、「筍の碑」などがあるのだろうか。「もともと孟宗竹は中国江南地方のもので、日本には全くなかったものだが、これが琉球を経て、薩摩に渡来したのが元文元年(1736)。この孟宗竹が江戸に伝来したのが約五十年後の寛政元年(1789)」という。
 調べると、碑とは、「孟宗筍栽培記念碑」と呼ぶらしい。
 そういえば、「安政二年の大地震の際に、孟宗竹の竹薮が地割れもなく安全であったことが一層これの栽培に拍車をかけた」というのは、何かの番組でだったかで、仄聞したことがある。
 かといって、何処にでも竹を植えるわけにはいかないだろうが。

 下記のサイトを見ると、筍(竹の子)にも、いろいろあると分かる:
鹿児島の竹
 孟宗竹は、「琉球を経て、薩摩に渡来したのが元文元年」というが、竹ということになると、「日本書紀」にも既に記載されているようだ。鹿児島の鹿児は、籠であり、「山幸は失った釣り針を求め無目籠{竹製}の船に乗って出かけ」たことに通じているとか。
 竹の歴史はさらに遡り、縄文式土器に既に竹を押し当てたような文様が見出されるという。
 つまり、縄文式土器と呼称されるけれど、「縄文土器もはじめは縄文を持たず無文、粘土紐を貼付した隆線文、爪や竹などの施文具を用いてハ字やC字形に刺突した爪型文などの紋様であった」という。

 それにしても、竹の子と筍の区別、あるいは区別などないのかが、分からない。「竹の子」でネット検索すると、「竹の子族のホームページ」をヒットしたりするが、彼等に尋ねるのも、筋違いだろう。

 と思っていたら、やっとヒントとなるサイトが見つかった:
きもね亭
 ここに、「漢字で書くと「竹の子」「筍」。字のごとく、竹の子供だから「竹の子」。「筍」と書くのは、成長が早く、地上に顔を出してから1筍(10日)で竹になることから」という説明があった!
 ここにもあるが、竹の子は時に一日に「1m以上も伸びるものもある」とか。「昼間の生長は特に早くて、1時間に8~10cmも伸びちゃう」とか。
 これじゃ、ガキの小生がビックリするのも無理はない。
 このサイトによると、竹の地下茎は数メートルにもなるとか。
 となると、竹の子は、雨後でなくても、ドンドン成長するのだろうし、雨が降ると、地味が豊かになって、一層、成長が促進されるということなのだろう。

 竹というのは不思議な…と書こうとして、はたと手が止まってしまった。植物なのはいいとして、草なのか木なのかが分からない。下記サイトによると、「竹は,草からも木からも大きく違っていますので,竹は草でも木でもなく「竹である」ということになりますが,いずれかのグループに入れようとすれば,年ごとに成長して伸びてゆくので,木のグループとみるのが当を得ていましょう」だとか:
竹文化〈竹の生態/竹は草か木か〉
 とにかく竹の生命力というのは、凄いの一言である。だからこそ、古来より、竹は神秘的で縁起の良い植物として珍重されてきたのだろう。松竹梅の一つにもなるわけだ。
 尤も、竹の生長する力も、時には厄介物だったりする。万が一、家屋の床下などに竹の子が芽吹きでもしようものなら、大変な事態がやってくることになる。気がつかないまま、数日間でも家を開けて、さて、帰宅してみたら、竹が床を破り、天井をも突き抜ける、なんて悲惨な光景を目の当たりにすることになりかねないのだ。
 独活も生長は、なかなかのものだが、ただ、せっかく育っても、茎の使い道がない。その点、やはり竹には敵わないようだ。語呂からしても、松竹梅はいいが、松独活梅では、納まりが悪い。
 でも、どちらも、工夫次第で食べられるし、役にも立つし、やや見落とししそうな独活も、名前からして、は、西欧では「天使」の意味を含むし、独活も竹も甲乙付け難いということで、本稿を閉じる。


[ さて、「竹の子」や「筍」については、上掲の一文に大まかなことは書いたのだが、「竹」というと多くの人が連想する物語には全く触れていない。というのも、その手付かずのままになっている「竹取物語」というのは、小生の手に余るからである。
 そもそも、「物語学の森」の「絶望の言説ー『竹取翁物語』の物語る世界と物語世界」などに見られるように(「『竹取物語』はあらゆる意味で絶望の言説である」)、「竹取物語」は、成立事情からして謎に満ちた物語なのである(我々の知っている竹取物語は、16世紀末から17世紀初頭に成立した本の流布本だという)。
 過日、書評エッセイを書いた三浦 佑之氏も、「エッセイ 「 「竹取翁」 歌群から 『竹取物語』 へ 」」の中で、「『万葉集』 巻16に載せられた「竹取翁」歌群 (序・長歌・短歌) が、平安かな物語『竹取物語』 を生み出すことになったのではないかというようなことを論じてい」るようである。
 竹取物語の源流となった歌群には、古代史の謎が秘められているようで、ある意味、竹取物語よりロマンに満ちているように感じられる。が、これは、また、後日の楽しみに取っておく。
 尚、「万葉集」の中の竹取物語関連の歌は、小生の好きなサイトである「楽しい万葉集」の中の、「竹取物語/竹取翁に関連した歌」を参照のこと。
 ついでながら、小生には、「筍 の 家」というキュートな掌編もある。 (05/05/18 記)]

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コメント

「梅雨の晴れ間~は、さつき~ばれっ」なんてCMが昔ありましたね。
たしか、海苔の佃煮のCMだったと思います。
それ聞いて、へ~、5月の晴れじゃないんだと思ったことを思い出しました。
太陰暦で季節を区切っていたのに、太陽暦を採用したことで、
色々暦とずれるのはしかたのないことでしょうね。

『竹取物語』田辺聖子さんの訳の本は面白かったですよ。
あちこち駄洒落が織り込んであるようで、
ところどころ「なぁんちゃってね、あはははは」
なんてしてあるんですよ。
きっと閨かなんかで、じゃれあいながら冗談交じりに書かれたのかもって
田辺さんは書いてらしたけど。

『QED 竹取伝説』はまた趣が全然違った推理小説。
こちらもまた面白かったり。

そうそう。
話は全然変わりますが、私、筍、大好き♪

投稿: Amice | 2005/05/18 14:28

筍の家 本当にキュートなお話ですね

こちらでは、はじめましてですね 
「つまみ食い」しています(^.^)

田舎の家の大きいことや真の暗闇
トイレに行く怖さ 自分も子供の頃を少し思い出しました。
子供時代って、大人には絶対に解らない事を考えたり、したり、しますね。

竹は一晩に1メートル?伸びるらしいですね
床下から筍が生えるなんて今の子供には想像もつかないでしょうね。

私も筍大好きです
それも実家の竹やぶに生えていた、少々大きくなった硬いのが好きです。

投稿: 蓮華草 | 2005/05/18 19:24

Amice さん、いつもながら、コメントに感心。そして読書経験も豊か。どうも、小生、学生時代までの古典嫌いが今に響いている。今頃になって、ちょびちょび勉強してます。

海苔の佃煮のCM…、なるほど、こうしてさりげなく季語(の性格や知識)が織り込まれていると、勉強になりますね。でも、小生、どんなCMだったか、場面が浮かばない。

 つくづく思うのは筍(竹の子)という生き物の凄さ。食べて美味しいのは別にしても、あの生命力は凄い! 竹を割ったら、お姫様が出てきても不思議じゃないのかも…やっぱり、不思議か。

投稿: 弥一 | 2005/05/19 15:16

蓮華草さん、こちらでは、はじめまして、ですね。
「筍の家」には、幼い頃にお袋の姉妹の家に遊びに行った思い出(というより印象)がかすかに投影されています。山間地で、竹薮もあって、森や林を切り拓いて田圃や畑を作っている。お猿さんも出没するらしい。熊さんも。
小生がガキの頃には我が家の真裏にも竹薮(と雑木林の混成)があって、分け入った先にお寺があったりするので、風情がたっぷり。竹薮越しの寺の光景も織り込んだら、掌編じゃなく短篇に仕立てることができたかもしれない。
小生は、竹薮の方が好きなのかな。

投稿: 弥一 | 2005/05/19 15:22

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