花冷…花の雨
昨日の季語随筆では、「花散らしの雨」という季語はないようだと書いた。書き終えてからも、ネット検索を繰り返してみたけれど、その実例は見つからない。
が、関連する言葉なら、幾つか見つかる。
例によって「春の季語(自然編-種類順)」というサイトを参照させてもらう。
たとえば、「花冷(はなびえ)」という春の季語がある。これは、「花の冷」という表現例もあり、「桜の咲く頃の冷え込み」だという。
ちなみに、「桜の花が咲き終わってしまった頃」のことを表現する「花過ぎ」という季語がある。
「春雨」乃至は「春の雨」は、前にも採り上げたが、これは、「しとしとと降る春の雨」という意で、ちょっと意味的に遠い。
「花の雨」という春の季語がある。「桜の咲くころに降る雨」だという。
この「花冷」と「花の雨」とを組み合わせたら、花散らしの雨という意味合いに近付くだろうか。実際、桜(多くはソメイヨシノ)は一斉に咲き、一斉に散る、しかも、開花している期間は極端なくらいに短い。特に今年は短かったような気がする。
だから、満開になった頃に、雨が降り、ちょっと冷え込んだりしたら、開花の期間を直撃すること、すなわち、花散らしの風、花散らしの雨、そしてそこに冷え込みが加わると、大半の花びらの散ってしまった桜の木の何処か凍えた感じ、という結果になってしまうわけである。
以下、今日は、いつも以上に駄文調になるので、自らを真面目だと思われる方は、読まないほうがいいかもしれない。どうも、体調がすぐれないと、自制の力が弱くなるようである。
「花冷」の織り込まれた句をさがす。久しぶりに、黛まどかさんの句を玩味したい。「黛まどか「17文字の詩」98年4月の句」から、「花冷の疵つき易きハイヒール」という句が見つかった。この句の評釈は自らがされているので、小生がコメントする必要もない。
ただ、「男性はご存じないかもしれませんが、ハイヒールは少しの衝撃にもすぐに疵(きず)ついてしまううえ、ほんの些細な疵でもとても目立つものです」というのには、若干、異論(というほどのものではない)がある。
別にハイヒールフェチではないが、たまに街中でハイヒールを履く女性を見ることがある。しかも、女王様とお呼び! なんて戯れには到底、使用に耐えないような(突き刺さってしまいそうで)、極端に細く尖った踵(かかと)のハイヒールだったりすると、おいおい、そんな踵の靴で大丈夫かよ、道路のちょっとした窪みに嵌ったりするんじゃないか、お嬢さんの体重を載せるのは可哀想なんじゃないか、などと余計な心配をつい、してしまったりするのである。
だからといって、小生如きがしゃしゃり出て、助けに行くわけにもいかず、意見をするのも顰蹙を買いそうだし、カカトだけにシカトされる可能性、大だし、ただ黙って遠くから見守るばかりなのだが(許されるなら近くから見たいのだが)、当然のことながら、そういったハイヒールだと、傷つきやすいとは、デリカシーのない野暮天の小生だって、見当は付くというものである。見損なっては困る(何が困るか分からないが)。
というわけで、恐れ多くも、不遜にも小生が黛まどかさんに反論するわけではないが、「男性はご存じないかもしれませんが」、見当は付けているのである(観察もしているのである)。
これがパンティストッキングだったりしても、事情は同じであって、「男性はご存じないかもしれませんが」、きっと電線音頭を日々、踊っておられることだろうと察するくらいは、男性だってできるのである。
尤も、仄聞するところによると、最近のパンストは、破れにくくなっているというが、これは、悲しいかな確かめているわけではないので、あくまでそういう噂を聞いたことがあると言えるだけである。
黛まどかさんの次の評釈のくだりは泣かせる。「また、ハイヒールを履いて歩くのは、実はとても疲れるもの。しかし、少しでも脚を美しく見せたい一心で、無理をしてでも女性は華奢なハイヒールを履くのです」という。
おーおー、そうだったのか、だったら、柱の陰からこっそり伺い見るのではなく、近くに寄って手に持って見て差し上げたいと切に思ったりする。
それこそ、仇討ち物の曽我兄弟という物語ではないが、「やあ、やあ、遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ!」の精神で、ハイヒールのコツコツという音がしたら、音のほうに耳を欹(そばだ)て、近くに寄って手で目にも見たい!!
黛まどかさんのコメントは、簡潔だが、要を射ており、詩文を感じさせる。次のくだりも、まさしく、そうだ。
「花冷(はなびえ)とは、桜が咲く頃、突然冷え込むことを言います。満開の桜に感じる、美しいがゆえの不安感。そして、花冷の華やかさと寂しさ…。花冷のその日、うっかり疵つけてしまった美しくももろいハイヒールに、女性であるがゆえに感じる寂しさや不安感が、ふっと胸をよぎったのです」
ああ、そんな女心も知らずに、いけない思いを抱いて眺めてしまう男の不純さ、汚らわしさ! こうした男女の齟齬があってこそ、世の中が持ちつ持たれつなのだと、つくづくと感じ入ったのだった。
今日は、こうなったら、黛まどかさんにまとわりついてやる! というわけでもないが、ついでなので、「花の雨 黛まどか」をキーワードにネット検索したら、一件、ヒット。
と思ったら、「花の雨」は、句の中にではなく、コメントの文章の中に見出された。
「黛まどか「17文字の詩」2002年4月の句」の中に、「貸し傘の花びら付けて戻りけり」という句がある。
この句のコメントも素敵だ。「借りられていった傘が、桜の花びらをつけて戻ってきました。その傘は花の下を歩いてきたのです。花時の雨が降る中、その傘の借り主はどんなひとときを過ごしてきたのでしょうか……。」
うん、うん、なるほど、小生も、「花時の雨が降る中、その傘の借り主はどんなひとときを過ごしてきたのでしょうか」と思ってしまう。でも、つい、黛まどかさんがどなたに貸したのが気になってしまって、句を味わうどころではなくなっている自分がいたりして、情ない。
「貸し傘についた小さな花びらが、花時の華やかさや花の雨の艶やかさ、そして、その傘を借りていった人が過ごした花の下でのひとときを彷彿とさせてくれました」と、黛まどかさんはコメントを続ける。
そこまで思われる、その傘の借り手とは一体、誰なのか、胸の焦がれる思いを抱きつつ、その相手を髣髴と思い描く純なる我輩がいたのであった。
花冷えの町角消える靴の音
泣き濡れる思いにそっと花の雨
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コメント
花冷えというのは今頃の季語なんですね。
北海道ではリラ冷えという言葉を遣うことがあります。
リラというのはライラックのこと。
ライラックも桜も梅も5月に一斉に花開きます。
5月とは言えまだまだ肌寒いんですよ。
本州からみると一ヶ月以上も遅れて春がやってくるので
北海道では季語も少々ずれ気味ですよね^^;
投稿: マコロン | 2005/04/12 16:21
桜の花びらは、ハート型。
だから、胸元にふと落ちてきた花びらは、
誰かの心みたいだ。
なんてのが、ラジオの投稿にあったような。
そう言うことを受けて、
小姫降りかかる花びらを
桜は小姫が好きなんだよ。
だから、ほっぺにちゅうしていくんだよ。
ほら、ピンクのハート型してる♪
なんて、言う母の私。
かくして、どこかぽわわんとする子どもの出来上がり~
道を誤らせる親でございます~
投稿: Amice | 2005/04/12 23:36
マコロンさん、コメント、ありがとう。
リラ冷え…素敵な言葉ですね。渡辺淳一が書いた『リラ冷えの街』で、この「リラ冷え」は一気に有名になりました。小生が大学受験を控えていた頃にベストセラーになったような。
札幌が京都のように碁盤の目のような街になっているという印象が残ったのも、この本の影響かな(小生は、新聞か雑誌の書評などで読んだだけ)。
昨日の火曜日は東京が北海道より寒かったとか。変な天気です。今日も東京は寒い。花も凍えています。
投稿: 弥一 | 2005/04/13 16:06
Amice さん、コメント、ありがとう。
「桜の花びらは、ハート型」ですか。確かにそうですね。
Amiceさんの娘さんへの説明、物語があって、いいですね。
関係ないと思いつつ、松田聖子の「ピンクのモーツァルト」とか、南野陽子の「吐息でネット」、岡田有希子の「くちびるネットワーク」を連想してしまった。最後の曲、坂本龍一が作曲したんだね。
岡田有希子は詩人だったんだね:
http://www.geocities.co.jp/MusicStar/5988/aiwo/aiwo_5.htm
投稿: 弥一 | 2005/04/13 16:18