二輪草…二輪、そう!
表題の二輪草は、花としては目立たない、というより、二輪草というくらいで、草にポイントがあるのかもしれない。野草、ということなのだろう。
「北信州の道草図鑑 ニリンソウ(ニ輪草)」を覗いてみよう。
「やや日陰のような場所に群がって咲いています。はじめは花が一つだけ咲きますが、一輪草よりも花は小さい」…。それが、一つの茎に、「やがて花が二つ並んで咲くので、二輪草と名付けられました」というわけである。
この<草>については、「にりんそう【二輪草】:キンポウゲ科の多年草。茎は柔軟で、高さ10~20センチメートル、根生葉は掌状に深裂。4~5月頃、普通2本の長花柄を出し、白花を開く。山地にしばしば群生し、観賞用にも栽培。 広辞苑」と説明してくれている。
一つの茎に二つの花…だから二輪草というわけだが、一輪から四輪という変異種もあるらしい。
「TKK・上高地の花々2 二輪草(ニリンソウ)」によると、「花言葉は「愛らしい」」なのだとか。
では、一輪草は、どんな草花なのだろう。同じく、「北信州の道草図鑑 イチリンソウ(一輪草)」を覗かせてもらう。
「蕾はやや赤みがあるが、開くとほとんど白く見え」、「花が一つだけ咲くから一輪草と呼ばれ、花が二つ咲く二輪草よりも大きな花です」だという。
この<草>については、「いちりんそう【一輪草】:キンポウゲ科の多年草。各地の草地に自生。観賞用にも栽培。茎の高さ約20センチメートル。葉は三回三出の複葉で、小葉には深い切れ目がある。春、約10センチメートルの花柄を出し、微紅紫色を帯び、梅花に似た花を1輪開く。近縁種にニリンソウ・キクザキイチゲがある。イチゲソウ。 広辞苑」だという。一輪草には、この草に咲く花が一輪ということでだろうか、一花草(いちげさう)という別名もあるらしい。
花は多少、大小はあっても、似ている。が、葉っぱは、結構違う。それに、咲く場所も違っているようだ。
無論、一輪草も二輪草も、共に春の季語である。また、「四季の花 アネモネ」によると、大きくは、「福寿草、クレマチス、翁草、金鳳花、秋明菊」などと共に、「アネモネの仲間」だという。
今日の季語随筆は、以下も、途中までは季語随筆である。あくまで、途中までは、だが。
但し、小生の好きな歌手の一人である川中美幸が唄ってヒットさせた「二輪草」へは話は向かわない。
「草花からの伝言 イチリンソウ(一輪草)」によると、一輪草の花言葉は「追憶、深い思い」だというが、ちょっとビックリしたのは、「このイチリンソウ(カタクリなども実はそうなんですが)地上にあるのは1年の内のたった2か月程度。3月中旬から下旬に土から芽を出し、葉を広げ、大急ぎで花を咲かせて実を結ぶと、5月初旬には葉を落して翌春まで休眠。1年分の光合成を2ヶ月で終わらせて後はひたすらお休みです」ということで、「花も草も寿命が短くすぐに消えてしまうこの花を、ヨーロッパで「スプリングエフェメラル(春の儚い命、春のかげろう)」と呼んでい」るという。
この「草花からの伝言」には、一輪草についての逸話なども載っていて、参考になる。
「水眠亭日記」を覗くと、「昨年の夏に、水眠亭に川へ迫り出した桟敷を設しつらえて以来、陽光(ひかり)の有難さをしみじみと感じている。冬晴れた日には、その桟敷で十分に日向ぼこを楽しんだ。やがて厳しい冬も去り、一雨ごとに暖かさが増してくると早春の陽光の中で草や木々は少しずつ育まれて行く。凍てついていた冬の土の中でも草木の芽は春に向かって微かに動き始めている。そして残雪の下の土は、ほんのりとぬくもりがあり草の根をしっかりと抱きこんでいる。雪の絶間には蕗のとうや犬ふぐりの芽がもう春の身じろぎを始めていた。そんな草木の命に出会った時、心の底から生きる力が漲ってくる。それも陽光(太陽)の恵みなのである。寒さがゆるみ春色が目にみえて濃くなると、水眠亭の周辺も早春の花が咲き始める。川辺の黒文字の木は黄色のやわらかな、花をひっそりと咲かせている。その下には細い首をもたげて梅の花くらいの白い花二つが寄りそうかのように咲いていた。二輪草である」などと、素敵な随想が読めたりする。
以下、「同じく白い花といえば、まだ新芽の出ない雑木の山の中で、いち早く花を開き、道行く人々の目を楽しませてくれる辛夷(こぶし)の花を見ることが出来る。農事に携わる人達は、この白い辛夷の花を見て苗代の準備を始めた。「田打桜」と呼ばれる所以(ゆえん)である。寒い冬を忍んできた山間の人達にとって、それは何にもまして嬉しい春の知らせだった」などと続くが、一体、「水眠亭」って、どんなとこ?
「水眠亭」のプロフィールを覗かせてもらうと、「1994年より神奈川県丹沢西麓の清流(串川)沿いにある約150年前(江戸末期)の農家を自ら改造し、囲炉裏・桟敷(川床)・庭等、日本の伝統文化を基に西欧の文化と融合した新しい空間を造り上げた。その中で彫金工房・ライブスペースさらに茶室・ギャラリー等、次々に自由空間を増殖している。「水眠亭」と名付けられたその場所から彫金・工芸・デザイン・音楽・俳句・食文化(蕎麦etc.)等の多様なアートのエッセンスを発信している」とのこと。
そのご主人は、「俳句結社「季」会員。ハンドパイプ作家、グラフィックデザイナー、彫金作家、俳人、ベーシスト、蕎麦打ち、根付けなど、多様な分野で活動」とのことで、多彩な活動をされているようだ。
引き比べるのは、賤しいような気がしつつも、羨ましいような、小生には夢のような存在だ。
さて、今日の表題に「二輪草」を選んだのは、恥ずかしいくらいの理由に過ぎない。以下、読まないで欲しいくらいだ…。
知るひとぞ知るだろうが、関心のある人たちには悲願だったある夢が、この四月から実現となった。
そう、それは、道路交通法が改正され、高速道路でのオートバイの2人乗りが、一定の条件はあるものの、解禁となったこと。一般道はともかく、高速道路では2人乗りは許されていなかったのだ。
[一定の条件については、「日本道路公団」を参照のこと]
小生も、かねてより、高速道路での2人乗りの禁止は、非合理極まりない制約だと、メルマガやHPなどで、2人乗り禁止の解除を訴えてきた:
「高速道路での2人乗りバイク走行」
「高速道路二人乗り規制撤廃のニュース」
尤も、東京の首都高速など、一部の高速道路(の一定の範囲)は今後も禁止の措置が続くようだが、とにかく、基本的には慶賀すべき解禁の動きと嬉しく思っている。
まあ、とはいえ、小生には後ろに乗ってくれる方もいないのだが。
そう、かくいう小生は、ライダー歴30年以上の筋金入り(?)のオートバイライダーなのだ。今でこそ、スクーター乗りに身を貶めてしまっているが、いつかはオートバイ乗りに復帰したいという悲願がある。
我輩の華麗なるオートバイ遍歴を見よ:「オートバイ」
我が短篇集『化石の夢』(新風舎刊)には、オートバイを主題にした短篇も載せてある。
…ところで、オートバイとスクーターの違いは?
正確な定義は知らないが、その辺りなどを探ったエッセイが小生にはある:
「久しぶりの<ツーリング>だけど」
…で、二輪草とオートバイと、どう、関係するのって?
小生に、そこまで説明させるのか?! 武士の情ってものがあるだろうが!
言うまでもなく、オートバイを日本語に訳すと、二輪車なのである。その二輪車が、これまでは一般道はともかく、高速道路では二人乗りが許されてこなかった。
そう、二輪車に二人乗りが解禁された。悲願の花が咲いたのだ。高速道路では、二人で乗りたくても許されないという、日陰の状態から、一気にパッと花が咲いた。
ということで、 二人走! → 二輪、そう!→ 二輪草なのである。
目下の小生の夢は、後ろに乗ってくれる女性を見つけること……じゃなくて(じゃないわけじゃないけれど)、オートバイをテーマにした小説を改めて書いてみること。結構、集中力や気力がないと、挑戦する気にもなれないので、今のところ、この課題は胸に温めてあるだけなのである。
二輪草花の咲かない二輪走
二輪草見つめる孤影知らず咲く
| 固定リンク
「季語随筆」カテゴリの記事
- 陽に耐えてじっと雨待つホタルブクロ(2015.06.13)
- 夏の雨(2014.08.19)
- 苧環や風に清楚の花紡ぐ(2014.04.29)
- 鈴虫の終の宿(2012.09.27)
- 我が家の庭も秋模様(2012.09.25)
コメント