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2005/04/04

春の塵…塵の河

「春の塵」は、春4月の季語の一つである。「春塵(しゅんじん)・黄塵・霾る(つちふる)」などの類義語があり、「春先の乾燥しほこりっぽいさま」を表現するとか。
雪どけ後強風に飛ぶ土ぼこり」と説明するサイトもある。
 小生には目新しい「霾る(つちふる)」は、「大風が砂や土を空にまきあげて降らすの意」だとか。「蒙古風」とも言うらしい。
 ネット検索してみたら、「奥の細道」の本文の中にこの「つちふる」という言葉が使われているとか(「奥の細道スタディー」より得た情報。ここには、杜甫の漢詩を例に「つちふる」という語を詳細に説明してある)。
「春埃(はるほこり) 」を類義語とするサイトもある。「砂あらし」や「黄砂(黄沙・霾天)」もつながりがありそうだ。
 関連するといえば、「春風(はるかぜ)」「春の風」もそうだろう。「花曇(はなぐもり)」を関連付けても構わない気がする。「霞(かすみ)」や「朝霞 昼霞 夕霞 遠霞 薄霞 棚霞 鐘霞む 草霞む」の数々も。
 考えようによっては、「朧月(おぼろづき)」「月朧 淡月」とか、「朧(おぼろ)」「朧夜 朧月夜」なども、無縁とは思えない。
 例えば、「朧月(おぼろづき)」とは、「月光がぼんやりと滲んだ春の月」を表しているとは、既に紹介した。
 その際、「大原や蝶の出て舞ふ朧月」という内藤丈草の句も紹介している。
「朧月」については、「照りもせず曇りもしない春の夜に、月にぼんやりした輪ができ、これを暈(かさ)とよび、この暈が月にかかると朧月になります」と説明してくれるサイトもある。

 上掲の内藤丈草の句の評釈の中で、「「朧」(おぼろ)は、「霞」(かすみ)の夜バージョンの呼び名で、霧ほど濃くないかすみ方をしているもの。おぼろ月は、かすんだ月で、風の強くない湿度の高いときになります」という説明がある。
 霞み、朧、塵、埃…、これらは、春を象徴しているようだ。何故なのか。
 まず、春になって湿度が高くなることが考えられる。雪解けとなり、そこに春の風が吹くと、埃や塵が舞い上がり、空中の湿気の元、つまりは水分と結びつく。
 湿度はイメージとして百パーセントになると気体が液体に変化しそうだが、実は、空中に気体状の水の分子があるだけでは霧にも雲にも雨にもならない。それこそ湿度が三百パーセントにまで高まらないと雨にはならないという。
 が、実際には百パーセントをある程度、下回った湿度で雲になったり雨になったりする。
 それは、気体状の水分が塵や埃などを核にして霧や霞み、靄などになるからである。
 春には、その芯になる埃や塵の膨大に舞い始める季節でもあるのだ。何も花粉だけが舞っているわけではない。

 さて、塵や埃と曖昧に表現してきたが、その実態は何か。
 中国の黄砂やアフリカのサハラ砂漠の砂、アメリカなどの痩せ衰えてしまった荒野の土埃、「火山や海中のプランクトンからも、山火事での煤という形でも、山肌が氷河などにより削られる、生物たち(カビの胞子、ウイルス、バクテリア、花粉、枯れた葉っぱの繊維、虫けらの死骸…」であり、工場などからの排煙、過去に垂れ流されたPCB、車などの排出物などの類いである。
 車に付いては、排出規制が厳しくなりつつある。が、注目されているのは、石油などの化石燃料を燃料電池やハイブリッドエンジンに替えて、クリーンな排気に持っていこうという動きが主だろう。
 が、例えば、車の走行スピードを制御するために使われるブレーキのパッドなどは、使用のたびに磨り減り、微細な金属粉を撒き散らす。車が止まったり走行するのは、直接には路面に接地しているタイヤだが、タイヤは磨り減ることで、その機能を果たす。ということは、ゴムという化学物質が、日々、膨大な量、路上に空中に散布されているということを意味する。
 花粉症ということで、スギ花粉などが注目を浴びているが、カビの胞子もバカにならない。というより、この胞子のほうが量的に圧倒的で、しかも微細なので鼻呼吸呼していてさえも肺の肺胞に取り込まれていく怖れがある。

 こんな野暮なことを書くというのも、以前、ちょっと紹介したハナ・ホームズ著『小さな塵の大きな不思議』(梶山あゆみ訳、紀伊国屋書店)を今、読んでいるからである。
Amazon.co.jp: 本 小さな塵の大きな不思議」の中のレビュー(ふじあかね)が本書の内容や性格を知る上で実に参考になる。
 全部を引用するわけにはいかないだろうが、本書を読む機会を得ることができないかもしれない人が多いだろうことを思うと、できる限り転載しておきたい:
「宇宙を漂う小さな塵から生まれ今も宇宙の塵の中にある地球には、常に宇宙塵が降り注いでいるという。また、火山から噴き出される塵、砂漠から舞い上がる砂塵、植物の胞子や花粉の塵、岩に砕ける白波から飛び散る海の塵など、地球が自然に生み出す塵もある。そして、もちろん人間が作り出す塵も数え切れないほど存在する。これらが地球の周りに「塵の河」を作り、国境を越えて世界中に降り注いでいる。と聞けば、塵の量にも驚くが、そのパワーにはもっと驚かされる。私たちを取り巻く塵は、地球を暖めもすれば冷やしもし、世界の気候にも地球の歴史にも大きな影響を与えているという。大気汚染やハウスダストが人体に及ぼす影響もさることながら、もっと大きな視点から気象や自然現象と結びつけて考えると、塵の影響は計り知れない。小さな塵にはまだまだ不思議が秘められているようだ」

 その上で、このレビューは、次のように続く:
「この本を読んだ今、雨上がりの公園で草いきれを感じるとき、緑豊かな森林で深呼吸するとき、浜辺の村で磯の香りを吸い込むとき、私は塵の存在を意識する。気象の変化や自然現象を見るとき、ミクロの世界に思いを馳せる。空が、空気が、世界が前とは少し違って見える。この本は、そんな新たな目を与えてくれる。今まで科学に興味のなかった人にもお勧めしたい一冊だ」
 小生は、鼻呼吸ができない人間なので、埃や塵に弱い(はずである)。埃の大小を問わず、ダイレクトに肺に直行していると思うと(実際には気管支などの粘膜で多少は、肺への流れ込みが阻止されているものと期待しているが)、花粉どころか、凡そ、健常なる人には気にならないような粒の大きな(従って、鼻呼吸さえすれば体内への取り込みが防げるはずの)埃も、正直、怖い。
 当然、煙草の煙など論外である。

 朧なる月影を愛でること、草いきれ、芽生え、霞む春の空、春の日、月光、森の滋養に満ちたような清々しい空気、その全てが埃や塵と密接に関係していると思うと、「塵の存在を意識」する以上に、恐怖する。
 それでも、小生は、まだ、途中までしか読んでいないのだが、「塵の本、といっても、大気汚染やハウスダストの恐ろしさを強調しただけの本ではない。この本は「塵」を目に見えない微粒子として広くとらえ、塵と地球、塵と人間の関わりをさまざまな角度から考察したもので、科学的な読み物としておもしろい」というのは、同感である。
 野暮のついでに言うと、前にも書いたが、花粉に限らず大気中に飛散している埃や塵の類いを疫学的に調査して、アレルギーや心臓病、喘息などとの相関を徹底的に調べ上げてもらいたいものだ。

[「Wired News - 月面基地計画、最初の障害は「月の塵」? - Hotwired」(2005年4月4日 2:00am PT 月面基地計画、最初の障害は「月の塵」? )によると、「ブッシュ政権による月面基地計画(日本語版記事)が現実になったら、科学者たちが最初に対処法を考えなければならないのは、非常に小さいけれどもいたるところに存在する敵、「月の塵(ちり)」だ。」という。
「1960年代から1970年代にかけて行なわれた『アポロ』計画の際、月面に到達した宇宙飛行士たちは即座に、月の粉塵がきわめて厄介で、かつ避けられない問題だということに気付いた。数時間のうちに、粉塵は飛行士たちの宇宙服(写真)や計器類(写真)を覆いつくし、レンズを傷だらけにしたり、充填材に入り込んだりした」というのだ。
 では、今まであまり話題にならなかったのは何故か。それは「アポロの宇宙飛行士たちにとって幸運だったのは、接触時間が短かったため、大きな問題にならなかった」からだという。
 が、「しかし今後の計画では、いったん月を訪れると数週間から数ヵ月間もそこで暮らすことになるため、以前のように簡単に粉塵から解放されそうにない」という。
「月には水や風が存在しないので、粉塵が舞い上がってこすれあったり、摩耗したりすることはない。そのため、月の粉塵は地球上の粉塵よりもかなりぎざぎざしている。月面で粉塵が発生するのは、隕石や宇宙線、太陽風などが地表にぶつかり、岩が粉状になるときだ」とか。
 しかも、「シュミット氏の一時的なアレルギー反応を除き、月の粉塵と接触したことに起因する健康上の被害を報告した宇宙飛行士はいなかった。だが、地球に持ち帰られたサンプルは、特殊な特性を持っており、研究者たちの懸念を招いた」という。
 懸念すべきことは多い。
「第1に、粉塵の粒子の中にはわずか数マイクロメートル[1マイクロメートルは1000分の1ミリメートル]の大きさしかないものがあった。このような微粒子は簡単に肺の奥深くまで侵入し、そこにとどまることになる。その結果、珪肺症に似た、死に至る肺の病気を招くのではないかと、科学者たちは憂慮している」という。
 また、「さらに、粉塵にはガラスや鉱物の破片がたくさん付着している。これらは膠着物(こうちゃくぶつ)と呼ばれ、隕石の衝撃で発生した熱によって形成されたものだ。この膠着物は地球では見つかっていない物質なので、これを吸い込んでしまった場合、人間がうまく吐き出せない不安がある」というのだ。 (05/04/13 追記) ]

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コメント

春の塵と言って思い出すのは北海道だけなのかもしれない粉塵。
雪解けの今頃はマスクをしている人が多かったものです。
スタッドレスタイヤに規制されてからここ数年は
粉塵もなくなり
そんな春特有の風景も見られなくなったけれど代わりに冬場の道路が辛いのも事実。
最初の1・2年は車の事故が多かった。
今は歩行者の転倒事故が結構あるんです。
どちらもイヤだけれど歩くときさえ気を付ければ問題は解決!
やっぱりあの粉塵は異常だもの・・・
春の塵とは関係ない話でごめんなさい。

投稿: 春の塵 | 2005/04/05 01:12

あれ? 「春の塵」というのは、誰かさんの世を忍ぶ仮の名前なのかな。
粉塵、確かに以前は、スパイクタイヤで道路が削られて、大変でしたね。その意味では粉塵は減った。自動車業界、タイヤ業界の努力があったものと思います。
塵や埃、特に1970年代から急増しているとか。で、喘息も並行して急増してしまった。両者の間に相関関係があるかどうかは、未だ、定かじゃないようだけど。
アメリカもそうだけど、日本も、高い次元で経済が推移しているし、中国や東南アジア、インドも経済が急成長している。それに伴って、粉塵も膨大な量となっていきつつある。地球温暖化というより(温暖化に向かうのか寒冷化していくのか未知数)、異常気象や健康問題に直結しているようです。


投稿: 弥一 | 2005/04/05 02:58

上のカキコは私です・・・
何で春の塵って入れたんでしょう?
そろそろアブナイかも~(=^‥^A

投稿: マコロン | 2005/04/05 13:58

マコロンさん、「春の塵」という投稿者名前をクリックしなくても、誰のコメントなのか、分かってたけどね。
ついでだけど、紹介した本は面白い。アロマテラピーのこととか、ハウスダストのこととか(特に絨毯や、ぬいぐるみ)が、興味深い。読みながら、ネットであれこれ調べたりするので、まだ、読了できていない。
皆さんに推薦しまーす。

投稿: 弥一 | 2005/04/06 18:25

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