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2005/04/13

竹の秋…竹筒のこと

 表題の「竹の秋」は、決して秋の季語ではない。立派な春四月の季語なのである。「秋」なのに春とは、これ如何である。
兵庫教育大学 子午線の歳時記第5号」による、以下の説明が面白い:

「竹の秋」という季語の解説には微妙な差異があっておもしろい。名古屋大学の池内了先生は、「竹にとって春はつらい季節である。筍に栄養を取られるので、親竹の葉は黄色くなり落葉する季節なのだ。」(『天文学と文学のあいだ』廣済堂出版)と見る。大野林火監修の歳時記は、有機成分を地下茎にたくわえる必要を述べた後、「その役目を果たし終えるころにようやく黄葉が始まり、やがて落葉を迎えるのである。」(『入門歳時記』角川書店)とする。
                            (転記終わり)

季節のことのは・季語 春のことのは」の説明もまた興味深い。〔竹秋〕〔かげろい〕などの類義語を示しながら:

 植物の葉が黄ばむと、日本人は秋を感じるらしく、春の竹は地中の竹の子に養分を取られ、四月頃になると葉が一斉に黄ばみ始めます。
 これが竹の秋ですが、逆に秋には葉がつやつやとしてきますから、こんどは竹の春と呼びます。
                            (転記終わり)

 竹については、このサイトが素敵だ。
 ついでに拙稿を参照願えると嬉しいかも:「独活と竹の子
筍 の 家」という掌編も小生にはある。

 ところで、筍と竹(の子)とは、どう違う?

 さて、例によって、以下はやや野暮に堕す拙稿となる。ただ、表題を「竹の秋…竹筒のこと」とした訳は、分かるかも。

 横井清著『的と胞衣 中世人の生と死』(平凡社ライブラリー ←品切れ!)を読了した。この本も図書館通いをしたからこそ発見した本であり、また、著者であると言える。
 まずは図書館の書棚に並んでいる本書の背表紙のタイトルにある違和感めいたぎごちなさを覚えた。だからこそ、選んだ。特に、「胞衣」は惹かれるテーマでもある。が、「的」は、何だろう。弓矢で射る的(まと)のことなのか。パラパラと捲ってみると、とりあえずは、予想通り、射的の的であることは間違いない。
 けれど、何故に「的」なのか。本のテーマとして採り上げる何があるのか。
 が、何冊あるのか分からない図書館の蔵書を眺めていると目が眩む思いがする。読みたいと思わせる本は、それこそ限りない。敢えて手にとり、しかも、借りるかというと、今、数冊の本を並行して読んでおり、既に借りる予定の本を更に数冊、小脇に抱えているだけに、さて、どうしたものかと躊躇われてしまう。
 と、本書の「後記」を覗いて見た。すると、その終わりに「一九八八年七月十七日 富山市長江の宿舎にて 横井清」とあるではないか。
 えっ、著者は富山の人なの?! 富山関連となると、取りあえずは目が点になる小生、その「後記」を丁寧に読むと、「京都を離れて単身富山へ赴任したのは一九八一年の師走であったが、この小文集は、その翌年の初夏より今春までの間に富山でしたためてきたものの中から、中世文化史・差別史に関する話題を選んで編んだものである」と冒頭にある。
 そうか、富山出身の方ではないが、富山の地で本書の小文の数々が書かれたということなのだ。
 さらに「後記」には、「顧みれば当時の私は、神通川畔の寓居と勤務先とを往反しながら他の諸学・諸分野との境界線上を漂白するばかり。表は泰然を装いつつも内心は途方に暮れていた」とあったりする。
 1981(1982)というと、小生は、78年に上京しアルバイト生活していたのを見切りをつけてサラリーマンになった年であり、数年はともかくサラリーマンとして楽しげに勤めてきたけれど、やはり常に孤立化する性分が88年頃には歴然としてきた、そんな時期に相当する。小生は、89年1月に実生活(社会人としての生活)はともかく真面目に徹し、その代わり、家では(プライベートでは)書くことに特化する。徹底して読むことと書くことに専念すると決心したのだった。
 そんな頃、京都から一人の中世史研究家が富山で漂白しつつ独自の学究生活を送っておられたのだ。
 さて、小生には、横井清氏は全くの未知の人である。中世史というと、横井氏も本書の中(に限らず)しばしば言及されている、網野善彦氏の本を必ずしも系統立ってではないが、何冊か読んできた程度の分野である(現に今、たまたまなのだが『蒙古襲来―転換する社会』(小学館文庫)を読んでいる最中である)。
 その分野にこういう研究者がいたことは、まさに発見だった。
 著者(「後記」)によると、「「的と胞衣」の一編を冒頭に置き、かつ書名にも採ったのは、所詮は他の話題すべてがこれに根を発し、いつかはまた円環を成しつつ再びこれへと返り咲くようにと念ずるゆえである」という。
 本書を読んで分かってきたのは、著者の研究対象というのは、日本の中世史、なかでも差別の問題であり、且つ、そうした差別というのは、古代に遡及しえるものだという理解があるようだ。

 先に進む前に、本書については、まずは、出版社側の宣伝を紹介しておく。すなわち、「日本中世に生きた人びとの心と彼らをめぐる事柄の隠れた意味に迫る民衆文化史。 生と死、 芸能、 遊び、 差別、 知恵など多様なモチーフで中世社会を描く。毎日出版文化賞受賞」だって。
 あるいは、吉澤 深雪(北海道女子大学図書館 司書)氏の短評を紹介しておく。全般的な印象は、正しくこの通りだと思うから。つまり、「生まれた時代の違う見知らぬ人物が、何を考えどう感じたか。答合わせのできないこの問の魅力に、一度とりつかれると後戻りは難しい。著者が絡め取られたのは、「中世人の心」だ。様々な小道具や仕掛けを考え出しては試し、途中で興味を引くものが見つかると、すぐに脱線する。その度に彼の中の「中世人」は、少しずつ立体的に肉付けされていく。「あそび」「殺生」「穢れ」…、10の仕掛けのどこから読んでも楽しい、枕辺の一冊」なのである。
 但し、「枕辺の一冊」というには、中身は結構、重いし、文章も考察も<漂白>している。例えば、「胞衣」にしても、その含むところは重い。「大阪の部落史委員会」の「大阪の部落史通信・26号(2001.6)   近世産育儀礼と取上婆の位相  ―「川屋婆」のこと―  山中浩之(大阪女子大学)」の中で、次のような形で本書に言及されたりする:
「「死穢」と同じく「産穢」のケガレはだれがどのようにうけもってきたのかということである。河原巻物の一つ「八幡重来授与記」には神功皇后が博多の河原で出産した際、旃陀(羅)がその出産を助けたことが記されており、部落には出産への助力が独自な技能と意識されていたこともあったらしいことがうかがえる。また室町期、河原者が胞衣(胎盤)を入れた壷を土中に埋める役を担っていることも指摘されており(横井清『的と胞衣』平凡社ライブラリー、一九九八年)、かつて出産儀礼と河原者は何らかの関係をもっていたらしい」

 あるいは、「本の紹介 横井清『中世日本文化史論考』によせて―中世民衆精神史の歩み― 京都部落問題研究資料センター報『Memento』6号、2001.10.25  灘 本 昌 久」では、さらに詳細に横井清氏の研究が参照されている。
「…、「ケガレ」の問題が運動の理論として認知されたのは、ごく最近のことに属するのだが、一部の部落史研究者の中でははるか昔からいわれてきたことである。その代表的論者というべき人が、ここで紹介する『中世日本文化史論考』(平凡社,2001年6月)の著者でもある横井清氏であることに異論をさしはさむ人は少ないだろう」というのである。
 同上サイトには、「胞衣(えな)」について、「「胞衣納め」すなわち、お産の時に出る胎盤などの処理に、河原者がかかわっている問題をとりあげ、しかも埋めたあとに松を一本植えるという行為の問題を考える」とあり、「明示的にはしめされていないが、あの世とこの世という境界をはさんでの命のやりとりにかかわる行為として指摘されているように読める」という。
 そう、著者は決して断言したり決め付けたりせず、そんなことも考えられるのではないか、というふうに示唆に留める場合が多いのである。資料の制約もあるし、境界領域の研究対象で視座が定まらないということもあるのだろう。「横井氏の歴史学の方法は独特のものがあり、論を立てたり、体系化を急ぐというよりは、中世民衆の精神世界を「耕す」といった風情がある」という所以だろう。
 上掲のサイトには、「『中世民衆の生活文化』に収録された「中世における卑賤観の展開とその条件」(初出1962年)では、横井氏は上―下(支配被支配)関係において理解されがちな賤視の問題を、中世における村落共同体の成立とそこからの特定の人の排除、そしてそれをささえる不浄観(ケガレ)、癩者への忌避感まで射程に入れて論じている」と記されている。

 卑賤観というと、数年前に読んだ神野清一氏著の『卑賤観の系譜』(吉川弘文館刊)を思い出す。正面切っての書評など、小生の力量では叶うはずもなく、メモ書きだけしたことがあるので、その文章を転記しておく:

 Aさん、こんにちは。コメントをありがとう。

 差別という言葉について、つまり従前は「差別=区別」であり、中国より由来した差別に特に、区別と異なる色合いは帯びていなかったものが、日本の近代、特に昭和以降において意味的変化をどうやら遂げてきたらしいという視点は、ちょっと虚を突かれたようで、興味深い指摘でした。
 考えてみれば「差別」の歴史にも、有史で見るだけでも相当な時間的堆積があるわけです。ふと、5年ほど前に読んだ神野清一氏著の『卑賤観の系譜』(吉川弘文館刊)のことを思い出しました。
 本書を読んで、「今も弱者や少数民を実質上排除している現代日本社会の縮図」としての「いじめ」という視点を学んだものでした。
 古代の何処かの時点で「天皇」という特殊な身分上の焦点が作られたと同時に、その対極としての蔑視されるべき卑賤なる身分をも相関する形で生れざるを得なかったわけです。残りの大多数は、後の世で言う「平民」なわけですね。その平民の枠から食み出て、卑俗な民へと突き落とされないよう、大多数の「平民」は高貴なるお方を大事にし、卑賤なる少数の民を虐げ軽蔑するという構造が成立してしまったわけです。 
 これは天皇制の問題でしょうけど、その矮小化された差別の構造というのは、どんな社会、どんな集団においても、あたかもそれが自然発生的であるかのように、必ずのように生じてしまうのは、日本における人間社会だけの問題なのでしょうか。それとももっと普遍性を帯びた次元にまで抽象度の高まる問題なのでしょうか。
 もしかしたら、そうした捻れた陰鬱な構造が、民族に倒錯した自尊心とか、多民族に対する根拠なき優越感を齎せているのかもしれませんね。イスラエル(ユダヤ人)の選民思想の強靭なまでの存在感を思ったりもします。
 余談ですが、「遺伝子情報の取り扱いについて~差別と区別の違いを考える 」というサイトを発見しました:

 このサイトでは、遺伝子情報と生保との関係という視点から「差別と区別」を考えているようですし、あくまで小生としては問題提起として上記のサイトを示したつもりなのですが、いずれにしろ、問題の奥行きの深さを改めて感じずにはいられませんでした。
 あ、ところで、小生のパソコンですと「ぶらく」と入力したらすんなり「部落」と変換されました。小生の所有するパソコンは、結構、ナイーブなパソコンだということなのでしょうか。
 では、また。

(「02/05/02」付けのメルマガ後記より転記)

 ついでながら、部落問題や差別を扱った小説には、住井すゑの『橋のない川』とか、島崎藤村の『破戒』など、いろいろある。

 本書を読んで、「天狗草紙」なる絵巻物の存在を知ったことも、思わぬ収穫だった。学生時代だったか、「地獄草紙」「餓鬼草紙」「病草紙」などの絵巻物の存在を立川昭二氏の諸著を通じてしり、その描かれる世界のリアルさに驚倒したものだった。
 この点については、拙稿の「立川昭二から翁草へ」を参照願いたい。
 さらには、たった今、アップした「立川昭二著『江戸病草紙』 」も参考になるかも。

 本書『的と胞衣』の中では、「天狗草紙」の中から、「一遍の尿を乞う人々」という場面に言及され、また、その場面が描かれた箇所の写真が掲載されている。
 どんな場面といって、「一遍が竹の筒に尿を差し入れ、その尿が万病に効くと信じて民衆がおし頂いている様が台詞付きで描かれている」のである。文字通りの場面である。これは一遍を誹謗する人の勝手な作り物の絵なのか。それとも、実際に一遍の尿を乞う人々がいたのか、その判断は読者(閲覧者)に任せるとして、著者は、また小生も、実際の光景だったのだと思う。
 尤も、『天狗草紙』は一遍の専修念仏に対し批判的に描いているようだが。
 ネットでは、「排泄行為論」の中に、件(くだん)の画像があった。
 まあ、一遍を尊崇する人々は、『一遍聖絵』や『一遍上人絵詞伝』のほうを好むのは言うまでもない。小生も、学生時代、栗田勇著「一遍上人-旅の思索者」(新潮社,1977)を読んで漂白の思いを辿ってみたことがある(今は、新潮文庫に収まっているようだ)。

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