沈丁花の思い出…
今、我が邸宅(人によっては集合住宅と呼ぶ人もいるが)の玄関先には、沈丁花の花が咲き誇っている。
沈丁花は「季節の花 300」の「沈丁花 (ジンチョウゲ)」によると、「中国原産。室町時代に渡来した」であり、「花芽は前年の12月頃からできているが実際に咲き出すまでに寒い中3ヶ月ほどをこのまま過ごす」という。
このサイトにもあるように、白い、どちらかといえば地味な小さな花である。白木蓮の大柄な花とは大違いだ。花言葉は、「優しさ、おとなしさ」だというが、なるほど、と思う。その実、「香りでは夏の梔子、秋の金木犀に並」ぶと言われるほど、「遠くにいても匂ってくる」花でもある。
春四月の季語でもある沈丁花を、ネットで「沈丁花 季語」をキーワードにして検索しても、人気があるようで、結構な件数をヒットする。
沈丁花を織り込んだ句も多いが、「沈丁花 いまだは咲かぬ 葉がくれの くれなゐ蕾(つぼみ) 匂ひこぼるる」とか、「沈丁花 みだれて咲ける 森にゆき わが恋人は 死になむといふ」といった若山牧水の歌を挙げているサイトも目立つ。
沈丁花というと、小生の場合、ちょっとほろ苦い思い出に繋がっていく。それも、最初は歌の題名に過ぎなかったはずなのに、段々、沈丁花の花を見るとその思い出に直結してしまうようになってしまって…。
そうはいっても、さすがに記憶も思い出も段々と薄れていく。そのうちにすっかり忘れ去って、沈丁花の花はあくまで花であり香りであり、ただその地味なのかそれとも自己主張は案外としっかりしている、芯の強さを感じさせる花を愛でるだけになっていく、のだろうか。
小生には、その名も「沈丁花」という掌編がある。それもご丁寧にも同じ題名で二つも、一昨年、作っている。
その上、一昨年は、題名は、「紫陽花ばなし?」だが、その実、本編の中には紫陽花がほとんど登場しない、むしろ、「沈丁花の思い出」といった題名を付した方が相応しいと思われるようなエッセイまで綴っている。
まあ、一昨年は、それだけいろいろ思うことがあったということか。
我がホームページの命運が分からなくなっているので、ここに転載しておく:
「紫陽花ばなし?」(03/10/01 記)
何故かこの頃、また沈丁花の花のことが気掛かりでならない。つい先日、「沈丁花」というタイトルの掌編を書いた。沈丁花に絡むエッセイを書こうと思ったら、春先の花で、季節外れだということに気づき、書くのはやめたのだけど、何かしら花に絡む幾許かを書かないと気が済まない。
それで、江戸の敵を長崎での伝で、エッセイがダメなら掌編だ、というわけである。その時には、春四月にタイトルも同じ「沈丁花」という掌編を書いていることなど、すっかり忘れている。コメントを寄せてくれた方の指摘で気が着く始末だった。
沈丁花。小生のように花音痴ではない方なら、ああ、あの花かとすぐにその姿を思い浮かべられるだろう。その花の印象も持たれているに違いない。が、小生は違う。自然の風物に決して鈍感というわけではないと思うのだが、しかし、例えば花の名前にしてもなかなか覚えないというのは、口先はどうであれ、実際のところは愛情がないということなのかもしれない。
人の顔や名前を覚えないというのも、人間への愛情に欠けるところがあるからというし。まあ、どこまで愛情の有無と、対象への関心や知識と結びつくのかは、小生には分からないのだけれど。
とりあえず、沈丁花の花の画像を:
沈丁花についてのエッセイを:
さて、ところで、小生はどうして沈丁花に拘ってしまうのだろう。上記したように名前は知っていても、ネットなどで画像を確かめないと、これなのかと分からない小生なのだ。これじゃ、人前で沈丁花の花が気になってね、なんて、言えるはずもない。
気になってね、なんて言いながら、目の前の垣根越しに咲き誇る沈丁花をボンヤリ、素通りってこともありえないではない。というか、過去に幾度もあったのだろう。それなりに綺麗な花だな、とか、あるいは地味な花だなとか、でもこれだったら紫陽花のほうがもっと情緒が感じられるなとか、そんなことを思うくらいのものである。
下手すると、小生は沈丁花の花を眼前に見ながら、へえ、春先に紫陽花か、地球温暖化の影響がここまで来たのか、なんてしたり顔で思いかねない。さすがに紫陽花というと梅雨というバカの一つ覚えみたいな連想程度は働く小生なのである。
それなのに、眼前の花を行き過ぎてしばらくしたら、紫陽花の画像と沈丁花の画像とがごっちゃになり、やがて区別が付かなくなり、そして忘れ去っていく...、はずなのである。
自分でも何故、沈丁花に拘るのか分からない。
気になってならない。そこでここで少しだけ、自分なりの分析をしておきたいと思う。
それでも、謎を解きほぐすヒントくらいはある。
「風の盆恋歌」「天城越え」「滝の白糸」「能登半島」「津軽海峡・冬景色」などのヒット曲で知られる石川さゆりの歌に、「沈丁花」(東海林 良 作詞 / 大野 克夫 作曲)がある。手元に歌詞カードも何もないので正確な歌詞を書くことができない。
なんでも、
降りしきる 雨の吐息に
濡れて傾く沈丁花
あなたといても何故か淋しい
夜更けの裏通り
そんな歌詞などを思い出す。曲もいい。曲のタイトルに似合った何処か寂しげな、でも、夜の雨に祟られながらも懸命に叶わぬ、実らぬ切ない恋心を表現した素敵な歌で、石川さゆりの曲の中でも好きなものの一つである。
思うに、今年の春に沈丁花という石川さゆりの歌がラジオから流れた、そして小生が運良く耳にすることができたのだと思う。つい先日も、ラジオで石川さゆりをゲストに迎えての番組があり、その中で沈丁花を聞く機会に恵まれた。だから、せっかくなのでせめてエッセイをと思ったが、季節外れなので心を鎮めるためもあり掌編を書いたという筋書きである。
さて、この曲が発売されたのは、1978年の2月25日である(ちなみに小生の誕生日の前日。念のために断っておくが、生年は78年よりちょっと前である)。
小生は78年の3月に無事、大学を卒業した。2年ほど余計に勉強して。友人達は4年とか5年で卒業するか退学し、友達は一人もいなくなっていた。
3月末には上京する決心を固めていたので、2月のはじめ頃は、引越しの費用を稼ごうと、アルバイト探しをするはずだったが、生れて初めてというような風邪を引いた。
小生は風邪を引いても自宅で寝て直す。直るまで寝る。薬は飲まない。布団を被って、ひたすら寝る。ひどい風邪であっても、大概は二日も寝れば峠が越えるはずなのだ。
なのに、その時の風邪は、最悪の症状だった。寝たきりになり、一週間を経過しても直らず、ほんの少し加減が良くなったかなと、食べるものもないし、近くのスーパーへ買い物に行くと、その帰りにはまた風邪がぶり返し、帰宅した頃にはぶっ倒れてしまう、という状態だった。
無理して起き上がって、即席ラーメンなど作るのだが、まさに蝋の味で、二口と食べられない。そのまま精も根も尽き果てて寝入る始末だった。
一ヶ月も寝込んだろうか。 それでも起き上がることはできるようになり、上京のためのカネを稼ごうと、バイトを探した。それがよせばいいのに土方仕事。小生は、体を使う仕事を極力選ぶのが常だったのだ。何処かの工事現場でコンクリートを作るための石灰の入った袋を一階から木の板で組まれた足場を現場まで運ぶ仕事だった。背中に担いで、あるいは猫車に数袋を乗せて。が、体が言うことを利くわけがない。アルバイトがあんなに辛かったのは初めてだった。
そんなこんなで、バタバタしているうちに誕生日を迎えた。いつも通り、一人きりの誕生日。ちょうど、そんな頃に石川さゆりの歌「沈丁花」が発売されていたことになる。
しかし、これでは、話が半分以下である。
実は、小生は大学入学当初は下宿生活をしていた。その下宿仲間に大学は別だが同学年のA君がいた。ボランティアで活動したりする明るい気さくな奴だった。最初の1年ほどは、小生の仲間らの背伸びした読書などに引き摺られたりして、彼なりに小難しい本を読んだりしたが、やがてついていけなくなり、精神的なパニックに陥ってしまった。誰も寄せ付けず、彼の郷里から彼の姉が急遽、やってきて、やっと彼も落ち着いた。
その後も彼とは付き合いがあったが、その彼は大人になるのも早く、既に将来の道も決めていた。アルバイトも田舎の仕事に関連する、修練になるようなバイト先を見つけて地道にやっていた。
そんな彼だから彼女もすぐにできたようだ。小生はよせばいいのに、住む世界というか求める世界が違うのに、依然として彼と付き合っていた。小生もバカだが、彼も優しい男だったのだ。招かれるままに同棲する彼らのアパートへ遊びに行ったり。今から思うと、お邪魔虫だったってわけだ。
小生はというと、悶々とする心と体を抱えて、仙台の町を歩き回るしか能がなかった。
が、彼の彼女は小生のことを彼には合わない人間だと見抜いていたのだと思う。小生を彼が付き合うには相応しくない人間だと的確に判断していた。
細かな事情は、小生も辛いので書かないが、彼が彼女と結婚した翌日、彼女は小生とは口を利かなくなった。何かのメモか、それとも何か合図があったのか、仕草で感じたのか、明言はしなかったが、今後は付き合わないでくれと申し渡されたのである。
彼女は、彼が優しい男で彼には小生との付き合いを断つ決心など到底付かないと理解していた。彼女は自分が憎まれ役というか、自分の判断を明確に示して、小生との縁を切ることを決断し、実行したのだ。
ちょっと寂しかったが、彼女の判断は正しいと自分は即座に悟った。というか、とっくに分かっていたのに、友達のいない小生は彼に頼る風になっていたのだと思う。彼とは何でも話せるようでいて、実は、共有する価値が何もないことに鈍感な小生ではあるが、薄々は気づいていた。
爾来、彼とは全くの音信不通である。
ところで、実は、石川さゆりがテレビで登場するようになって、小生は驚いた。彼女のデビューは73年で「かくれんぼ」だが、彼女が一躍世間の注目を浴びたのは、76年末の「津軽海峡・冬景色」の大ヒットによってではなかったか。ヒットし、誰もが耳に出来たのは77年ということになるのか。
O君と断絶状態になったのは76年前後だと記憶する。小生のアパートにはテレビがなく、76年の末か、77年の春に帰郷した際に田舎の家でテレビを見、ニュース番組と歌番組の好きな小生は恐らくは歌番組で初めて石川さゆりの存在を知ったのだった。
さて、小生が驚いたというのは、石川さゆりが、A君の彼女と瓜二つだったからだ。え、A君の彼女が、歌手デビューしたの?! と一時は本気で思ったほどだった。
A君の彼女によって縁切りされたのもショックだったが、自分で自分の人間性を、そうだな、付き合うに値しない人間だよなと、つくづく納得してしまえるのも情なかったものだ。
その彼女が石川さゆりという姿になってテレビに登場する。何だか、鞭打たれているような気分だった。方や地道に我が道を見つけ邁進し、それを支える素敵な彼女と同棲し結婚する。
方や、なんの将来展望もなく、ただの一人の恋人を作る才覚もなく、やたらと一人の時をダラダラと過ごした仙台を後にする、はぐれ雲のような男。
そんな男であっても恋心もあるし、それなりに焦がれる心感じる心もある。が、それはいつも雨に祟られ、夜の闇に紛れ、アスファルトの下に埋められて、息も絶え絶えの、生命力の枯渇した腐ったような男の、それでも燻る情熱。
78年に公表された石川さゆりの、「沈丁花」を聞くと歌のよさも感じるが、自分という人間の人となりも、柔らかでしなやかな鞭で神経を逆撫でされるように思い知らされたりする。
自分はこんな人間なのだ。でも、こんな人間もいる。自分がこんなであることは、自分の責任以外の何物でもない。だから、とにかく最期まで自分だけはしっかり付き合っていく。
それはそれでいいのだけれど、「沈丁花」を聞いたりすると、この期に及んでも、我が道の先をどんなに目を凝らしてみても、何も見えないでいるのが、ちと寂しく思われたりもするのだ。
余談だが、その石川さゆりには、「紫陽花ばなし」なんていう曲もある。どんな曲だか小生は分からない。ただ、沈丁花ではない花もある、そんな花のことも歌っていることを意味もなく気にしてみただけである。
もし、タイトルに惹かれて読まれた方がいたとしたら、ごめんなさい。でも、まあ、紫陽花はなしができるようであったらなという思いは心底、本音の話なのだ。
(転記終わり)
沈丁花忘れたはずを香に篭めて
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コメント
沈丁花の香りがしてくると、あぁ、春だなと思えますね。
梅もそうだけど。
沈丁花の香りは、やかましくなくて好きです。
(変な表現かな~)
側に行くと、香りが散っていくような感じ。
百合や、水仙は、近づくと、眩暈してきますからね。
ところで、沈丁花に関する思い出、
切なげですね…。
私も、自分の真実を自覚するのが、一番辛いかな。
良い人ぶって入るけれど、
自分のことは、自分が一番よく知ってますからね。
投稿: Amice | 2005/04/07 19:30
Amice さん、こんちは!
沈丁花と聞くと、心穏やかではないのです。さすがに、歳月を経ているので、昔ほどには疼かないけれど。誰しも、苦い思い出はあるのでしょうね。
別のサイトに我が邸宅(?)の門前に咲く沈丁花の画像を載せました。携帯で撮ったので、ちょっと見づらいけど、見てね。
投稿: 弥一 | 2005/04/08 15:56
ん~、そうですね、ちょっとちっちゃいかな~。
こっちはどうでしょう?
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/jintyouge.html
投稿: Amice | 2005/04/08 16:11
Amiceさん、ありがとう!
このコメントの画像、見てくれるといいね。
こっちにも、コピーしておきます:
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/jintyouge.html
投稿: やいっち | 2005/04/08 19:56