暗号・季語
俳句・和歌・短歌関連で暗号というと、柿本人麻呂好きの小生としては、藤村由加著『人麻呂の暗号』(新潮社)を連想したりするが、今回は扱うのをやめておく。
我が季語随筆日記は、一応は、俳句や川柳(あわよくば短歌や詩)を念頭に置いている。なかなか肝腎の焦点に狙いが絞れないのが悩みだが。
その短歌や俳句の世界は、枕詞を筆頭に謎や暗号に満ちている。言葉遊びの次元から、かなり危うい世界までを示唆していると思われたりするのである。
「言葉遊びと遊び心(About the parody and joyful mind)」を覗くと、枕詞、季語、謎かけ、回文、尻取りの楽しさを改めて気づかせてくれる。
同時に、季語というのは、特に江戸時代以降に醸成されてきた伝統の結晶でもあるが、冷凍食品や空調機、地球温暖化を含め(更に含めるなら、句作あるいは句の鑑賞の地域的拡大。江戸や明治の世だと、京都か江戸を場所的な焦点として思い浮かべればよかったが、今は北海道から沖縄、小笠原諸島、果てはブラジルやアフリカに在って句作されることも当たり前の時代になっている)季節感に狂いの生じつつある現代にあっては、悲しいかな記号めいた色彩も帯びつつあるのではないかと思われたりする。
暗号というと仰々しいが、言葉遊びと思えば、楽しいものである。短歌も俳句も川柳も詩も小説もと、欲張りすぎると虻蜂とらずになってしまいそうだが、別に小生は構わない。言葉に絡むあれこれを楽しみたいのである。
と書いた舌の根も乾かぬうちに、以下は、ちょっと野暮な領域に渡るかもしれない。扱うのは、スティーブン・レビー著の『暗号化』なのである。
タイトルを聞いただけで、拒否反応を起こされた方もいるかもしれない。
でも、小生は、言葉、記号、表現の世界を可能な限り広く解したいのである。しばし、コンピュータの暗号の世界の暗闘のドラマを想ってみよう。
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