蜃気楼・陽炎・泡(続)
引き続き、「光と色と眼の雑学 No.098 2005年03月04日」から得られた知見をメモしていく。
蜃気楼について、まず「冬の蜃気楼は逆に、海水で暖められた大気に、冷たい季節風が流れ込んで起こる現象で、冬なら何時でも起こる条件なのです」とある。この点は、特に付け加えることはない。
問題は、春の蜃気楼についてである。「大気の温度差による密度の違う界面で屈折する現象で、富山湾の春は雪解け水で水温が下がり、陸地で温められた空気が、低水温の上空に吹き込むと起こります。」
まさに、このメカニズムが問題で、これだと、「蜃気楼あるいは喜見城のこと」にも書いたように、雪解け水が海に注ぎ込む湾であれば、何処にでもありうることになる。富山湾は特に冷たい水の注ぐ量が多いということかと思うしかないわけだ。
まあ、実際、富山は一級河川が多く、名水百選に富山県から四箇所も選ばれている。松川遊覧船などを目玉に、富山市の一部の方々など水の都を謳いたくてならないでいる、小生も含めて。
さて、雪解け水の注ぐ量も問題だが(富山湾は有数の汽水の湾なのだ)、同時に地理的な条件が揃っていないと、蜃気楼という現象は発生しがたい、この点が近年、指摘されている説であり、注目されるべき点なのだろう。
「琵琶湖の蜃気楼情報」というサイトがある。
ここにもあるように、蜃気楼には「上位蜃気楼」や「下位蜃気楼」があって、「上位蜃気楼」は、「富山湾周辺(富山県)、琵琶湖周辺(滋賀県)、オホーツク海沿岸の網走・紋別(北海道)の3箇所しか確認がとれてい」ないのである(それぞれの用語については、同上サイトを参照のこと。図示してあります)。
恐らくは研究者の間では情報が交換されているものと思うが、春に見られるタイプの蜃気楼の発生のメカニズムを地理条件なども踏まえて、もっと分かったらと思う。
「陽炎」は飛ばす。続いて、「泡」へ。蜃気楼と泡には直接の関係はない。共に陽炎のように淡く儚いというイメージがある。まあ、イメージつながりである。陽炎は文章を繋げる都合上の接着剤だということかもしれない。
こんな飛躍をするのも、今朝、読了したシドニー・パーコウィツ著『泡のサイエンス―シャボン玉から宇宙の泡へ』(はやし はじめ/はやし まさる訳、紀伊国屋書店刊)に感化されているからである。
もう一度、出版社側の謳い文句だけ、転記しておくと、「私たちの宇宙は多様な泡に満ちあふれています。生活に身近な石鹸やビールの泡のほかに、原子・分子の世界から大宇宙の構造まで、泡は形を変え出現します。また実用面では、食べるもののみならず、医療やゴミ処理や宇宙探検にいたるまで、泡は活躍しています。本書は、驚くほど多岐にみちた泡の魅力的な世界へ読者を誘います。」とのこと。
泡というと、石鹸とか波飛沫とか、シャボン玉とか、人それぞれに連想されるだろう。小生は、少々気取って、鴨長明の『方丈記』で、つまりは、「泡沫(うたかた)」をつい想ってしまう。古文の嫌いな小生も、これだけは、幾度か読み直してしまう。名調子の文章が続く。
駄洒落好きという弊がなかったら、きっと小生も、『方丈記』もかくやと思われるような名文を綴っていただろうと思うが、なかなか現実は厳しい。つい、遊びに走ってしまう。
改めて、下記のサイトにも引用されている、原文の一部を味わってみよう:
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくの如し。・・・朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。・・・いはば朝顔の露に異ならず。或いは露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし
(転記終わり)
実は、ネットで検索したら、「つれづれ化学草子_泡の巻_方丈記」という恰好のサイトが見つかった。表題は、「つれづれ化学草子 泡の巻 よどみに浮かぶうたかた 鴨長明 方丈記」とある。
難しい理屈はともかく、泡(バブル)は、我々は日常的に関わっている。
このサイトから転記すると、「泡の科学の世界における活躍は幅広く、これが実に人間生活と深く関わっているのです。朝シャンではシャンプーリンス、お化粧ではフォーム剤にお世話になることから始まり、調理では水の沸騰による泡の力を借り、食事の後は歯磨きで口を泡いっぱいに。しつこい油汚れを台所洗剤で落とした後は、洗濯だ。ペットの熱帯魚の水槽のエア調節の後は、フォームクッションの効いたソファーで一休み。そこで原稿作りを思い出し、パソコンを開くがこれにも磁気メモリーにバブルが使われている。もちろん急ぎのワープロ仕上げはインクジェット印刷。呼び鈴で宅急便の荷物を受け取ったが、中身は発泡スチロールでしっかり梱包。お楽しみコーヒータイムには生クリームをホイップして一工夫。ついでにおやつクッキーも頂くが、この軽い食感も重曹の熱分解によるバブルのなせる技。夕食のサラダにはお好みでマヨネーズかドレッシング、これらはどれもエマルジョン。風呂ではバブルジェットで疲れをいやし、ほっと一息、一杯のビールは適当な泡立ちのものが旨い・・・。」となる。
もっというと、『泡宇宙論』(池内 了著、ハヤカワ・ノンフィクション文庫刊)といった本が著されるほどに、この宇宙そもののが泡構造を為しているし、プランク長の世界では時空も意味をなさないほどに泡立っていると考えられている。
泡宇宙論に興味があれば、例えば、「松岡正剛の千夜千冊『エレガントな宇宙』ブライアン・グリーン【3】」や、小生の拙稿を参照するのもいいかも。
シドニー・パーコウィツ著『泡のサイエンス―シャボン玉から宇宙の泡へ』は、読みやすい(数式は一切ない)のに、中身が濃すぎて紹介しきれない。ここでは、もう、気軽に読めるので推奨しておくに留めておこう。
唐突に季語随筆らしい話に戻す。
ネット検索していたら、「ミラー版『増殖する俳句歳時記』」というサイトの「『増殖する俳句歳時記』検索 蜃気楼」という頁を見つけた。
そこに、以下の句が紹介されている:
狐雨海市を見んと旅にあり 加藤三七子
評釈の冒頭にある「季語は「海市(かいし)」で春。蜃気楼(しんきろう)の別称だ」に、まず、無知な小生は軽い衝撃を受けた。「海市(かいし)」!!
「「海市」は、遠方の街が海上に浮き上がって見えることからの命名だろう」という。なるほど。
調べたら、『海市』(福永 武彦著、新潮文庫)という本もあった。「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」にも載っている。
尤も、注意深い読者なら、前稿で紹介した「富山湾の春の風物詩」の中に、既に「海市(かいし)」という言葉が登場していることに気付いておられるだろう。
そう、「海市(かいし)」は、もともとは中国語なのである。
「海上に気たちのぼりて 沢崎 寛(さわさき ひろし・元魚津市生活環境課長)」という頁を覗く。「蜃気楼は地球上の一つの気象現象でないかと思い、その出現位置を地球上に追って見ました」と、もっと幅広い観点から蜃気楼について調べておられた。
この中に、地中海や朝鮮半島の蜃気楼と並び、「山東半島の蜃気楼」という項があり、「古くから、中国の山東半島の、昔は登州といったところの海上に蜃気楼が出現するといわれています。今の蓬 (ポンライ)辺りの海上になると思われますが、今を去る904年前の元豊8年10月15日に、登州の知事として赴任したかの有名な蘇東坡が蜃気楼を見て、「登州海市」という長文の詩を作っています」と記されている。
ここに「海市」が登場するわけである。
他に、空海が蜃気楼を見たようだとか、「魚津の蜃気楼を取り上げたもので、一番古いと思われるものは、今から約425年前に、戦国の武将上杉謙信(当時、長尾輝虎)が部下の将兵と共に魚津の浜で蜃気楼を賞し合ったこと」などといった言及があって、興味深い。
「『増殖する俳句歳時記』検索 蜃気楼」に戻る。
見事なのは、評釈文。こういうふうに鑑賞しなければと思わされた(正確に言うと、小生にはできないだろうなと思わされた)。とにかく、少なくとも後半のくだりだけでも読んでみて欲しい。
文中に出てくる「狐の嫁入り」については、小生、気に入ったので、以前、そのまんまのタイトルの掌編に仕立てたことがある。挿画が素敵なので、覗いてみてね。
ああ、やはり、掴み所のない話に終わってしまった。
蜃気楼発泡スチロールと間違えて
遠い日の蜃気楼追う懲りもせず
蜃気楼陽炎の海誘える
蜃気楼姿追えずに泡を吹く
陽炎の恋の行方と思えども
恋すれど陽炎のごと儚かり
東海の小島の蟹と泡を吹く
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