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2005/05/31

エンコントロ・ジ・アルモニア(2)

エンコントロ・ジ・アルモニア(2)」へ引っ越しました。

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エンコントロ・ジ・アルモニア(1)

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2005/05/30

季語随筆拾遺…紫陽花と雛罌粟

 季語随筆日記は、いつも、ぶっつけ本番で書いている。勿論(勿論であっていいのかどうか疑問だが)、下書きなどない。何を書くか、画面に向かってから考える。これは創作であっても、エッセイであっても同じである。
 一応は、テーマなど考えるが、テーマに関連する情報をネット検索などで集めているうちに、当たりが悪くて、どうにも話の展開の持って行きようがなかったり、裏づけとなるサイトが見つからなかったり、逆にあまりに充実したサイトが見つかって、何を今さら小生如きが屋上屋を架するような真似をするのかと情ない思いで、執筆から撤退というか断念に追い込まれることすらあったりする。
 それもしばしば。
 一方、当然ながら、限られた時間の中で慌しく資料を物色したり、引用すべきサイト、引用すべき文章を物色するもので、とてもじゃないが、丁寧に全体を遺漏なく書き尽くすなど、望むべくもない。
 書き終えて、アップしてから、肝腎なことを書き漏らしているのではと、忸怩たる思いが募ったり、後になって、触れるべき重要な事項に気づくことがある。
 これまた、しばしばのこと。
 さて、今日はそのうち、「紫陽花と雛罌粟」のそれぞれについて、若干のことを加筆しておきたい。
 そうそう、嬉しいのは読者からのコメントなどで、情報を戴くこと。
 前にも書いたが、そもそも、小生は何も知らないから、ネット検索したり読書したりして知ったことの幾分かを書き連ねている。知らないから調べるのだし、書いているのだ。足りないこと、考えの及ばないことは、無尽蔵にあると思っている。
 どうぞ、気兼ねなくコメントなど、お願い致します。

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2005/05/29

シーパラダイスで紫陽花

 今日はサンバのイベントがあり、その会場の設営スタッフという名目で出かけていた。設営の作業そのものは、呆気なく終わったし、イベントは天候に恵まれたこともあり成功裡に終わったようだし、小生なりにサンバの熱気を楽しめたが、さて、今頃の時間になって、さて何を書こうかと迷っている。
 そのイベントとは、「エンコントロ・ジ・アルモニア《 Encontro de Harmonia 》 」で、場所は横浜・八景島シーパラダイス内、野外広場だった。我がリベルダージや、昨年、浅草サンバカーニバルで優勝したバルバロスなど、8つのチームが今年のテーマ(曲)の発表などを兼ねて現段階での力のほどを披露してくれた。
 その様子は、折を見て、若干の画像と共に報告したいと思っている。

 ところで、その会場内で、「あじさい祭り」が行われていた。生憎と時間的にも体力的にも覗く余裕がなかったが、シーパラダイスでのイベントが途中からでも雨模様になったら、あじさいの可憐な姿を愛でに行っていたかもしれない。会場内に、そんな花を観賞できる公園のような場所を設けているのも、そんな場合に備えてのことなのだろうか。
 実際、午前中の空模様は妖しかった。風が強めに吹き、雲行きがいよいよ雨を覚悟しないといけないのかと感じさせるものだった。
 けれど、野外会場の設営が終わり、音だし確認などが終わる頃には、天候が悪くなるどころか明るさを増し始め、午後、いよいよサンバイベントが始まったならば、そのタイミングを見計らったかのようにお日様が照りつけ始め、小生など、今年始めて予想外の日焼けをする羽目になったほどである。

 シーパラダイス内を巡るロード脇の植え込みにちらほらと目にする紫陽花は、既に咲いていた。紫陽花の淡い紫の花(装飾花=萼片の変化したもの)は、お日様の元では、悲しいかな色褪せて見える。やはり、こちらの先入観もあるのだろうが、シトシト降る雨の中でこそ生き生きしてくるように感じられる。
 もうすぐ梅雨入り。今年も紫陽花が控えめな存在感を示す頃がやってくる。
 昨年の今頃、そろそろ紫陽花の季節かなということで書いたエッセイがあるので、ここに載せておく。去年は今頃は未だ、咲いていなかったということか。

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2005/05/28

穀象…極道

 気が付けば五月も残すところ数日。今月のこの季語随筆は、あまり本来のテーマに沿った文章を書いていない。そこで五月の季語例から、あまり人が扱わないような季語を拾って、ちょっとだけそれらしいことを試みてみる。
 選んだのは表題にあるように「穀象」である。読んで字の如くで「こくぞう」であり、「穀象虫」として使われることのほうが多いような気がする。五月の季語扱いのようだが、この虫、温度が高くなり湿気も増す、六月頃にもぞもぞ蠢き始めるとか。
 念のため「穀象 季語」でネット検索すると、検索例は25件のみ。網に掛かった件数としては、最少に近いのではなかろうか。
 ああ、「穀象」さん、評判が悪い…。それとも、もう、現代ではあまり見かけることがないし、従って句作の対象にはなりがたいということか。

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2005/05/27

季語随筆?

御報告」(May 22, 2005)の中で、この季語随筆日記の定款云々と書いている。
 自分で季語随筆(日記)と方針を打ち出しておいて、自分がその方針に雁字搦めとなり窮屈になっている。随筆というように、もっと気随気侭に文章を綴りたい、そんな思いからの定款の変更、拡大。

 しかし、ことはそんな単純なことじゃなく、それなりにあれこれ書き綴ってきての、折々訪れる壁を今またしかもそのドツボに嵌っていると感じているからなのだと思う。
 以下には、「創作する意味?」と題した昨年の夏に綴った拙文を示す。多分、その頃から(あるいはその半年以上前から)感じ始めた壁が今も続いているのだと思う。創作する意味などと書いているが、むしろ、その以前で「文章を綴る意味」と題したほうが相応しかったような気がする。だからこその「?」だったのだろう。

 否、もっと言うと、その文章を書いた一年前からの、自分なりに苦しい叶わぬ恋、不毛な恋心の整理が付かないでいた、というより、その真っ只中にいたことが、その拙稿の裏にはある。
 不毛な恋というより、それなりに自分の中に抱えてきた、引き摺ってきたと思っていた、思いたかった何かの正体が、案外に、それとも恐る恐るは気づき始めていたのだろうから、案の定、底の浅い、むしろ、浅薄で臆病で面倒なことから逃げて回る自分、問題に真正面から立ち向かうことを怖れる自分に過ぎなかったことが自分でも否定しようがなくなったこと、そのことにこの年になって気づいて愕然としている、まあ、そんな辺りなのだろう。
 自分の中には、テーマとして掲げられる何かがある、と思っていたのに、それがただの怯えの念、土中にあって、土の上に顔を出すことを躊躇い躊躇することの言い訳になっているに過ぎないということ。
 
 そうはいっても、文章を書き綴るしか能のない自分がいる。どんなつまらない人間であっても、その存在を抱えていくしかない。
 俳句というか川柳なのか、どっちつかずの世界に昨年の初夏辺りから迷い込んでいるが、文章で何を表現すべきかで迷い始めた時期と俳句(川柳)に手を染め始めた時期とが符合すると今にして気づかされる。
 はてさて、どんな闇夜の世界、それとも白夜の世界に迷い込んでいくのか、我ながら楽しみである。

 余談だが、25日発売の『ケイコとマナブ』で、小生が(幽霊)会員になっているサンバチーム・リベルダージのメンバーのダンサーとしての晴れ姿が代表として掲載されていた。
 タクシーの営業の日だったが、夜中になって一区切り、付いたこともあり、コンビニに立ち寄り、雑誌のコーナーへ一直線。普段なら物色することのない女性ファッション雑誌のコーナーの一角に、その『ケイコとマナブ』が並べられてあった。目立たない場所にあったので、お目当ての方の勇姿を眺めてからは、こっそり一冊だけ並ぶ場所を変えてみたり。
 そのダンサーの方の写真とチームについてのコメントが載っているのは、P48の「ダンス☆コスチュームCollection」なる頁。さすがにプロの方が撮った写真。
 でも、ここだけの話、小生がサンバパレードで撮った写真のほうが素敵だぞと思うのは、ファンだから仕方ないよね。手ブレがあったりするけど、その分、迫力がある! 
 手元の画像、ここに載せたいけど、本人の許可がないので載せられない。申し訳ないし、残念である。仕方ないので、小生が眺めての印象を念力で、ここに載せます。
 見えますかー!!
 見えましたよね。
 見えなかったという気の毒な方は、どうぞ、サンバパレードへお越しください。

 そういえば、先月号だったかの『散歩の達人』にも我がチーム関連の記事が載っていたらしい。が、やはり夜中に仕事の手を休めてコンビニに覗きにいったけれど、店員さんに聞いたら、もうないって。がっかりだった。
 でも、勝手にファンになっているチームの情報が、ボチボチながらでも雑誌などに載るのは、嬉しいものである。

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2005/05/26

罌粟の花…ゾンビ

 表題の「罌粟の花」を強く意識したのは、いつのことだったろう。今となっては、高額納税者の上位にランクされた宇多田ヒカルの母ということで説明するしかないのかもしれないが、小生には未だに、その母君である藤圭子さんのデビューの時のほうが印象に鮮やかである(あるいは、年齢的に昔のことのほうがよく覚えているというだけのことなのか…)。
 藤圭子(本名宇多田純子、旧姓阿部)さんのデビュー曲は、「新宿の女」(1969.09発売)で、そのあとにも「 女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」などと連続してヒットを飛ばした。この「圭子の夢は夜ひらく」という曲(石坂まさを作詞・曽根幸明作曲)の歌詞(一番)は、「赤く咲くのは けしの花 白く咲くのは 百合の花 どう咲きゃいいのさ この私 夢は夜ひらく」で、小生が「けしの花」をイメージさせられたのは、まさにこの曲でだったような。
 余談だが、「圭子の夢は夜ひらく」と「圭子の…」が冠せられているのは、その前に「夢は夜ひらく」という曲があるからで、これも気だるくて夜の世界の匂いがプンプンしていて、歌う園まりの雰囲気とがマッチしていて、まだ、小学生だった小生の下半身に限りなく近い男心を思いっきり擽ってくれたものだった。多分、好きな歌手じゃなかったはず…なのに、惹かれていく…困るのことよだったのである。

 藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」に戻るが、あるサイトのバイオグラフィーによると、「作家五木寛之に毎日新聞 日曜版エッセイ『ゴキブリの歌』にて「怨歌」と言われ激賞され」たとか。そういえば、あの頃、前川清とか森進一とかが揃い踏みしていたっけ。その前に緑川アコもいたっけ。
 さて、「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞に出てくる「けしの花」の「けし」は、漢字だとしたらどんな表記になるのか。「芥子」だろうか。それとも、「罌粟の花」だろうか。「芥子」と「罌粟」って、同じなのか。何か違いがあるのか。
 季語上は、「罌粟の花 芥子の花 ポピー アマポーラ 虞美」は類義語の扱いとなっているようだが。念のために断っておくと、夏・五月の季語例のようである。
 いずれにしても、「芥子の花」は、中学生か高校生だった小生も、麻薬の花という知識はあった。テレビにどっぷり浸っていた小生、刑事モノか何かの番組で、それとも既に漫画の本で「けし」に洗礼されていたような気がする。
 勿論、実際に使ったわけではない。
「けし」の漢字表記だが、「芥子」という表記はあるが、これは「かいし」と読む場合がある。例によって「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞典」を参照させてもらうと、「カラシナの種子。芥子泥(でい)にして湿布に用いたり、芥子漬(からしづ)け・カレー粉の原料など、食用嗜好品として用いられる。〔漢方では「がいし」〕」だという。
 また、「からし」とも読め、「辛子(芥子)」である。
 となると、「芥子」も間違いではないとしても、「罌粟」のほうが表記から受ける印象という情ない意味、あるいは目で受ける語感からして、よりマシなような気がする。
スパイスの語源」なるサイトを覗いてみる。「けしの実」の項に、「罌粟(おおぞく)が正名、けしに読みかわった」という説明が見出せる。また、「芥子をけしと読むのは誤用、粟粒のような小さな種子が詰まった罌(瓶=かめ)の意、けしのさく果の形を表わしている」という説明にも恵まれる。
 となると、植物の名前である「けし」の漢字表記としては、「罌粟」が相応しいということになりそう。
 但し、まだ検討の余地がありそう。世の諸賢の知恵を請うものだ。

「芥子」というと、「海士の顔まづ見らるるや芥子の花」という芭蕉の句を思い浮かべる方もいるだろう。「短い夏の夜が明け初める頃、浜の海人たちが起きてくる。そんな時刻には芥子の花が浜一円に咲いていることだ」という評釈をネットで得ることが出来た。
 芭蕉がこの句を詠った頃は、芥子の花は麻薬(阿片)の材料になる花というイメージはなかったのだろうか。
 尤も、芥子の花でも、麻薬と関係のある花もあれば、無縁の種もあるのだとか。
東京都薬用植物園」なるサイトを覗くと、「東京ではここでしかみられない花「ケシ」」という蠱惑的な頁があって、「ケシについて」の項に「ケシは、あへんアルカロイド類を含有していて、多くの医薬品の原料となっている重要な薬用植物です。たとえば、モルヒネは強力な鎮痛剤としてがんの疼痛(とうつう)治療などに使われていますし、コデインは鎮咳(ちんがい)作用が強くぜん息薬やかぜ薬の製造原料となっています。しかし、これらは麻薬に指定されているため、ケシ(ソムニフェルム種)などの栽培は法律で規制されています」と説明されている。
 同時に、「写真の下に、栽培してはいけないケシには×を、栽培しても良いケシには○をつけてあります」とも。
 写真を見て改めて感じるのは、小生の勝手な先入見とはちょっと印象が違ったということ。

 小生の思い込みとは、熱帯魚でも茸類でもそうだが、毒のある花は色や形などが際立って鮮やかなのだろうというもの。
 けれど、写真を説明(○や×)抜きで見たとき、どれが麻薬に縁があるのかは、ちょっと分からない…むしろ、選択を間違えるかも、というのが正直なところだろう。
 やはり、女性でも地味な印象だから毒がないとか、化粧が濃いから毒気もあるという、単純な話ではないということか。ちょっと類推の仕方に無理があるかも。

 ネットで、この「芥子の花」を見てきたという記録があった。「白い夜 ものものしい薬の花」によると、「監視カメラに守られて咲く「花」とは?」という項があり、「温室や池があったり、パッと見はごく普通の植物園だけれど、奥へ進むとそこにはフェンスで囲まれた一角が。ここで育てられているのが、栽培を禁止されているソムニフェルム種などのケシである」という記述に続いて、「ガッチリと鍵のかかったフェンスは二重になっていて、しかもフェンスとフェンスの間には監視カメラまであり、周囲ののどかな雰囲気とは一変して、かなりものものしい雰囲気」とある。
 今、紹介したサイトには、「毒をもつ生き物は色鮮やかに生きます。これは周りにアピールするため。毒もってんだから食うなよっ! とかそういう意味を周りに伝えているんです」とある。先の小生の記述とは違う。やはり、本物を見ないと、うっかりしたことは書くべきではないということか。
 うーん、一度は見てみたい。

 ついでながら、過日、「青嵐と木下闇の間」の中で、「木下闇」を採り上げたこともあり、上述の芭蕉の句からこの言葉の織り込まれた作品を掲げておくと、「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇」である。

ハイチのこと…揺れ動く世界」(May 25, 2005)では、「後日、以前、ブードゥーの周辺に触れた拙稿を掲げつつ、やはり通り一遍の叙述しか出来ないが、せめて偏見の上書きにならない程度にブードゥー教についての情報を示してみるつもりである」と書いている。
 忘れっぽい小生なので、今のうちに当該の拙稿を掲げておく。
 尚、文末に、「いつになったら、幽霊との対比ができるものやら」という悲鳴というか嘆きの一言があるが、この点については、「幽霊の話を恐る恐る」などでお茶を濁したままである。

 ちなみに、本日の表題を「罌粟の花…ゾンビ」としたのは、別に芥子の花を間違って栽培し、阿片などを作り、吸引した挙げ句にゾンビのような人間になりかねない、という意味ではない。
 勿論、そんな不法行為を勧めているわけでもない。
 もっと、うまい具合に話を繋げたかったのだが、その試みは頓挫してしまったのである。悪しからず。けしからぬとは言わないで。

「ゾンビーと幽霊の間に」に移る前に、「赤く咲くのは けしの花♪」繋がりというわけでもない(こともない)が、小生は、どうしても、ロシアの天才作家ガルシンの「赤い花」をここに敢えて言及しておきたい。
 小生が学生時代にチェーホフ、ドストエフスキー、トルストイ、ゴーゴリなどと共に傾倒した作家の一人だし、ガルシンはまだまだ忘れられては困る作家なのだ。短篇集が出ているので、是非、読んでみて欲しいと勝手に思っている。
 この「赤い花」とは、狂気の花、芥子の花ではなかったか…。

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2005/05/25

ハイチのこと…揺れ動く世界

琥珀のこと…バルト三国」でバルト三国のことに触れた。
 また、「沖ノ鳥島」は、ラジオで聞きかじった話を若干、情報を補足しつつ書いたものである。
 ラジオから入手できる情報は、それなりに根拠あるものだとしても、聴き入っているわけでもないので、断片的になりがちである(学生時代、授業での話を真面目に聴いていてさえ、平均点付近をうろついていたことを思い出す)。
 だからこそ、手元の資料やネット情報で補足する訳だが、それでも、通り一遍の記述を越えられるわけもない。
 ただ、それでも、読まれる方の中で一人でも関心を持ってもらえたら、書いた甲斐があったと思うしかない。
 
 さて、以下に掲げるのは、昨年の3月に書いたハイチ共和国についてのもの。やはり、ラジオで聞きかじったことで、それでは少しは調べてみようと思い立ったわけだった。2004年3月にラトルチュ首相就任し、暫定政府発足を受けてのNHKラジオでの解説のようだった。
 あれから一年余り。少しは情勢が好転したのだろうか。暫定政府の舵取りは上手く行っているのか。
 次頁の「ハイチの内乱」という拙稿を示す前に、若干の補足を試みておく。

ハイチ地図」を覗いてみよう。キューバ、ジャマイカ、バハマなどに囲まれ、ドミニカ共和国と国境を接している。
外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(ハイチ共和国)」が、日本での基本情報の入手先ということになるのか。
 その「基礎データ」の頁を覗く。「四国と九州の中間程度の面積」であり、首都はポルトープランス、人口は900万人弱(2002年)。人種は「アフリカ系90%、混血10% 」、言語は「フランス語、クレオール語」なのが、アフリカ系が90%以上に何故か悲しい。
 宗教は「カトリック、ブードゥー、プロテスタント」だというのは、何をか言わんや、である。
 宗教の中で、ブードゥーが、日本人にとっては名前は聞いたことがあるとして、馴染み深いとは到底言えないだろう。後日、以前、ブードゥーの周辺に触れた拙稿を掲げつつ、やはり通り一遍の叙述しか出来ないが、せめて偏見の上書きにならない程度にブードゥー教についての情報を示してみるつもりである。

 略史は「1492年 コロンブスのエスパニョーラ島発見」から始まる。ついで、「1697年 フランス領となる」であり、次が「1804年 独立」となっている。あまりに略し過ぎではないか。その中にこそ、悲劇に満ちた血生臭い歴史が埋もれているはずだし。
 けれど、その間、先住民は絶滅してしまった。「世界最初の近代的黒人独立国家」となったとは、先住民が皆無となったあとの歴史なのだ。アメリカ合衆国の場合は、先住民である、インディアンと呼称される人々は、ほぼ掃討され尽くし、そのあと労働力(奴隷)として黒人がアフリカから連れてこられたが、ヨーロッパ(イギリス、フランスなどが主)の人々が占有していったのとは、事情が違うようだ(多分。白人系が黒人系などを圧倒してしまった点が違う…単純化し過ぎだろうか)。

海外安全情報」なる頁を覗く。
「ハイチに対する渡航情報(危険情報)の発出(2005/04/11)」という項があり、「渡航の延期をおすすめします」という段階にあるようだ。
 詳しくは同サイトを見てもらうとして、「短期滞在者向け注意事項」の項にあるように、「ハイチにおいては交通、宿泊施設、観光施設等の面での十分なサービスは期待できません。また、山林伐採の影響で、海山共に豊かな自然は破壊され、度重なる政情不安、ハリケーンの被害、極度の貧困の中、人々は生きることに懸命です。明るいカリブ海の島というイメージを抱いて来訪すると、現実とのギャップに驚くことになります」ということに尽きるようだ。
 まだまだ多難な現実が続いているし、続いていきそうなのである。

 世界は揺れ動いている。パスカルの原理ではないが、日本国内へも、その余波が届かないわけがない。国内を安定させようと思うと、何処かの目立たない国の人々に皺寄せを及ぼしていくしかないのか。平和とは、他の弱小国家の人々の犠牲の上に成り立つものなのか。
 国内でしか暮らさない自分ではあるが、たまには海外に目を向けてみるのもいいのではと思う。
 それにしても、拙稿の末尾の「風光明媚なハイチ。観光立国も決して夢ではないはず。一日も早い国情の安定を願う」という締め括りの一文が、あまりにお気楽であり、上滑りしていると、我ながら感じる。

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2005/05/24

沖ノ鳥島

季語随筆日記拾遺…タクシー篇」(May 21, 2005)の中で、車中、ラジオを聴いていて、いろんな雑学的知識・情報を入手するという雑談をした。が、昨日、営業していて、その金曜日の仕事中に幾度となく聴いたニュースで触れていないものがあることに気づいた。
 それは、表題にある「沖ノ鳥島」の件。「石原慎太郎東京都知事が20日、日本最南端の沖ノ鳥島(東京都小笠原村)を視察した。周辺が日本の排他的経済水域(EEZ)であることを強調するため、島の管理状況や活用法を調べるのが目的。都知事の沖ノ鳥島視察は初めて」とか「都は漁礁や海洋温度差を利用した発電所を設置する方針」という「石原知事が沖ノ鳥島視察 自ら潜水、海中調査も」といったニュースとか、「視察後、石原知事は「キハダマグロなどがくる可能性がある」と漁業への期待感を示した。一方で、「中国がEEZをうろうろするのは潜水艦の行動範囲を調査するためだ。ますます日本にとっての沖ノ鳥島の意味合いは深いものになった」などと述べた」といった「石原都知事、沖ノ鳥島を視察 海洋調査の中国牽制」といったニュースが、その日、何度となく流れていた。

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2005/05/23

沈黙の春

 有名に過ぎて、なかなか読めない本があるものだ。その本や本の著者についての話、あるいは関連する話題をさんざん聞かされたり読まされたりして、もう、分かってしまったような気になる本、書き手。
 その筆頭に挙げられる本の一つが、レイチェル・カーソン著『沈黙の春』なのではなかろうか。小生には、少なくとも長らくそうだった。環境問題に関心がないわけではなく、殊更、彼女に事寄せてということでなくても、環境問題関連の本は少しは読んできた。
 当然、高校時代には既にこの本や著者の存在は既知のものとなって久しかった。久しいような気がしていた。著者が亡くなって(小生が十歳の時に亡くなられていた)僅か数年にして、『沈黙の春』は伝説の書となり、内容は少しは本を読むものなら誰でも(大袈裟とは思うが、それほどに)とっくのとうに読み終えていて当たり前の本となっていた。
 けれど、何かエキセントリックな感じを著者や著書に意味もなく抱いていて、それはまさしく環境問題を事挙げする人々への反発する斜に構えた知識人に共通する偏見に過ぎないのだが、悲しいから小生もその陥穽にはまり込んでいた。
 小生が環境問題に関心を持ったのは、他でも書いたが、我が富山についてはイタイイタイ病、新潟や熊本の水俣病、四日市公害ぜんそく問題などがまさに裁判での判決が続々と出つつある時代に思春期を迎えていたからだった。
 折りしも1970年には所謂、公害国会が世情を騒がせていた。富山にあっても、テレビや新聞で公害問題が採り上げられない日はなかったような。

 が、小生は根が単純なもので、公害や環境問題から一気に人間や自然の根源への関心に移り、ついには存在自体への疑問や、在ること自体の驚異の念に突っ走ってしまった。哲学少年になってしまったのである。
 それでも、故・田尻宗昭著の『四日市・死の海 と闘う』(1972年4月20日岩波新書刊)などは大学入学直後に出た本でもあり、大学の生協の店頭に並んだ直後に購入し読んだ記憶がある。
 が、環境というと、現実の生々しい公害問題よりも、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル著の『生物から見た世界』(日高 敏隆, 野田 保之訳、新思索社刊)のほうがビビッドに感じられるという風だったのである(本書については、例によって松岡正剛の千夜千冊を参照)。
 今更、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』なんて、中途半端に感じられて、読む前からうんざりしてしまう、書店でたまに見かけても、今更、読めないな、という感じだった…。
 食わず嫌いってのはあるが、読まず嫌いってのも、あったのである。まさに『沈黙の春』は、沈黙の海に沈みこんで、久しく振り返ってみることもなかったのである。

『沈黙の春』については、機会を設けてセンス・オブ・ワンダーの念と絡め、改めて採り上げることにして、ここでは、以下で紹介するリンダ・リア著『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』の翻訳をされた、レイチェル・カーソン日本協会理事長でもある上遠 恵子氏によりレイチェル・カーソン『沈黙の春』を紹介してもらおう:

 環境の破壊と荒廃にブレーキをかける書
   レイチェル・カーソン『沈黙の春』 上遠恵子(新潮社の「波」より)。

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2005/05/22

御報告

 この無精庵徒然草のサブタイトルを、「国見弥一の季語随筆日記」から「国見弥一の季語随筆読書創作日記」に変更しました。会社であれば、定款の変更、拡大です。
 ようするに、ほとんどなんでもありの雑文欄になるかも、ということ。
 ただ、そうはいっても、基本は季語随筆日記なのです。
 今まででも時折は、書評めいた文章を書いていたけれど、これは番外編扱いだった。これからは堂々と書評風エッセイが書けるし、なんと創作もありとなる!
 これは、さすがにまさか、敵対的買収への対抗策などではなく、たまには創作も試みたいと思いつつも、季語随筆日記に精力を奪われ、掌編創作に手がつかなかったという悲しい現実を解消するための苦肉の策(大袈裟!)。
 定款を改めたって、会社の仕事が繁盛するとは限らないように、我が季語随筆サイトのサブタイトルが変わったからといって、中身が充実するとは限らない。
 けど、ま、書いている本人である小生の気休めにはなる。
 今後とも、よろしくお願いします。

[月曜日の仕事中、新しい<定款>に入れ忘れのあることに気づいた。コラムとレポートだ。随筆の中に、モンテーニュに倣うわけではないが、今から含意という形で追加する。つまり、実質、「季語随筆(含コラム・レポート) 読書創作日記」のサイトである、というわけだ!(05/05/24 追記)]

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青嵐と木下闇の間

 夏の季語も数知れずある。しかも、俳句に拘ると、初夏ということで、五月から既に夏の季語を使う羽目になる。ネットで「青嵐(あおあらし)」という季語を見つけた。この言葉を俳句や歳時記的知識なく何処かで行き逢ったとしたら、どんなイメージを読み取ることだろう。
 悲しいかな、小生は、青嵐会しか連想することが出来なかった。但し、こちらは「せいらんかい」と読むようだが。
 多少は昔の政治に関心があったなら、石原慎太郎や中川一郎、浜田幸一らが結成した自由民主党内の派閥横断的な集団である。会派と呼んでいいのか、小生は分からない。他には、加藤六月、玉置和郎、中尾栄一、中山正暉、藤尾正行、三塚博、森喜朗、渡辺美智雄などが主だったメンバーで、今では懐かしくなった人物も居るし、マスコミを賑わせている人、派閥などの長老格の方もいる。
「青嵐会 - Wikipedia」によると、「会名は、渾沌停滞した政界に爽やかな風を送り込もうという意味を込めて石原慎太郎が命名したと言われる」らしい(典拠は確認できなかった)。「設立趣意書には「いたずらに議論に堕することなく、一命を賭して、右、実践する」とあり、結成時に血判状を捺した事で知られる」とも。
 確かに、「結成時に血判状を捺した事」は、マスコミでも賑々しく採り上げられていた。
 彼らの血気盛んな行動とアピールぶりから、小生は「青嵐」というと、「嵐」のイメージしか湧いてこない。間違っても、「爽やかな風」など吹いてこなかったのである。

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2005/05/21

季語随筆日記拾遺…タクシー篇

 仕事柄というわけでもないが、ラジオは欠かせない車中の友である。出庫前の点検や準備、帰庫(会社の車庫に帰ること)後の日報の記入や私物などの後片付けの時間を含めると、21時間は車と過ごす。
 営業の時間に限っても、20時間はタクシーの中に居つづける。悲しいかな不況と小生自身の努力不足もあって、実車(お客さんに乗って戴いての走行)の時間は半分にさえ届かない。というより、20時間の営業時間のうち、半分が実車だったら、売り上げがトップなのは間違いないし、4割(つまり8時間)を越える程度でも、トップクラス圏内は確実である。
 逆に言うと、営業が好調な時でも、6割は空車(お客さんにあぶれている状態、つまり、空気を運んでいる状態)で走っているというわけである。実際には空車の時間には回送で休憩に入っていたりする時間もあるが、いずれにしても、一人で車内で過ごす時間が営業時間帯中でも12時間はある、というわけである。
 その12時間(休憩を2時間、確保するとして10時間)は、何処かでお客さんを待って待機する場合もあるし、この辺りかなと狙いを定めながら走らせていることもある。

 例えば今日の午前11時に営業を始めたら、終わるのは翌朝7時頃というわけだ。この20時間前後のほぼ終日営業を週に3回、行う。週に2回の時もある。徹夜明けでトボトボと帰って、家ではグロッキー状態で、ボヤーと過ごす。仕事中は、たとえお客さんが乗っていなくても神経を常に外に向けて尖らせているし、走行中なら油断は禁物なのは言うまでもない。
 目も耳も神経も、格好良く言えば研ぎ澄ました状態で居る。それだけに、オフとなると、ネクタイを緩めるか外す状態になるわけで、体力の乏しくなった小生など、もう、叩きのめされてリングのマットに沈み込んだボクサーである。起きる気力もない。ひたすら、ダラダラ、のんべんだらりと過ごすのである。人によっては元気があって、ボーリングへ行ったり、週末にはゴルフへ、あるいは野球をする、という人も居るようだが、ただただ、凄いなーと思うだけである。

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2005/05/20

病葉(わくらば)…邂逅

 水曜日の仕事の最中、不意に「病葉」という言葉が浮かんできた。どんな脈絡で記憶の海の底から浮かび上がってきたのか…。
 そうだ、ツツジの花々の枯れ萎れてしまった哀れな末期を見ていて…だったかもしれない。つい先週までは赤紫色の、あるいはクリームっぽい淡き白色の花を咲き誇らせていたのに。桜は咲きかけも満開の時も、散り際までもが愛でられるというのに、ツツジにしても他の花々同様、萎れてしまったら見向きもされない。
 尤も、皆が愛でる桜(ソメイヨシノ)にしても、散って路上に這ってしまった花びらたちは、ただただ踏みつけにされるばかりである。花(桜)を愛でるというのなら、最後の最後まで行末を見守るべきではないのか。それとも、散り果てた花びらなど見向きもされないという、非情さまでを含めて花(桜)が愛されているというのだろうか。
 散る光景が潔くて美しいなどと愛でておき、花(桜)を愛しているといいながら、実際には、散り果てた花びらは路上に舞い、踏みつけにされ、埃に塗れ、腐っていくのをうざったく邪魔臭いモノと煩がられてしまうだけ。
 散ってしまった花をせめて心の中で手向けの思いを寄せてみる…そんな同好の士がいたらな、と思う。葉桜を愛でるのもいいのだけど。

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2005/05/19

熊谷草(くまがいそう)…熊がいそう

 ホームページの掲示板で「くまがいそう」のことを誰かが話題にしていた(11309)。恥ずかしいかな、小生、「くまがいそう」と聞いても、何一つピンと来るものがない。まして、花の姿形などはトンと浮かんではこない。
 名前からしたら、熊谷(くまがや)などを連想するが、根拠など、あるはずもない。
 せっかく、「くまがいそう」が話題になったのだから、まあ、興味本位ではあるけれど、ちょっと調べ見ることにした。
みともり 花のホームページ」の中の「くまがいそう Cypripedium japonicum」なる頁を覗かせてもらう。「熊谷草」と表記し、「多年草 【らん科あつもりそう属】 分布 沖縄を除く全国」とある。
「4~5月に咲く日本の蘭の代表」以下、説明が続く。花も流麗な雰囲気が漂うが、やや控えめな感じがあって、いかにも野に咲けば似合いそうな花だ。
 けれど、それ以上にこの花は、葉っぱに特長がある。画像を見てもらえたら、一目瞭然なのだが、自らの美しさを決して誇示しない可憐な花をいとおしむかのように、大きく開いた葉っぱが花を包み込んでいるように見える。
 ふと、こんな光景、何処かで見たことがある…と思ったら、そうだ、つい最近、あるブログサイトで「エリザベスカラー」のことが話題になっていたけど、まさしく、エリザベスカラーに守られた傷つきやすい花(顔)といった風情ではないか。

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2005/05/18

筍…竹取物語以前

 今日の表題には「五月晴」を考えたりしていた。「五月雨」を扱っているのに、「五月晴」を扱っていない。だから、空模様が今一つなのじゃなかろうか。いかにも五月という爽やかに晴れ渡った天気になかなか恵まれないのも、小生のこのバランスの崩れた扱いに原因があるのではないか…、そんな疑心暗鬼に駆られてしまったからである。
 けれど、語感からしても、慣用の如何からしても、「五月晴」は五月の澄み切った空をイメージさせるが、本来は梅雨の束の間の晴れ間を表現する言葉だったのである。律儀な小生としては、となると選択肢から外さざるを得ないのだった。
 そこで、五月の季語例表をつらつら眺めていたら、何故か「筍」に目が行ってしまった。五月の帰省の際、竹の子料理を食べ損ねてしまった憾みが今頃になってぶり返してきたのだろうか。
 しかし、考えてみると、ちょっとばかり変でもある。過日、扱った「五月闇(さつきやみ)」だって、「五月雨の頃、どんよりと暗い昼や月の出ない闇夜」の意とはいいながら、「梅雨闇」という類義語があるほどで、本来はどちらかというと、季語的には初夏、それも六月の季語例扱いではないか…。
 言葉に、それとも表現される世界にこだわり始めると、眩暈がしそうだ。

 ま、それはともかくとして。「筍(たけのこ)」に移る。

「竹の秋」は、秋とあっても、春の季語であるとは、既にこの季語随筆の中で触れている(「竹の秋…竹筒のこと」参照)。念のため、「柚のかくし味」というのサイトの説明を借りると、「一面新緑の中で、竹は古い葉が黄色くなって、葉を落とし、筍をそだてるのだという」理由からである(「柚の意匠箪笥」参照)。
「竹の秋」の説明を試みた際、一緒に触れておけばよかったのだが、「逆に秋になると新しい葉が出てくる。竹の春は秋の季語というわけ」である(同上サイト参照)。秋といっても、九月頃のようである。
 では、「筍(たけのこ)」は、というと、初夏も初夏、五月の季語例となっている。
 以前にも紹介したが、小生は「独活と竹の子」の中で「たけのこ」のことについて、大雑把な下調べを試みている。リンクなどを貼り直して、ここに載せておく。

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2005/05/17

青葉時雨…洒涙雨

 このところ番外編的な文章が続いた。ここで季語随筆と銘打っているこのサイトの本来のテーマに戻ろう。つい一昨日もそぼ降る雨だったが、明日辺りはまた雨になりそう。だからというわけでもないが、今日、選んだ季語は「青葉時雨」である。
 いつもお世話になっている、「俳句歳時記の部屋」の「夏の季語 自然編 (50音順)」によると、「青時雨」といった表現もあり、「青葉した木々に降りたまった雨がぽたぽた落ちること」という。
「若葉雨」や「樹雨(きさめ)」という類義語もあるようだ。どちらかというと、梅雨前よりも、初夏をイメージさせる言葉のようだ。
「青時雨 」という名の、本醸造をベースにしたカクテルがあるらしいが、さて、どんな味・香り・色合いなのだろう。

 それなりにイメージの膨らむ季語だと思うのだが、ネットでは句作の例が少ない。「松の香の青葉時雨となりにけり   美保子」(「月例句会報告(2001年前半)」から)とか、「子規堂や青葉時雨に偲ぶ旅」(「第四回三汀賞入選句集(インターネット版)」から)、「夏音も青葉時雨に小休止    酔弘」などが目立つ程度。

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2005/05/16

琥珀のこと…バルト三国

樹液のこと…琥珀」なる雑文を綴ったら、「琥珀」についていろいろコメントを戴いた。やはり、「琥珀」から連想することはさまざまなのだなと改めて思う。
 その詳細は、当該頁のコメント欄を参照願いたい。
 戴いた情報はいずれも小生には興味深かったのだが、中でも初耳というのか、ちょっと引っ掛かったのは、「琥珀というとわたしはカメオとかコーヒーしか浮かびません」という点。
 何故、「琥珀」と「カメオ」や「コーヒー」なのか。どうしてそれらが連想で結びつくのか。
 で、とりあえず、「琥珀 カメオ」でネット検索。
「メーテルワールド 幸運の道具屋」パワーストーンの館 ★ 天然石ルース---カメオ」なるサイトを覗いてみる。その冒頭に、「宝石に凸型に浮き彫りされたものをカメオ(Cameo)とよびます。インタリオは裏側から凹型に掘られたものです」とある。
 なるほど、カメオとは宝石の浮き彫りの一種なのであり、インタリオと対の掘り方なのだと分かる。「宝石の彫刻は人類文明発祥の地メソポタミアに、起源を発するといわれ今から約6000年もの昔、紀元前4000年頃のエラムやシュメール文明の時代に、すでに高度な宝石彫刻がなされていたといわれます。カメオのように浮き彫りの彫刻がされるようなるのは紀元前4世紀、アレキサンダー大帝の時代からヘレニズム文明の時代にかけて見られ」るということで、カメオを「制作している所はドイツのイーダー・オーバーシュタイン市で、世界中の90%以上生産されてい」るとか。

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2005/05/15

樹液のこと…琥珀

 あるがこの季語随筆日記無精庵徒然草「風薫る…西鶴…近松」の中の「その樹液がいよいよ深くなる緑の葉っぱから溢れ出す今頃は、ついには樹液が飛散さえしてしまうようである」という部分を引用してくれていた。
 せっかくなので、他にも関心を持たれる方がいるかもしれないし、小生自身の好奇心も蠢いているので、樹液について若干の補足をしておこう…ということで、当該の頁の末尾に補足として書いた。
 が、加筆にしては量が多すぎるので、番外編として頁を独立させることにした。


[ネット散策していたら、樹脂という言葉の織り込まれた句を見つけた(May 22, 2005)。せっかくなので載せておく。句の作者は木下夕爾である。「ふくやま文学館公式ホームページ」(広島県福山市)によると、「木下夕爾は、名古屋薬学専門学校卒業後福山に帰って薬局を継いだ後、福山を離れず、五十歳の没年まで詩筆を絶たなかった、まさしく、文字通りの郷土詩人です」とのこと:

  わがつけし傷に樹脂噴く五月かな    ]

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2005/05/14

風天居士…寅さん

 先の五月の連休中、帰省して久しぶりに家事などやっていたのだが、合間を縫って、読書にも勤しんでいた。読んでいたのは、図書館の新刊書コーナーに並んでいた(この一角には何故か映画関連の本が多い。それとも、映画関係の本が借りられることなく残っている…、ってことはないと思うが)、岡村直樹著『寅さん 人生の伝言』(生活人新書 112、日本放送出版協会)である。
 連休前、あるサイトで寅さんのことが話題になっていたこともあり、寅さんの本がこれ見よがしに並んでいるとなると、小生、借りるしかないわけである。
 まあ、寅さん(の映画やイメージなど)は、小生、身につまされるものがあり、感情移入せずに彼の映画を見ないわけには行かない。
 今、彼の映画と書いたが、山田洋次監督なのか、映画上の寅さんなのか、渥美清さんなのか、渥美清さんなのだとしても、役者としての渥美清さんなのか病気と闘いつづけた私人の渥美清さんなのか、曖昧である。が、曖昧なままに先に進む。
 ともかく、別に映画嫌いというわけではないが、映画館に足を運んで映画を見ることのめったにない、腰の重い小生を幾度となく動かすのだから、思い入れぶりが知れようというもの。最後に映画館で映画を観たのも(ポルノ映画を覗くと…馴染みのポルノ映画館が十年程前、潰れてしまった。行く場所がなくなった!)、寅さんの映画である。確か、映画が回想シーンで始まるのが寅さん映画の定番だが、その時はアンタッチャブルで、寅さんがネスか誰かの役になりきっていたような。

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2005/05/13

朱夏…夏の海

 昨日、車中でラジオを暇の徒然に聴いていたら、「朱夏」という言葉に注意を喚起された。
 この言葉、小生、知っていたのかどうか、分からない。ただ、意味を知らなかったことは間違いない。
大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」で「朱夏(しゅか)」を引くと、「〔五行思想で朱色を夏に配することから〕夏」と素っ気無い。
 まあ、「三夏 夏場 」と共に、「夏」の類義語(季語)であり、「立夏から立秋の前日まで、新暦5、6、7月をさす」くらいは、ネットで知ることができる。
 更に調べてみると、「青春 朱夏 白秋 玄冬」の四つがセットとなっており、それぞれが人生のある時期(ライフサイクル)を示すもののようである。中国の五行説によると、古代中国の世界観では、万物は五行(木・火・土・金・水)によって構成される。それを季節と色で表せば、木は春で青、火は夏で赤(朱)、金は秋で白、水は冬で黒(玄)となるらしい。
「青春」はさすがに、正しい意味合いを知っているかどうかは別として人口に膾炙している。青春は緑の時期であり(昔は「緑」という概念がなく、「青」で表現していた…「青葉」というが、「緑葉」という表現はなかったわけである)、未熟さを意味し、あるいはこれから熟していく、緑の色の勢いを増していく時期だというわけである。
 となると、「朱夏」は、人生の夏であり、人生の真っ盛りということか。
 ちなみに、「黄門サマ」も、五行説に関連していて、「黄」は、中心的な存在を意味するらしい。
新潮社 小駒勝美の漢字こぼれ話 vol.76 不思議な「五行説」 」などを参照のこと。

 さて、「夏の海」は、夏の季語であり、「夏の波」などの類義語があり、「光が強く、躍動感にあふれている」といった意味合いを持つ。
 人類は数百万年の昔、アフリカの何処かで生まれたらしいが、さらに、20万年の昔、我々の祖先である新人(ホモ・サピエンス)がやはりアフリカの何処かで生まれたという。
 生まれて青春の時代をアフリカで過ごしたのだろうが、やがて、夏の時期、アフリカはもとより広大なる太平洋を越えて世界各地へ進出する躍動の季節、朱夏の時を迎えたのだった。
 以下、例によって野暮な書評風雑学的エッセイとなります。

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2005/05/12

ツツジの季節の終焉…緑滴る

 ついこの間、この季語随筆で「ツツジの宇宙」という記事を綴ったり、「躑躅(つつじ)と髑髏と」などという一文をものしてツツジの世界をいよいよ楽しもうと書いていたのに、連休が過ぎ去ってみると、四月早々から咲いていたツツジの花が早くも萎れ始めている。
 尤も、日当たりなどの関係もあり、まだまだこれからしばらくも健気に咲き誇って楽しませてくれそうなツツジの街路樹や民家の軒先から顔を覗かせている木立もある。
 表題の「ツツジの季節の終焉」というのは、いかにも小生らしく、せっかちなのかもしれない。
 街中を車で流してみると、さすがにマスク姿の人を見かけることは少なくなった。花粉(症)の季節は、こちらはほぼ終息に近付いているということか。

 花もいいが、風薫る五月であり、また、緑滴る五月でもある。
 この「緑滴る」という表現が小生はとても気に入っていて、桜の花が散り尽くし葉桜の頃となると、何かにつけ使ってみたくなる。
 ただ、「緑滴る」は季語ではなく、時候の挨拶(表現)の一つのようである。
 この緑(みどり)、カタカナや平仮名で記述されるより、やはり漢字表記がいい。「緑」以外に、「翠」や「碧」もあるようだが、それぞれに意味合いにおいて違いがあるのかどうか、調べてみると面白そうである。
 とにかく、「緑」という言葉も奥が深そう。
 せっかくなので、「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」で「緑(みどり)」を調べてみると、「緑色の木や草。新緑をいうことが多い。[季]夏」といった意味と、「色の名。光の三原色の一。青色と黄色との中間の色。春・夏の木の葉や草の色。古くは、緑色から青色に至る広い範囲の色をさした。みどりいろ」とが示されている。
「緑児(嬰児)」(みどりご)という言葉も見つかった。最近はあまり使われないようだが。「〔「新芽のような子」の意から。古くは「みどりこ」〕生まれたばかりの子供。あかんぼう」の意である。
「緑のおばさん」は、今は懐かしい風景となった。「緑の糸」というのは、小生には目新しい。「柳の細い若枝」だという。小説か随筆に使いたくなる言葉だ。
「緑滴る」もいいが、最近の女性の髪にはとてもじゃないが使えない「緑の黒髪」という表現もある。「女性の髪をほめていう語。つやつやとした美しい黒髪」の意である。
「濡れ羽色の髪」は、これからの(日本の)女性にはますます無縁のことになっていくのか。シャンプーや着色剤の使いすぎなのか、いかにも脱色され、髪の毛の質も弱々しい…というより、痛々しいような気さえする。栄養が豊富なはずなのに…。「緑なす黒髪」は、死語になりそうだ。

 さて、以下、昨年の今頃、終わり行くツツジの季節を惜しんで書いた「ツツジの季節が終わる」という小文を掲げる。時が来れば、何事にも終わりがやってくるのだろうけれど、もう少し、ツツジさんたちには頑張ってほしいと願いつつ、小生も読み直してみたい。

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2005/05/11

風薫る…西鶴…近松

 どうも、この頃、湿っぽい文章が続いた。この辺で気分一新ということで、久しぶりに「季語の風景|風薫る」の画像と文章で心を洗ってみたい。
 画像は楠だが、「楠は、ちょうど今、若葉が一斉に萌(も)えあがり、鮮やかな命の輝きを見せている。平和な時代の風に軽やかにそよぎ、また時おり青嵐が吹くと、樹は枝を揺らし葉を騒がせ、狂ったように渦巻く。そんな若々しさとエネルギーがまぶしい」と描かれている。
 山崎しげ子(随筆家)氏による、「薫風(くんぷう)や影を濃くせる楠大樹(くすたいじゅ)」なる句も載っている。

「薫風(くんぷう)」や「風薫る」は「青葉の頃、青葉が匂うように吹き渡る南風」ということで、ちょうど五月、それも今頃、吹き渡る爽やかな風ということか。
 休憩のため、車を公園の脇などに止めて、小一時間も経っただろうか、車を走らせようとすると、フロントのウインドーなどに、小糠雨の細かな雨滴でも降りかかったかのような微細な雫の痕が一面に広がっていることに気づく。
 雨? こんないい天気なのに? と、ウオッシャーでウインドーを洗うが簡単には<雨滴>は落ちない。
 そう、雨の雫ではないのだ。青葉若葉の発散する樹液が公園の土にも、道路にも、そして車にも降りかかっていたのである。
 草いきれ。樹液。
 白樺の幹に小さな穴を開け、ビニールの管などを差し込み、管の先はポリタンクに。すると、白樺の樹液が結構、溜まるのだとか。その樹液をコップに移し、生で、あるいは濃縮して飲むと甘美なのだとか。小生は試したことがない(「シリーズ3 自然の中のクスリ (7) 期間限定、自然からの贈り物 白樺の樹液をどうぞ!」を参照のこと)。
 宮沢賢治のある作品(「真空溶媒(初版本)/『春と修羅 〔第一集〕』」)の中に「月光液」という言葉が出てくる:

   ことにもしろいマヂエラン星雲
   草はみな葉緑素を恢復し
   葡萄糖を含む月光液(げつくわうえき)は
   もうよろこびの脈さへうつ
   泥炭がなにかぶつぶつ言つてゐる


 この詩は厳しい冬を乗り越えた春先の草木の芽吹く頃の旺盛なる生命力を表現しているのだろうが、この「月光液」とは、「葉で生成されたでんぷんを運ぶ月光色の樹液のことだ」とか。
 その樹液がいよいよ深くなる緑の葉っぱから溢れ出す今頃は、ついには樹液が飛散さえしてしまうようである。
 そう、飛び散らす樹液は、「もうよろこびの脈さへうつ」その証拠なのだ。

 とここまで、なんとか爽やか路線できたが、やはり小生の地は隠せないようで、樹液は樹液でも言の葉から横溢する樹液をということで、以下、野暮な書評風エッセイに移る。

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2005/05/10

五月闇…回り道

 表題の「五月闇」は、「梅雨闇」という類義語があり、「五月雨の頃、どんよりと暗い昼や月の出ない闇夜」の意だという。
「梅雨闇」という類義語があるのだとすると、今の時期というより、梅雨入りしてからのちょっとした雨の中休みの情景を描く際に使うべき言葉なのだろうか。
 ただ、「shuuibak 2001年6月28日 梅雨闇(つゆやみ、tsuyuyami)」という頁を覗くと、「五月闇(さつきやみ)」「五月雨(さみだれ)」「梅雨闇」「梅雨晴れ」という四つの季語のそれぞれの意味合いの関係は、結構、入り組んでいるし、それ以上に季節感の違い、語感の違いが時代の変化もあり、微妙に生じているようでもある。
 その上で、「もっともサツキのサは稲の霊をさすという説があり、サツキは田植えをする稲の月であった。五月闇は稲の育つ深い闇であったのだが、そんな伝統にこだわることももはやないだろう。むしろ、明に対する暗として、梅雨闇を生活空間に取り込んでみたい。暗(闇)が一方にあるとき生活空間は深みを増す」という指摘(坪内稔典氏)は玩味したいものである。
 
 ネット検索していると、「書かれたものたち/『句と歩く「テ-マ・舌」』 樋口由紀子」というサイトに遭遇した。
 ここでは「「五月闇」は夏の季語であり、「梅雨時は暗雲が垂れ、夜の暗さはあやめもわかぬ闇である」と俳句歳時記に説明されている」という情報はさておき、「五月闇またまちがって動く舌  なかはられいこ」という句を俎上に載せ、俳句と川柳の境界や、さらには川柳の特質を考察している。
 そう、この句は「五月闇」という季語を織り込んでいるにも関わらず、川柳なのである。
 ここまで来ると、小生如きには川柳と俳句の区別は分からない。
「川柳人は季語を日常語と同じレベルで使用するが、あるいは同じようにしか使用できないが、俳人は季語に特別な美意識を持っていて、見事に一句の中で生き返らせる。どちらかというと、俳人の季語の使い方はメンタルであり、川柳人はフィジカルなような気がする。だから、れいこの「五月闇」は季語のように過剰な比重がかかった言葉としては使用されていない」という評釈をただ、押し頂くだけである。
 この考えを、たとえば、俳人は生活実感にできるだけ根差すように心掛け、川柳人は生活実感に即しつつも、やや反省的(抽象的)に根差さんとしてしまう傾向にあると言い換えていいものだろうか。
 ともかく、今日は、「書かれたものたち」というサイトを見つけただけでも季語随筆日記を綴った甲斐があったと思う。
 いつか機会を設けて、改めてこのサイトを覗いてみたい。

 さて、表題に「五月闇」を選んだのは、以下に示す一文「回り道」への導入のつもりだったのである。最初は「緑陰」にするかと思ったが、時期的に早すぎるし、ちょっと爽やか過ぎる。もっと、「暗雲が垂れ、夜の暗さはあやめもわかぬ闇」、あるいは、「どんよりと暗い昼や月の出ない闇夜」の雰囲気を引き出したかったのだ。
五月雨…一期一会」や「梅雨の話じゃないけれど」ではないが、カメママさん事件の余波を引き摺っていた頃、こんなことを思っていたという、「回り道」は、そうした例文の一つなのである。

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2005/05/09

若葉雨…桜若葉

立夏…幻想の未来」(2005.05.06)の記述で葉桜が好きだ、などと呑気なことを書いていたが、肝心なことが抜け落ちていた。当該の頁にも追記しておいたが、「葉桜」というのは夏の季語なのであり、別の呼称に「桜若葉」があり「花が散った後の桜の若葉」を意味するのだというのである。
 ここに改めて補筆しておく。

 さて、五月の頃の季語というと、葉桜からの連想で探し求めたというわけではないが、表題にもあるように「若葉雨」という素敵な言葉がある。
 実は、この言葉を、「melma!blog [優嵐歳時記]May 6, 2005」の中で見出したのである。この頁には、「若葉雨傘差しかけて語りけり  優嵐」という句と共に青空の下の若葉の画像と簡潔なコメントが載っている。
「若葉」という言葉自体が、既に夏の季語、特に今頃の時期を表現する言葉のようだ。関連する季語に、「若葉雨」や「桜若葉」のほか、「山若葉 谷若葉 若葉風」などがあるとか。
 さらに若葉に関連する季語を探すと、「若楓 青楓 楓若葉」、「椎(しい)若葉 樟若葉 欅若葉」、「柿若葉」、「青蔦(あおづた) 蔦若葉 蔦繁る 蔦青し」と、実に多彩である。
 どの季語も、それぞれにその清々しい風景を呼び起こしてくれる。

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2005/05/08

梅雨の話じゃないけれど

 過日、「五月雨…一期一会」と題した一文を書いたせいでもなかろうが、我がホームページの掲示板で、ある才能豊かな作家、今は「故」と冠するしかないカメママさんとの掛け合いで書いた小説のことがちょっと話題になっていた。
 カメママさんのことは、知るひとぞ知るだが、一昨年知り合って、小生がいろいろ刺激を受けた方。彼女は何事にも前向きな方で、結構、小生のサイトのキリ番をゲットされ、そのたびに、キリ番作品を所望される。別に小生のサイトに対してばかりではなく、彼女のサイトでキリ番をゲットしたなら、彼女もちゃんと要望に応じてキリ番作品を書き下ろしてくれる。それも、希望者のテーマを伺い、希望者の名前を小説のタイトルに使ったりと、サービス精神たっぷりのもの。
 小説の中身にこそ、彼女の女性としてのまたご自身が主婦であることからの遊び心が生かされていて、女性ならではの主婦が内心は(妄想として)抱いている妖しい欲望を物語として描いてくれるのだった。
 そうした彼女の諸作品は、下記のサイトで読める:
カメモードな部屋
 この中には、小生が彼女のサイトでキリ番をゲットし、書いてもらった小説もある(掌編 『邦実』)。
 彼女との掌編の掛け合いの形で書いた作品群もある。彼女が亡くなられたことで、中断したままに終わっているけれど:
蝦夷梅雨の頃(1-4)」by 弥一
『梅雨空の女』」by カメママ
『梅雨空の女』2」by カメママ
『梅雨空の女』3」by カメママ

 見られるように、、『蝦夷梅雨の頃』に対し、『梅雨空の女』、『蝦夷梅雨の頃2』に対し「『梅雨空の女』2」という具合に来て、小生は、『蝦夷梅雨の頃4』を書いたところで途切れている。
 恐らくは彼女が健在だったなら、「『梅雨空の女』4」が続くはずだったのである。
 あるいは彼女の幻の「『梅雨空の女』4」が冥府を彷徨っている?
 彼女の「4」に応じて、小生は「5」を書くはずだった。しかも、小生の「4」は、いよいよネット上だけでの知り合いというか、仮想空間を通して心を寄せ合うだけの存在だけだったのが、いよいよ二人が出会うはずの、間際の場面で終わっているのだ。
 彼女は、「梅雨空の女」の主人公のためにも、ハッピーエンドを求めていたような記憶がある。幾つか貰った感想でも、そういった要望があった。煮え切らない「蝦夷梅雨の頃」の語り手であり主人公である男性に、女性の方は、文字通り「梅雨空の女」でありつづけたのだから、せめて物語の上では「梅雨空の女」にはハッピーな形で結末を迎えて欲しい、というのは、カメママさんならずとも願うところなのだろう。
 今となっては、続きを書くのも躊躇われる。
 後日談めくが、小生自身については、カメママさんが倒れた最中、彼女のエネルギーに後押しされる形で、初めてのオフ会を実現した。小生にしては思い切った決断だった。カメママさんには会えなかったけれど、カメママさんを通じて知り合った方たちとのオフ会の場を持ったのである。
 そのうちの何人かとは、今もほとんどネットを通じてだが交流を保っている。

 さて、以下に掲げる小文(「ある書き込みへの返事…」)は、小生にとっては悔いの残る文章であり、自分の考察の半端さに今更ながら忸怩たる思いが残っている。
 しかし、一度、書いて公表した以上は、文章の余波にも責任を負わないといけない。
 念のために断っておくと、小文の冒頭に「あるサイトの日記」とあるが、カメママさんの日記である。
 また、この小文は、カメママさんも読まれていた。彼女としては、文中に半端な形で引用されている一文についても、もっと書き込みたかったはずだ。が、それが果たせないうちに病に倒れられてしまった。
 彼女となら、あるいは彼女になら、もっと突っ込んだ遣り取りが期待できたはずなのである。
 勿論、掲げる文章は、メルマガで公表した当時のままである(今回のアップに際し、リンクを二箇所だけ貼らせて貰った)。

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2005/05/07

夏の蜘蛛

 表題を「夏の蜘蛛」としたが、「蜘蛛」?!…「夏の雲」への転換ミスじゃないのと思われる方がいるかもしれない。
 あるいは、季語に詳しい方なら、ちょっとした違和感を抱かれるかもしれない。
「蜘蛛」というのは、「女郎蜘蛛 蜘蛛の子 毒蜘蛛 袋蜘蛛」といった類語を持ち、「四対の脚があり多くは尻から粘り気のある糸を出して巣を作る」とか、「蠅虎」乃至は「蠅取蜘蛛(はえとりぐも)」というのがいて、「蠅ほどの大きさで軽快に室内を走り、虫を捕食する」のだなどという知識が脳裏を過(よぎ)っていたりするのかもしれない(以上、「俳句歳時記の部屋」の「夏の季語(動・植物-種類順)」という頁を参照させてもらいました)。
 そう、そもそも「蜘蛛」は、それだけで夏の季語なのだ、それを殊更、「夏の蜘蛛」と表記するなんて、表題で季重ねをするなんて、論外だ…、というわけである。

 実は前夜の季語随筆で「家事などに追われていたし、スクーターでの往復千キロ近くの高速ツーリングの疲労が田舎で出ていて、ダウン気味だった。連休の中日に風邪を引いたが、どうやら、ツーリングの疲労が抵抗力の減退を招き、風邪という症状となって現れたようだ」などと書いたが、前言を訂正する必要があるかも、などと感じているのである。
 確かに、スクーターでのロングツーリングは、疲れる。特に帰京時のように雨が降っていたり風が吹いていたりすると、体力不足もあり、覿面に堪えている。昨夜は帰宅してからも、夜半からも(ついさっきまで)寝てばかりだが、本格的な疲労は一日ずれて現れてくるのだろうと覚悟している。
 さて、前言を翻すかも、というのは、風邪の症状の原因は、別のところに求めるべきかと考え始めていることにある。
 実は、掃除した翌日、姉も小生も風邪を引いてしまった。姉は嫁ぎ先の家で、小生は生家で。

 郷里で姉の進言もあり、母のベッドの毛布や一部の衣類、炬燵の上掛けや敷布、カーペットなどを洗濯したり、掃除をしたのだが、それでは、ついでに、小生が帰郷の際に居住する部屋の蒲団や毛布、絨毯、部屋をも、ついでに洗濯・掃除しようということになった(これも、姉の意見)。
 それはいいが、小生が田舎で仮住まいする部屋は、小生がそもそも掃除などしないし、父母も忙しかったり、体の不都合などで掃除ができないでいるうちに、前回、掃除などをしてから数年(下手すると十年かも)を経過してしまった。
 なので、堆積した埃の凄まじさは、想像するのも憚られるほど、だったのである。部屋の掃除は、姉がやってくれた。小生はその間、蒲団や毛布の運び出しをしていた。
 濛々と舞い上がる埃を専ら吸う羽目になったのは姉だったというわけで、姉はたっぷり吸う事になり、喉をやられてしまったようなのである。姉はとうとう、声が全く出なくなり、病院に駆け込むことになった。
 小生は、少々の埃を吸ったこともあるが、どうやら翌日、部屋で居眠りしている間に体を冷やしてしまったことが、主な要因だったのかもしれない。
 さて、原因はともかく、小生、薬を飲むのも、病院へ行くのも嫌いなので(怖いので)部屋で寝込んで回復をひたすら待った次第。
 まあ、想像に過ぎず、風邪の本当の原因は他にあったのかもしれない。姉の家では一家で風邪の菌の持ち回りをしてしまったというし、その余波があったのかもしれないし。
 こんな瑣事があって、埃から、つい、昨年の蜘蛛の出現のことを連想してしまった。女郎蜘蛛ならともかく、ただの無粋な蜘蛛の話で恐縮なのだが。
 それにしても、蜘蛛はどこで越冬していたものか。あの気色の悪い蜘蛛が爽快さを含意するかのような夏の季語とは、なんとなく釈然としないのだが、しかし、暖かくなると蠢きだす生き物の一つではあるのだ。
 以前、藤沢周平の蜘蛛嫌いを示すエッセイを紹介したことがあるが、小生とて蜘蛛は嫌いだが、彼ほどではないようである。少なくとも、見つけたからといって、殺したりはしない。どうぞ、早く、我輩の目の届かないところに消えてくれと願うばかりである。
 
 先に進む前に、蜘蛛という語の織り込まれた句はないかとネット検索したら、「思想の牢獄=俳句」にて、下記の句が見つかった:

 性悲し夜更けの蜘蛛を殺しけり     しづ子

 この作者の一連の句の味わいもいいが、「思想の牢獄=俳句」というサイトも読み応えがありそうなので、後日、読み直して見たい。この句(作者)の発見があったことで、本日の季語随筆を綴った甲斐があったというものだ。
 でも、今は、もう、寝る。今日は仕事だ。

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2005/05/06

立夏…幻想の未来

 五月六日は立夏だとか。類義語に「夏立つ 夏に入る 夏来る 今朝の夏」があり、「穀雨の後十五日、五月六日頃、暦の上では夏になる」という。
「夏めく(夏兆す)」という表現も、「春の花が終わり、草木が緑一色となって夏らしくなること」ということで、似たような意味合いが嗅ぎ取れる。
「春の花が終わり、草木が緑一色となって」というと、その典型は桜なのだろうが、その桜、多くは葉桜となっている。桜の花の咲く頃、散る頃も素晴らしいが、葉桜もなんとなく清々しい気がする。茶髪(桃色髪か)に染めていた、あるいは来客があって、余所行きに装っていた髪の毛を、物見高いだけのお客さんも帰ったし、夏も近付いて自然に温(ぬる)くなったお湯で埃と共に洗い流し、その洗い髪を、今は、他のことに興味を奪われ、ただ通り過ぎていく表で、爽やかな風にゆっくりゆったり靡かせている…。
 寛いだ、他人行儀ではない、内向きの、ほっとした表情を覗かせてくれている…。葉桜を見ると、そんな気がするのだ。緑の葉っぱに覆われて、枝葉の下に木陰を作ってくれさえもする。桜並木の真価が目立つことなく、これから晩秋に至るまで、樹下を通り過ぎる人々に与え続けてくれるのだ。
「春の花が終わり、草木が緑一色となって」という点に異論を抱く人も多いだろう。チューリップが満開だったりする。ツツジが赤紫や淡紫の花を今ぞとばかりに町を彩り縁取ってくれている。サツキの季節も近い。フジの花も軒先に可憐な様を見せてくれているではないか、というわけである。

[若葉が夏の季語ということで、もう少し詳しく知りたく思い、ネット検索していたら、「葉桜」は夏の季語だという記述を見つけた。あれ?! そうだったの?! である。「葉桜」は別の呼称では「桜若葉」であり「花が散った後の桜の若葉」を意味するのだとか。毎度の事ながら、迂闊なことである。 (05/05/09 追記)]
 
 さて、この数日、帰省していて、ネットとは一切、縁がなかった。家事などに追われていたし、スクーターでの往復千キロ近くの高速ツーリングの疲れが田舎で出ていて、ダウン気味だった。連休の中日に風邪を引いたが、どうやら、ツーリングの疲労が抵抗力の減退を招き、風邪という症状となって現れたようだ。
 今度は今日、午後、帰京して明日か明後日には東京で出てきそうである。
 ま、それでも、徐々に調子が出てくるものと思う。
 表題の「立夏」は季語として(時候として…六月扱い?)として頻用される。
 そのあとの、「幻想の未来」は、知る人ならフロイトの名論文を思い起こされるかもしれないが、ここでは違う意味合いを担わせている。

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2005/05/02

五月雨…一期一会

 昨日の夕方近くからだろうか、雨が降り始めた。ちょうど、日記を綴っていて、そろそろ書き終える頃合いに降り始めたので、アップする前に、そのことを一言、書こうかなと思いつつも、えいや!とばかりにクリックしてアップ。
 我が部屋にはカレンダーなるものがないので、ネットで日付や曜日を確かめてみると、昨日は日曜日、そして五月だ。その最初の日に、雨。
 となると、今日の季語随筆の表題は、「五月雨」しかない!
 といっても、小生、歳時記や季語上、「五月雨」がどのような扱いなのか、分からない。早速、調べてみたら、うん、うん、「五月雨(さみだれ)」は「さみだるる 五月雨傘 五月雨髪」などの類語があり、「梅雨時に降る雨。田植えの頃の雨」という説明があって、夏の季語、俳句の句作でも今頃にも使って構わない言葉のようだ。
 ただ、「梅雨時に降る雨。田植えの頃の雨」とあるので、かなり時期的に幅がある。
 しかも、調べてみると、「陰暦の五月、つまり陽暦の六月に降り続く長雨」であり、「梅雨は時候の名称ですが、五月雨は雨そのものを指」すのだとか。やはり、今の時期に季語として使うのは、難があるのか(「[ 花鳥風月 ]水無月の季語」」より)。

 田植えの頃の雨。
 そうだ、例年だと、小生は五月の連休は田植えのために帰省していた。一昨年までは。その田植えも昨年からは止めてしまった。田舎の父母の体力・気力が続かないことと、一番の働き手であるべき小生が、不在。田植えだけ手伝っても、稲作というのは収穫し食べられるようになるまでには八十八もの手間が掛かるから「米作」なのだというほどだというのに、そのうちの一つを手伝うくらいでは、気休めにもならないのである。
 なんのために帰るのか、父母らに会うためは勿論として、昨年の連休からそうだったように、草むしりに励むため、ということになるのか。
「五月雨」というと、小生でも知っている句がある。「五月雨の降り残してや光堂」や「五月雨をあつめて早し最上川」といった芭蕉の句である。
 どちらも感性の鈍い小生にさえ、鮮烈だったり豪快だったりする光景を脳裏に描かしめる。そんな強烈なイメージ喚起力がある。
 こういう句が可能だということがあるから、文学にも俳諧にも疎い小生をして句作へと向かわせるのだ。
 芭蕉による「五月雨」の織り込まれた句というと、他にも「五月雨も瀬踏み尋ねぬ見馴河(みなれがは)」がある。この句の鑑賞は、「芭蕉作品集 夏の季語を持つ句 -芭蕉と伊賀」などを御覧願いたい。
 小生如きが生意気と思いつつも、傑作とは言い難いような。
 それ以上に、この地域で詠まれた句が名句だったら、誰もが一度は行ってみたくなるような名所(観光地)になっているのかもしれないと思ったりする。見馴河(みなれがは)と言われて、場所がピンと来る人は少ないのではなかろうか(そうでないのなら、ごめんなさいなのだが)。

銀座の学校/とーく&トーク/第38回」に興味深い記述があった。後半の「五月の雨と書きますが、旧暦ですから6月のことで、松尾芭蕉の「五月雨を あつめて早し 最上川」の五月雨は、梅雨の終わりにある集中豪雨のことと推察され、7月半ばの雨だと思います」は、小生も季節外れの時にこんな季語を表題に選んでしまってと、忸怩たる思いで、ただただ伺うばかりだが、前段が勉強になる。
「中でも「五月雨」と「時雨」は、昔から詩歌に詠まれてきた雨の代表的な例でしょう」のあとに、「五月雨は夏の季語ですが、「さ」という言葉は、だいたい稲に関係があります。「みだれ」は、「水が垂れる」という意味です」という一文が続く。
 そうだったのか?! 小生など、「五月晴れ」は「さつきばれ」と読むように、「五月の五」を「さ」と読ませているのだと勝手に思い込んでいた。そういえば、「早苗(さなえ)」の「さ」も、稲に関係する?
「さ」が頭に付く和歌関連の言葉というと、すぐに思いつくのは、「小夜時雨」などの「小夜」である。
 有名な和歌に、「み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣(ころも)打つなり」(参議雅経(94番) 『新古今集』秋・483)がある。百人一首のうちの一つだと、知っている人も多いだろう(鑑賞は【百人一首講座】を参照のこと)。
【さ夜ふけて】については、「「夜がふけて」という意味です。「さ」は語感をととのえる接頭語です」とある。そんなことを昔、習ったことがあったっけ。
 あるいは、小生の季語随筆でも昨年、「小夜時雨」を俎上に載せたことがあった。詳しくは左記を見て欲しいが、「小夜時雨」の「小夜」は夜の美称だとか。
 ま、「五月の五(さ)」と「小夜の小(さ)」とは別物なのだけど、「さ」だけに焦点を合わせても、いろいろな意味合いが含まれるのだろうとは予想される。恐らく、「さ」だけでも、論文の一つも書けるのだろう。
 
 せっかくなので、「小夜時雨」の項で扱った「小夜しぐれとなりの臼(うす)は挽(ひき)やみぬ   野坡」という句を改めて味わっておこう。
 あるいは、「小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん   正岡 子規」と「すぐ来いといふ子規の夢明易き   虚子」との呼応関係。
 ついさっきまで聞えていた、時には煩かったりしていた迷惑な音、けれど、「となりの臼(うす)は挽(ひき)やみぬ」と、ふと気が付くと、音が消えている。
 消えているだけ、仕事の手を休めて寝入ったというのなら、それはそれでいいけれど、隣りにいるはずの人の寝息が、今日はもう聞えなくなっている…のだとしたら、寂しい限りだ。さっきまで、そこにいたじゃない! なのに、今はいない…?!
 事件・事故・病気・別れは、いつ起きるか分からない。出会いとは別れが来るまでの束の間の一期一会の時。
 以下、ほぼ一年前に書いた小文を掲げておく。表題は「一期一会のこと」である。
 
 最後に、小生、この季語随筆を帰省のため、数日の間、休ませてもらいます。
 メッセージなど、寄せてくれたら幸いです。
 あれあれ、この一文を書き始めた頃は外は暗かったし、雨もそぼ降る状態だったのに、今、ふと外を見ると、明るくなっているし、日差しが。東京は晴れになりそうだ。

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2005/05/01

青葉繁れる…目に青葉

 表題の「青葉繁れる」が「青葉茂れる」だったとしたら、そこから連想するものは、人それぞれだろう。
 ある年配以上の方だと(それとも右翼の街宣車が流す音楽に詳しい方なら)、「青葉茂れる桜井の」(落合直文作詞・奥山朝恭作曲)という楽曲かもしれない。
国原譜 2004年6月7日」によると、「ご存じ(かどうか知らないが)、楠公父子の「桜井の別れ」を落合直文が作詞、奥山朝恭が作曲した。延元元(1336)年5月、湊川の決戦に赴く楠木正成が桜井の駅(現大阪府島本町)で、長男正行に生き延びて再起を期せと諭す情景を描いている」のだという。
 ちょっと驚いたのは、次の一文。「水戸光圀や頼山陽ら勤王派のほかにも、楠公の忠義に心を打たれた一人に松尾芭蕉がいる。「なでし子にかゝる涙や楠の露」は、今ごろの季節の句らしい。ナデシコに見立てた幼子、正行の袖に落ちた大きなクスノキの露は正成の涙であろうと、芭蕉も桜井の別れを思った」というのだ。
 小生など、芭蕉に「なでし子にかゝる涙や楠の露」なる句があることにも初めて気づかされたような。

 ちなみに、小生がファンとなっている物理学者で随筆家の寺田寅彦による「竜舌蘭」という随筆の中にも、「青葉茂れる桜井の」という曲が言及されている。
「一日じめじめと、人の心を腐らせた霧雨もやんだようで、静かな宵闇(よいやみ)の重く湿った空に、どこかの汽笛が長い波線を引く。さっきまで「青葉茂れる桜井(さくらい)の」と繰り返していた隣のオルガンがやむと、まもなく門の鈴が鳴って軒の葉桜のしずくが風のないのにばらばらと落ちる」とあるように、決して街宣で煩く流すような楽曲ではなかったのだ。

「ガキ帝国」 井筒和幸監督 1981年」という一文の中に、「しかし関係ない話ですが岡本喜八監督の「青葉茂れる」という映画があるんですが、ここでも(仙台が舞台なのですが)威厳のある先生が出てくるんです」というくだりが出てくる。
 岡本喜八監督の映画の情報を調べようと、ネット検索してもみつからない…と思ったら、「青葉繁れる」と表記する74年の東宝映画で、作家の井上ひさしさん原作なのだった。井上ひさしさんというと、小生には、「ひょっこりひょうたん島」の原作者ということで懐かしい作家である。って、勿論、今も現役バリバリの戯曲作家である。

 となると、次は、小説「青葉繁れる」(文春文庫刊)となる。レビューによると、「この長篇は著者の精神的故郷である仙台を舞台に妄想ばかりしていた少年時代をもつ男の思想的半自叙伝をすべての権威を相対化してしまうパロディ意識でつらぬいた愉快な青春小説」という。
 高校時代ではなく、大学生活を仙台で送った小生としては、是非とも読んでおきたい小説だったが、この小説がよく読まれた当時は、あまりに身近すぎて、やや敬遠気味になり、そのうちホトボリが覚めたら読もうと思っているうちに、とうとう今日まで手付かずの状態。覚めたどころか今じゃ冷凍保存されているだろうし、そろそろ読もうかな。
 小生が敬遠気味になったのは、実を言うと、この原作でドラマ化されたことが大きかったのかもしれない(当時は、岡本喜八の手により映画化されていたことに気づいていたのだろうか、疑問)。学生の頃は、小生もちょっとは生意気盛りで、そんなポピュラーなもの、読めるかという感じだったのかも。
 テレビドラマ「青葉繁れる」では、ヒロイン役が竹下景子さんだったとか。
 とか、というのは、このドラマは74年(1974/4/5 ~ 1974/5/31)に放映されていたらしいのだが(小生が大学生になって三年目…三年生じゃないというのがミソ)、生憎と、小生は学生になって二年目までは下宿生活で、夕食の際など、たまには下宿の大家さんの部屋でテレビを見る機会もあったが、三年目には下宿を出てアパート生活を始めた。 
 新聞配達その他をやる貧乏学生にテレビなどあるはずもなく(その後、中古の大型テレビを貰ったことがあった…が、すぐに壊れてしまい、小生は分解し、ブラウン管を不用意に触ったものだから、思いっきり痺れたものだった。感動したのだ…じゃない、感電したのだ! 人生に目覚めるような思いをしたのは、あれが最初で最後か?! 分解してテレビの木枠をサイドテーブルにして使っていたものだった。前面にはレースのカーテンなど付けて洒落ちゃって…)、竹下景子さんとは…じゃない、そのテレビドラマとは見事に擦れ違いに終わったのである。
 なんだか、我が人生は擦れ違いばっかりじゃ。

 余談ついでに書いておくと、昭和四十九年春(!)、北陸銀行のカレンダーモデルに急遽、選ばれたのが当時、まだ無名の新人で女子大生だった竹下景子さんだった。候補には、他に「新劇の卵で近代的美人の宇都宮雅代、歌手・モデルの浅野ゆう子などがいた」とか(「奥野達夫編・著『とやま裏方反省記』(桂書房刊)」参照。本書には、新人だった竹下景子さんらの都内ロケ風景写真も載っている。フレッシュ!)。
 青葉・仙台・富山と竹下景子さんとは深い縁があったのだなー。寅さんの映画のマドンナにもなってくれたし。

 そういえば、小生が大学をなんとか卒業し、上京した年には、さとう宗幸が唄った「青葉城恋唄」(作詞:星間船一作曲・唄:さとう宗幸)が、ヒットしたものだった。これも、小生が仙台を去ってからのヒットだった。
 歌詞に出てくる、「広瀬川」(歩いて、あるいは50ccのバイクでこの川に渡る橋を越えて通学したものだった)、「七夕まつり」(仙台の七夕まつりは8月に催される。小生は8月は帰省中。なので、一度もその賑わいを目の当たりにしていない)、「青葉通り」(大学のある青葉山のキャンパスから下宿までは行きはバスで、帰りは一時間半の道のりを徒歩でトボトボと、この通りなどを掠めて、というのがパターンだった)、「杜のみやこ」(そう、あの頃は杜の都・仙台という雰囲気が残っていた。卒業した翌年から中央の資本が流入して一気に当時の面影が消え去った)。
 不思議というか、面白いのは、唄のタイトルが「青葉城恋唄」なのに、歌詞の中には「青葉城」という言葉が登場しないこと。確かに城郭のない城跡だけれども。小生が最後の最後に青葉山を去った日も、その城跡のある坂道をダラダラと下り降りていったものだった。
 その日、仙台の街並みや広瀬川が眼中にあったかどうか、はっきりとは覚えていない。

 ということで、今回は、季語随筆の枠を食み出してしまった。以下、若干、軌道修正。
 まずは、眼福で気分一新を:

「青葉」でネット検索していたら、お気に入りのサイト「季語の風景」(文・山崎しげ子(随筆家)/写真部・河村 道浩の両氏)の青葉若葉という頁で「新緑のブナ」という画像に遭遇。画像は「落ち葉を踏みながら山の斜面を登った。ブナ、ミズナラ、トチノキ、イタヤカエデといった広葉樹が、高く低く枝を伸ばし、緑の葉を広げている。その若葉の、濃き薄き。見上げると、空が高い」といったもの。
 いつもながら文章と画像とがマッチして、いい雰囲気を醸し出している。

 以下は、丁度一年前、まだ自分が句作に手を染めるとは夢にも思っていなかった頃に書いた「目に青葉…」と題したエッセイ。こういう文章を綴るというのは、句作への下地が自分にはあったということか…。
 尚、松尾芭蕉の頃は分からないが、恐らくは大正時代以降(?)、「青葉」は夏の季語扱いとなってきたようである。芭蕉の「あらたふと青葉若葉の日の光」という句は、季語が「青葉」と「若葉」の二つある季重ねではなく、「若葉」が季語だったらしい。

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