桜餅・草餅・椿餅・鶯餅…ソメイヨシノ
表題に掲げた「桜餅・草餅・椿餅・鶯餅」は、いずれも春四月の季語例の数々である。
「俳句歳時記」の中の、「春の季語(行事・暮らし編-種類順)」の説明を引用させてもらう:
草餅(くさもち) 蓬(よもぎ)の葉をいれて作った餅
鶯餅(うぐいすもち) 青黄粉をかけて鶯色にし、鶯の形に似せた餅
椿餅(つばきもち) 椿の葉ではさんだ餅菓子
桜餅(さくらもち) しん粉の薄皮で餡をくるみ、塩付の桜葉で包んだ菓子
小生は不幸にして、椿餅は(恐らくは)目にしたことも、まして食したこともない(はずである)。
せめて、御尊顔だけでも拝したいものと、ネットで画像を探してみた:
「和菓子日記」の「鶯餅&椿餅(虎屋)」という頁を覗かせてもらう。
鶯餅(うぐいすもち)の美味しそうなこと。甘党の小生にはたまらん! 小生は、求肥(ぎゅうひ)で餡(特に白餡)を包んだ和菓子が一番の好物だ。が、カロリーを気にしているので、実際に食べることは、めったにない(せいぜい、二日に一度くらいである)。
その欲求不満が昂じたというわけでもないが、「和菓子のこと(多分、駄文)」なるエッセイを綴ってみたこともある。
そういえば、「団子より月」なんて掌編を編んでみたこともある。我が掌編の小道具にお菓子は不可欠だったりする。
[掲げた写真は、木曜日の午後、芝・増上寺の近くから撮った東京タワー。下のほうに白バイの勇姿も写っていたりして…。]
さて、「鶯餅&椿餅(虎屋)」の中に紹介されている椿餅を見て、ああ、小生はやっぱり食べていなかったんだと、改めて気付かされた。「椿餅の歴史は古く、『源氏物語』にもその名が記されています。当店の『椿餅』は、炒った道明寺粉と肉桂(にっけい)を混ぜ蒸した生地で御膳餡を包み、椿の葉ではさんでおり、独特の香ばしさが特徴です。 (虎屋HPより)」なんてくだりを引用しても、我がお口は寂しいばかりである。
草餅(くさもち)や鶯餅(うぐいすもち)は、さすがに食べたことがある。人によっては家庭で作られる、つまりはお袋の味として思い出と共に思い浮かべられる方もいるだろう。羨ましい限りである。
それとも、我が家でも昔は作ったのだったろうか。悲しいかな、今、そんなことがあったかどうか、定かではないのである。大概が、スーパーでの買い物の際、よせばいいのに、必ずといっていいほど、甘味のコーナーに立ち寄り、つい、物色し、今日は買わない、買わないって決めたんだから買わない。そう、一つしか買わない、ワンパックに留めておく…という次第で、総菜や飲料と共に、バスケットにしっかり収まっている、そんな光景となってしまうのである。
小生が甘党といっても、筋金入りとまでは胸を張って言えないのも、専門店に敢えて足を運んで選び味や香りや見た目を堪能するという拘りがないことがある。なんとなく気恥ずかしいので、スーパーやコンビニや、町の商店街で買い物をした際に、つい、ふらふらと手が勝手に伸びて買う、衝動買いの形で入手してしまうのだ。
こんな中途半端な甘党ぶりだから、人前では自分は甘党とは自称しないのである。
草餅、鶯餅、椿餅と見ていくと、蓬(よもぎ)だったり、椿の葉っぱだったり、黄粉(きなこ)を塗(まぶ)してあったりと、薬膳というほど大げさなものではないにしろ、栄養もあるが薬味効果もあることが分かる。祖先様から受け継がれた知恵の結晶ということなのだろうか。
ただ、疑問なのは、こうしたお菓子を食べられるのは、誰でもだったと思っていいのかということ。江戸など都会の裕福な人は別格として、食材はそれなりに容易に入手できるような地の利にある人々は、普段、食べることができたのだろうか。祭りの時に、特別に作っただけだったのだろうか。祭りの時の限定的な食品だったとして、いつ頃から食べられ始めたのだろうか。
気になる。いつか、調べてみたい。
さて、桜餅のことである。
小生、自慢じゃないが、桜餅も食べたことがある。これまたスーパーで買い物をする際に、ついつい誘蛾灯に誘われる蛾の如く、甘味コーナーに居並ぶお菓子の数々の中に、あれ、珍しや、桜餅さんがいるじゃない。黙って通り過ぎるのも失礼だし、挨拶代わりに買っちゃおう、と相成る。
「桜餅」については、上記したように「しん粉の薄皮で餡をくるみ、塩付の桜葉で包んだ菓子」という。せっかくなので、画像だけでも見ておきたい。
と、その前に、草餅の画像を見ていない。同じく、「和菓子日記」の中の、「草の餅(叶匠寿庵)」を覗かせてもらう。「杵搗きの近江羽二重餅に、香り高いよもぎの若菜を練り込み、丹波大納言小豆を包みました。しっかりとした歯ごたえと丹波大納言小豆の味わいは、匠壽庵ならではの味です。香ばしい黒豆黄な粉が付いており、お好みにより楽しんで頂くこともできます。(叶匠寿庵HPより)」だって。罪な説明だ。
で、桜餅である。「2月上生菓子&桜餅(鶴屋吉信)」の項を覗いてみる。
一層、我輩には罪な画像である。桜餅だけでいいってのに、上生菓子の画像まで。
画像はもう、いいので、薀蓄を語ってくれるサイトを探す。「デザート物語(桜餅)」に飛んでみると、うまい塩梅に画像は消えてしまって、説明文だけが残っている。小生に配慮したような気の利いた頁だ。
桜餅に関東風と関西風があり、一つは長命寺系桜餅(東京)であり、もう一つが道明寺系桜餅(大阪)だという。
このサイトによると、「桜餅が誕生したのは、暴れん坊将軍で馴染みの八代将軍、徳川吉宗が江戸を治めていた、享保2(1717)年のこと。当時長命寺の門番だった『山本や』創業者の山本新六が、隅田川に植えられた桜の落葉の再利用を思いつき、考案したと伝えられている」という。
さらに興味深い記述が続く。「ではなぜ新六は桜の葉に着目したのか? 実は江戸の庶民に桜の花見という習慣が広まる時期と、桜餅の誕生はほぼ一致する。桜の花見の風習は、平安時代、嵯峨天皇が宮中で行なったのが最初といわれるが、しばらくは公家や武家だけのものだった。そんな花見を江戸の庶民にとって身近なものにしたのが、将軍吉宗なのである」というのだ。
小生にはこの説明に疑義を差し挟む権能も素養もない。ただ、疑問なのは、「隅田川に植えられた桜の落葉の再利用」はいいとして、餅を挟んでも、無害だという知識は当時、既にあったのかということ。場合によっては栄養があるとまで理解していたのだろうか。
それとも、香りが餅とマッチして芳しくなり、味わいが一層、深まるという経験的知識があったのだろうか。
さらに疑問なのは、そもそも、八代将軍徳川吉宗の頃の桜とは、一体、どんな種類の桜なのか。本文には、「東京浅草。駒形橋を渡り、名物ソメイヨシノの桜並木で有名な隅田川の堤を歩いてゆくと、発祥の店『長命寺桜もち・山本や』が現れる」とあるが、ソメイヨシノという種類だと思っていいのか。
ネットで調べてみると(実は、昨日、タクシーのお客さんに教えられたのだが)、「桜餅に使用される桜の葉の木の種類を知りたい」という頁には、「桜餅には、一般的に大島桜の葉が使用されているようです」とある。
「桜の葉には、精油成分のクマリンという物質が含まれています。桜の葉を塩漬けすることにより、桜餅の葉から発する甘い独特の香りのクマリンが生まれます」というが、さて、科学的な知見はともかく、江戸の世から「桜餅には、一般的に大島桜の葉」が使われていたと思っていいのだろうか。
話は前後するが、ソメイヨシノのことは、今の時期、結構、話題に上るし、大凡の知識は広まっているものと思われる。念のため(その実、小生自身のため)、「ソメイヨシノの発祥地染井」を参照させていただく。
まずは、「オオシマザクラとエドヒガンザクラとの交配種といわれるソメイヨシノ(染井吉野)は、江戸末期から明治期に、染井(現在の豊島区駒込)の植木屋が吉野桜の名で全国各地に売り出し、のちに染井吉野と名付けたものと言われています」という点を押さえておこう。
ただ、「ソメイヨシノは、雑種のため育成が早く花が美しいので急速に普及し、北海道から九州まで全国各地の公園や河川堤、学校や病院などの公共敷地に植樹されています」というのは、ちょっと曖昧な記述に思える。雑種のため育成が早い、というのは、素直には受け入れられない。
また、「ソメイヨシノの命名者は、上野公園にあった博物局の藤野寄名であるといわれています。明治33年の「日本園芸会雑誌」に、藤野寄名が明治18年に植物学会に寄稿した論稿のなかで、それまでは染井の植木屋のあいだで吉野桜と呼んでいたが、吉野山のヤマザクラ と紛らわしいので、染井の地名を冠してソメイヨシノと命名したと書かれています」というのは、マスコミでも俄仕込みの知識として、よく披露される。
ソメイヨシノにもう少し拘る。「ソメイヨシノの誤解」を参照させていただく。
このサイトにあるように、ソメイヨシノはクローン植物なのである。また、「ソメイヨシノは、人の手を介さない(接木などで増殖)と生存することが出来ない品種」でもある。
つまり、ソメイヨシノは最初は一本だったのである。「最初は1本から始まったソメイヨシノも、現在では人の手を介して日本全国に無数に増え広が」ったのであり、現在、日本にある桜の8割(!)はソメイヨシノだと言われている。
よって、「クローン植物なるがゆえに、遺伝子が同じなので条件が整えば一斉に開花します」というわけである。桜前線が語り得る所以である。
いずれにしても、八代将軍徳川吉宗の頃の桜や豊臣秀吉、あるいは嵯峨天皇の頃の桜は、ソメイヨシノでない…だけではなく、そもそも光景自体が違っている可能性もある。桜並木は吉宗が塩梅したものかもしれないが、元々は、一本桜、乃至はその集団(林か森)という光景だったのだろう。
薄墨桜を始め、名のある桜の木というのは、一本桜のようである。
江戸末期から明治期に作られたこのソメイヨシノが全国に一気に広がるには、それなりの理由がある。特に、明治維新政府以来の国家(の為政者たち)の意向が大きく影響していたようだ。
その事情などについては、既に若干のことを書いたので、ここでは略す。書評とは名ばかりで、大貫恵美子著『ねじ曲げられた桜―美意識と軍国主義』(岩波書店刊)を参考にして「桜―美意識と軍国主義」の周辺をなぞっている、下記の拙稿を参照願いたい:
「坂口安吾著『桜の森の満開の下』
さて、本題はここから始まる…はずだった。あまりに導入部が長くなったので、機会があったら、本題に入りたい。
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コメント
うふふっ(*゜v゜*)お菓子の話題だわ~!
春は色も香りも爽やかなお菓子が多くて嬉しい季節です。
桜と言えば、婚礼の時に
桜湯を頂くというのを聞いたことがあります。
目出度い雰囲気が漂いますよね、桜って。
満開の桜並木、花吹雪の中をもう一度歩いてみたいなぁ・・・
連休明けには桜も開花する予定の北海道。
花も団子も楽しまなきゃ!
投稿: マコロン | 2005/04/08 19:13
お菓子の話題は尽きないですね。昨日は、タクシーのお客さんと、桜とか料理の話とかいろいろして、楽しかった。その、お裾分け、というわけです。
桜湯を戴く…。小生、うっかり、桜の花びらなどを浮かべたお風呂のことかと思っちゃいました。「塩漬にした桜の花に熱湯を注い だ飲物」だったのですね。どんな味や香りがするんだろう。
小生、日中は仕事で桜を横目で眺めるだけですが、夜中、それも、未明近くには、公園の桜を独り占めしているみたい。人気のない公園の桜並木は落ち着きがあって、昼間とは一味、違うようです。
北海道は連休明けなのですね。一ヶ月以上を懸けて、桜前線が北上する。ずっと追い掛けていきたいものです。
投稿: やいっち | 2005/04/08 20:10