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2005/05/29

シーパラダイスで紫陽花

 今日はサンバのイベントがあり、その会場の設営スタッフという名目で出かけていた。設営の作業そのものは、呆気なく終わったし、イベントは天候に恵まれたこともあり成功裡に終わったようだし、小生なりにサンバの熱気を楽しめたが、さて、今頃の時間になって、さて何を書こうかと迷っている。
 そのイベントとは、「エンコントロ・ジ・アルモニア《 Encontro de Harmonia 》 」で、場所は横浜・八景島シーパラダイス内、野外広場だった。我がリベルダージや、昨年、浅草サンバカーニバルで優勝したバルバロスなど、8つのチームが今年のテーマ(曲)の発表などを兼ねて現段階での力のほどを披露してくれた。
 その様子は、折を見て、若干の画像と共に報告したいと思っている。

 ところで、その会場内で、「あじさい祭り」が行われていた。生憎と時間的にも体力的にも覗く余裕がなかったが、シーパラダイスでのイベントが途中からでも雨模様になったら、あじさいの可憐な姿を愛でに行っていたかもしれない。会場内に、そんな花を観賞できる公園のような場所を設けているのも、そんな場合に備えてのことなのだろうか。
 実際、午前中の空模様は妖しかった。風が強めに吹き、雲行きがいよいよ雨を覚悟しないといけないのかと感じさせるものだった。
 けれど、野外会場の設営が終わり、音だし確認などが終わる頃には、天候が悪くなるどころか明るさを増し始め、午後、いよいよサンバイベントが始まったならば、そのタイミングを見計らったかのようにお日様が照りつけ始め、小生など、今年始めて予想外の日焼けをする羽目になったほどである。

 シーパラダイス内を巡るロード脇の植え込みにちらほらと目にする紫陽花は、既に咲いていた。紫陽花の淡い紫の花(装飾花=萼片の変化したもの)は、お日様の元では、悲しいかな色褪せて見える。やはり、こちらの先入観もあるのだろうが、シトシト降る雨の中でこそ生き生きしてくるように感じられる。
 もうすぐ梅雨入り。今年も紫陽花が控えめな存在感を示す頃がやってくる。
 昨年の今頃、そろそろ紫陽花の季節かなということで書いたエッセイがあるので、ここに載せておく。去年は今頃は未だ、咲いていなかったということか。

紫陽花のこと(04/05/22)

 過日は台風の余波なのか、東京の町並みも、雨にしとどに濡れた。
 つい先日の強烈な日差しが嘘のようである。日に焼けてツツジの花も多くが落花したり褐色に変色してしまっていた。それがひと時の気まぐれな雨に、勢いを取り戻すかという淡い期待も露と消え、台風一過の快晴のもと、東京の街を走ってみると、やはり道路の分離帯となっているツツジの帯の花は雨が辛かったとばかりに、一層、元気を失っていた。
 それでも、建物の縁を彩るようにして植えられている花々は、依然、艶やかな淡い紫の馥郁たる余韻を漂わせている。
 さて、雨の中、部屋の中で寝入っていて、ふと、夜中に目覚めた時、不意に紫陽花の花を見たいと思った。が、翌日は、台風一過の晴れ上がった空で、町中に紫陽花の影すら見出せるはずもない。
 そこで、少々気が早いのだが、その季節の来る前に、ちょっとだけ紫陽花について調べてみることにした。
 先ず、小生の最近の性癖で、紫陽花という花の名の語源を知りたい。いろいろネットで調べてみると、紫陽花は「「あづさい」が変化したもの」とかで、「「あづ」は「あつ」(集)、「さい」は「さあい」(真藍)で、青い花が集まって咲くさまを表した」とか(「季節の花 300」の「紫陽花 (アジサイ)」より)。

 但し、「本来の「紫陽花」とは、唐の詩人の白楽天(はくらくてん)が命名した別の花のことで、平安時代の学者、源順(みなもとのしたごう)が今のあじさいにこの漢字をあてたため誤用がひろまったらしい」とか。
 この誤用については、植物学者の牧野富太郎(1862-1957)が怒っていたらしい
 万葉集にも、「味狭藍」「安治佐為」という表記で登場する。古来より親しまれたことが窺われる。
 例によって、「楽しい万葉集」さんサイトからその歌を転記させてもらう:

 言問はぬ木すら紫陽花諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり  大伴家持
 紫陽花の八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ  橘諸兄

 学名では、「Hydrangea macrophylla form」というらしいが、このうち、「macrophylla」とは、「大きな葉の」という意であり、「Hydrangea」は、「あじさい属であり、「ギリシャ語の「Hydro(水)」に由来」するのだとか。
 つまり、学名を直訳すると、大きな葉の水系のものということになるのか。

 梅雨というと紫陽花、紫陽花というと梅雨をバカの一つ覚えのように連想する小生、しかし、実際、開花の時期に関して両者はほぼ重なっている。
 ところで、「さい」は真藍(さあい)から来た言葉だと書いた。では、その真藍(さあい)とはどういう意味なのだろう。あれこれネット検索を重ねても、いずれもアジサイの「サイ」は真藍から来たと説明が施されている。
 正しい根拠に基づくか、あるいはみんな、同じ典拠に基づいているということなのか。

 いずれ、紫陽花(アジサイ)の語源を辿ると曖昧の闇に呑まれていく。
 だったら、小生風に、遠い昔、誰かが道端に咲く可憐な小花の花を見て、思わず、「あ、ちいさい!」と叫び、それがいつしか語呂上、転訛して「あ、ちさい」「あじさい」となったのではという推測を施しても、それほどひどい非難は受けないのかも…、というわけにはいかないか。

 ここでちょっと息抜きに、紫陽花の素敵な水彩画などを。

 ところで、紫陽花は、時に「テマリバナ」とも呼ばれることがある。それは小さな花が集まっているからでもある。が、目に優しい淡い藍色の小花たちは、実は花ではないのだとか。装飾花と呼ばれ、ガク(萼片)が変化したものなのだという。
 他にも、オオデマリ・ガクバナ・シュウセンカ・ユウレイグサなどと呼ばれることがあるようだ。

 一時は、「オタクサ」が学名として考えられたこともあるらしい。シーボルトの日本での妻の名前がお滝さん。植物学者でもあったシーボルトが日本で見つけたアジサイが気に入り、彼の妻の名前にちなみ、かのような学名を付したのだとか。
 また、我々が「目にする紫陽花の多くは、18世紀末に日本のガクアジサイが中国を経由してヨーロッパに送られて改良された洋種アジサイ(ハナアジサイ)」なのだとも言われている。
 
 最後に、せっかくなので、文学作品で紫陽花が扱われている、あるいは紫陽花がキーワードとして使われる小説を幾つか:
 泉鏡花「紫陽花
 泉鏡花「森の紫陽花
 佐藤春夫「あじさい

 僭越ながら、前にも紹介したが、小生には「紫陽花ばなし? 」という実は表題に偽りありのエッセイもある。

 まだまだ紫陽花については触れるべきことが多い。紫陽花と言えば、鎌倉を連想する方も多いだろう。
 あるいは、紫陽花に限らないが、小生などは、梅雨となるとカタツムリがつい脳裏に浮かぶ。勿論、「デンデンムシムシ カタツムリ、お前の頭はどこにある 角だせ やりだせ 頭だせ」という童謡も、いつしか口ずさまれる。
 となると、カタツムリのことにも触手が向くが、今日は、これでやめておこう。

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コメント

サンバはお日様が良く似合う・・晴れてよかったですね。
アジサイの方は雨が似合う。
そうですよね。
アジサイで有名なお寺に行ったときは、子供連れで、雨に降られた。普段なら、嫌なことなんだけど、葉っぱに乗ったカエルにも会えたし、なにより花が色鮮やかでした。
大輪の花をそばで見るために、ぬかるみ気にせず、走っていく子供に・・今日は許す!って気になりました。(靴、ドロドロ・・)

投稿: なずな | 2005/05/30 09:32

そちらでは梅雨の季節に咲く花の代表ですものね。
北海道では咲く期間がとても長くて10月に入っても
多少色が褪せた感じはしますが咲いていたりします。
最近はいろんな品種の紫陽花が花屋さんや園芸店に並んでいます。
私も昨年額紫陽花を買い求めましたが
昔ながらのオーソドックスな紫陽花はいいですね。
以前紫陽花の下に死体が埋められていて、そこの紫陽花だけが
違う色を発してた・・・というような小説を読んだことがああります。
誰が書いたものだったか・・・忘れてしまいましたが・・・

投稿: マコロン | 2005/05/30 11:14

なずなさん、コメント、ありがとう。
シーパラダイスにジェットコースターなどの遊戯とは別に紫陽花などの花の園があるのは、遊園地としての工夫なのでしょうね。
鎌倉だったか、あじさい寺。ずっと昔、両親と一緒に行ったような。
雨の日とカエル、それにはしゃぐ子供は似合う。でも、そこに傘を差す一人の女性の姿だと、似合うというより、寂しげで床しい。
そんな季節に近付きましたね。今日も、東京は雨。雨の散歩もいいけど、今日は疲れきって歩く気になれない。

投稿: 弥一 | 2005/05/30 14:02

マコロンさん、コメント、ありがとう。
紫陽花、本土…まあ、関東や関西などは梅雨のイメージが濃いし、季語的にも六月の花扱いのようだけど、北海道や九州、沖縄などは違うのでしょうね。
でも、北海道では10月になっても咲いているとは驚きです。北海道の方が俳句をひねる時には、歳時記を使うのでしょうか、それとも、あくまで実感と実際の光景を重視するのでしょうか。
桜の木下には…という話は有名だけど、紫陽花の花の下にはというのは、初耳。どうやら、CLAMPという書き手の小説があるようです。土壌の酸性度に微妙に影響される紫陽花の特性を生かした小説のようですね。

投稿: 弥一 | 2005/05/30 14:14

今晩は~マコロンさんの書かれていた小説、覚えがあります!が、題名は出てきません(^_^;)推理小説??
弥一さんの書かれてる「CLAMP」はアニメ集団です~数人の女性グループで人気アニメを次々と書いておられ、TVでもやってます(カードキャプター・さくら等)子供がファンなもんで、つい力が入ってしまいました(笑)

投稿: ちゃり | 2005/05/30 23:31

ちゃりさん、コメント、ありがとう。
なるほど、マコロンさんの言われているのは、別の小説、推理小説なのですね。
今日は疲れたので、後日、改めて調べてみます。でも、誰か分かった方、教えて下さい。
ちゃりさん、ご指摘、ありがとう。

投稿: 弥一 | 2005/05/31 00:59

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