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2005/04/26

指パッチン

 4月の22日の金曜日、そろそろ仕事のため外出の時間が迫っているなと思っていたら、テレビのワイドショー的番組の中で、タレントのポール牧さんが自殺されたようです、という一報がキャスターの口から飛び出した。
 話題は忘れたが楽しげな話で盛り上がっている最中に、その報せを書いたメモがキャスターの手元に回ってきたようで、それまでのにこやかな表情を曇らせなければならない、でも、人間だもの、そんなに簡単に表情をコロコロ変えられるはずもない、そんな戸惑い気味の顔が印象的である。
 というより、その一報を伝えた後、すぐに楽しい話題の続きに戻っていってしまったことのほうが記憶に鮮明なのか。
 それからほどなくして仕事へ出かけ、続報などは車中、ラジオで断片的に窺い知るだけだった。
 翌日、ポール牧さんの自殺のことは、テレビでも採り上げられていたが、遺書が残っておらず、自殺の本当の理由は分からないままのようだ。
スポニチ Sponichi Annex 速報 2005年04月22日」によると、「22日午前4時50分ごろ、東京都新宿区のマンション敷地内で、9階に住むタレントのポール牧(本名榛沢一道)さん(63)が血を流して倒れているのを、タクシー運転手が発見した。ポール牧さんは全身を強く打っており、病院に運ばれたが間もなく死亡した」と冒頭にある。
 タクシー運転手が発見した。我が同業者である。だからといって、彼の自殺が自分に意味を持ったというわけではない。
 非常につまらない理由だが、小生、今でこそ手(指)の圧力などが弱まっていて、とてもじゃないけれど、その気にはなれないが、実は指パッチンが得意だったのである。

 といって、別にポール牧さんの芸を真似したわけではない。「ポール牧さんは北海道生まれ。上京後、漫才コンビ「ラッキーセブン」を結成、その後役者としても活躍した。「指パッチン」の芸が人気だった」と書いてあったり、報道されても、ピンと来ない。そういえば、そうだったのかな、というくらいなのである。
 それより、やはり小学校の頃の思い出のほうが印象が強い。
 ガキの頃、学校の教室だったかで、誰かが(先生だったかな?)指をパチンと鳴らして人の注意を喚起する様子を見て、休み時間になって早速、真似してやってみたら、そのパチン!の音がなかなか澄んでいて、しかも、音の通り(透り?)がいい。
 声が篭りがちで喉を張り上げても離れた場所の人の注意を喚起はできないが、指パッチンだと、物珍しい音ということもあるのか、気が付いてくれる。
 となると、自然、指にも力が入ろうというものである。親指と中指とをうまい具合に擦らせると、空気が振動し、音が発生する。理屈は分かるが、どうしてこんなクリアーな音が出るのか、不思議だった、そして得意げだったのを思い出す。他に何の取り得もない自分の、ささやかな芸(?)だったようである。

 けれど、ポール牧さんのことで印象的なのは、むしろ、「禅寺の生まれで僧名もある」という牧さんが、10年程前、得度され仏門に入られた時、テレビでインタビューの様子が放映されていた。その表情が今も強烈なのである。にこやかというより、満面の笑みを浮かべていて、もう、迷いは吹っ切れたという表情。
 本当なのだろうか、人間は迷いを断ち切れるものなのか、遅疑逡巡して疑心暗鬼になって暗夜行路を手探りで行くのが、煩悩の多い人間の道なき道なのではないか。
 その迷いを仏門の世界で一層、六道の闇夜の奥深くへ分け入っていく、その覚悟ができた、というのなら、分からないでもないけれど…、というのがその時の印象だった。何か、ポールさんはとても無理しているという根拠のない直感を彼に対して抱いていた…、直感というより疑念だったのかもしれないが。
 今度、ネットで調べてみて初めて知ったのだが、彼の得度は二度目だという。初耳。けれど、彼がもともと仏門の出だとしたら、二度目なのは当然なのかもしれない。
◆木偶の妄言◆」というサイトの「ポール牧さんに取材したとき」という頁を覗いてみた。
 そこには、「禅寺の三男。10歳で得度し出家したが、兄弟子たちにひどくいじめられ、修行先の寺から逃げ出して還俗。人を楽しませる仕事がしたいと、喜劇役者になった。年を経るうちに「若いときに遣り残したものがある」と悩むようになり、55歳で再び得度した」とか、さらに、「「喜劇役者も仏教も、相手に対する奉仕の心が大事。2つは通じているんですよ」と言っていた。僕の取材ノートにいただいたサインには「芸道仏心」と書いてあった」ともある。
 そうだった、ポール牧さんが(二度目)の得度で仏門に入った時、「芸道仏心」といったような言葉をテレビカメラ(取材陣)に示していたのだった。
 小生は、その言葉を見て、凄いなと思い、且つ、無理してるなという勝手な直感というか感想を抱いていたのである。
 尤も、これは仏門の方に叱られるかもしれないが、そもそも悟りというものを信じていない。それは心の死そのものなのではないかと思えてならないのだ。
 心ある人は、お叱りの言葉を小生に賜ってくれたらと思う。

 さて、小生は気になる方の死に際しては、日記などに個人的な感懐を綴ったりする。中でも寅さんこと、渥美清さんについては、亡くなられた後も、折に触れ、幾度となく綴ってきた(本稿は、役の上の寅さんに焦点を合わせているが)。
 以下、そのうちの一つを掲げておく(ほんの一部だけ、書き換えてあります。公表当時を知る人なら、違いが分かるだろうけれど):


「寅さんの映画を見る」( 03/11/24)

 今日も何となく寅さんの映画を見ていた。言うまでもなく、「男はつらいよ」だ。今夜のは、「寅次郎サラダ記念日」と題されていて、1988年の作品である。三田佳子や三田寛子、鈴木光枝、奈良岡朋子らがマドンナないしは主要なゲストだった。
 ストーリーは、詳しく述べる必要はないだろう。一人っ子の息子を里の母親の元に預け、遠く離れた医者の行きたがらないような僻地に女医として働くマドンナの役を三田佳子が演じている。ご主人は登山で死んでしまった。そのマドンナに例によって寅さんが惚れるわけである。女医も寅さんに亡くなった主人の面影を見出している。
 ストーリーを詳しく述べる必要がないというのは、別に映画の内容がつまらないとかではなく、逆に小生は寅さんに過度に感情移入してしまうので、ストーリーがどうだとかなどは、見ているうちにすっ飛んでしまうのだ。
 惚れっぽい寅さん。でも、惚れっぽいというより相手の感情へ共感する心が誰よりもあるのだろう。だから、惚れる。惚れるだけではなく、相手のことを親身になって考える。自分のことを我が事のように考えてくれる人がいたなら、そして心に迷いや透き間があるなら、そんな人に、その外見や職業や噂など関係なく、心を寄せるものなのだろう。
 女医は、子どもと一緒に暮らしたいと思っている。その子どもは小学生だが、もう、高学年で自分を一人にしている母親に対しては複雑は感情を抱き、反発もしている。
 僻地での医者の仕事は辛い。地元の人に頼られているとはいえ、医者としての出世コースからも落ち零れていく。若い頃は自分が優秀だと自惚れ、恐らくは同僚の多くは将来を約束された花形の地位に付いているのだろう。
 一方、淋しい気持ちは隠せない。子どものためにも一緒に暮らしたいといいつつ、女としての自分を何とか満たしたいという思いもある。勉強もしたい。その僻地(小諸…東京から見たらの話だが)には、女医と一緒に働く中年を過ぎたヤモメ暮らしの男の医師もいる。彼は密かに女医に恋している。でも、女医の心が亡くなって久しい亭主にあることを痛感している。
 ところが、その女医が山の病院を離れ、子どもと一緒に暮らしたいといい始める。
 なんだ、心が揺らいでいるのか、亭主への思いも断ち切れ始めているのか、だったら、ここに、オレがいるじゃないか、お前に惚れているけれど、でも、亭主への未練を思うから我慢を重ねているオレが居るじゃないか…。この期に及んで、この病院を、つまりはオレを捨てて都会へ出て行くなんて、許せるものか…。
 それぞれに身勝手なような、それでいて互いに自分のことを忘れて相手を気遣ってしまう、切ない思いをどうしようもなく、悩んでいるわけである。
 そんな中、寅さんがピエロの役回りを演じて、土壇場で行き詰まっていた状況を一気に引っくり返し、自分の女医さんへの思いを断ち切り、女医をその医者のもとに帰らせる。自分は、やっぱり、風来坊なのだ。香具師なのだ。そう言い聞かせて納得しているのだろうか。
 寅さんに感情移入しているといいつつ、では、小生が似ている部分があるかというと、まるでない。せいぜい、いい年をして独り者だという点だけである。優しい妹がいて、親身に世話したり、常に気を使ってもらえるわけではない。
 そんなこと以上に、誰彼の悩みを聞いて受け止めてやれる度量がない。誰彼が気さくに語りかけてくる雰囲気を持つ男でもない。小生は、ただただ、ボンヤリしているだけの人間なのだ。普段、一人部屋に居て、一言も語ることはない。一人で語ったらおかしいが、電話にしろ何にしろ、話をする機会がまるでないのだ。
 これは自業自得という奴で、別に誰を責める筋合いのものではない。自分の意志ではないに白、自分の中の本能的な部分で、人を遠ざけているのだろうと思うしかない。淋しくてならない、若い頃から、淋しさにどれほど辛い思いをしても、だからといって人に縋ることはできなかった。誰かが来てくれることもない。
 あまりに一人暮らしが長いものだから(三十年以上)、人と同じ屋根の下で暮らすというのが、なんだかピンと来ない。とてもそんなことはできないのじゃないかという不安が先に立つ。別にそんな心配などしなくても、現実にそういう事態が迫っているわけじゃないのだけど。
 ただ、そんな自信のなさが、知らず知らずのうちに人付き合いを更に難しいものにしている。
 じゃ、寅さんの何処に過度に感情移入しているのか。
 とどのつまり(勝手な思い込みに過ぎないのだろうけれど)、会った誰彼を問わず、無闇に共感してしまう、しかも、場合によっては、思いっきり的外れの共感に過ぎないかもしれないのに、でも、感じてしまう、で、それこそ勝手に相手に思い入れしてしまい、その相手が消え去って、さて、なんだか拍子抜けしたような、心配したのが馬鹿みたいだったような、でも、それが自分のパターンなのだと思って納得してしまう、その悲しい愚かしさが似ているように思えてならないのだ。
 寅さんは、振られているのだろうか? 形の上ではそうだし、ピエロの役回りを演じている。トリックスターとでもいうのだろうか。けれど、無意識のうちに自分が振られるように持って行っているのだと思われる。
 この、自分では自覚できないところで、自分の感情の上ではつらくて堪らないのだけれど、その実、結果として自分が身を引き、ある意味、男と女の世界からも一歩、退いてしまうというのは、歯噛みする悔しさと同時に、ホッとする一面もあるのかもしれない。そんな臆病な自分。
 もしかした、その自覚せざる臆病さに共感しているのだろうか。
 それとも、まさか、臆病といいつつ、実は、誰に対しても分け隔てのない優しさってことはないのか…。

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コメント

TBありがとうございましたーー。
ところで。
あたし、寅さん大好きなんです~。
ウチに「男はつらいよ」のビデオ全巻あります。えへへ。
サラダ記念日、いいですよね。あのときの三田佳子は色っぽくて女っぽかったし。俵万知の短歌をうまいぐあいにパロって使ってましたね。

あたしは寅さんってすごく二枚目だと思ってます。
それに「男はつらいよ」って純文学だなぁ、とも思うし。
あぁ、また観たくなってきた~(笑)

投稿: ミメイ | 2005/04/29 00:09

ミメイ さん、来訪、コメント、ありがとう。
寅さんの映画、いいですよね。映画を基本的には見ない小生も、これだけは例外。
ただ、この映画のロケ地の例外が二つの県だけある。しかも、我が富山には全く予定にさえなかった地。淋しい。
となると、小生が富山の寅さんになってやるー!で、頑張ります?!

投稿: 弥一 | 2005/04/29 11:17

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