逢う魔が時…花は橘
あるブログサイトを覗いていたら、日記の中で久しぶりに、「逢魔ヶ時」という言葉に出会った。実に久しぶりのような気がする。決して死語ではないが、かといって頻繁に使われるわけでもない。
「逢魔 時」をキーワードにネットで調べてみると、日本語に限定しても28000件をヒットする。ざっと見たかぎりでは、妖怪談義、怪談モノ、魔界モノで使われることが多いようだ。
あるいは、「[藤田あけ烏の世界] 名田西の鴉」によると、夕暮時は「魑魅魍魎や物の化の現れる時でもある」のかもしれない。
また、「夕暮時」から想像されるように、交通事故は日中の眩しい日差しが和らぎ、やや暮れなずんで来た、でも、宵の口にも早いような時間帯での、ちょっと冷っとするような体験、具体的な状況を表現する際に使われることが多いようである。
「逢魔ヶ時 同盟」の「逢魔ヶ時とは」によると、「逢魔ヶ時とは、夕方・黄昏の頃のこと。日が沈み、周囲が闇に浸かる時刻。この時間帯は一般的に、奇妙な感覚を覚えたり幻覚を見たりしやすいと言われています。その為なのか、事故などが多い時間帯でもあります。 あらぬものを見る、事故を起こす… 一番 “魔”に遭遇しやすい時刻。 魔に出逢う刻…それが逢魔ヶ時」などと説明してある。
あらぬものを見るかどうかは別として、日没時は、目がまだ明るさに慣れた状態だけに、僅かに暮れ始めているだけでも、その薄闇が視界を遮ること、想像以上のものがある。黄昏時に事故が多いのも、無理はないのだ。
[冒頭に掲げたライラックの画像は、マコロンさんから戴いたものです。]
念のため、「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」で「逢魔」を引いてみたら…、「該当する項目が見つかりませんでした」となる。
ええっ、そんな?! である。
けれど、検索結果を眺めていくと、「日国.NET」の「21世紀に引き継ぐ国語辞典を」という頁(座談会)が出てきて、その中のある人の発言に、「「おおまがとき(大禍時)・おうまがとき(逢魔時)」という言葉がありますが」というくだりがある。
ああ、もしかして、本来は、大禍時(おおまがとき)」なのか、それがどこかで転訛して逢魔時(おうまがとき)に変貌したのか…と、今度は、「大禍」を上掲の「マルチ辞書」で引いてみると、「〔大きな災いの起こりやすいときの意〕夕方の薄暗い頃。〔「ま」を「魔」と解して、「大魔時」「逢う魔が時」あるいは王莽(おうもう)の故事に付会して「王莽時」とも書く〕」といった説明を得ることができた。
ということは、「逢う魔が時」なら、データがあるのかと調べると、実際、そうだった。「逢魔」じゃダメで、「逢う魔」なら、なんとかデータが出てくる…。
なんだか、融通が利かない。そこがネット検索とは違うところか。ネット上の辞書も、ネット検索のノウハウを導入しておかないと時代に適応できないのでは、なんて思ったりする。
さて、小生の記憶違いでなければ、「逢魔時」乃至は「逢う魔が時」といった言葉(表現)にはいつだったかどこかで出会った気がするが、「大禍時」は初めて目にするような。もち、「大魔時」も。
尤も、「大禍(おおまが)」を「たいか」と読むのなら、目にしたことがあったかもしれない…ような。
それはともかく、「王莽(おうもう)の故事に付会」しているという「王莽時」が気になる。
同じく、「マルチ辞書」で調べてみると、「(前45-後23) 中国、前漢末の政治家。字(あざな)は巨君。讖緯(しんい)説を利用して人心を集め、皇帝を毒殺して新を建国。周礼の制に基づく改革政治を断行して豪族・民衆の反発を買い、劉秀(りゆうしゆう)に滅ぼされた」という説明を得る。
おお、そうだった。新を建国した人だった。彼は「改革政治を断行」したというが、また、様々な新貨幣を発行した人でもあった。
但し、短命に終わった政権(国家)ではあるが、王莽銭の名誉の為に付言しておくと、「デザイン 鋳造技術 素材(中国古銭の金質参照)という点においておそらく当時の最先端技術をもって造られた貨幣」で、「時代の製作とは思えないほどの合金技術 鋳造方法 大量生産技術により造られており、歴史書には書かれていませんが 王莽はとてつもない符術士を抱えこんでいたのではないのでしょうか」というのである(「王 莽 銭」より)。
むしろ政権が呆気なく崩壊したのは、財政再建に真面目に取り組んだからだったのかもしれない。
王莽の活躍した時代というのは、日本は弥生時代に当たる。「中国の前漢(紀元前202~紀元8年)の武帝が紀元前118年に初めて鋳造した貨幣で、その後も隋(581~618年)に至るまでの数百年間中国で流通し」た「五銖銭」は、日本では遺跡からの出土例は少ないが、「王莽(おうもう)が紀元14年に初鋳した貨幣で、右側に「貨」左側に「泉」の字を鋳てい」る「「貨泉」は、原の辻遺跡に限らず、そこそこに出土している。
この新の「貨泉」は、「流通した時期が限定されますので、遺跡の時代を知る重要な遺物」なのである。
それにしても、王莽は、皇帝を毒殺して新を建国したというが、だからといって、王莽を大禍時の別表現というのは、ちょっと失礼に当たるような。よほど、腹黒い連中(あるいは前漢か後漢政権の関係者や歴史家か)に嫌われていたということか。
「大禍」を更に調べると、「大禍津日神(おおまがつひのかみ)」という項目が見つかる。
「古事記神話の神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国から帰還して禊(みそぎ)を行なった時に、黄泉の国のけがれから化成した」という。
もっと詳しくは:「大禍津日神」
大禍津日神を祀る神社はあるのかどうか。宇良神社と関係があるらしいが。
この宇良神社は、別名、浦嶋神社と言う。あの浦島太郎の物語に関係する。
「逢う魔が時(逢魔が時)」という表現だが、文字通り、本来はある一定の刻限での魔の状況を指すはずなのに「逢魔が刻」「逢魔が淵」「逢魔が池」などといった、多分は応用された表現がネットでは散見される。
ネットでは、ざっと見た限り見つからなかったが、以前、何かの本で「逢魔が辻」という言葉に行き逢ったことがあったような気がするが、定かではない。それとも、映画か漫画だったかな。
一方、「逢う魔が時」は、人生の迷いの時、遅疑逡巡の時期なのだとしたら、また、違う発想もありえる。人生(将来)の選択をどうするか。病。人間関係。恋の迷い。
小生は、「三方沙弥(みかたのさみ)」の「橘の蔭踏む路の八衢(やちまた)に物をぞ思ふ妹に逢はずして(万2-125)」という歌を連想したりする。
「三方沙弥 千人万首」の通釈によると、「橘の木蔭を踏んで行く道が八方に分かれているように、どうしたらいいのかと思い乱れている。おまえに逢うことができずに」だという。
「「八衢に」は、思いが交錯して悩んでいる状態を言う」のだとか。
この歌に出てくる「橘」は、「橘の花」であり、「柚の花 金柑の花 橙の花」そして「蜜柑の花」といった類語を持つ。ここでは「蜜柑の花」だろうか。季語上は夏ということになるが、さて、この歌の場合は、一体、いつ頃の季節を思えばいいのか。
「橘の木蔭」という表現が施されているからには、実か花が咲いている時期と思うのが自然なのだが。
花は橘というと、「花橘は名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひ出でらるる」という「徒然草・一九段」を連想される方も多いだろう。
「世界の古典つまみ食い」の「『徒然草』 もの狂おしくない新訳」を参照させてもらって、その前後を含めての訳を示すと:
季節の変化ほど面白いものはない。
「秋ほど素敵な季節はない」という人は多い。確かにそうかもしれないが、春の景色を見るときの感動はそれ以上だとわたしは思う。春の鳥がさえずり始め、おだやかな光が差し込み、垣根の下に雑草が生えだす。それから、あたりに霞がたなびくようになると桜が咲き始めるのだ。
ところが、ちょうどその頃に雨が降りつづいて、桜は気ぜわしく散ってしまう。そして、新緑の季節の到来。どれも心浮き立つことばかりである。花は橘というが、昔のことを偲ばせるのは香り高い梅の花だ。それに清楚な山吹の花、しなやかな藤の花、どれも捨てがたい。
「木々の枝葉が青々と茂る灌仏会(かんぶつえ)や葵祭りのころこそ、逆にこの世の悲しさ切なさを痛感する」という人がいるが、わたしもその一人だ。菖蒲を軒にさす端午の節句や、田植えが始まるころに、水鶏(くいな)の泣く声を聞くと切なさが募ってくる。
(転記終わり)
どうも、やはり、季節の捉え方、季節の変わり目の表現・感じ方というのは、なかなかに兼好を初めとした古の人々の描き示した域を容易には食み出ることを許さないもののようだ。
逢う魔が時…。一体、その時に出会う魔とはどんなものなのだろう。
通常、逢う魔が時というと、そろそろ夕暮れ時の迫る頃を指すもののようだが、朝方も結構、そんな感じもあるような。闇に慣れた目には、日の光そのものが魔的なほどに目にも心にも酷かったりする。まるで夜を通して何か悪いことでもいていたのではと、指弾されているような心持ちにされてしまったりする。
あの列車の事故(事件)は、さすがに、でも、逢う魔が時とは言いかねるようだけれど。合掌。
| 固定リンク
「季語随筆」カテゴリの記事
- 陽に耐えてじっと雨待つホタルブクロ(2015.06.13)
- 夏の雨(2014.08.19)
- 苧環や風に清楚の花紡ぐ(2014.04.29)
- 鈴虫の終の宿(2012.09.27)
- 我が家の庭も秋模様(2012.09.25)
コメント
ん?ブログサイトで「逢魔ヶ時」?
もしや、うち? σ(^^;)
と思って、一旦帰ってみると、案の定~♪
そうですねぇ。
逢魔ヶ時、あまり見ないでしょうか。
妖しい字面が好きなんです。
黄昏も好きです。黄金色に暮れていく感じがして。
古典を習った時、暮れて行く時間の名前も色々あるけど、
実は、明けて行く時間の名前のほうが沢山あるのよと
教わりました。(記憶が間違ってなければ)
残念ながら、「たれそどき」しか覚えてませんが、
逢瀬の後、夜が明け切らないうちに帰るのが
粋とされてた時代、
夜を惜しむように夜明けまでの間、沢山の名前あるのは、
当たり前か~♪なんて思ったりしたんですよね、当時。
投稿: Amice | 2005/04/28 19:27
Amice さん、コメント、ありがとう。
そして、書く切っ掛けを戴き、改めてありがとう!
文章を書くのが好きといっても、毎日、書くとなるとネタがねえーだ、となってしまってます。
逢魔、逢瀬、逢初と、「逢」の絡む言葉は、それぞれに味わいがあり意味深だったりする。
関係ないけど、小生は古典の授業が(というか、授業が)嫌いだったし、実際、成績が悪かったので、今更ながらですが、もう少し勉強して基礎を養っておけばよかったと思ってます(思っているだけ)。
可能なら大学で日本の古典を基礎だけでも学び直したいものです。
Amice さん、皆さん、いろいろ教えて下さい!
投稿: やいっち | 2005/04/28 21:39
逢魔が時、魑魅魍魎・・・
私の大好きな世界だわ~
Amiceさんのブログサイトの名前なんですね。
ご挨拶が遅れました。
始めまして・・・マコロンと申します。
宜しくお願いいたしますm(_ _"m)ペコリ
ここ4・5年、妖怪から民話の世界に嵌って
あやかしの世界・不思議の世界が大好きなんです。
ライラックの画像を使ってくださってありがとうございます。
投稿: マコロン | 2005/04/29 22:11
マコロンさん、こんにちは。
ライラックの画像の使用許可、ありがとう。
逢魔が時は、Amiceさんのブログサイトの名前じゃないんです。すみません。曖昧な表現だったかな。訂正しとかなくっちゃ。
Amiceさんが、直接、サイトアドレスをマコロンさんに教えてくれたらいいけどな。
「ここ4・5年、妖怪から民話の世界に嵌って
あやかしの世界・不思議の世界が大好きなんです」
小生も、今は一息ついているけど、童話・民話・昔話の世界には嵌りました。世界が決して杓子定規じゃないってこと、教えてくれます。
投稿: 弥一 | 2005/04/30 00:15
おぉ~、本当だ♪
では、改めまして♪
こんにちは、マコロンさん♪ 声を掛けていただいて、嬉しいです。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
え~っと、逢魔ヶ時と言うのは、ブログの名前じゃないんです。
でも、この名前のほうが、雰囲気あっていいかも。^^;
タイトル「Amiceの雑記」で、文字通り何でもありの雑記を綴っています。
(すみませ~ん、面白くないタイトルで (A^^;))
図々しくもURLを置かせていただくと、
http://2.suk2.tok2.com/user/AMICE/ です。
お気が向かれたら、おいで下さいませ。
ただ、本当に極普通の日記っぽいので、「逢魔ヶ時」のイメージで来て頂くと、
がっかりなさると思います。
ちなみに、もっと図々しくHPのURLも置いちゃうと、
http://page.freett.com/Amice/index.html だったりします。
下手は下手なりに、物語も書いてたりなんかして…。
やっぱり、お気が向かれることがおありでしたら、暇つぶしにでもおいでください。
では♪
投稿: Amice | 2005/04/30 07:54
だってさ。マコロンさん、Amiceさんが呼びかけてるよ。
オイラは縁結びの役回り。いいね。
投稿: やいっち | 2005/04/30 10:56
Amiceさん、さっそくお邪魔させていただきましたよ~
それにしても皆さん文章を書くのがお上手。
羨ましいなぁ~~~
駆け足で拝見したのでもう一度ゆっくりお邪魔させていただこー
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌( ̄ー ̄)┘
投稿: マコロン | 2005/05/02 15:32
うんうん、みなさん、ネット(ブログ)の輪を広げてね。
ちなみに、小生、本日午後、帰京しました。留守をありがとう。
投稿: 弥一 | 2005/05/06 21:42